イタリア人の前でパスタを圧し折るとぶちギレるらしい。 作:薔薇尻浩作
「先ずはニンニクを粗みじん切り。コレは好みによって更に細かく刻んでも良し、スライスにしても良し。完全に好みですね」
「パスタ料理、言うたら先ずはニンニクを刻むとこからよな」
「イタリアではニンニク使わないパスタとかあるんですか?」
イタリアンと言えばオリーブオイルにニンニクと唐辛子。
ごく一般的に知られているペペロンチーノのレシピこそ、日本人から見たイタリアンのイメージを凝縮したようなものだと個人的には思っている。
「そりゃ勿論。有名どころで言うなら『Cacio e pepe』やな」
「ああ、確かに」
何とか聞き取れたイタリア語を日本人でも分かりやすく言うなら『カチョ・エ・ペペ』。
ローマの郷土料理を代表するパスタであり、材料はペペロンチーノ以上にシンプル。パスタ、黒胡椒、チーズの三つのみ。
尤も、黒胡椒は挽きたての物でないといけないだとか、チーズも羊乳を使った『ペコリーノ・ロマーノ』という品種のものを使わなければいけないだとか、色々と細かい決まりはあったりするので、単純簡単そうに見えても奥が相当に深いレシピでもあるのだが。
ちなみにこのカチョ・エ・ペペを発展させたパスタが日本でも馴染み深い『カルボナーラ』だとも言われている。
「あとはイタリアンからは離れるけどアメリカで生まれたパスタ料理なんかはニンニク使わないのもあるんとちゃう? それに和風パスタも。タラコとか明太子のパスタとか」
「アメリカのパスタってあんまりイメージわかないですね。バーベキューソースとかかけるんでしょうか?」
アメリカのパスタ料理は残念ながら食べた事は無い。
勝手なイメージだが、出鱈目にケチャップやバーベキューソースをぶっ掛けて、山のように大量のチーズを盛り付けているイメージがあるのだが……果たしてどんなレシピがあるのだろうか。
「と、雑談している間にニンニクの微塵切りは終了ですね」
「ほぉ……何度見ても見事な手際やなあ。キッチンに立ってるマンマの姿を思い出すわ」
「褒めて頂けるのは嬉しいですけど、この程度は慣れてしまえば誰でも出来ますから」
微塵切りは料理を始めた当初は何度か指を切ったりしていたが、今ではこうして人と会話しながら片手間で出来るようになっているのだから、私も少しは料理が上手くなったと胸を張っても許されるのかも知れない。ふとした時に自分の成長を感じられるものだ。
「続いて唐辛子の内の3本とイタリアンパセリも細かく刻みます。パセリについては今回、茎の部分まで使いますので特に力を入れて細かくします」
「茎まで使うのは珍しいなぁ」
「うまみ成分が葉っぱより茎の方が多いらしいですよ。まあ、言うまでもなく茎の方が硬いので切り方には気を配らないとなりませんが」
好みによっては茎は使わなくても別に問題は無い。流石にパセリ自体を省略してしまうと香りと彩りが寂しい事になってしまうので、使ったほうがいいと思うが。
ちなみに日本人の多くが想像している梵天状のパセリとイタリアンパセリは別物なので注意が必要である。
「包丁仕事はこれで御仕舞です。フライパンにEXオリーブオイル。もしくは普通のオリーブオイルを敷いてから刻んだニンニクを入れて火にかけます。ポイントとしてはニンニクを入れた後に火を付ける事ですね」
オリーブオイルにニンニクを入れる目的は、ニンニク自体に火を通す事よりもオイルにニンニクの香りを移すこと事がメインとなる。
刻んだニンニクはどちらかと言うと焦げやすい野菜の為、予め熱したオイルに入れてしまうとすぐ火傷してしまい焦げ付いてしまう。その結果、ニンニクだけでは無くオイル自体にも焦げ付いた香りが充満してしまい全体の仕上がりが悪くなってしまうのだ。
「火はあくまで弱火で。オイルが沸々と言い出してニンニクに柴色がつくまでじっくりと炒めていきます」
「なあなあバンビちゃーん。お料理に夢中になるのはええけど、ウチも暇やし何か手伝うで?」
フライパンの中身を確認していると酒瓶を抱えたリブさんがそんな事を言いながらヒョッコリと顔を出した。
ちなみ口をつけているボトルには達筆な字で何やら漢字が書かれているので、本日飲んでいるのは日本酒か焼酎らしい。本当にこの女性は酒が好きな人だと呆れてしまう。
