其の男   作:とねうこ

1 / 2
五条リク/無下限呪術
1


 

 リクは家人に一言も残さず、そっと家を抜け出した。

 散髪脱刀の令が世に布かれてすでに三十年余が過ぎているが、やがて元服を迎えんとする彼はいまだ、まるで令嬢のごとく髪を伸ばすことを強いられていた。曰く、長き髪には良い呪いが籠る、と。京の町なかを闊歩する、洋装の美丈夫ども。そのザンギリ頭の、いかにも涼しげなこと。リクはそれを横目に、羨望のため息を洩らした。

 清水の辺りは、今もって魑魅魍魎の跳梁する地である。往古、清水の舞台より身を投げる者は後を絶たず、周囲の寺社には夥しき呪いが積もり重なった。六道の辻なぞ、ウッカリ足を踏み入れれば忽ち呑まれると伝えられ、たとえどれほど次期当主と持ち囃されようとも、リクは幼き頃より、このあたりを通るのが苦手であった。

 されど、今やその松原通りの端に、どうやら腕の立つ呪術師が、何某かの商いを営んでいるらしいと聞く。

 その呪術師は、あらゆる術式を意のままに操るのだと、そう人づてに聞いた。

 相伝を望まれながら、いまだ術式の目覚めぬリクに対して、家の者たちはあろうことか傀儡のごとく祭り上げ、ただ名ばかりの次代として表に据えるつもりであるらしい。

 天ハ二物ヲ与エズ。そんなこと、誰よりもリク自身が、骨の髄までよく知っていた。

 実際に足を運んでみれば、その大層な噂の呪術師とやらが住まうにしては、建て構えはあまりに古び、まるで世間とスッパリ切り離されたように静まり返っていた。街道に面してはいるものの、周囲のざわめきとは無縁の、異様な空気がその場だけ停滞している。しかし誰もその異様さに気が付く様子はなく、何故か当然のように溶け込んでいるのである。

 ここで間違いはないのか。そう思いながらも、リクはおずおずと門口を叩いた。けれど、いくら待てども、主人の気配はまるでない。痺れを切らし、思い切って勢い良く戸を叩いてみても、ウンともスンとも返事ひとつなかった。

 仕方なく戸を引くと、それは拍子抜けするほどアッサリと開いた。

 中には、揃えることもなく無造作に脱ぎ捨てられた草履が、うっすらと埃をかぶったまま、片方は裏返って転がっていた。

 まるで怪しげな芝居小屋の裏手に迷い込んだかのようであった。リクは顔布の奥の目を細め、薄暗い家の内を、ひと足ひと足、慎重に踏み進めた。足を運ぶたび、ギイギイ、床板が細く鳴る。

 うすく開いた襖の隙間から、そっと中を覗き込む。すると、突如として男の顔がヌッと現れた。父と同じかそれより幾らか年嵩に見えたが、まるで生気の感じられぬ顔つきであった。しばしの間、ふたりはわずか数寸の襖越しに、互いの面を見つめ合っていた。

 男の手が奥の闇よりスルリと伸びてきて、リクの頬にふれた。布をペラリと捲られ、視界が一気に明るくなる。浄瑠璃の人形のほうがなお表情豊かであろう、と思わせる無愛想な顔は、次の瞬間、目をギラリと輝かせ、まるで世紀の大発見でも果たしたかのごとく叫んだ。

「六眼!」

 男は肩で襖を押し開け、両の手でリクの頬を包んだ。視線を逸らしようもないほど見つめあっているはずなのだが、リクは、あまり男に見られているという感覚がなかった。男がリクという個人よりも、この蒼く輝く瞳そのものに夢中になっているせいだろう。

 六眼。代々五条家に伝わる特殊体質であり、六眼の持ち主が同時に二人として存在することはなく、相伝の無下限呪術において不可欠とされる、この世で唯一の至宝。リクが次代当主ともてはやされ、そして、術式を持たない自らを恥じる要因でもあった。

