「……え?」
静かだった。
ついさっきまで、私の部屋で人形同士が変身して戦ってたとは思えないくらい、ありえないほど静かだった。
いや、静かっていうか、私の思考が死んでた。
「え?」
「二回言いましたわよ」
「だって二回じゃ足りないもん!」
私はびしっと赤い鎧のフランス人形を指さした。
「何!? 今の何!? 人形が喋って! 人形が変身して! 人形が人形を蹴り飛ばして! 最後に消えたんだけど!?」
「概ねその認識で問題ありませんわ」
「問題しかないんですけど!?」
しかも。
しかもだ。
私は左手の中指にはまった指輪を見た。赤い宝石みたいなものが埋め込まれていて、さっきまで光っていたそれは、今は嘘みたいにおとなしい。
「あとこれ!」
「契約の証ですわ」
「さらっと言わないで!? というかキスしたよね!?」
「しましたわね」
「否定してよそこで!」
私が真っ赤になって叫ぶと、彼女はふっと鼻で笑った。
「緊急事態だったのですもの。あれが一番手っ取り早かったのですわ」
「私のファーストキス、手っ取り早く処理しないでくれる!?」
「安心なさい。口同士じゃありませんわ」
「そういう問題じゃなーい!」
もうやだこの人形。見た目は超絶可愛いのに中身が強い。強すぎる。お嬢様口調の圧でこっちの理性がごりごり削れていく。
すると、彼女はふっと息を吐いて、腰の装置に手を添えた。
「……解除」
赤い鎧が薔薇の花びらみたいにほどけていき、あっという間に最初のフランス人形の姿に戻る。
ちっちゃい。可愛い。さっきまであんなに強かったのに、今は私の机に乗せたら映えそうなサイズ感だ。
いや騙されるな私。こいつ、ついさっきキスで契約してきた危険人形だぞ。
「まず、名乗っておきますわ。私の名はアニエス」
「アニエス……」
「ええ。貴女のパートナーとなるメイデンライダーですわ」
「いやその単語がまず分かんないんだって!」
私が頭を抱えると、アニエスはやれやれとでも言いたげに肩をすくめた。
「では順番に説明して差し上げます。今、貴女を襲ったあれは“シャドウプーペ”。人の悪意や執着を糧に動く、壊れた人形のなれの果てですわ」
「シャドウ……プーペ……?」
「簡単に言えば、性格の悪い危険人形ですわね」
「雑!」
でも分かりやすい。悔しいけど分かりやすい。
「そして私は、それらを討つために作られた戦う人形。メイデンライダー」
「戦う人形って、字面がもう強いな……」
「貴女のように“人形に選ばれた人間”と契約しなければ、本来の力は出せませんの」
「じゃあ、あの指輪は……」
「契約回路の固定。命の接続。要するに、私と貴女は今後しばらく運命共同体ですわ」
「最後の一文だけ重くない!?」
私はその場にへたり込んだ。
運命共同体。
いや、言葉の響きがもう完全にヒロインのやつじゃん。なんで私が、フランス人形相手にそんなラブコメみたいな単語を浴びなきゃいけないの。
ん?あれ?今後しばらく?
