銀河英雄伝説 ヤン艦隊日誌追補編 未来へのリンク   作:白詰草

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本作品では、同盟の年度の始まりを9月、年度末を8月と設定しております。なお、ドールトン事件については、筆者作『銀河英雄伝説外伝IF 辺塞寧日編 ヤン艦隊日誌』の設定を受け継いでおります。


最終話 星を墜とす者
Longest March


 ユリアンに託した信書は、確かにビュコック提督に届いたようだ。イゼルローン以外の経路による、帝国軍の侵攻の予測。その道はフェザーン。あちらを通られれば、ここを守る意味はなくなる。そうなった時、ヤンが最適と思われる行動を認める。自由惑星同盟軍宇宙艦隊司令長官の名において、出された命令書にはそうあった。

 

 自由惑星同盟と銀河帝国を結ぶ、もう一つの回廊に位置する自治領。成立は百年前、地球出身の商人レオポルド・ラープの強い働きかけによるものだ。正式な国交のない、二国間の貿易で潤う富の星。ヤンの被保護者だったユリアンが、先日赴任したばかりだ。人口は二十億人。宇宙の人口の0.5パーセントが、12パーセントの富を生み出す。

 

 だが、フェザーンの真の宝は別にある。二国との貿易で得られた、どんな富よりも貴重なもの。両国の航路図だった。フェザーンが帝国の手に落ちるということは、この情報も彼らが手にすることととなる。この百五十年近い帝国との戦争で、同盟側にあった地の利もまた失われる。

 

 帝国軍と初めて戦った、リン・パオとユースフ・トパロウルらによる、圧倒的な勝利を得たダゴンの殲滅(せんめつ)戦。同盟軍史上最高の英雄、ブルース・アッシュビーによる第二次ティアマト会戦。専制君主から国を守るという、強い意志による人の和以外には、唯一といっていい同盟の有利性だった。

 

 考えながら、ヤンは黒髪をかき回して呟いた。

 

「なんてことだ」

 

 既に自分は過去形で思考をしている。杞憂であってほしい。

だが、自分でも思いつくような策を、あの奇跡のような天才が考え付かないはずはない。

 

 フェザーン商人に、帝国侵攻を示唆することによる抵抗戦についても上申をしたが、これは他人様(ひとさま)の懐と命をあてにした策であり、効果があるとは思えなかった。ヤンも商人の子だからわかる。長いものには巻かれるし、命あっての物種だというのが商人の思考法だ。

 

 フェザーンは、帝国貴族資本にとって大株主だった。今までフェザーンを経由した同盟への侵攻案が俎上(そじょう)に上っても、大貴族らを通じて圧力を掛け、実現をさせてこなかったはずだ。だが、大貴族が滅び、彼らの企業は国有化された。フェザーンが保有する株券は紙屑になっただろう。こうなると、帝国の侵攻に対して掣肘(せいちゅう)する術はない。門閥貴族に対する、苛烈な粛清は同盟の侵攻への布石だったのだろうか。

 

「まあ、そうだとしか考えられないけどね」

 

 ヤンは、溜息と共にぬるくなった紅茶を飲み下した。先日の接遇研修のおかげである。冷めたら飲めないほどの渋みはなくなった。亜麻色の髪の紅茶名人には及ばないが、自分で淹れるよりずっと美味しい。もうブランデーで希釈する必要もない。要塞事務監と講師に限りない感謝の念を捧げるヤンだった。

 

 まったく、ローエングラム公は天才だ。遥か高みへと駆け上がる黄金の有翼獅子(グリフォン)。飛翔する鳥は巨体を持てず、敵を咬み裂く牙もない。獅子の瞳は遠くを見通すことはなく、その歩みは飛翔より遅い。一つでも凡人が持ちうる才ではないのに、双方を兼ね備えるか。まさしく、神話の幻獣に(なぞら)えるのにふさわしい。あの容姿も神の大盤振る舞いに思えてくる。

 