「はぁ……じゃあ隣のコンロを使ってパスタでも茹でてて下さい。今回用意したヴェルミチェッリは規定の茹で時間が11分なので、大体9分半から10分程度茹でて下さい。あ、塩を忘れずに」
「Va bena. ウチかてイタリア人なんやしパスタの扱いぐらいお茶の子さいさいやで!」
笑顔でそう言ったリブさんは2人前のパスタを握り締めると、徐ろに太めの乾麺を「そぉい!」と言う間の抜けた掛け声と共に圧し折った。
おいこらイタリア人。
「ちょっ!? なんでパスタ折っちゃうんですか!?」
「へ? いや、せやかてバンビちゃんはいつもパスタ折っとるやん。だからそれに習って折っておいた方がええのかと……」
「別に私だって毎回パスタを圧し折ってるわけじゃないですよっ! あぁ、勿体無い……普通にフォークで食べる分にはロングパスタの長さも美味しく頂くには重要なのに」
YouTubeなんかでネタにされている、イタリア人の前でパスタを圧し折ると激怒する。なんて光景は画面越しで何度も観てきたというのに、まさか日本人である私がパスタを圧し折るイタリア人に説教する事になるとは。
いや、まあ。確かにパスタの味わい自体は長さが変わろうとそこまで変わらないのだが、食べやすさや食感といった面では微妙に異なるのだ。
「はぁ……まぁ、やってしまったものは仕方がないのでそのまま茹でて下さい。鍋に塩は入れましたか?」
「あ、忘れとった。適当に一摘みでええか?」
「良くないですよ。ちゃんとパスタの分量の1%を目安に入れて下さい。塩分が少なすぎると浸透圧とかの関係でパスタの食感がブヨブヨになってしまうんですから」
「バンビちゃんは細かいなぁ」
「リブさんが大雑把過ぎるんですよ!? あなた本当にイタリア人ですか!?」
少なくとも私が想像しているイタリア人はパスタを粗雑に扱ったらマジギレする。
ましてや今みたいに鍋に入り辛いという理由で半分に圧し折ろうものなら、下手人の背骨を圧し折る暴挙に出てもおかしくない程にぶちギレると思う。
「せやけど、何度も言うとる通りにウチはほぼ日本人みたいなもんやし。別に味が変わらないんやったら、ええやん」
「ちなみにですけど、もしも今の光景をリブさんのお母さんが目撃したらどうなると思います?」
「バンビちゃん。冗談でも言って良ぇ事と悪い事っちゅうもんがあるんやで」
ヘラヘラと笑っていたリブさんが一瞬で真顔になったので、私は色々と察した。
やはり目の前にいる関西の悪ノリに染まってしまった、なんちゃってイタリア人が特殊なだけであり、普通のイタリア人の前でパスタを圧し折ってしまったら修羅場は確定なようだ。
「まあ、あれやな。包丁握っているマンマの前でやったら……死人が出るな」
「イタリア人こっわ」
流石に冗談だよね? いや、でも心なしか顔を青白くしながら真顔で語るリブさんの様子を見るに冗談を語っているように見えない。
今後リブさん以外のイタリア人と出会う事があるかは分からないが、もしも機会があったら目の前でパスタを折る事だけは絶対に止めよう。そう心に誓う一幕だった。
「おっと。そうこうしている間にニンニクがいい感じに色付いてきたので、ここで先ほど輪切りにした唐辛子を投入します。全てを輪切りにしてからフライパンに入れてもいいのですが、私としては盛り付けの事も考えて唐辛子の形自体をしっかりと残しておきたいので……」
私は台所鋏を使って残った2本の唐辛子の根っこの方から縦に割るようにして、全体の3分の2程度の切り込みを入れた。
別に包丁でやっても構わないのだが、ここら辺はその時の気分や手際にもよる。
「こうして切り込みを入れた状態の唐辛子を2つ入れましょう。前回作った暗殺者のパスタと同じ量ですね」
「今回も唐辛子は全部で5本分っちゅう事やんな? バンビちゃん、辛いの苦手なのに大丈夫なんか?」
「せっかく状態の良いカラブリアン唐辛子が手に入りましたからね。それに裁判所のパスタは辛くてなんぼの料理ですから唐辛子はやはり多めに入れませんと」
裁判所のパスタは一度聴いたら忘れられない程にインパクトの強いネーミングだが、その由来は唐辛子の辛さにあると言われている。
どうしてそうなったか。までは定かでは無いのだが色々とあった結果、とあるシェフが裁判長に創作パスタを食べさせる機会があったそうだ。
