モテない男、薬で現実逃避をする   作:輝く羊モドキ

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家に帰って、風呂に入って、晩御飯食べて、布団に入って
明日もまた生きていこう。




何のために?


分岐路:家に帰ろう

 全ての始まりの十数年前。

 一人の幼子(おさなご)が幻想郷に落ちてきた。

 幼子の、外来人。本来であれば力尽きるまで泣き続けるか、妖怪の餌となるかであった。

 

 しかし、そうはならなかった。

 

「……こんなところに子供が捨てられているとは、世も末ね」

 

 何の運命か、当時の博麗の巫女がその幼子を拾い、次世代の巫女と共に博麗神社にて育てることにした。

 次世代の巫女と、外来人の幼子。何の因果か、二人は天賦の才をそれぞれに持っていた。教えれば教えた分だけ強くなり、互いが互いに影響を与えて更に実力をメキメキと伸ばしていった。

 二人は寝食を共にし、心も体もすくすくと成長をしていった。

 心身ともに健康であり、自立出来るようになったと判断した博麗の巫女は二人にそれぞれ名前を付けた。

 女の子には「れいむ」。男の子には「ゆうき」と名前を付けた。

 博麗の巫女は学が無かった。ただ何となく、そう呼びたいからそう名前をつけただけだった。

 それに呆れたのは、妖怪の賢者である八雲紫。

 

「名前にはキチンと意味を込めて呼んであげるものよ」

 

 博麗の巫女は、そんな事は知らない。呼びたいからそう呼ぶ。と主張するばかり。

 そんな態度に頭を抱えた八雲紫は、代替案として名前の『音』に『意味(漢字)』を当てはめる事にした。

 女の子のれいむには、神のお告げがある不思議な夢を意味する『霊夢』の字を。

 男の子のゆうきには、神の助けとなり、人々に希われるようにと『祐希』の字を。

 そうあれかしと()()を込めて、名を付けた。

 

 そうして霊夢と祐希は、更にすくすくと育った。

 二人の年齢が二桁になったかどうかぐらいの時。二人は第二次性徴真っ只中だった。

 

「れ、れ、霊夢……さん……!け、結婚を前提にお、お付き合い頂けないでしょうか!」

 

 震える両足と両手。下げる頭。差し出す右手。思春期真っ只中の祐希は、血は繋がってなくても家族同然の霊夢相手に告白していた。

 そんな青春イベントにキャーキャーと小声で大盛り上がりしていたのは、当代の博麗の巫女と妖怪の賢者の二人だった。

 二人は出刃亀根性丸出しで、全身全霊でもって告白現場をこっそり覗いていた。八雲紫は自身の能力で、博麗の巫女は秘術である夢想転生を使って。学が有ろうがなかろうが馬鹿ばかりである。

 いやーもうこの年で将来安泰ねーとキャッキャしあってた二人だが、現実は非情だった。

 

「アンタの事そういう目で見た事ないから無理」

 

「―――」

 

 バッサリである。

 侍に袈裟斬り一刀両断された幻影が見える程にバッサリである。

 キャッキャしていた二人がそのまま時間が止まってしまったかのように気まずくなってしまった。

 石と化してしまった祐希を後目に、『用事はそれだけ?じゃあ』と言って去っていく霊夢。あまりにもあんまりな状況に出るに出られなくなる出刃亀二人。

 そして、精神がぐちゃぐちゃになってしまった祐希は泣きながら博麗神社の外へ走り去ってしまった。

 

 博麗の巫女が『あっ』と思った時には、既にその姿は見えなくなってしまっていた。

 

 

 そうして、次代の巫女が正式に『博麗の巫女』となるまでの間。祐希は博麗神社に戻ってくることは無かった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 上白沢慧音は自宅で一人。夕食を作りながら、血のつながらない不肖の息子の帰りを待っていた。

 

「全く、こんな暗くなるまで帰ってこないとはな……ん、美味……」

 

 作った一品を一つまみ口に運ぶ。最近になって料理の腕がメキメキと上達している事を改めて自覚する。

 それは決して数年前に里の外で拾った人間とは関係ない。齢十年程度、自身の10分の1も生きてない男児が気まぐれに作った料理が、自身の作る料理のそれよりも遥かに美味いものだったなどという事は全く持って関係ない。

 

