イタリア人の前でパスタを圧し折るとぶちギレるらしい。   作:薔薇尻浩作

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裁判所のパスタ 3

 

 鍋の中でキラキラと輝く黄金のスープが仕上がったので、私は火を止めて蓋をした。

 

 

「よし。これでコンソメスープの準備は完了ですね」

 

 あとは食べる直前に温めれば問題無し。刻んだ野菜がたっぷり入ったコンソメスープは手軽に作れて食べ応えもある。

 冷蔵庫にはカット済みの葉野菜が控えているので、食べる直前にドレッシングをかけて卵を落とせばシーザーサラダの出来上がり。

 あとは常備菜の中から洋食と相性の良いものを小皿に適当に乗せれば、彩りもバリエーションもテーブルいっぱいに広がってくれる筈だ。

 

 

「さて、今日は一体どんなパスタを作りましょうか」

 

 

 これにて本日の夕飯の仕度は、メインであるパスタ以外は完了した事にになる。

 

 自炊を始めた当初は米よりパスタの方が安いから。なんて理由で始めたものの、現在ではすっかりイタリアンの虜になっている。

 炊飯器でお米を炊いた時の香りよりも、茹でたてのパスタが醸し出す小麦の香りが。

 味噌や醤油の懐かしい香りよりも、オリーブオイルの爽やかな香りの方がすっかり馴染み深くなっているのだ。

 

 もちろん、普通に米を炊いて和食や中華を作る時もあるけれど、やっぱり比率的には圧倒的にパスタの方が多い。

 

 

「『暗殺者のパスタ』を作った時のクオリティには個人的に納得がいかなかったですし……ここは似た系統のパスタでリベンジといきたいですね」

 

 

 暗殺者のパスタと似た系統。つまり辛味が強いトマトソース系のパスタ。

 日本で有名なのは『アラビアータ』や、『アマトリチャーナ』辺りだろうが素直にそれらを作るのも芸が無い。

 そもそも暗殺者のパスタ自体がパスタ料理としては異端も異端だったし。普通のパスタは乾麺を焼き付けたりしない。

 

 それからあんなに油が跳ねたりしない。本当にあの時は掃除が大変だったのだ。

 

 

「それにアラビアータを作るならスパゲッティーニじゃなくて、本場に習ってペンネを使いたいし」

 

 

 日本ではあまり馴染みが無いのだが、イタリアでアラビアータと言われたらペンネ……つまりマカロニの一種で、円筒状の両端が斜めに切られてペン先のようになっているショートパスタ。をメインに使う料理だったりする。

 通常のロングパスタなら常備しているが、あいにくショートパスタの類は備蓄が無い。たまにグラタンを作る時や、キュウリとベーコンでマヨネーズと和えて手抜きのサラダを作る時にしか使わないし。

 

 

「アマトリチャーナを作るにしても肝となるグアンチャーレなんか用意出来ないし、かと言って今から代用品のパンチェッタを作るには時間が足りないし」

 

 

 アマトリチャーナの必需品と言われるグアンチャーレは豚肉の頬の部分を乾燥させたもの。日本人にはあまり聞き覚えの無い食品であるので、当然ながらそんなレアなものは近所のスーパーには売ってない。

 いや、一応市販のトントロや豚ネックとか呼ばれているお肉を買ってきて自作することは出来ない事も無いけれど、肉を乾燥させてその後に熟成させる事まで考えればそんな時間も無い。

 あと単純に既製品に勝るクオリティのものを、趣味で料理を齧っている程度の人間が作れるとも思えないし。

 

 代用品としてよく名前があがるパンチェッタはグアンチャーレよりは自作に対する敷居は低いものの、やはり単純に熟成期間の問題で今からの用意は不可能。まともな物を用意しようとしたら最低でも一週間ぐらいかかる。

 時短で作ったとしても、やはり最低で二日か三日は寝かせておきたい。

 