 彼を筆頭に、帝国の双璧、そして綺羅、星のごとき将帥たち。謀臣のオーベルシュタイン上級大将。到底勝てる陣容ではない。兵法の基本の基本、数の論理は絶対の方程式だ。ヤン艦隊以外の第一、第五艦隊と各星系警備隊を総動員しても、ローエングラム公が動員しうる艦隊に質量ともに及ばないのは明らかだった。

 

 しかし、なにも全員とやりあう必要はない。ヤンが思いついたのはそれであった。艦隊の数がほぼ同数であったら? まだしも勝ち目が出てくるのではないか。

 

 メルカッツ提督からの情報には、興味深いことがあった。帝国元帥の特権のひとつが、元帥府の開設ができることだ。自分の下に、有力な子飼いの将帥を集め、彼らは通常の人事異動から除外される。元帥を中心に、強力な集団が形成される。精兵を育てるうえでは、確かに有効だった。えりすぐりの集団は、元帥に対して強い忠誠心を持つことだろう。ヤン艦隊の熟練者の引き抜かれぶりを思うと、羨ましいかぎりだ。

 

 だが、一面では人事の固着化につながることでもあった。言い方は悪いが、元帥のお友達集団だ。元帥という恒星の周りに、部下たる惑星が取り巻く。では、惑星同士の連携はいかほどのものであろうか。双璧と謳われる、ミッターマイヤーとロイエンタールの両提督が、親友だということは有名だ。だが、その他の将帥達は? 僚友であると同時に、競争相手でもあるだろう。

 

 近い将来に、皇帝となるだろうローエングラム公の寵に対しての。第八次イゼルローン攻略戦の司令官の敗因は、ヤンが思うにそれである。双璧と呼ばれる二人の戦功が一段高く、他の将帥は彼らを追う立場だ。

 

 貴族とは名ばかりの境遇から、わずか21歳で帝国の実権を掌握した眩い超巨星。その青白い輝きを至近で見れば、目が眩むだろう。重力に引き寄せられるだろう。彼ら部下もまだ若く、いずれ劣らぬ才覚の持ち主らだ。我もと野心を燃やす。

 

 だが、燃えている同士が近づくかどうかだ。参謀たるオーベルシュタインは、『皇帝ラインハルト』に匹敵するような存在を望まないことだろう。

 

 絶対君主は、太陽であるべきだ。太陽に連星は必要ない。重力が乱れ、惑星同士がぶつかりあうことになる。傍らに控えていた、穏やかな赤い星の消失。そこには権力闘争が隠れていないか。

 

 そして、孤独となった恒星を取り巻く、違う軌道を回る惑星たち。これ以上、惑星同士の軌道を結び付けようとはすまい。すでに二つの巨大惑星が近しい位置にいるのだから。

 

 ここに付け入る隙がないか。唯一の恒星が消失したとき、惑星はどうなるだろう。遥かな古代、征服王として名を轟かせたアレクサンダーは、征旅の途上で倒れた。後継者を定めなかった彼の死後、帝国は四分五裂した。ローエングラム公ラインハルトは未婚だ。少なくとも嫡出子はいない。彼の親族はグリューネワルト伯爵夫人アンネローゼだけだ。彼女は二代前の皇帝フリードリヒ四世の寵姫だったが、同じく子どもはいない。

 

 血縁として立てるべき者がいないならば、部下がその跡を襲うというのは、古来よりの世の習いである。どんな大帝国であろうとも玉座の定員は一人分だ。ラインハルトという絶対のカリスマだから、あれだけの将帥を従えられるのだ。他者がそれに倣えるかというと、ヤンは疑問符をつける。

 

 例えば双璧。ほぼ同等の武勲の所有者で親友同士。どちらかが上に立つのを相手が承服するだろうか。

 

 あるいは、オーベルシュタイン上級大将。だが、同盟軍でも参謀は主流勢力ではない。

 

 ヤンにも経験があるが、冷徹な献策をする者は忌避される。あの冷めて体温の低そうな顔つきからみて、若く血気盛んそうな提督たちといい関係を築いているだろうか。顔に真っ直ぐで誠実と書いてあるようなミッターマイヤー提督あたりとは、水と油のような気がするのだが。

 