 日の沈む時刻が早まってくる季節とは言え、それでも日が沈むまでには帰れるかどうかの一報を自身の式神を通じて伝えてきた息子に対し、要らぬこととは言え心配も募ってきた。

 そろそろ探しに行こうか……と考えていた時、玄関から騒がしい声が聞こえてきた。

 ガァガァと喚くような女性の声と、落ち着いたような……何処か沈んだような男性の声。ずっと待っていた者の声が聞こえて、全く心配かけさせてと少しの怒りが湧き出てきて……

 

「おい!何があったか言えってんだろ!」

 

「なんもないよ。なんも……」

 

「なんもないって言うヤツがそんな、今にも死にそうな目する訳ないだろう!!」

 

 初めて出会った時のような、諦念と絶望が幾重にも混ざったような昏い目をした血の繋がってない息子と、過去にそんな目をしていて思わず構ってしまった記憶の残る少女が玄関に居た。

 

「……ただいま、慧音母さん。遅くなって、ごめん」

 

「あ、ああ……」

 

 全身がボロボロで、濃厚な死の雰囲気を纏っていた。着ている衣服は刀で刻まれたかのように斬られ、あちこちには妖怪の返り血と思われる汚れがこびり付いていた。

 

「……さ、先に風呂に入ってくると良い。夕食は、すぐに出来るよ」

 

「……うん」

 

 そう言って血の繋がってない息子……祐希は、ふらふらとした足取りで風呂場に向かっていった。

 

「……妹紅、何があった……?」

 

「分かんない……ただアイツ、里の外で会った時に……アイツに襲い来る妖怪達を虐殺してたんだ。いつもだったら、襲ってくる妖怪を大抵一撃で仕留めてるくせに、今日は……わざと痛めつけるように、手足を一つ一つ捥ぐように……」

 

「……そうか」

 

 それは、まるで初めて彼と出会った時の再演のようで。あの時も彼は諦念と絶望の混ざった昏い目をして、襲い来る妖怪達をその膨大な霊力を駆使して虐殺していた。子供らしい残酷さ……ではなく、耐えがたい現実から逃げるように、ただひたすらに『暴力』を振るっていた時の様であった。

 

 少しして、風呂から上がった祐希を待っていたのは、豪勢とは決して言えないが色々な料理が盛られ、量の多い夕食だった。

 

「妹紅も食べていくと良い。お代わりは沢山あるからな」

 

「お、おう……ありがとう……」

 

「……いただきます」

 

 食べ盛りの男児が居る食卓は、いつも大体こんな感じであった。作る量も多く、その才能が料理にも遺憾なく発揮される十数年程度しか生きてない筈の男児が時折台所に立っては自身の十倍生きている筈の女性よりも美味な料理を振舞う環境もあって料理の腕をメキメキ延ばし自身の自尊心を守っているという事は恐らく関係ないと思われるが。

 時折外来のレシピ本なる物を買い、料理のレパートリーを少しずつ増やしていく慧音は何とか母親としての尊厳を維持している。なお時々息子によって振舞われる『レシピも名前も無い美味すぎる謎料理』によって尊厳が破壊されかけるが。

 大体いつも通りの食卓ではあるが、今日はそのいつも通りとはかけ離れていた。原因は明確であり、だからこそそれをどうにかする事は出来なかった。

 いつもであれば美味い美味いと食事を掻き込み山盛りの白飯を笑顔で平らげる少年が、モソモソと箸をただ動かし続けていたからだ。

 普段であれば団欒の会話等があるにもかかわらず、今日はただ黙々と食卓に並んだ料理が減っていくだけの時間が流れていく。

 

「……ごちそうさまでした」

 

「あ、ああ……」

 

 ただ黙々と食事を終えた祐希は、空になった食器を台所に溜めた水桶につけおき、そのまま庭に歩いて行った。

 いつものルーティンである、腹ごなしに剣術と魔術の鍛錬を行うのだろう。

 

「……」

 

 

 

 上白沢慧音は思い出す。祐希を家に迎え入れたばかりの頃、彼はただぼんやりと日々を過ごしていた。一を聞いて十を知る天才であった彼に勉強の楽しさを教える事は出来ず、ただ日常を少し圧迫するだけの知識しか教えられなかった自身に歯痒さを覚えていた。