 

「まあ最悪は厚切りのベーコンで代用しても良いんですけど、どうせ作るのなら本場のレシピで作りたいですからね。となると、やはりアラビアータやアマトリチャーナは無しですね。それでいて辛味の強いトマト系のパスタと言えば……うぅん」

 

 

 うんうんと頭を捻って考え込んでいるその時、軽快なインターホンの音が鳴った。

 どうやらリブさんのご到着のようである。

 

 私はエプロンに三角巾姿のまま、玄関の扉を開ける。

 そこには私の予想通り、すっかり見慣れたスーパーモデルのような美貌を持つ長身の美女の姿があった。

 

 

「Ciao! バンビちゃーん、愛しのオリヴィアさんが帰って来たでー!!」

 

 

 嘘か本当かは知らないが、イタリア人は「ただいま」や「おかえり」を「Ciao」の一言で済ますらしい。

 つまりリブさんは我が家を勝手に自宅扱いしているという事だ。

 

 

「こんばんは、リブさん。それから何だかんだで食費とかも出して頂いてるので別に夕飯を食べに来るのは構いませんが、ちゃっかり我が家に居着こうとするのは止めて下さい」

 

「固いこと言わんといてーな。ここは第二の実家みたいなもんやないかい。ほら愛しのお姉さんから再開のハグや!!」

 

「ムギュッ!? ……だ、だからセクハラは止めて下さいっ!!」

 

 

 完全に日も暮れていないというのにリブさんは既にどこかで飲んで来たらしい。

 靴を放り投げるようにして脱ぎ散らかすと当たり前のように私に駆け寄って、そのまま捕食するかの如く私をその豊満な胸元に抱き締めた。

 

 下着やワンピースという緩衝材があるとは言え、それだけではリブさんの主張の強い母性の存在は隠しきれない。

 搗き立てのお餅のような柔らかさと華のような甘い香りが私の顔全体を覆い隠し、私は一瞬でその甘ったるい誘惑に理性が持っていかれそうになる。

 

 

 

『ちなみに俺のおっぱいスカウターによると件のパツキン美女のおっぱいはGカップ以上は確実だったぜ!!』

 

 

 今頃は裏山に埋められているだろう、今は亡きクラスメイトの一人がそんな事を叫んでいた事を、私はふと思い出した。

 Gカップ……確かにこの大きさと柔らかさは、それぐらいのカップ数があるかも知れない。女性のブラのサイズやその基準なんて良く分かってはいないが、アルファベットが大きければ大きい程にサイズも大きくなる事は知っている。

 

 こんなにも大きくて、柔らかくて。酔いしれてしまう程に甘くて、蕩けそうで。

 それこそいつまでも、この胸元に甘えて、そのまま吸い付いてみたい。

 

 そしてそのまま、この魅力的な女性の肉体を貪るようにして味わいたい……。

 

 

 

「は、離して下さいってば!!」

 

 

 そんな下衆な煩悩が脳裏を過った瞬間。

 私はハッとしてリブさんの抱擁から抜け出した。

 

 

「あぁん。バンビちゃんは相変わらず、いけずやなぁ」

 

「な、何度も言っていますが私だって男なんです! ベタベタと引っ付かれると、私だって困ってしまうんです!! そう言う事は恋人にでもしてあげて下さい!!」

 

 

 下腹部に熱が籠っていく自分の身体が悍ましい。

 目の前の女性は、どこまでも純粋な親愛を、愚直なまでに真っ直ぐに私に向けてくれているというのに。

 そんな彼女に対して劣情を覚えるだなんて。

 

 

「うぅん……ウチはバンビちゃんさえ良ければ、そういう関係になっても。吝かでは無いんやけどな〜?」

 

「からかわないで下さい!!」

 

「バンビちゃんはやっぱり初心やなぁ。まっ。そういうところが可愛いんやけどな」

 

 