「もう百年経ったのか? 六眼の君、今は何年だ?」

「明治三十三年です」

「まだ天元の同化時期ではないのか。時期になれば必ず現れるというだけで、そうでなくとも稀に生まれるのだったな」

 それは、リクに語りかけているというよりも、まるで独り言のように延々と呟き続けている風であった。

 男は、こちらへ参れとでも言うように、無言で身を翻し、奥の間へと歩みを進める。リクもまた、その背を追いかけた。男の胸元にぶら下がったいびつな三日月状の趣味の悪い首飾りが揺れるのが見えた。何かしらの術式の刻まれた呪具か呪物であるため、一級はくだらない代物だろう。そう思っているうちに、男は台所の片隅に身を屈め、床板の一枚を外し、その下へとスルリと身を沈めた。

 氷室かと思われた中はしかし、思いのほか広く、しかも呪力の流れから察するに、相応の結界が張り巡らされている。まるで武道場のような造りであったが、見かけ倒しではなく、実際にそういう用途でもあるのだろう。

 部屋の隅には、作業机と幾つかの棚が並び、まるで事務官の詰所のようにも見える。男の風貌からして、机上は書類が山積され、雑然とした有様であろうとリクは内心思っていたが、意外にも整理は行き届いており、几帳面な性分がうかがえた。

 男は、棚の一角より紙束を取り出す。それは無下限呪術と背に記された分厚い文書であり、大半が呪符で構成されていた。

「少し前に亡くなったと聞いたが、東坊城(ひがしぼうじょう)の御老人が、晩年にようやく無下限呪術の基礎を習得したらしくてな。時間にしてモノの三秒。とはいえ、当時はそれだけでも随分と良いものを拝ませてもらったと思ったものだ。だが、裏を返せば、六眼が無ければ、無下限呪術なぞ、生涯を懸けてようやく基礎の基礎に触れられるか否かといったレヴェルの代物ということでもある。そこから呪力を読み解き、文献を漁り、アレコレ試してみたはよいが、やはり六眼がないせいか、どうにも効率が悪くてな」

 男は早口気味に、熱を帯びた声で語りながら、ひとつの呪符を紙束から取り出した。その呪符に、男の呪力が流し込まれるや否や、空気が震え、手元を中心に烈しい旋風が巻き起こる。

 ズ、と、リクの身体が無意識のうちに、吸い寄せられるようにして前のめりとなった。

 無下限呪術の順転、「蒼」、それそのものである。

「どう見えた?」

 リクは、無下限呪術を持つ親族を何人か見たことがあったため、目の前の男の術式が無下限呪術ではないことは、すぐに察した。しかし、いま、目の前で起きたこの現象は、無下限呪術でなければあり得ず、あらゆる術式を意のままにする、その与太話が再び脳裏をかすめ、手元の見るからに怪しい呪符に目が行く。

 まさかこのようなものを突然見せられるとは思わず、加えて男の語り口もどこか独り言めいていたため、リクは話の多くを聞き流してしまっていた。そのため問いかけられても、咄嗟に言葉が出てこなかった。男はそれを咎めることなく、もう一度見せようと、ふたたび呪符を取り出した。リクは、顔布をそっと頭上に退け、今度は意を決してじっくりとその手元を見つめた。

 細やかな呪力の流れが発生し、緻密な螺旋を描きながら大きな円を形作る。男はたしか、効率が悪いと口にしていたか。リクには術式こそ備わってはいないが、その目の恩恵により、呪力の動きを見極めることにかけては一歩も譲らぬ自信があった。本物の「蒼」をこの目で見た経験はない。だが、呪力の流れを読み取ることはできる。

 推し量るしかありませんが、と前置きしたうえで、リクは呪力の流れに美しさが欠けていると口にした。すると男は筆と紙を取り出し、見たままを図に描いてくれと促した。

 華族の家に生まれた者として、芸術方面にも多少の心得はある。リクは先ほど目にした呪力の様子を思い起こしながら、筆をとり、丁寧に筆を運んだ。やがて描き上げられたのは、点描によって浮かび上がった円形の図であった。リクはその円の外縁を指し示し、呪力が周囲に散っていることを示唆した。