 そんなある日、彼は目に輝きを携えて家に帰ってきた。そして夕食を終えた彼は庭に飛び出し、魔法の訓練とやらを始めた。聞けば、魔法を覚え、使いこなさんとしているらしい。何処で魔法を覚えたのか、何故そのようなものを使いこなそうと努力をしているのか。終ぞ聞き出すことは出来なかったが、なんにせよ生きる原動力が生まれた事は良い事だった。直接魔法を教える事自体は出来なかったが、彼が明確に生きる意志を見せた。ならば自身は、母親として突き進んでいくその背中を押してあげる事を惜しまなかった。

 

 それから何年か経ち、彼が家に帰ってきた時、その異変に気が付いた。

 祐希の両腕に、愛する息子の両腕に、決して消えることの無い火傷痕が刻み込まれていた。

 原因を聞けばばつの悪そうに、魔法の実験に失敗したから、だと言う。

 泣きたくなった。苦しくなった。何故お前がこんな大怪我をしなければならないのか。

 愚かな自身は、目の前の息子に感情をぶつけてしまった。怒鳴ってしまった。そんな危ない事は止めろと、言ってしまった。生きる意味を無くし、ただ日々を海月のように漂う日々を間近で見ていた筈なのに。

 彼は怒った。何故そんなことを言うのかと。俺を応援するという言葉は嘘かと。

 初めての親子喧嘩だった。大人であるはずなのに、自身は感情を抑えられなかった。息子も感情を抑えられなかった。

 だから、必然。

 パチン、と。

 耳を震わせるその音と、掌に感じる痺れにも似た痛みに、愚かな自分はようやく我に返り、同時に自身が今行った最低の手段を振り返り青褪める。

 息子のオニキスに似た黒い輝きを秘める眼が、震える。

 自身の口から何の意味もない、否定の語が漏れる。あぁ、違う……そんなつもりじゃない……と。

 息子は、何が起きたか信じられないような表情を浮かべ、そのまま……夜の世界に飛び出してしまった。

 待って、と。手を伸ばしても。もう届かなかった。

 すぐにでも追いかければ良いものの、自身の脚がまるで別人の物となってしまったかのように動かない。

 手を伸ばしたまま、床にへたり込む。てを、握りしめて……自身の額に突き入れる。

 ガツンと、衝撃と振動が家を震わせる。

 ガツン、ガツン、と。何度も何度も自身の額に握り拳を突き入れる。

 自身の額が裂け、手が赤く染まった時。ぼろぼろと零れる涙をぬぐって、ようやく脚が言う事を聞くようになった。

 額から零れる血を拭うのも忘れ、夜の里の中を駆け回った。思えば、自分は息子が何処で魔法を習っているのかを知らない。自分はなんて無関心なのかと、息子の事を何も知らないのかと、自分の中の自分が囁き続ける。その声が大きくなるにつれ、駆け回る脚が重くなっていく。

 五月蠅い、と。拳を自身の額に突き入れる。

 悲劇のヒロインごっこなんてやっている暇なんてない、と。自身の額に拳を何度も叩き込む。

 頭が割れそうな程に痛いが、それがどうした。自分はそれ以上に愚かな事を息子にしたんだぞ。

 人里内とは言え、夜は危険だ。未だ成人もしてない子供が出歩くべきではない、と。そう思った瞬間。最悪が頭をよぎった。

 祐希は、人里の中に居ないのではないか、と。

 そう、思った時には、里の外に向かって飛んでいた。

 

 月の無い夜中。

 星明りだけが周囲を照らす手がかりしかない時間。

 妖怪達の呻き声が耳を打つ。

 広い幻想郷。人里の外に出た人間が何処に向かうかなんて、手がかりも無く予想することはとても難しい。

 だが、しかし。何かが破裂するような音が。妖怪達の叫び声が。広い世界を反響しながら聞こえてくる。

 もしやと思い、音のする方角へ駆ける。駆けていく。

 突如、空を撃ち抜いていく光線。一瞬だけ、辺りを真昼のように照らしていた閃光が森の中から撃ちあがる。閃光の残滓を追いかければ、そこに居たのは。

 

「っとぉ、新手かい?」

 

 長い緑色の髪を持つ、下半身が幽霊のように無いボロボロの女性が長い杖を振るいこちらに向けてくる。

 

「いや、待った魅魔様……あれは里の守護神だよ」

 

