銀河英雄伝説 ヤン艦隊日誌追補編 未来へのリンク   作:白詰草

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美術品の『復元』等の用語は、銀河英雄伝説に記述のある歴史から、筆者が独自に設定したものです。


刀と鞘

 先輩やその部下が、密かに仕組んだ婚活に、気付いたか否かは定かではないが、ヤンは森林公園に行く時に、副官に声を掛けるようになった。フレデリカも都合が許す限り、というよりも無理やりにでも許させて、彼に随行するようにした。

 

 司令部はこれを温かく見守った。ヤンの心身に好影響を与えるなら、昼の休憩ぐらい多少長くなっても構わない。ハイネセンからの帰還直後、風邪を理由に療養に入った時には、やつれ切っていたのだ。現在は決裁書類も事務監と副官に任せきりで、給料泥棒と化していたが、この二ヶ月の流れはひどかった。平穏な時期に、できるだけ体力をつけておいてもらいたいのだ。戦場で、ヤンの代わりはいない。しかし、その機会が訪れないことを切に願う。

 

 生温く見守ったのは、イゼルローンの色事師たちである。全く、あんたらは七十過ぎの年寄りか。大人の男と女が、よりによって昼の散歩とは。互いの地位と立場はわかるが、ヤン提督も遠慮が過ぎる。

 

 散歩の仕掛け人は、フレデリカの消極性に気を揉んだ。これで満足したら駄目。ポーカーだったら手札を配り終わっただけ。駆け引きして、役を揃えなきゃ上がりはない。もう、あんたからいっちゃいなさい。愛の言葉でも、場所へでもいいから!

 

 進歩だと評価したのは士官学校の先輩後輩。あのヤンが、女性と二人で出掛けるだけでも快挙だ。ヤンの被保護者の胸中は複雑だった。さて、どちらに対する嫉妬と寂しさなのか、本人にも定かではなかったが。

 

 周囲が思うほどには、ヤンも鈍感ではない。しかし、若い女性に喜ばれそうな話題には見当もつかない。フレデリカも、仕事以外のヤンの様子というと、ユリアンから伝え聞くくらいだ。会話もぽつりぽつりとしたものになる。

 

 あの色事師二人は女性とどういう会話をしているのやら。教えを乞うても真似できるとは思えないが。

 

「グリーンヒル大尉。悪いね、付き合わせて」

 

「いいえ、閣下。小官もここのところ運動不足でしたから。

 士官学校の頃に比べたら、訓練なんてしていませんものね」

 

「ああ、私なんて卒業以来縁を切ったよ。白兵戦も射撃も苦手科目だったしね。

 だいたいね、戦艦に乗っている時に必要だとは思えないよ。

 相手の攻撃が命中したら、一巻の終わりだろう」

 

 呟いて、黒い目を伏せる。ガイエスブルクの膨大な残骸処理も、大変な作業である。残存した戦艦にも、もはや生存者はいないだろう。中性子線等による被曝を考えると、資材としても回収することは不可能。艦隊演習の的にして、完全破壊するほかない。彼らの会話は、結局職務から離れられないのだった。

 

「ですが、地上戦やテロの際には必要と思いますわ」

 

「そうかもしれないね。

 捕虜交換の際の使者だった、キルヒアイス提督の死因はたぶんそれだと思う。

 きっとローエングラム公を庇ってだろうね」

 

 その言葉に、フレデリカは目を瞠った。

 

「どうして、そうお考えになりましたの」

 

「あの称号の追贈だよ。もしも生者が手にしていたら、位人臣を極めていただろう。

 彼の死にそこまで報いるような状況は、他に考えにくい。

 リップシュタット戦役の末期、彼ほどの名将を戦死させるような相手が、

 貴族側にいたとは思えない。メルカッツ提督は、こちらに向かわれていたのだから」

 

 あの赤毛の青年は、金髪の美貌の天才の片翼だった。

 

「あらんかぎりの名誉で飾っても、死者は決して戻らない。

 彼を喪って、ローエングラム公は鞘を失くしてしまったのかな」

 

「鞘ですか?」

 

「『いい刀は鞘に入っている』。古いモノクロ映画の台詞さ。

 グリーンヒル大尉は、ハイネセン国立博物館の日本刀を見たことがあるかい。

 珍しく、復元でも新復元でもない、二千年以上昔の本物だよ」

 

「ええ、ありますわ」

 

