銀河英雄伝説 ヤン艦隊日誌追補編 未来へのリンク   作:白詰草

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ヤン艦隊特別顧問の話になります。


第3話 Home,Sweet Home.

 客員提督(ゲストアドミラル)メルカッツ中将と、その副官シュナイダー大尉のイゼルローンにおける生活は穏やかに始まった。言葉も社会の仕組みも全く違う敵国。そこに亡命した時には、どんな境遇が待っているのかと、それを勧めたシュナイダーの方が戦々恐々としていた。

 

 同盟軍でも穏和な良識派と声望の高い、ヤン・ウェンリー大将を頼ったのはいいが、彼が評判とは異なる人格であったら。同胞と敵国人を同等に遇するものなど極少数だ。だが、超光速通信の画面で対面した若き名将は、メルカッツに敬意を込めた穏やかな対応をし、彼らの身元を引き受けることを請け負ってくれた。ご心配なさらずに、との言葉を添えて。

 

 その言葉のとおり、イゼルローンでの受け入れ態勢は、メルカッツやシュナイダーへの配慮の行きとどいたものだった。上官は中将、副官は大尉待遇で遇する。人事や福利厚生、その他の手続きについては、説明役キャゼルヌ少将、通訳係シェーンコップ少将という、豪華な顔触れによるものだった。同盟軍の命令書や報告書の形式など、重要なものが含まれている。名のとおりの客ではなく、オブザーバーとして仲間に入れるということだった。敬して遠ざけるのではなく、本当に戦力として渇望されているということでもあった。

 

 同胞たる貴族に脅迫を受け、長年守り暮らした故国を逃れ、辿りついた敵国にこそ居場所がある。大いなる皮肉だった。その長である黒髪黒目の青年は、メルカッツに敬意を払い、意見を尊重して、父親ほども年長の名将として立てた。シュナイダーとしては、貴族連中と比較して嘆息せざるを得ない。もし、この若々しい司令官ほどの人物が貴族連合にいたら、そもそもリップシュタット戦役は起こらなかったであろう。

 

 だが、彼らの平穏は長く続かなかった。宇宙暦798年、帝国暦ならば489年1月22日。イゼルローン回廊内で、2200隻のヤン艦隊分艦隊と、ほぼ同数の帝国軍艦隊による遭遇戦。これは、ヤンが本隊を率いて援軍として出動したため、帝国軍の退却という形で幕を閉じる。

 

 ヤンの旗艦に同乗していたメルカッツは、亡命の意味を噛みしめた。故国が敵国へと変じること。この場にヤンが搭乗を勧めたのは、彼がイゼルローンに残留する場合に生じる疑念を、逸らすためだということはわかっている。しかし、先日まで自分が搭乗していたのと同形の艦艇が撃破されるのを見て、平静ではいられない。搭乗者は、すべてローエングラム候、いや公の部下なのだろうが。

 

 銀河帝国は、名はそのままに大きく変貌した。実質的にはもはやローエングラム朝である。こうなっては、傀儡(かいらい)として玉座に据えられた幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世の身が案じられてならない。ローエングラム公ラインハルトに処刑されたリヒテンラーデ候クラウスは、少なくとも皇室を敬っていた。フリードリヒ四世の後嗣(こうし)として、まだ七歳の男児を据えたのも、大帝ルドルフの男子相続の遺訓を尊重した面がある。

 

 先帝の子は、二人の皇女のみが成人を迎えて生存するにとどまり、彼女たちの降嫁先は当の貴族連合の盟主、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム候であった。皇帝の血を引くのは彼らの娘、双方一人ずつだ。

 

 一方、エルウィン・ヨーゼフは成人後に逝去した皇太子ルートヴィヒの遺児で、直系の男孫。女帝とは実質的な王朝の交代だから、リヒテンラーデ候はゴールデンバウム朝を守ろうはとしたのである。その国務尚書亡き後、幼い皇帝に愛情や教育が注がれているとは思えなかった。

 

 メルカッツが、ラインハルトの動向に気を揉んでも、得られる情報は少ない。イゼルローン回廊の帝国側出口付近に設置された通信衛星が、時折超光速通信の断片を拾ってくるのみ。もともと帝国のメディアは国営だし、いかようにでも報道を支配できる。