 金髪の女の子が引き裂かれた衣服を魔法で繕いながら、箒を持って辺りを警戒している。というか、霧雨の所のお嬢ちゃんだった。

 

「……」

 

 そしてばつが悪そうに目を背ける少年、祐希。その全身からは大量の血が流れていた。

 

「祐希っ!」

 

 思わず祐希に駆け寄り、血で衣服が汚れる事を厭わずに抱きしめる。

 

「大丈夫か!?どうしたんだこの怪我は!?」

 

「あー……と。アンタ、そいつの……母親かなんかか?」

 

「っ……そうだ」

 

 一瞬、『母親』であることを否定してしまいそうになったが、それでも……祐希は、大事な息子だと。そう思ったから、肯定した。

 その言葉を聞いてか、びくりと腕の中で震える祐希。

 

「ならそのアホにしっかり言い聞かせておきな。女の盾になり続けるんじゃぁ命は幾つあっても足りないってな」

 

「……何があったんだ?」

 

 私の言葉に、言い辛そうに頬を掻く緑髪の女性。

 

「あー……このバカタレがタチの悪い悪魔を召喚しやがってねぇ。そのアホが命からがら消し飛ばしたのさ」

 

 そう言って持っていた杖を霧雨のお嬢ちゃんに振り下ろす緑髪の女性。

 ゴスッと鈍い音がして、痛いと叫ぶ霧雨のお嬢ちゃん。

 

「コイツは昼間も変な実験しやがって、そのアホが身を挺して庇わなきゃ顔が無くなってた所さ。ま、そのせいでそのアホの両腕がとんでもない事になっちまったんだけどね」

 

「やめっ、痛ッ!いてぇって魅魔様!!」

 

「このバカタレが!アンタみたいなヤツぁ痛くしなきゃ覚えられないって分かりな!」

 

 ゴスッ、ゴスッ、と何度も杖を頭に叩きいれる、魅魔様と呼ばれる女性。

 

「……まあ、そういう訳さ。そのアホの母親だってんなら……そいつを叱らんでやっておくれ。そいつは幻想郷の異変を未然に防いだ英雄さ」

 

「……そう、か」

 

 そう言って、抱きしめる腕の中の祐希と眼を合わせる。

 

「お前は……私に、嘘を吐いたんだな?」

 

「……ごめん、なさい」

 

 震えるオニキスの瞳を見て、自然と涙が溢れてくる。

 

「謝るのは、私の方だ。お前を応援すると言っておきながら、お前をしっかり見ていなかった……すまなかった……」

 

 声が勝手に震える。怖い。ただひたすらに怖い。この小さな命が、自身の知らない所で消えて居なくなってしまう事がとても怖い。

 

「お前は、いつの間にか、誰かを守れる程に、立派に……なってたんだなぁ……!」

 

 自身の腕に収まってしまうような、小さな命であるのに……誰かを守れる大きな背中になっているというのに。

 

「なのに、私は……本当に……ダメなヤツだなぁ……お前の母親、失格だ……!」

 

 ただひたすらに、この小さな命を珠のように愛で、大事にしまっておきたいと。わがままを言う、大人になり切れない小さな私が叫ぶ。

 

「そんな事ないッ!!!」

 

 震えるオニキスの瞳が、力強い光を放つ。

 小さな腕が、私を抱きしめ返す。

 

「慧音母さんは、最高のお母さんだよ……!」

 

「……こんな私を、まだ……お母さんと呼んでくれるのか……?」

 

「当たり前だ……!俺のお母さんは……慧音母さんだけだ……!」

 

「っ……!」

 

 強く、とても強く抱きしめられる。ああ、祐希。血の繋がらない、愛しき我が子。お前はこんなにも強く成長したのだな。

 強く、とても強く抱きしめ返す。ぼろぼろと堪えきれない熱い涙が、互いの肩を濡らしていく。

 

「祐希……わがままを言って良いか……?」

 

「うん……」

 

「わ、わた……私は、お前と一緒に死ねないけど……っ……せめて、出来るだけ長く……長く生きてくれ……!」

 

「うん……」

 

「怪我もするな……なるべくでいいから……!」

 

「うん……!」

 

「お前が大人になっても……出来る限り……毎日家に来て……一緒に夕飯を食べてくれ……!」

 