 フレデリカは頷いた。バーラト星系、またはその周辺星系出身者だったら、義務教育の間に一回以上は訪れる。地球時代、統一政府成立後に復元されたものが『復元品』、同盟成立以降に復元されたものが『新復元品』。逃亡者の子孫たる同盟の遺産に、前者は少なく、後者が圧倒的に多い。更に希少なのが、13日間戦争から生き延びた『真品』だった。その一つが日本刀である。

 

 特殊ガラスのケースに収められた、ゆるやかな弧を描く長大な(やいば)。黒銀の地に、白銀が寄せる波のようなコントラストを描く。武器としての凄味を持ちながら、あまりにも美しい。それを収める鞘も、黒漆に細かな装飾がなされた優美なものだった。フレデリカも、級友に混じって凝視した記憶がある。

 

「あれは大変に美しいけれど、切れ味も凄いそうでね」

 

「それは、見ただけでもわかります。怖いくらいに美しいというのは、ああいうものなのでしょうね」

 

「そうだね。反面、非常にデリケートな武器なんだ。

 あの研ぎ澄まされた刃は、保護してやらないと欠けたり輝きが曇ってしまう。

 簡単に人を傷つけてしまうしね。だから、いい刀にはいい鞘が必要なんだ。

 キルヒアイス提督は、彼の鞘だったように思うんだよ。

 今回の襲来は、以前の彼なら絶対にやらなかった」

 

 捕虜の男という、失敗しても懐の痛まぬ手先でもって、同盟軍を分裂させた手腕と、今回のガイエスブルク要塞の来襲には乖離(かいり)が大きい。巨艦大砲主義の最たるものであって、度肝を抜くと言う効果は認めるが、あの戦略の天才にはふさわしくない。戦場を知らない者の献策であるように思えるが、以前のラインハルトであれば一言の下に却下しただろう。

 

「そうでしょうか……」

 

 彼の使嗾(しそう)によるクーデターで、フレデリカの父の名誉は地に墜ちた。あんな三流紙に、この人との捏造スキャンダルが踊るような有様だ。自分は、彼の邪魔になっていないだろうか。

 

「ああ、門閥貴族を解体して、彼らの蓄財を吐き出させたから一時的には潤うよ。

 だが、これは五百年分の貯蓄を解約したようなものさ。

 これからの内政を考えるなら、無駄遣いなんてできない。

 こんな攻撃に遣うなんて、キャゼルヌ先輩なら青筋立てて怒るな、きっと」

 

 ヤンはくすりと笑った。帝国にも全く弱点がないわけではない。政治、経済の官僚は、軍の人材に比べて豊かとはいえないだろう。ローエングラム公ラインハルトは戦略の天才だが、率いられる将兵全てが戦争に邁進(まいしん)はできないと思うのだが。しかし、天才ならではのドラスティックな()を打ってくるかもしれない。この襲来もまた、それを隠す打ち上げ花火なのかも知れなかった。

 

「キャゼルヌ事務監なら、確かに怒られるでしょうね」

 

「知っているかい、大尉。吝嗇(けち)は平和が好きで、欲張りは戦争が好きなんだ。

 もったいないと、もっともっとの差なんだよ」

 

「でも、あのローエングラム公は、吝嗇には見えませんわ」

 

「うん。私もそう思う。でも、いわゆる欲張りにも見えないんだよ。

 親友を亡くしたという失敗を、功績で償おうとしているようにも思えるんだ」

 

 その口調は、優しいものだった。

 

「閣下は、ローエングラム公をどう思っていらっしゃるんです」

 

「敵としたら恐ろしいけれど、決して嫌うことはできないよ。

 彼は、歴史がごく稀に生み出す、奇蹟のような存在だからね。

 あと百年遅くに生まれて、彼の研究者になりたかったな。

 あの輝きは、同じ時代で直視するには、眩しすぎて目が痛くなるからね」

 

 そうだったら、彼とは戦わないですんだ。そして、今回のように膨大な死をもたらすこともなかっただろう。戦争の才能、それは非常の才の極みであり、この時代に生まれて、数々の転換点を越えなければ見出されはしなかったろう。

 

「そうですね。あの輝きの欠片でも、父の眼を眩ませるには充分でした。

 捕虜交換式典の時に、父に会おうとした時に多忙を理由に断られてしまいました。

 あの時、私が会って話をしていたら、何かが違っていたのかもしれません」

 

