銀河英雄伝説 ヤン艦隊日誌追補編 未来へのリンク   作:白詰草

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司令官たるもの、健康でいるのも義務のうち。


第5話 日は中天を過ぎ、黄昏はいまだ
魔術師のカルテ


 森林公園のベンチの上で、いとも幸せそうな表情で寝息を立てる同盟軍史上最高の智将を前に、カスパー・リンツは腕組みをした。起こすのがためらわれるような様子だが、放っておくわけにはいかない。

 

「閣下、起きてください。また風邪を引きますよ」

 

 ガイエスブルク要塞を撃破した直後から、司令官のヤン・ウェンリーは風邪による体調不良を訴えて、療養に入ってしまった。この時期に、とキャゼルヌ事務監は眉を吊り上げかけたが、同行した副官のグリーンヒル大尉から、一連の事情を聞くとその怒りを解かざるを得なかった。

 

 ハイネセンに到着したヤンが、宙港から拘禁同然に連れ去られたこと。同行者たちから引き離され、随員のフレデリカらが掛け合っても全く回答がなく、捏造スキャンダルが三流紙の紙面を飾ったこと。宇宙艦隊司令長官たるビュコックも、査問会のことを全く聞かされていなかったという。そんな状況で、一週間以上も査問という名の精神的な拷問を受けていたのだ。これはキャゼルヌとムライ、シェーンコップらの胸におさめられた。さもなくば、今度はイゼルローンで叛乱が起きかねない。

 

 ここ二か月のヤンの行動は、絵に描いたような強行軍だった。イゼルローンからハイネセンまでが三週間。査問会に一週間あまり。その席上でガイエスブルク要塞の襲来の報を受け、イゼルローンへ逆戻り。帰路の途上で、援軍五千隻にイゼルローン宙域戦に考案した円環陣を伝達し、実践できるまでの準備をする。そして、帝国の遠征軍をガイエスブルクごと完膚なきまでに叩きのめした。

 

 体調のひとつも崩そうというものである。多分に精神的な過労によるものだろう。イゼルローンの気候は、ハイネセンに準じて人工制御されている。ただし、寒暖を忠実に再現すると費用が莫大なものになるので、22度を挟んで上下5度ほどの変動にとどまる。五月の下旬の気温は、ハイネセンと同じほどで確かに快適ではあった。

 

 だが、この森林公園は樹木が光を遮る分だけ気温が低い。ヤンのお気に入りのベンチは、通路よりもやや奥まったところにあり、頭上にジャカランダの枝が樹冠を作っている。つまりは薄暗い。昼休みに一寝入りしても、人工の日差しが瞼を刺激しないほどだ。かなりひんやりとしていて、先日まで風邪をひいていた人が軍服一着でごろ寝をするのはお勧めできない。しかし、なんとも満ち足りた表情だった。あとで画帖に描き加えるべく、寝顔を観察しながら声をかけた。

 

「閣下、ヤン提督」

 

「ううん、あと五分、いや四分三十秒、四分十五秒でいいから……」

 

「往生際の悪い。そんなに口が回るなら、起きていらっしゃるでしょう」

 

 そしてリンツは首を捻った。一年ちょっと前にスケッチをしたときに比べて、顔の輪郭が小さくなっている。全体的に小作りで、鋭角的なところのない顔立ちだ。顔の輪郭も卵型に近く、あまり男性的ではない。頬が削げたりするような痩せ方ではないため、これまで気がつかなかったが。

 

 当時、この人の身長を176センチ、体重を63キロ前後と推測したが、あと1、2キロ下方修正しなくてはならない。ここ一年でそうなったのなら、由々しい問題だ。人間は簡単には痩せない。まして、三十歳過ぎると代謝が落ちて太りやすくなる。運動と食事制限の双方が必要で、この人と運動は縁遠いものだ。では、必要な栄養の摂取が不十分ということになる。ユリアン少年に伝えておくべきだろう。そして、グリーンヒル大尉らにも。

 

「あれ、リンツ大佐。もう昼休みは終わりかい?」

 

 ベンチの上で、ようやく眼を開けて、眠そうな声が質問する。

 

「いえ、時間はまだ大丈夫です。ここは冷えますから、執務室の仮眠室をご利用なさってください」

 