「うん……約束、するよ……!」

 

「ああ……ありがとう……ありがとう……!」

 

 私は、みっともなく泣いた。泣き続けた。こんなにも泣いたのは、生まれて初めてだった。

 きっと、今後の人生を含めたら2番目に泣いた日になるだろう。

 人生で1番泣く日は、きっと―――

 

 

 

 脳裏に想起される、過去の記憶。

 最愛にして最高の息子との、記憶。

 何年たっても色褪せることの無い記憶を想起した。

 嗚呼、最愛の息子よ。お前のその辛さを分かち合えない愚かな母親を許しておくれ。

 

 庭先で刀を振るい、自身で作り出した魔法の炎を切り裂いていく祐希を見る。

 私に魔法の良し悪しは分からないが、今の貴方が正常な精神状態ではない事は分かる。

 私に剣術の良し悪しは分からないが、今の貴方が苦しんでいる事は分かる。

 きっかり一時間。腹ごなしの鍛錬を終えた彼は、そのまま自身の部屋に入っていった。

 

「なあ、慧音」

 

「なんだ、妹紅」

 

「今日、泊ってくよ。アイツのあの目、昔の私にそっくりなんだ。世界の全てがどうでも良くて、全部を投げ出したくなった時の私に……」

 

「ああ……」

 

 

 

「なあ、慧音」

 

「なんだ、妹紅」

 

「私は、あの時から私は蓬莱人で、たとえ肉体と精神が死んでも、勝手に生き返ったけど。アイツは普通の人間なんだよな」

 

「ああ……」

 

 

 

「なあ、慧音」

 

「なんだ、妹紅」

 

「私は、慧音にも、アイツにもデカい借りがある……返しきれない程にデカい借りが。その借りを返せるんなら、この身体を使ってでも返すよ」

 

「……そうか」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 朝。

 既に太陽は完全に地平線から登り切っているにもかかわらず、祐希は起きてこなかった。

 祐希の部屋に入る。そこには、布団の中で深い眠りについている祐希が居た。

 

「……起きろ、祐希。もう朝だぞ」

 

 声を掛けても、身体を揺すっても、起きない。

 まるで死んでしまっているかのように身じろぎ一つしないが、僅かに聞こえる呼吸音と、僅かに上下する胸の動きが生きている事を証明していた。

 

「……無理に起こすか?」

 

「やめておこう。ずっと眠っていたい日だってあるさ」

 

「……そうだな。祐希の様子は私が見てるよ、慧音は寺子屋に行ってきな」

 

「……ああ」

 

 

 

 昼。

 祐希は、まだ起きない。

 

 

 

 

 

 夜。

 祐希は、まだ起きない。

 

 

 

 

 

 明くる日

 祐希は、まだ起きない。

 

 

 

 

 

 さらに次の日。

 祐希は、まだ起きない。

 

 

 

 

 

「夢を見続けているようね」

 

「どういう事だ」

 

 永遠亭。

 診察室の中には、月の薬師、その弟子。そして里の守護神と紅白の蓬莱人が居て、診察用のベッドの上に眠り続ける一人の男を囲んでいた。

 

「言葉通りよ。この人は夢を延々と見続けている……()()限り、『良い夢』でも『悪い夢』でもない……()()()()()()()()()()()()()()()()()の夢ね」

 

「……なんでだ。どうしてこんなことになった!お前が変な薬を出したからじゃないのか!おい!!!」

 

 そう言って八意永琳に掴みかかる藤原妹紅。八意永琳は、藤原妹紅の怒りをただ受け止めていた。

 事の発端は、眠り続ける祐希の部屋の片隅に落ちていた薬包紙を上白沢慧音が見つけた事に起因する。妙な薬を服用した祐希が、こうして眠り続けてしまう原因は、その妙な薬を調合できる目の前の女性が祐希に処方したせいではないかと。

 八意永琳は、それを否定することが出来る。キチンとした薬を処方したが、用法容量を守らないこの男が悪いと切り捨てる事が出来る。

 だが、それをしない。何故か。例え用法容量を守らなかったとしても、その薬を患者に処方したのは他の誰でもない自身だからだ。そしてその後に彼を診察をしたのも、他の誰でもない自身だから。