 

 ヤンが、フェザーン商人の友人のパイプから拾ってくる情報にも、目ぼしいものはなかった。以前は、貴族資本の株式市場の動向で、ある程度帝国国内の状況も掴めたのだが、門閥貴族の解体で、重工業などのほとんどが国営化されてしまった。株主は国なので市場に出回らない。こうなると、敏腕のキャゼルヌや情報参謀のバグダッシュをもってしてもお手上げである。

 

「メルカッツ提督も、ご家族のことがご心配でしょう。

 フェザーンを経由して、なんとか連絡をつけることはできませんか?」

 

 ヤンの提案に、シュナイダーは身構えかけた。諜報網作成の打診かと思ったのだ。

 

「ご家族も心配をなさっているでしょう。それに経済的な問題もあります。

 こちらに呼び寄せられてはと申し上げることはできませんが、送金なりなんなりは

 お考えになってもよいのではないでしょうか。たぶん、扶養控除も適応されますし」

 

 これに二人は目を丸くした。この智将の提案が、給与に関するものだとは。

 

「ああ、扶養控除を馬鹿にしてはいけませんよ。

 私もユリアンが軍属になった時に、税金の上がりっぷりに仰天したものです。

 ただ、銀行を含めた貴族資本が国営化されましたから、

 メルカッツ提督の資産が無事なのか心配になりまして」

 

「こちらこそ、行きとどいたご配慮に感謝をしなくては。

 貴族連合に加わる際に、妻には財産処分については指示をしておいたつもりですが、

 こうも大きく変わってしまいますと、下手に連絡すれば累が及ぶかも知れません」

 

「そうですか……ご無事だといいのですが」

 

「幸いに、家内の実家はマリーンドルフ伯領でした。そちらに戻るように伝えてあります」

 

 この言葉に、ヤンは黒い頭を傾げた。同盟の将帥が帝国貴族に疎いのも当然だ。シュナイダーが補足する。

 

「ローエングラム候の陣営に加わった貴族です。

 マリーンドルフ伯は、温厚で見識ある人物で、令嬢は美しく、稀に見る才女だそうです。

 この令嬢の提案だということですが」

 

「なるほどねぇ……」

 

 ヤンは、行儀悪く髪をかき回しかけ、年長者の前だということに気がついて、ばつの悪そうな顔をした。

 

「新たな風ですね。若いからしがらみがない。

 ですが、娘の提案を受け入れるマリーンドルフ伯も、柔軟な方のようですね。

 お話の為人(ひととなり)では、むしろ貴族連合に入りそうなものでしょう」

 

 このわずかな断片から、そう指摘する黒髪の青年は、やはり卓越した分析能力の持ち主だった。マリーンドルフ伯令嬢ヒルデガルドが、女性でありながら大学に進学し、短髪にパンツスタイルを好むという話に、ヤンは困った表情になった。

 

「その女性が、帝国女性の最先端にあたるのですね」

 

「そうなりますな。こちらでは、逆に戸惑うことでしょうが」

 

 メルカッツらも同様である。イゼルローンを行き来する軍服姿の女性軍人。司令官の副官にしてからが、妙齢の美女である。その多くがスラックスで颯爽と闊歩している。彼らの受け入れに当たって、事務部門の色々な女性士官が様々な手続きをしてくれたが、いずれも明晰で歯切れのよい口調で話す。かといって、男性的なわけではない。

 

「同盟は国の成り立ちからして人員不足でしたから、男女同権は最初から掲げていたんです。

 戦争が長く続いて、知識職や行政には女性が多いですよ。女性は兵役が志願制なんです。

 一見同権に反しているようですが、妊娠出産は時期が限られます。多産の奨励も伝統でしてね。

 ここにいる女性は、大体が職業軍人なのですよ」

 

「女性が望んで軍隊にですか」

 

 シュナイダーにとっては予想外である。帝国の女性は、良き妻良き母であることが求められるからだ。

 

「まあ、衣食住の保障という点で、なかなか軍人に勝る商売はありません。

 私のように、親を亡くして食うに困った者も多いものですからね。

 後方職ですと、戦死する心配もそうはありませんし」

 

