ゲヘナでいちばんワルい奴ら   作:ふかしいも

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04_青く澄んだ学生生活

 銀鏡(しろみ)イオリの手には通信機があった。デカくて分厚くて重い。音声のクリアさにおいては市販の安スマホに劣ると散々な評判だが、一つだけ取り柄がある。近くで破片手榴弾が炸裂しても壊れない程度には頑丈なのだ。

 

 その手の荒事が日常茶飯事であるゲヘナ風紀委員会にとっては必需品であった。

 

「──事務所の制圧は完了だよ」

 

 風が吹いて硝煙と土埃の匂いが鼻先をくすぐる。

 

 背後を振り返る。十五分までは何の変哲もなかったビルは、今や戦場の廃墟同然に朽ちていた。イオリとしてもここまでやるつもりはなかったし、こんなに時間をかけるつもりもなかった。

 

「こちらの被害もあって……うん、十四名が負傷で、その半分は救急医学部に後送してもらった。奇襲は完全に成功したんだけど、想定以上に反撃が激しくて……」

 

 ちょうど捕縛された便利屋の二人が前を通りかかるのが見えた。

 

「うん、目標はまだ発見できていない」

 

 うつむくハルカとは対称的にカヨコは背筋を伸ばしていた。イオリに気づくと立ち止まり、鋭い目つきで睨んでくる。だが、イオリは運が悪かったなとでもいいたげに肩をすくめるだけだった。風紀委員に肩を突かれたカヨコが、また歩き出す。連行される二人を横目にイオリは再び通話に意識を傾ける。

 

「うん、陸八魔アルと浅黄ムツキは現在も逃走中。封鎖の方はチナツが指揮を取ってくれてる。目標はどちらかが保持している可能性もあるから、ともかく確保済みの二名の尋問はそっちに任せるよ……うん、なんにせよ面倒な話だね」

 

 銃身をその肩に預けてイオリが空の遠くを見やる。

 

「了解、ヒナ委員長」

 

 同時──天を突くゲヘナ学園風紀委員会本部ビル、最上階の委員長執務室。

 

 下界をはるかに睥睨する高所で、空崎ヒナは「ふぅ」とため息を漏らした。まったく面倒だとは。

 

「時々、イオリの素直さが羨ましくなるわね」

 

 ヒナは卓上拡声器(グースネックマイク)を指で弾いた。

 

「委員長もたまには真似されてみてはいかがです? 気分がよくなるかも」

 

 冗談はやめろとばかりの眼差しを、傍らの天雨(あまう)アコに向ける。

 

「マルサン事案よ。うちが頬かむりしていられるわけもないでしょ」

 

 マルサンとはゲヘナ治安当局者の使う隠語であり、すなわちトリニティを意味する。

 

「……例の情報はほんとうでしょうか? 目標が機密情報、しかもゲヘナに浸透するトリニティ工作員の名簿だなんて」

 

「さぁ。だけど万魔殿(パンデモニウム・ソサイエティ)の連中の鼻息は荒いわ。正義実現委員会を緩衝地域に投入した以上は、ただごとではないと決めつけてる」

 

「たしかにこの件でトリニティは政治的に危うい橋を渡りました。もしかすれば今日という一日が開戦日になりかねませんでしたから」

 

「例の条約交渉はティーパーティー……というより桐藤ナギサも当然、意識しているはず。その上でリスクを取ったこと自体が噂の信憑性を増している。少なくともマコトにとってはそれで十分。あいつは他の何よりトリニティの失点が大好物だから」

 

 言ってからヒナは額に手を当てる。靴の裏でガムを踏んづけたような顔になる。

 

「訂正するわ。二番目ね、きっと」

 

「あはは、それはなんともコメントしにくいですが」

 

 アコは苦笑いの奥で、今回の事件についての情報を整理する。

 

 昨夜未明、ブラックマーケットで潜伏する情報部員がトリニティ側での騒動を通報してきた。同時、トリニティ側に潜入する工作員からは剣崎ツルギが正義実現委員会を率いて出動していることが通報された。

 

 戦略兵器とも称されるツルギに対してはなにかと風聞が絶えないが、その実力は驚異の一言に尽きる。情報部はゲヘナ風紀委員会の三個大隊を以て、はじめて足止め可能だと冷静に脅威評価をしている。ヒナが一段飛ばしの第二戦闘配置を命じたのは、ツルギの出動を確認したからだとアコは見ている。

 

 トリニティの意図がゲヘナとの戦闘にではなく、何らかの目標物の奪還にあると判明するまでの開戦前夜のような重苦しい空気感は、なかなか忘れられそうにないとアコは思う。

 

 緊迫の夜が更けていく中、事態は急変を遂げた。トリニティが目標確保に失敗したというのだ。逃走者はゲヘナ管区まで吹き飛ばされた。その身柄は風紀委員会が確保していた。現在、本部地下収容区で尋問中である。

 

 逃走者自身は、程度の低い不良少女(チンピラ)でしかない。アコもマジックミラー越しに尋問に立ち会ったが、彼女はいったい自分が何を運んでいるかすら知らない様子だった。唯一知っていたのは、それが名簿だということだけだ。ならばとチンピラの背後関係を洗おうとしても、当然、複数の中継を経ているはずで容易ではないだろう。

 

 さらに事が起きたのはトリニティ側であり、当然、ゲヘナが勝手に調査できるわけもない。結局、これ以上、チンピラから有益な情報が得られる見込みは少ないだろうとアコは諦めている。

 

 しかし万魔殿は、それでは納得しないだろう。

 

 既に議長のマコトは風紀委員会に対して再三、逃走者の身柄引き渡しを要求してきている。

 

 実力部隊である風紀委員会は規則を重んじるが、根っからの陰謀屋であるマコトはそうではない。自らが規則だとばかりに、どのような行為も正当化するに違いない。ヒナ委員長が身柄引き渡しを渋るのは、その点にあるに違いない。

 

 とはいえ、もし目標がほんとうにトリニティのスパイリストだとすれば、その戦略的価値は計り知れない。トリニティの諜報網は完全に瓦解し、その立て直しには相当の時間を要する。当然、条約交渉で優位に立ちたがるマコトが飛びつくのも無理はなかった。

 

「──アコ?」

 

「すいません、考え事をしていました」

 

「確保した便利屋の二人が三十分以内に到着よ。午後からの尋問に立ち会ってもらっていい?」

 

「承知しました」

 

「にしても、あいつらもこんな事件に巻き込まれて運がないわね」

 

「……」

 

 アコがぽかんっと口を開いているとヒナが首を傾げる。

 

「どうかした、不思議な顔をしているけれど?」

 

「いえ、委員長はてっきり便利屋68の連中を嫌っているのかとばかり」

 

「厄介な連中だとは思うわ。だけど政治に巻き込まれるのなら誰だって気の毒よ」

 

「あら……でしたら私もそのように思ってくださるのですか?」

 

 ヒナはきょとんとしてから、やがて見透かしたような笑みを浮かべる。

 

「好んで巻き込まれたがる連中の心配までする義理はないわよ」

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