 ロイエンタール提督は、知勇の均衡の取れた名将だ。退却戦の綺麗さを見るに、基本的には守成の人だと思われる。帝国国内に、赤ん坊の女帝だけが残されるという危険性に気が付くだろう。ローエングラム公は帝国宰相に過ぎないのだ。残った貴族の誰かが新たな帝国宰相になれば、現在の軍政は危うくなる。

 

 まあ、こんな皮算用をしてもしょうがない。獲ろうとしているのは狸どころじゃなく、有翼の獅子だ。しかも、フェザーン回廊からの侵攻が起こるという最悪の大前提がある。そしてフェザーンを攻める際に、イゼルローンを野放しにしておくだろうか、という点だ。軍事において、二正面作戦は基本的には行うべきではない。だが、彼我の戦力差が圧倒的ならその限りではない。

 

「ま、放っといてはくれないだろうなぁ。私が彼ならそうするさ」

 

 ヤンはベレーを脱いで、黒髪をかき回した。ユリアンとメルカッツの出立式のために散髪したが、あれから二ヶ月近く。少々伸びかけてきた。冴えない表情とおさまりの悪い頭髪の下で、その頭脳は回転を加速させる。

 

 悲観的というか、救いのない未来予想図だったが。同時、又は多少の時差を設けて、イゼルローン回廊とフェザーン回廊の順に攻略する。ヤンをこちらに貼り付けておいて、通商の道であるフェザーンを攻める。これには双璧をあててくるだろう。自由惑星同盟侵攻の先鋒であり、最大の難所でもある。

 

 豊富な手持ちのカードから、最善の陣営で臨むに違いない。ラインハルトの天才性とは、正統的な正攻法を限りなく精密で壮大に計画し、狂いなく実施できる点にあるのだから。わかっちゃいても手の施しようがない、というのが辛いところだ。

 

 フェザーンには手が届かない。では、イゼルローンを堅守するか。だが、それは無意味だ。フェザーン側からいくらでも帝国軍が攻め込める。あちらはもともと貿易の中心地だ。帝国側の輸送網も、同盟と同様元から整備されている。イゼルローン側の補給路の補強よりも容易であろう。

 

「困ったな。どうしたもんだろう」

 

 ぶつぶつと呟きながら、ヤンは一見ぼんやりと書類の山を眺めていた。各部門から提出されてきた報告書に計画書。予算執行に関わる文書。今が、新年度が始まったばかりでよかった。昨年、捕虜交換式典に同行した際は、797年度予算要求書の提出時期と重なるため、キャゼルヌが火を吹かんばかりに憤ったものだ。

 

 ヤンも随分と出発前にサインをさせられた。道中のドールトン事件で、ハイネセン到着が十日も遅れ、予定が大幅に狂ってしまったのは苦い思い出である。せめて、もう少し根回しができていればよかった。結局、三日間しかハイネセンには滞在できなかったのだ。あの時にジェシカ・エドワーズと会ったが、それは彼女との最後の別れになってしまった。

 

 そんな脈絡のない連想の水底(みなぞこ)から、脳の表層に浮かんできた水泡(みなわ)が一つ。ヤンら一行が、輸送船の中で日程の遅れに右往左往していた時には、フィッシャー少将は異変に気がついていたらしい。艦隊運用の名手は、航法畑の出身でそちらの方が本職であった。本来バーラト星系に到着すべき日に、定時報告がないことを不審に思ったというのだ。バーラト星系には通信途絶域がないので、通信ができなくなることはない。予定の変動で、跳躍やハイネセンへの降下を行うなら、定時を待たずに連絡を入れるべきだと。

 

 その翌日から、一切の連絡が途絶した。まさか、同盟中に所在確認の通信波を撒き散らすわけにはいかない。彼は管制センターの記録から、帰還兵輸送船団の足取りを探し出そうとした。口実にしたのは、イゼルローンの民間人の避難の想定。ちょうど同等規模の船団の到達日時を知りたいという名目で、経路にあたる管制センターに調査を申し入れた。

 

 その結果から、二月末にはハイネセンへの進路がねじ曲がり始めていたのを看破した。だが、三月六日以降は、帰還兵輸送団を見つけることはできなかった。

 