 私の頭を撫でくり回すリブさんの手を乱雑に振り払い、私はそっぽを向く。

 今だけはリブさんの顔をまともに見られる気がしなかったからだ。

 

 浅ましい。悍ましい。穢らわしい。

 こんな素敵な女性に獣じみた肉欲を向けるなど、そんな事はあってはならない。

 

 私がなりたい。

 否、ならなければならない『大人』はこんな汚い人間では無い。

 

 誠実で、気高く。誰が見ても立派だと、尊敬の念を抱かれるような、そんな人間にならなければならないのだ。

 

 

「と、とにかく上がって下さい。あとはパスタ作るだけで夕飯の支度は完了しますので」

 

「お。グッドタイミングだったってわけやなぁ……あ、そや。これバンビちゃんにお土産や」

 

 

 内心で私がそんな葛藤をしている事など知る由も無く。リブさんは思い出したかのようにハンドバッグから掌サイズの何かを取り出した。

 何重にも水物袋で包まれているソレは、どうやら食品らしい。取り出してみるとジップロックに密封された赤くて小さい木の実のような物が入っている。

 

 

「これ、もしかして唐辛子ですか?」

 

「せやでー。前に知り合いが育ててるーって話したやろ? そいつに分けて貰ったっちゅうわけや。イタリアが誇る赤い宝石、カラブリア産のペペロンチーノ(唐辛子)や。まあ厳密に言うたらこれは日本産やけど元々は同じ品種らしいから、そこら辺は多めに見てや」

 

 

 イタリアンと聞くとオリーブオイル、唐辛子、ニンニクのイメージが浮かんでくるのが大半の日本人の共通の認識だろうが、実はそれは誤りだったりする。

 大雑把にまとめると、イタリアでも北部の人間は唐辛子の辛味が苦手な人が多く、南部の人間は辛いものを好む人が多いらしい。

 

 その南部の中でも特に唐辛子の名産地として名高いのがカラブリア州である。

 国土の形状がブーツに喩えられるイタリアの「爪先」にあたる地域で、シチリア島に近い場所。と言えばイメージが湧くのでは無いだろうか。

 

 

「うわぁ……カラブリアの唐辛子は凄く有り難いですよリブさん。買いたくても近くのスーパーに売ってないんですよコレ。デパートとか行くと取り扱いはあるんですけど、如何せん中々に良いお値段がしますし」

 

「おお、そこまで喜んで貰えるとは思わんかったわ。バンビちゃんはあんまり辛いの得意じゃないみたいやから、今回は辛味の強いピッコロやなくてシガレッタを分けて貰ったで。まあ、詳しい品種に関してはウチもよう知らんけど」

 

 

 イタリアンを好む人間に取ってカラブリア産の唐辛子は本当に嬉しい御土産だった。

 感覚的に言えば市販の羊羹と虎やの羊羹ぐらいの差がある。

 ちょっと大袈裟な例えかも知れないが、少なくとも私からすればそれだけ有り難い品物なのだ。

 

 ちなみにリブさんが品種が分からない。と言った点については特に問題視してない。

 何故なら本場イタリアでは毎日のように唐辛子の品種改良が行われているので、全品種を網羅するなんて不可能だからだ。

 よく聞くスコビル値で記録する激辛唐辛子のランキングが良く更新されるのも、日夜行われている品種改良の成果なのだとか。

 

 

「嬉しいお土産を有り難うございますリブさん。これで今日のメインメニューも決まりましたよ」

 

「ん、そうなん? ほんなら、今日は何を作ってくれるんや?」

 

 

 袋から取り出した唐辛子をリビングの照明に照らすように掲げる。

 シガレッタの俗称の通り、まるで煙草や葉巻のように細長い真っ赤な唐辛子は乾燥されているにも関わらず、どこか艶めいていて本当に宝石のようだ。

 