 この言葉に、メルカッツの眠たげな眼までがさらに丸くなった。エル・ファシルの、アスターテの、イゼルローンの英雄。軍事クーデターから国を救った、同盟軍の良心。そう評されるヤン・ウェンリーの口から出たのが『食うに困る』とは。

 

 恐る恐る、軍人になった理由を質問したシュナイダーに、返ってきたのがこの返答だ。

 

「いや、私はもともと歴史学者になりたかったのですよ。

 大学に進学するつもりで、願書も書き終えていました。

 その時に、交易商人だった父が事故死しましてね。船ごと財産もぱあです。

 結局、学資がなくなりまして、無料で歴史を学べる学校が士官学校だったのです。

 当時は戦史研究科があったんですよ。

 私が3年次に進級する際に、廃科になってしまいましたが。

 それで、別の科に転科しまして、すったもんだあって現在に至ります。

 本当に無料(ただ)ほど高価(たか)いものはありませんねぇ」

 

 何をかいわんや、である。ああ、これが目が点になるということかと、シュナイダーは場違いな感想を抱いた。無言になってしまった元帝国軍人らに、ヤンは赤面しつつ言葉を継いだ。

 

「ええとですね。その、本題からずれてしまって申し訳ありません。

 やはり経済的に困窮するのは大変なことです。

 フェザーンには伝手もありますし、お考えになってみてください」

 

 ぺこりと頭を下げてベレーを落っことし、再び赤面する大将閣下を、複雑な表情で見守る二人だった。

 

 ヤンが退出してから、メルカッツがぽつりと話した。

 

「巡り合わせとは不思議なものだな。

 偶然がなければ、これほどの軍事的天才は一学徒だったのだろう」

 

「そうであったら、どうなっていたのか想像もつきませんね」

 

「少なくとも、我々はここにはいないな。

 シュナイダー少佐、卿に感謝する。確かに生きていてこそだ」

 

 六十の坂を過ぎてからの亡命。どうなることかと思ったが、司令官の薫陶あってか、思いのほか居心地がよかった。

 

 言語の壁も、シェーンコップ少将が梯子となった。彼は帝国騎士とはいえ男爵家の末流で、一般の帝国語のみならず、貴族階級が理解できるように通訳ができる。それに、祖父母と一緒に亡命をしてきたため、年配者がわからないところがわかるのだ。これは意外な適材適所だった。

 

 キャゼルヌ少将の説明自体、簡潔明瞭なものだ。さらに、同盟の文書に簡単な帝国語訳のダイジェストがついていて、これもよくできている。同盟軍には、『武』が不足していたが、『文』を支える人材はなかなかのものであった。

 

 メルカッツらは、ゆっくりと自由惑星同盟について理解を深め、少しずつ地歩を固めていった。艦隊演習にも参加をし、新兵を訓練する方法の洗練性、暴力による制裁を固く禁じているところに大いに感嘆した。

 

 これが同盟軍全体ならば大したものなのだが、ヤン艦隊だけの特色でしてね、とは通訳としてちゃっかり同行した美丈夫の弁である。

 

 ヤン司令官が査問会に出頭して、一ヶ月後。ガイエスブルク要塞襲来。ワープアウトしてきた未詳物体がモニターに捉えられた時、メルカッツとシュナイダーは呼吸を忘れた。貴族連合の盟主ブラウンシュヴァイク公の拠点であった人工惑星要塞。それを同盟への来襲に使うというのは、もはや貴族など過去のものと帝国内に宣言したも同然である。

 

 禿鷲(はげわし)の城から、虚空の女王へ見舞われる、硬X線ビーム砲。雷神の槌(トゥールハンマー)がそれに応射される。この主砲の一撃で、双方に数千人単位の死者が出た。メルカッツは、あの美貌の若者の変容を実感した。アスターテの会戦の際、敵に包囲されつつ状況で、同盟軍の連携の鈍さを見抜き、各個撃破に転じた天才。眩い黄金の髪と蒼氷色の瞳は、鋭気の輝きで満たされ、傍らの赤毛の青年がその鋭さを受け止めていた。あの時はヤン率いる同盟軍第二艦隊と、尾を食い合う蛇のような消耗戦に移行しそうになったが、それを嫌って軍を引いた。