 男はふむとひとつ頷き、机に向かって書きものを始めた。その間、リクは居場所のない心地で、部屋の片隅に立ち尽くしていた。しばらく待ってみるものの、男はまるでリクの存在を忘れてしまったかのように見えたため、リクはおずおずと声をかけた。

「あのう」

 男はピクリとも反応しない。もう一度呼びかける。

「あのう、もし……」

「うん? ああ、六眼の君か。ありがとう。おかげで少しは捗りそうだ。そうだな、七日ほど経った頃にでも来てくれるか。そしたら、もう一度、君の眼で視てもらおう」

 相変わらず、口を開けば一気呵成に言葉を吐き出すその調子に、リクは思わず呑まれそうになったが、ここを訪れた本来の目的を思い出し、男に向き直って言葉を継いだ。自分も無下限呪術を扱えるようになりたいのだと。

 そこからは、堰を切ったように、細い水が流れ出すようにして、リクの口から身の上が語られた。

 六眼は術式ではなく体質ゆえ、リクが生まれた瞬間、五条家中は歓喜に沸いたという。ましてや、ここ数代の六眼保持者が、生まれてすぐに暗殺の憂き目に遭うという不運が続いていたため、家は慎重を期し、七つになるまでは名すら与えられなかった。

 だが、結局リクには正式な名は与えられぬままであった。術式を持たず、ただ六眼を持つ者というだけの存在として、長らく仮の名で呼ばれ続けていたのである。

 六眼だからリク。白い犬をシロと呼ぶのと、なんの違いもない。

 それを聞いた男は、同情や侮蔑を浮かべるでもなく、ただ「そうか」と気のない声を洩らした。

「つまり、君は無下限呪術の呪符を買いに来たのか」

「買えるのですか?」

 まさかとは思いつつ、心の底ではそうできればと願っていた。リクの声に熱が滲む。男はこれは売り物ではない、と呟いた。

「だが、君がこれを用い、報告を挙げ、改善に協力してくれるのならば、売るのもやぶさかではない」

「ぜひ」

 思わず食い気味に返すリクに、男は一本の指を立てた。「もうひとつ条件がある」

「もし君が死ぬことがあれば、その亡骸を私にくれないか」

「エッ?」

「六眼がどういうものなのか、興味があってね」

 つまり、死後に解剖したいということか。その意図を悟ったリクは、たちまち言葉を詰まらせた。

 手術や解剖といったものは、同じく刃で腹を裂く行いでも、切腹とはわけが違う。欠損した身体では極楽浄土へは行けぬと古くから信じられ、ましてや切腹のような誇りある行為でもなく、ただの冒涜でしかない。数年前、親族のひとりが病のため外科手術を受けざるを得なかったが、危うい薬品のせいで命を落としたと聞いた。また別の者は手術を終え、命こそ助かったものの、あの誰もが恐れる剛毅な男が泣き喚きながら帰宅したのだ。

 そんな恐ろしいものを、目の前の男は、死んだ後のことなのだから何も怖いことはない、と平然と言ってのける。リクは拳を強く握り、震える声を押し出した。

「よい、でしょう。僕が死んだら、その身体は好きにしてください」

 呪術師にとっての約束は、軽い口約束などではない。それは即ち縛りとなり、破れば想像もつかぬ罰が降りかかる諸刃の剣である。

 それでもリクは無下限を手にしたかった。家の者を驚かせ、目に物を見せつけたかったのである。

「うむ。君がその亡骸を提供し、研究に付き合ってくれるというのなら、この呪符を売ろう」

 かくして、ここに縛りは成された。

 それが破滅への一歩であることを知らぬままに。

 





現代のネット小説としては読みづらいかと思われますが、時代の感じが出るかと思いあえてこの文体にしています。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告