「ま、待って。しばらくって何。いつまで?」
「少なくとも、シャドウプーペに狙われなくなるまでは」
「それっていつ!?」
「さあ?」
「さあ!?」
もう!なんなのー!?このお嬢様、肝心なところが雑すぎる。
私は半泣きで部屋を見回した。壁にはナイフが掠めた跡。床には戦闘の名残みたいな傷。夢でした、で済ませるにはリアルが強すぎる。
すると、アニエスはひょいとジャンプし、机の上に載り座り込むと、机の上で優雅に脚を組んだ。
「安心なさい、萌香」
「うわ、急に名前呼び……」
「契約者の安全は、私が守りますわ」
「……」
その言い方が、ずるかった。
さっきまで死ぬほど怖かったのに、その一言だけでちょっと安心してしまった自分が悔しい。
「……じゃあ、これからどうするの?」
「ひとまず同居ですわね」
「は?」
「ですから同居ですわ」
「はいー!?」
「同居って! 人形と!?」
「契約者とパートナーが離れすぎると、力の供給が不安定になりますの」
「そんなスマホの充電みたいな言い方されても!」
「加えて、今夜の件で貴女は完全に向こうに認識されましたわ。また来ます」
「怖いことを確定で言わないで!」
「なら、私と同居した方が良いと思いますけど……」
「わかったよ……」
またあんな、殺意マシマシの人形に襲われて死ぬことになるなんて嫌だし、このアニエスって名前の人形と同居したほうが良いか。
私が渋々返事をすると、アニエスは、当然のように私のベッドの方を見た。
「では、私の寝床はあちらで」
「ちっちゃいのにベッド使う気満々!?」
「私に床で眠れと?」
「いや、見た目は超可愛いから床はちょっと罪悪感あるけど! でもベッドは何か違う!」
私がじたばたしていると、アニエスのお腹が小さく鳴った。
ぴぅ、みたいな、信じられないくらい可愛い音だった。
私とアニエスの視線がぶつかる。
「……」
「……今の、聞きました?」
「聞いた」
「忘れなさい」
「無理だよ!」
ちょっとわがままな性格のくせにお腹の鳴る音は可愛いな。
アニエスはこほんと咳払いした。
「変身の後は、少々エネルギーを使いますの」
「へぇ……」
「ですので、食事を用意なさい」
「命令形!?」
だけど、そこで私ははっとした。
「え、待って。人形ってご飯食べるの?」
「普通の人形は食べませんわ」
「普通じゃない人形は食べるんだ……」
「ええ。しかも、美味しいものほど好ましいですわ」
「そこだけ妙に人間臭いな!」
私はキッチンを見た。途中だったオムライスの材料がそのまま残っている。
「……オムライスでいい?」
「おいしければなんでもいいですわ」
「おっけー」
私は急いでキッチンへと向かう。 怖いことは何一つ解決してない。変な指輪ははまったまま。喋る人形は偉そう。敵はまた来るらしい。
それでも。さっきまでの“死ぬかもしれない”って恐怖に比べたら、オムライスを作れと言われる方がずっとマシだ。
百合視点
「……はぁ」
閉店作業を終えて店のシャッターを下ろした私は、思わず大きなため息を吐いた。
今日も疲れた。
いや、今日“も”じゃない。ここ最近ずっとだ。
昼は仕込み、営業中は接客、閉店後は片付けと発注。バイトの娘たちの面倒見。
特に萌香ちゃんなんて真面目で助かる後輩そのものなんだけど、すぐ目を離すと常連さんと話し始めるし、困ったもので、いっつもストレスが溜まっちゃうんだよね。
「癒しが欲しい……」
口に出してみたところで、現実が優しくなるわけでもない。
分かってはいるけど、疲れている時って、つい口にしたくなるのだ。
夜風に髪を揺らしながら、いつもの帰り道を歩く。コンビニで甘いものでも買って帰ろうか。いや、こんな時間に食べたら太る。だけど、今日くらいは……。なんて、どうでもいい葛藤をしていた、そんなだった。
「あれ……?」
ふと、足が止まる。
通り沿いに、見覚えのない店があった。
薄暗い路地に、ぽつんと灯りをともす小さな店。ショーウィンドウの向こうには、ずらりと並ぶ人形たち。西洋人形、日本人形、ぬいぐるみにも似た何かまで、統一感がないはずなのに、奇妙に完成された空気がそこにはあった。
「こんなところに、こんなお店……あったっけ?」
少なくとも、昨日まではなかった気がする。
だけど、絶対になかったと言い切るほど、この辺りを毎日じっくり見て歩いているわけでもない。
いつも疲れてるし、私。
そう結論づけて通り過ぎようとした、その瞬間。
店の奥にいた女が、にこりと笑ってこちらに手を振っているのに気が付いた。
「……え」
手招きだった。
いや、知らない。完全に知らない人だ。