唐辛子のスパイスが刺激的なパスタを偉く気に入った当事者である裁判長が「とても美味しいがこのパスタは辛さが非常に厳しい。まるで私の仕事のようだ!」と発言した事が切っ掛けなのだとか。
「これって本当の話なんでしょうか?」
「さあ? まあ、でもイタリア人って日本人以上に飯には煩いからあながちジョークとも言いきれんけど。この前作ってくれた暗殺者のパスタとかも結局、名前の由来はハッキリしとらんし」
「イタリア人がつけるパスタの名前って結構面白いですよね」
今回作っている裁判所のパスタ。この前作って台所が殺人現場のように悲惨な事になった暗殺者のパスタ。その他にも貧乏人のパスタやら絶望のパスタ。酔っ払いパスタに娼夫風のパスタなどなど。
日本人からすると、どうしてそんな変な名前をつけたのだろう? と首を傾げるようなネーミングのレシピは沢山あったりする。
「さて。唐辛子の辛味成分がオイルに溶け込みフライパン全体に赤みが色付いて来たら、ここでホールトマトを投入します」
トマトと言えばイタリアン。人によってはスパニッシュを思い浮かべる人もいるかも知れないが、イタリアン大好きな私としてはやはりオリーブオイル、ガーリック、トマトの組み合わせは外せない。
「そう言えばリブさん。イタリア語でオイルはオーリオ。ニンニクはアーリオ。と言うのは知っているのですが、トマトは何て言うんですか?」
「ん? 知らんかったんか? トマトは公用語で『pomodoro』。まあ、日本人に分かりやすく発音するならポモドーロやな」
「ポモドーロソースのポモドーロですか?」
「せやせや。日本ではトマトそのもの。っちゅうよりもトマトソースのイメージが強いかもな」
話に出てきたポモドーロソースはイタリアのトマトソースで最もシンプルかつポピュラーと言われる庶民的なソースの名前だ。
日本でもイタリアンレストランに行けばポモドーロの名前をメニュー表で目にする事もあるかも知れない。
まあ、シンプル故に作り手の技量やオリジナル性が試されるレシピでもあるのだが。
「さて、本来ならここで塩を少々加え後は煮込んで終わりなのですがちょっとだけオリジナル要素を足していきます。塩と同量、もしくはそれより多めの顆粒コンソメ。それから味の素を加えていきます」
「おーコンソメに味の素なぁ。ホンマに日本人ってパスタにコンソメ入れるの好きやなぁ」
「少し加えるだけで手軽、かつ安価に旨味とコクが深くなりますからね。味の素については賛否両論ですが、私個人としては結構重宝しています」
多くのトマトソースは刻んだ玉ねぎを加えて徹底的に炒める事によって甘みとコクを補強していくのだが、この裁判所のパスタはニンニク、トマト、イタリアンパセリ以外の野菜を一切加えないレシピだ。
レシピに忠実に作れば勿論そのままでも十分に美味しいものが出来るのだが、人によってはシンプル過ぎて味が薄っぺらいと感じてしまうかも知れない。
故にこの2つの調味料の出番というわけである。
「ここまで来たら後は簡単。トマトの酸味を程よく飛ばして旨味を引き出す為に中火で煮込んでいきます」
「ふぅん。やっぱり見た目も香りもアラビアータとあんま変わらんのよな」
「まあ、ここまでは基本的に作り方はほぼ一緒ですしね」
顆粒コンソメと味の素については自分なりの工夫ではあるが、基本のレシピとしては確かに辛味の強いトマトベースパスタの代表格であるアラビアータと大きく変わらない。
だが、裁判所のパスタのレシピの拘りはトマトソースを煮詰めた後の一手間にあるのだ。
ここでキッチンタイマーがピピピッと音を鳴らした。
10分で設定していたパスタが茹で上がったようだ。
「では、トマトソースもイイ感じに煮詰まってきたのでここで一気に仕上げに取り掛かってしまいましょう」
裁判所のパスタの味の決め手はここから。
イタリアンパセリと粉チーズ、つまりパルメザンチーズの出番である。
・早乙女 鹿之助
主人公の中3男子。オリヴィアからはバンビちゃんと呼ばれている。料理が趣味。イタリア人のパスタへの拘りには内心で恐れを抱いている。
・オリヴィア
多分ヒロインの女子大生。愛称はリブ。食べる事と酒が趣味。マンマの前でパスタを折ったらどうなるのかと恐れを抱いている。