 巫山夢丸の副作用は、確かに命に係わる物だった。それを知っていた筈だった。だと、いうのに。その後の診察で、何も問題が無かったからと返したのは、他の誰でもない自分自身だ。藤原妹紅と上白沢慧音の怒りは正当なもので、そして何よりも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……八意永琳。貴方はこの子を……祐希を、起こす事が出来るのか」

 

「……ええ、出来るわ」

 

「ならッ!」

 

「でも、おすすめはしない」

 

「ッ!!?」

 

 頭に血がのぼり、八意永琳の首に手を掛ける藤原妹紅。

 だが八意永琳の眼を見て、この女が無意味に人を煽る様な言葉を言わない事を思い出してギリギリの理性で踏みとどまる。

 

「……なんでだ」

 

 今にも血を吐き出しそうな激情を抑えながら質問を投げる上白沢慧音。

 

「……貴方の質問に答える前に一つだけ。祐希がどんな薬を飲んだか、知ってる?」

 

「……知らない」

 

「そう。私が祐希に処方した薬は『巫山夢丸』といって、1錠飲んで寝たら意中の相手と結ばれる……そういう夢を見れる()()の薬よ」

 

「それを祐希は飲んだ、と?」

 

「本来であれば一晩で1錠の服用を想定していたわ。でも祐希は、一晩の間に1錠飲んで眠る事を3回繰り返した」

 

「……それで眠り続けている、と?」

 

「―――より、正確に言うのなら……その後、極大なストレスに曝された彼は『夢の世界』に精神を逃避させた。『巫山夢丸』を使う時は、枕の下に意中の名前を書いて置いておく事で()()()()()()を見られるのだけど、()()()()()()()からただの日常を送っているだけの夢を見ているようね」

 

「なら……原因が分かってるのなら!なんとか出来るだろう!お前なら!!!」

 

「原因が分かっていても、どうしようもない事はあるわ。祐希は極大なストレス曝された、と私は言ったけど……どんなストレスか、貴方達は理解してる?」

 

「ッ……!」

 

「……八意永琳。貴方は理解をしている、と?」

 

「……ええ、予測だけど……99%の確率で合ってるでしょうね」

 

「聞かせて、くれないか?」

 

「……祐希に巫山夢丸を処方した次の日、彼が再び此処に来たわ。見た夢と現実の相違に酷く落ち込んでいたわね。そこで診察した後、そこのうどんげを連れて一緒に人里まで送るように指示したわ」

 

「―――鈴仙ちゃん?」

 

「はい……私と、祐希さんと、道中で偶々会った魔理沙と一緒に人里へ向かってました。その、道中で……いきなり妖夢現れて、祐希さんに斬りかかっていきました」

 

「妖夢……だと?」

 

「いきなり始まった真剣勝負ですが、祐希さんが勝って……その後、妖夢が祐希さんに向かって『軟派者が!』『お前のような男なんて大嫌いだ』と……」

 

「―――アイツが、()()言ったのか……?」

 

「……それから、妖夢は走り去っていきました。その後人里に到着して、祐希さんの提案で茶屋をご馳走して頂けることになって……アリスさんが来たんです」

 

「アリス……か」

 

「……アリスさんに、祐希さんが一緒にどうかと誘ったんですけど、その返事が……ビンタでした」

 

「―――ッッッ!!?」

 

「『貴方のそういう所が嫌い』と、そう……言って……何処かに……」

 

 鈴仙は、今でもその時の状況を思い出すと心が苦しくなる。泣きたくなるほどに悲しくなる。

 彼が、祐希がアリスの事を好きだった事を、聞いていたから。

 

「……祐希さんも、とても堪えたようで、ふらふらとした足取りで何処かに行ってしまいました……」

 

「……そうか」

 

 今にも心臓が張り裂けてしまいそうな鈴仙。胸から怒りの業火が噴き出してしまいそうな藤原妹紅。感情が一周回って『無』の表情を浮かべる上白沢慧音。

 全員が、祐希の恋心を知っていた。

 

「……そして、此処からが私の予測よ。聞く準備は良いかしら」

 

「……これ以上に、あるのかよ」

 

「―――彼は、恐らくその後に博麗神社に向かったと思うわ」

 

「「「―――ッ!!?」」」

 

 三人の表情が引き攣る。

 『最悪』というものは、いつだって弱った所に付け込んでくるのだ。聡明な彼女達は思い当たる。

 