 ヘイゼルの瞳を翳らせるフレデリカに、ヤンは逡巡してから告げた。

 

「でも大尉。歴史にもしもはないんだ。父が死んで、歴史めあてに士官学校に行って、

 いやいや始めた軍人だけれど、この道を歩まなかったら、君にも皆にも出会えなかった。

 もしも、時間をさかのぼれるとしても、もう父の船から降りなかったのにとは思わないよ」

 

「閣下……」

 

 フレデリカは息を呑んだ。この穏やかで優しい青年の、心の奥底にあったもの。エル・ファシルの脱出行の後、散々にメディアが喧伝した、若き少佐の経歴。大学受験直前に交易船の事故で父が亡くなったという一行に秘められていたのは、父と乗組員という家族、家である船すべての喪失だ。

 

「それに、エル・ファシルから民間人を避難させるには、今も同じ方法しか考え付かない。

 もう一度同じことをやるよ。私は、リンチ少将らよりも三百万人の民間人を選ぶ」

 

 穏やかな黒い目が、フレデリカを見詰めた。十年前とあまり変わらぬ、駆け出しの青年士官にしか見えない容貌。エル・ファシルの脱出行が成功しなければ、彼も自分もここにはいなかった。父の負の遺産に悩む以前に、帝国で農奴にされて、生きているのかどうかも怪しい。比べ物にならないくらい劣悪な状況で、ローエングラム公の姉と同様の境遇になっていたかもしれない。

 

 でも、そのもしもはなかった。自分はここにいて、憧れの人の部下になり、一緒に散歩までしている。

 

「申し訳ありません。浅はかなことを言いました」

 

 ヤンは慌てて手を振った。

 

「その、だからね。

 起こったことは変えられないが、現在から未来を変えていくことはできると私は思っている。

 そりゃ、努力したって限界はあるがね。

 例えば、私が今からトレーニングしても薔薇の騎士(ローゼンリッター)の連中みたいにはなれないように」

 

 不器用な慰めに、フレデリカは微笑んだ。こんな贅沢なことがあるだろうか。奇蹟のヤンの、困った顔を独占できるだなんて。

 

「まあ、たしかにそうですわね」

 

「いや、大尉。そこはお世辞でも『そんなことはありません』だろう……」

 

 ちょっとショックを受けている上官であったが、部下としてはそんなに暑苦しくなってもらいたくない。温和で知的で、よく見るとハンサムな、童顔のこの人が一番いいのだった。

 

「でも天文学的確率で、閣下が白兵戦部隊に転向されたら、私は困ってしまいますから」

 

「そうかい……」

 

 万が一以下の確率を明言されるような、己が貧弱ぶりを反省すべきだろうか。それとも、初々しくて控えめだった彼女を朱に染めた、先輩やら後輩やら部下達を恨むべきか。彼は、自分をすっぱりと除外していた。自分が色素の源だとは思ってもみないのである。ヤンがリストアップした連中は、それをこそ指摘するだろうが。

 

「今のまま、というのはお体が心配ですから、

 キャゼルヌ少将のような、健康的な体型を当面の目標となさるべきでしょう」

 

「あれはご夫人の賜物だよ」

 

 多忙な事務職で、妻は料理上手。それこそ太りそうなものだが、彼は結婚以来理想体重を維持し続けている。オルタンス・キャゼルヌの手腕は、まさに魔法であった。料理が下手なフレデリカとしては、羨望しきりだ。

 

「私も料理を教えていただこうかしら」

 

「きっと喜んで教えてくれるよ。さて、これでだいたい十五分か」

 

「ええ、閣下。ところで、今日はここで仮眠を取られるんですか。

 でしたら、なにか上に掛けるものをお持ちしますが」

 

「いや、いいよ。最近、あそこで寝てると、薔薇の騎士の面々が順番に起こしに来てね。

 三日前はマシュンゴ、一昨日はブルームハルト、昨日はついにシェーンコップが来た。

 寝起きに見るのは勘弁してほしい面々さ。まったく、ちゃんと仕事してるのか、あの連中」

 

 自分の事を遠くの棚に投げ上げて、私にプライバシーはないのかと嘆くヤンだった。それは、辺塞の寧日の最後の日々。梢に咲く、ジャカランダの花々だけが知っていた。




作中の台詞は、映画『椿 三十郎』より。
『椿 三十郎』は、監督 黒澤 明氏、主演 三船 敏郎氏版が至高。
異論は認めない。          

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