 鼻先に近づけて匂いを嗅いだ。鼻に突き刺さるような唐辛子特有の刺激臭だけで無く、その背後にそっと寄り添うようにしてフルーティーな芳香。

 

 今日のメインが決まった瞬間である。

 

 

「カラブリアのリストランテで先ず見習いが絶対に賄料理として作らされる。そんな逸話があるカラブリアン・パスタの代表格。『裁判所のパスタ』です」

 

「あー名前だけは聞いたことあるなー。Spaghetti alla Corte d’assisiやろ?」

 

「いや、あの。そんな流暢に喋られてもイタリア語は分からないのですが……」

 

 

 常日頃から訛りのキツイ関西弁を喋っているリブさんが急にイタリア語をペラペラ喋ると、ギャップで非常にビックリする。

 いや、もちろん見た目からして外国人なのは分かっているのだけれど、普段の言動を見てるとどうしても。ね?

 

 

「裁判所のパスタ。っちゅう日本語を直訳しただけやで。言うてもウチも食べた事は無いんやけどな。カラブリア州も行った事は無いし」

 

「リブさんって出身ナポリでしたよね? ナポリ以外のところは行かないんですか?」

 

「あんまり行かんなぁ。ローマやヴェネツィアぐらいか? そもそも地方に行くと言葉が通じなくて、ホンマにややこしいねん」

 

 

 リブさん曰く、イタリアの公用語は間違いなくイタリア語なのだが、県や州によって。特に田舎になればなるほどに独自の言語や歴史に沿った独自の言葉が使われるらしい。

 これがイタリア公用語を使っている人間からすると、非常に聞き取り辛いのだそうだ。

 

 

「ウチも公用語以外にナポリ語を使う時もあるけど、ほんまにややこしいねん。同じナポリ語でも方言によってまた細かく分類分けされてるし……関西と関東でザックリ分けられているだけの日本語がどんなに便利か」

 

「まあ、地方に行くと日本も訛りが酷いらしいですけどね。東北とか沖縄とか」

 

 

 別のクラスにいる沖縄出身の友人曰く、島に住んでる老人の言葉は本当に理解が出来ないらしい。

 

 

「そもそもウチの産まれ故郷は確かにイタリアやけど、やっぱ長いこと日本におるからなぁ。家族の帰省に付き添う事はしょっちゅうやけど、故郷に帰った。っちゅうよりかは、単なる国外旅行の感覚やね」

 

「はぁ、そんなものですか」

 

「せやせや。ウチの心の故郷は日本。そして第二の実家がバンビちゃんのいるこのお家ってわけやな!!」

 

「だから勝手に我が家を実家認定しないで下さいっ」

 

 

「つれないな〜」と嘆きつつ、私の頭に顎を乗せてグリグリしているリブさんを無視して、私はせっせとキッチンに材料を並べていく。

 

 愛用しているEXオリーブオイルにピンクソルト。ニンニク二かけ。乾燥したカラブリアの唐辛子を5つ。イタリアンパセリ。いつもの1.6ミリのスパゲッティーニ……では無く、あえて太めの2.08ミリのヴェルミチェッリ。

 

 

「ほら、料理始めるんですからリブさんもいい加減に離れて下さい」

 

「冷たいなーバンビちゃんは」

 

「後で構ってあげますからお酒でも飲んで待ってて下さい」

 

 

 ぶーぶーと口を尖らせて文句を言う20歳児を追い払い、私はリブさんの悪戯のせいでぐちゃぐちゃになってしまった三角巾を締め直す。

 キュッと布が擦れる音が鳴ると同時に、私の中のお料理モードのスイッチがカチッと入るを自覚した。

 

 さて、調理開始のお時間だ。

 





・早乙女 鹿之助
オリヴィアからはバンビちゃんの愛称で呼ばれている。料理が趣味の中3男子。思春期を拗らせている。

・オリヴィア
愛称はリブ。酒が趣味の大学生。性癖を拗らせている。
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