 

 だが、これはどうだ。要塞主砲の撃ち合いを続けたら、あの美青年が嫌った消耗戦そのものだ。もしも通信を入れてきたケンプ司令官の独断であるなら、人材の起用として正しくない。彼の麾下(きか)には、ロイエンタール、ミッターマイヤーという優れた将帥がいる。このような大規模な来襲をするなら、最良の人選であたるべきだし、リップシュタット戦役ではそうしていた。臣下の間の勢力(パワーバランス)調整の臭気がする。ローエングラム公に献策した者の意図であろう。これまでの四十年以上、末端ながらも貴族出身の軍人として、帝国軍にいたからこそわかる。

 

 ガイエスブルクを使ったことといい、最初から成功に多くを期待していないのだ。これは、無用の(いくさ)だ。だが、それで人が死ぬ。自分達を受け入れてくれた、魔術師の部下達が。そして、命令で動員された帝国の兵士たちも。ならば、自分はどうすべきか。かつての故国で今の敵国。もう、帰れることはあるまい。あの青白い新たな星は、旧いものを灼き尽して中天へと昇りつめるだろう。その中には、この新しい故国も含まれているのかもしれない。

 

 ヤンの不在に、キャゼルヌ司令官代理が、慣れぬ指示を出している。シェーンコップ少将は、自らの部下らの被害を分析しながらも、的確に対応をしている。メルカッツの意志は定まった。駐留艦隊を出撃させるタイミングを計りかねているキャゼルヌに、現在の役職名で呼び掛ける。

 

 振り向いた司令官代理に、彼は口を開いた。息子ほどの亡命の先輩も、興味の色をあらわに視線を向ける。

 

「私に艦隊の指揮権を一時お貸し願いたい。もうすこし状況を楽にできると思うのですが」

 

 額に汗を滲ませた、薄茶色の髪と目の事務の達人は、ややあってからメルカッツに応えた。

 

「お任せします。やっていただきましょう」

 

 適材は適所へ。後輩のやり方を先輩も模倣した。幕僚らも賛同する。ヤンからメルカッツへ、メルカッツからヤンへの態度。それを見た者たちが、信を置くに半年間は充分な期間だった。

 

 彼らの信頼に、亡命の客将は応えた。いや、ここがもう彼の居場所であった。イゼルローン要塞ではない、ヤン艦隊という名の家だ。家を荒らす輩への対処法は、何人だろうと同じことだ。実力行使で追い返し、押し込もうとするたびに追い払う。メルカッツは、ヤンが帰還するまで、その役割を果たし続けた。魔術師の留守を守る、老獪(ろうかい)な竜の如く。

 

 魔術師は帰還するやいなや、右手を一閃させて帝国艦隊を撃破し、返す一閃で禿鷲を叩き落とした。イゼルローンに、駐留艦隊に歓喜の声が沸き起こる。彼らに同調する自分を自覚しても、メルカッツは以前ほどの動揺はしなかった。

 

 同盟の人々が、かくも長きにわたって帝国に抗し続けた理由。それは国、いや家を守るためだ。倒すべき叛徒として、同盟に剣を向け続けてきた自分は、迂闊にも今まで思い至らなかった。彼らは皇帝の恩威にひれ伏さぬ輩ではなく、違う考えのもとで、苦難の末に新たな国を作り守ってきたのだった。だから、国と法と人を守るために戦う。

 

 それゆえに、ヤン・ウェンリーは常勝ではなく不敗なのだ。彼にとって重要なのは、敵を倒すことではなく、味方と国民を守ることなのだから。

 

 人間は、幾つになっても変わっていくものとみえる。故国の軍を破った黒髪の司令官に、彼の家族の進路に、軽口を叩けるぐらいには。生きていてこそ未来はある。明日を重ねて、いつか天上(ヴァルハラ)に行くまでに、どれほどの猶予か定かではないが。後でもう一度、忠実な副官に礼を言うとしようか。

 




大変な葛藤があったと思います。年をとると変化を嫌い、変化についていけなくなる。後でいい、明日があるとは思えなくなるから、短気で頑固になる。でも、ヤン・ファミリーに適応していった彼の柔軟性は、人は見掛けによらないものではないでしょうか。

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