 そして、口には出せないが暗殺の危険を否定できない。だから、ヤンの昼寝場所にも赤外線監視装置が設けられ、近くにいたリンツが見回りかたがた迎えに来たのだ。この森林公園も、司令部以外の出入口は閉鎖している。クーデターで敵対し、撃破した第11艦隊の遺族や親族、友人がここにいないとは言い切れない。一ダースの一個艦隊があった時ならいざ知らず、この状態で恨みを優先するなど普通はありえないが、政府上層部あたりが焚きつけかねないからだ。こんな時期にあんな査問会を開く連中だ。政治業者どもが、この黒髪の名将を将来の政敵と考えているのは間違いない。同盟が存亡の淵に立っているのに、権力闘争にうつつを抜かすのかと、やるせない思いになる。

 

 そんなリンツの懸念を知らず、寝たきり司令官は眠たげな渋い顔になった。

 

「あそこはざわざわして落ち着かないんだ」

 

「そういう問題ではありませんよ。

 こんなに肌寒いところで病み上がりの人が昼寝をなさらないでください」

 

「別に平気だよ。子供のころから慣れてるし」

 

 宇宙船の室温は16.5度。これは同盟の官民標準だ。エネルギー効率を優先している。軍人も船乗りも、男性が多くて肌の露出が少ない商売だ。どちらも緊張によるアドレナリンの放出、それに伴う体温上昇と縁が切れないのも共通している。やや肌寒いぐらいでちょうどいい。女性には応えるようだが。

 

「何をおっしゃいます。顔色がよくないですよ。

 仮眠をとられるなら、ちゃんと温かくしてください」

 

 ヤンは、しぶしぶといった様子で起き上がると、よっこらせと掛け声をつけて立ち上がった。年老いた猫のような緩慢さで、二十代半ばに見える容貌との不一致が甚だしい。いっそ本物の猫ならば、襟首を掴んで部屋まで連れて行けるのだが。眠気が去らないようで、どうにも足元が危なっかしい。いざとなったら担ぎ上げて運ぶべきか。リンツは本気で検討しだした。道中、倒れられても困るので、ヤンの左後に付いて歩き出す。

 

 それをちらりと振り返る、黒い視線。

 

「リンツ大佐。貴官も昼の休憩時間中だろう。私に付き合わなくてもいいんだよ」

 

「この公園の最寄の出口は、司令部側ですから。お気になさらず」

 

「ここに休憩に来たんじゃなかったのかい?」

 

 己が身の安全に無頓着な様子に、溜息を吐きたくなる。

 

「閣下を一人にするわけにはいきませんよ。ふらふらじゃありませんか。

 きちんと定期健診は受けられていらっしゃいますか」

 

「ああ、ハイネセンに行く前に受けたよ」

 

 というと、3ヶ月は前だ。

 

「ヤン提督。艦隊指揮官の健診は、原則隔月でしたよね。

 お早めに受診をなさったほうが、身のためかと思いますが」

 

「一回くらい飛ばしたって、大した違いはないと思うんだがね」

 

「では、キャゼルヌ事務監のお叱りを受けてもいいんですか」

 

 間接話法で促しても埒があかないので、直接話法でヤン艦隊の最高実力者の名前を出してみた。この指摘に、ばつの悪そうな顔になって、黒髪をかき回す。

 

「貴官もユリアンの教師だった、ということか。教育環境を誤ったかな」

 

 なんだか、ますます元気がなくなってしまった司令官だった。リンツはそのまま司令官執務室まで同行し、居合わせたグリーンヒル大尉にも健診の件を伝えた。彼女は大いに恐縮して上官に詫びた。だが、ヤンは笑ってそれを受け流した。ハイネセンからの帰路が本来の健診時期である。受けられなくても仕方がない。そして、健康な時に受けるのが健康診断だ。風邪っぴきが受けても意味がないよと言って。

 

 すぐさま、要塞の管理事務部に連絡が行き、担当者は一週間後にヤンの健康診断を予約してくれた。同盟軍の健診は、兵士は年一回、下士官は半年に一回、尉官以上は四半期に一回である。これを二百万人が行うのだ。いくら司令官といっても、右から左に割り込みができるものではない。イゼルローンのメディカルセンターは機械化が進み、定型的な検査には医療従事者を要しない。しかし、受診者のスペースというものには限りがある。ヤンのようなお偉いさんを、一般兵に混ぜるわけにはいかないのだ。この一週間後の予約も、担当者の魔術的な調整があってこそ。