整いすぎているくらい整った顔立ちで、どこか現実感が薄い。店の雰囲気に妙に馴染んでいて、まるで最初からそこに“居るべきもの”みたいに見えた。
たぶん店主だろう。
「いやいやいや……」
私は思わず小声でつぶやいた。
どう見ても怪しい。
怪しいのに。
疲れているせいだろうか。帰るべきだと頭では分かっているのに、ショーウィンドウの向こうに並ぶ人形たちから目が離せなかった。
「……ちょっと見るだけ」
自分に言い訳して、私は店の扉を押した。
ちりん、と小さなベルが鳴る。
外より少しひんやりした空気が、肌を撫でた。
「いらっしゃいませー、桜田百合さん」
「え?」
私は、反射的に足を止めた。
名前を呼ばれた。
まだ何も名乗っていない。会った覚えもない。
「どうして私の名前……」
「ご近所でお店をなさっている方ですもの。お見かけしたことくらいありますよ」
店員さんはそう言って、柔らかく微笑んだ。
まぁでも店長やってるし、名前くらい知ってるか。
店の中は不思議だった。壁一面に人形が並んでいるのに、圧迫感はない。むしろ静かで、落ち着く。
「……人形のお店、なんですね」
「はい。お好きですか?」
「私はそこまで詳しくないですけど……後輩に、すごく人形好きの子がいます」
「あら」
アイシア、と名乗ったその店主は、面白そうに目を細めた。
「大切な後輩?」
「そういう訳ではないんですけど。真面目で、素直で、ちょっと危なっかしいところもありますけど、まぁいい子ですよ」
「そうなんですね」
なんだろう。
会話は普通のはずなのに、妙に含みがある。
私は少しだけ居心地の悪さを覚えながら、視線を店内へ逃がした。
「お疲れですね」
不意にそう言われて、私は思わず苦笑した。
「分かります?」
「顔色が良くありませんよ。肩も張っているし、目元も重い。最近、眠れていないのでは?」
「……そこまで分かるんですか」
ちょっとした占い師みたいだ。
そう思ったけれど、否定はできなかった。
「最近ちょっと、忙しくて。店のこともそうですし、別に嫌ってわけじゃないんですけど、なんというか……疲れが抜けない感じで」
「癒しが欲しい、と」
「もしかして……聞こえてました?」
「ええ、可愛らしく」
それを言われると、急に恥ずかしい。
私は誤魔化すように咳払いした。
「まあ、そんな感じです」
「でしたら、貴女にはこの子が良いかもしれませんわ」
アイシアさんがそっと持ち上げたのは黒髪の日本人形。
小さいのに、存在感がある。
黒髪は夜みたいに艶やかで、白い頬はほんのり桜色に染まっている。赤い着物もよく似合っていた。日本人形らしい静けさがあるのに、どこか幼さもあって、見ていると自然に胸の奥がやわらかくなる。
「……可愛い」
気づけば、ぽつりと呟いていた。
「でしょう?」
「でも、こういうのって高いんじゃ……」
私が慌てて手を引くと、アイシアさんは首を横に振った。
「これは、貴女にもらってほしいのです」
あまりにも自然に言われて、意味を理解するのに一瞬かかった。
「いやいや、無理です。そんな、初対面なのに貰えませんって」
「構いませんよ」
「いや、構うんですって。こういうの、ちゃんと値段があるものでしょうし」
「ええ、価値はあります。ですから、貴女に持っていてほしいのです」
押しつけがましくないのに、妙に断りづらい言い方だった。
私は戸惑いながら、日本人形を見つめる。
……可愛い。正直、かなり可愛い。
疲れている頭にじんわり沁みるタイプの可愛さだ。派手じゃないのに、見れば見るほど惹かれる。家に連れて帰って、棚の上にでも飾ったら、仕事から帰るたび少しだけ癒されそうだな。なんて、そんな想像までしてしまうくらいには。
「でも……」
「貴女は、頑張りすぎです」
「……」
「少しくらい、自分のために何かを受け取っても、罰は当たりません」
その言葉が、妙に胸に刺さった。
疲れている時って、変に優しい言葉が駄目だ。
もう一度、日本人形を見る。黒い瞳と、目が合った気がした。
本当に気のせいかもしれない。でも、その瞬間、この子を置いて帰る方が落ち着かないような、そんな妙な感覚が胸に生まれていた。
「ありがとうございます。大事にします」
「ええ」
アイシアさんはとても優しそうに微笑みながら渡してくれた。
店を出て、夜道を歩く。腕の中には、小さな黒髪の日本人形。
さっきまであんなに疲れていたのに、今は少しだけ心が軽かった。
「……ほんとに可愛いな」
思わずそう呟いて、私は苦笑する。
まさかこの歳になって、人形を抱えて帰ることになるなんて。
でも、悪くない。
疲れた夜に手に入れた、小さな癒し。
それくらい、あってもいいだろう。