 ハイネセンから千三百光年も離れた、恒星マズダクに突っ込まれる寸前だったと聞き、あわや卒倒するところでした、といつも無口な人がヤンに語ったものだ。通信途絶直前の座標から、恒星マズダクに行くまでには、いくつもの危険地帯があったと彼は言った。例えば、光さえも逃れられない重力の渦(ブラックホール)、その一歩手前の状態の中性子星などなど。

 

 聞かなきゃよかった、とヤンは思った。同行した男性陣も一様に白茶けた表情になった。薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊長といい、空戦隊の二人の撃墜王(エース)といい、いずれも豪胆な連中がである。被保護者と副官が席を外した時だったのは、実に行き届いた配慮だった。

 

 アーレ・ハイネセンが始めた『長征一万光年』で、バーラト星系などを発見するまで五十年を要した。ハイネセン自身も事故死し、四十万人の難民は四分の一にまで人数を減らしていた。帝国と同盟の間の暗礁地帯(サルガッソースペース)、変光星に重力異常。同盟の星の海は帝国に比べて荒々しい。建国二百年では、同盟領の安全な航路を探し出し、危険個所を炙り出すのが限界だった。人類発祥の地である地球から、人類が宇宙へ漕ぎだしたのはおよそ千年前。古くから人間が進出していた帝国領よりも、跳躍(ワープ)にしろ通常航行にしろ、技量と細心さが要求される。

 

 ヤンが、フィッシャーの手腕に全幅の信頼を寄せ、深い敬意を捧げる理由である。彼が水先案内人であるかぎり、何千光年を航行しようとも、迷子になったり脱落艦が出たりすることはない。

 

 ふむ。ヤンは頬づえをついて、脱いだベレーを右手でくるくると回した。イゼルローンからは、帝国首都(オーディーン)の方が同盟首都(ハイネセン)の倍の距離にある。だが、所要日数は倍までは違わない。両国の戦艦の性能はほぼ互角だが、同盟宙域の方が跳躍や通常航行の難易度が高いからだ。フィッシャーは第13艦隊設立当時、寄せ集めの集団を見事に運用してくれたものだった。

 

 たしかに、フェザーンは同盟領の航路図のデータを所持している。だが、それは商船用の航路が中心だ。軍事基地のデータも無論あるが、商船と戦艦では通れるルートも異なる場合がある。ローエングラム公ラインハルトは、戦略の天才である。その程度の差異は、たちどころに見抜き、解析を怠らないだろう。

 

 だが、航路外の領域についてはどうか。同盟で生まれ育ち、専門の教育を受けてさえ、ベテランと二十代後半(大尉)ではその知識に歴然たる差があった。帝国に生まれ育った者は、ベテランであってもデータだけでは把握をしきれまい。

 

「もっとハンデが欲しいところだよなあ」

 

 それでもまだ、地の利のすべてを明け渡すことにはならないだろう。ハイネセンたちの命で購われた航路図。およそ、三千光年にわたって広がる星の海と惑星という島々。それを知り尽くした練達の水先案内人。

 

 ヤンが、帝国軍にもフェザーンにも勝ると確信する宝だった。もう一度、髪をかき回してからベレーをかぶり直し、机のコンピュータを不器用な手つきで操作する。司令官より副司令官への、極秘作戦会議の依頼だった。

 

 それから、慌ただしく決裁のサインの記入を始めた。宿題が山積していては、悪だくみをする余裕もない。遠くのローエングラム公よりも、すぐそばにいる事務監のほうが目に見える脅威であった。ユリアンがフェザーンに行ってから、オルタンス夫人に夕食をご馳走になる機会が増え、胃袋も握られている状態だ。おいしいご飯をいただける恩というのは、至上のものだとヤンは思う。ますます、マダム・キャゼルヌのご亭主に頭が上がらない。

 

 ヤンは黒い瞳を瞬かせた。思惟(しい)の表面に弾ける水泡がまた一つ。サインの手を止めず、それについても考え始めた。

 

 ――星を墜とす。その方法を。


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