 

 ヤンの検査結果そのものには異常がなかった。しかし、この2年で体重が3キロ以上減っていた。BMI指数による標準体重は、身長176センチの場合は68キロだ。彼の場合は、一割少ない61.2キロ。

 

 これをBMIに換算すると19.75。基準値は22で、普通体型の範囲内であるが、軍人として褒められた数値ではない。血色素、血球数、血液比重も正常内ながら低く、女性の標準を下回る。血圧も上が90台とこれまた低血圧の女性並み。

 

 惨憺(さんたん)たる数値により、結局キャゼルヌ事務監からのお叱りを受けるヤン司令官だった。要するに、よく食べ、よく寝、よく運動しろ。運動不足のせいで、食も細いし、寝付きも悪いのだ。そう断じられたのである。

 

 健診管理担当者は、衛生兵の資格を持つ女性大尉だった。グリーンヒル大尉よりも三歳年長だが、学年は四つ違いのため、学生時代は重ならない。事務部の友人の一人である。

 

 黒髪黒目にブロンズの肌。男性に劣らぬ長身に、幼いころから学んだ格闘技で鍛え抜かれた長い四肢。武骨な軍服の下からも、豊かな曲線美が声高に主張する。くっきりとした情熱的な顔立ちの美女で、さながら黒いダリアといったところか。外見のとおりに、恋多き女性だった。

 

 彼女は、もっと手っ取り早い運動があるんだけれどという声を胸中に留め、休憩の際に、森林公園を15分ほど散歩することを提案してくれた。グリーンヒル大尉も、随行してはどうでしょうと言い添えて。

 

 ワルター(・・・・)オリビエ(・・・・)が得意とする運動に至らせるために、働きかけの機会を作ってやらねば。このペースで痩せていくと、3年後には司令官と副官の体重が逆転する。それは阻止しないと、女として色々辛い。年少の友人に対する友情であった。

 

 戦争が150年続く世界では、男女ともに長身で鍛えられた体格、彫が深く意志が強そうな美貌が好まれる。彼女や、シェーンコップ少将がその典型と言えよう。華奢でたおやかな美女の人気は不変であるが、細身で中性的な男性にはさほど人気がない。それが許されるのは少年までだ。ヤン司令官は磨けば光るんだから、せめてあと4、5キロは体重を戻してもらいたい。確かに私の方が2センチは高いけれど、7キロも軽いなんて軍人としてどうなの、というのが正直な意見だ。

 

 純情な箱入り娘は、彼女の示唆に気がつかなかったようだった。その上官は、運動のアドバイスに困ったような顔をするのみだ。前途は遼遠であった。大尉は思った。虫がつかなきゃ、花も実を結ばない。お互いが好意を抱いていることはわかるのだが、上から下、下から上のいずれも、積極的に攻めいるタイプではない。まったく焦れったいことだ。自分だったらさっさとモノにしてる。彼女は、ヤンの健診結果と改善のアドバイスの最後を、こう締めくくった。

 

「ヤン閣下の健康改善にも、副官の果たす役割は大きいです。

 グリーンヒル大尉、色々と頑張ってね」

 

 ほんとに、見ているだけだと横取りされちゃうんだから。ヤン司令官を狙っている輩は、ごまんといる。自分より体重の軽い男は標的外だから、彼女は参加する気はないが。男が狼だったら、女は牝豹。恋愛という戦場に油断は禁物だ。標的から目を離してはいけない。そのうち、しっかりと言い含めねば。

 

 それを、切れ者の上官が非常に複雑な面持ちで見詰めていた。彼の妻の父も通って来た道だろうが、まったく娘の親になり、若い女性の部下など持つものではない。こんな未来予想図は見たくはなかった。だが、彼女はいい仕事をした。二人で散歩でもなんでもして、上司部下以上の仲になってもらいたい。気分は、婚期を逃しつつある息子を持つ親である。




豆知識
BMIによる標準体重はメートル換算した身長の二乗×22。この身長の二乗で体重を割ってみよう。18~25が標準、30以上は肥満、17未満は痩せすぎ。
一般には身長-105が標準、-110が美容体重、-115が芸能体重とも言われている。
これを踏まえると、健康管理やキャラクター設定に非常に便利。

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