「……流石に何を言われたかは分からないけどね。そこで、博麗霊夢に……酷い事を言われたんでしょう……日が沈むまで呆然としてしまうような、そんな事を」

 

 三人は絶句する。

 つまり、それは。それが意味する事とは。

 一日の間で、好きだった3人の女性全員に嫌われた、という事実。

 ただ一途に恋した女性にフラれ、三日三晩嘆き悲しみ深く落ち込んでしまうほどに大きな恋心を抱いていた、純真な男の心に空いた穴の大きさは想像に難い。

 そんな、心の傷をただいたずらに、ぐちゃぐちゃに掻き回して痛めつける行為の非道さは。

 三人の目から、一筋の雫が流れ出る程であった。

 

「……話を、続けるわよ。本来であれば、巫山夢丸は『飲んだ当人だけ』が良い夢を見れる物であった……でも、一晩で3錠も飲むことで、私でも予想だにしなかった()()()があったの。それは―――」

 

「……飲んだ当人()()も、同じ夢を見る……?」

 

「……私の記憶では、霊夢も、アリスも、妖夢も、祐希の事は()()()()想っているのは間違いなかった。でも、巫山夢丸を飲んだ後の日ではそうではなかった。愛が、憎に変わる……というのはよくある事だから。私の予測では、『祐希が別の女と仲良くしている』夢を見せられたのではないかという事よ。……それなら、辻褄は―――」

 

 

「ふざけるな!!!」

 

 

「ふざけるなよ!お前らは、祐希の……本気の告白を拒んだろう!!!一緒に歩む道を拒絶しただろう!!!なのに、他人が仲良くしている事は許せないだと!!!ふざけるな!ふざけるんじゃない!!!そんな事が許されるか!!!」

 

「……慧音」

 

「お前らには関係ないだろう!誰と好き合ったって関わりないだろう!一度捨てたものにみっともなく縋りついてくるんじゃない!!一度投げ捨てたものに執着するんじゃない!!絶対に許さない!!絶対に!!!!」

 

「慧音」

 

「ふざけるな!ふざけるなよ!!一度好きになったら、永遠に好きで居続けろっていうのか!!!お前らは愛を与えないくせに!!!お前らは愛を返さないくせに!!!」

 

「慧音」

 

「ふざけるなよ……ふざけるなよぅ……」

 

 激昂する上白沢慧音を、優しく抱きしめる藤原妹紅。

 それは、この場の誰よりも落ち着いていたからではない。

 むしろその逆。この場の誰よりも胸に燃え盛る怒りの業火は、富士山すら焼き尽くす程だろう。不死の煙の枷が解かれれば、今すぐにでも奴らを荼毘に付すまで追い続けるだろう。言葉通り、死ぬまで追い続ける。

 

「……眠っている彼を起こす事、それは簡単に出来るわ。でも……起きたところで、傷ついた心は治るわけではない。一度傷ついて穴が空いた心は、治らないもの。別の物で空いた穴を埋める事は出来ても、埋めきる事は出来ない……長い、永い年月が必要よ。傷ついたことを、傷の深さそのものを忘れられる程の永い年月が」

 

「―――方法は、無いのか。祐希を治す方法は……」

 

「……私が取れる手は、二つ。―――このまま寝かし続け、夢の世界に閉じ込め続ける事……彼の肉体が、滅びるまで」

 

「もう一つは」

 

「……何もかも全てを忘れさせ、ただ名も無き一人の人間として……新たな生を踏み出させる事」

 

「全てを忘れさせる……だと……?」

 

「ええ。生まれも、名前も、過去の全てを消して。―――おすすめは、出来ないわね」

 

 記憶も名前も、過去の全てを消す……つまり、今の祐希は意思は『死ぬ』に等しい。

 しかし、それでも……肉体はそのままで、新たな人生を始める事が出来る。

 

「……慧音が決めるべきだ。お前の、息子なんだから」

 

「―――考えさせてくれ……」

 

「後悔の無いようにじっくり考えなさい。『時間稼ぎ』は得意なの」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 祐希が眠り続けて、5日目の夜。

 上白沢慧音は、眠り続ける息子の頭を優しく撫でる。

 

「……こうしてると、お前が質の悪い風邪をひいた時を思い出すな」

 

 高熱にうなされ、激しい咳を続ける彼に付きっ切りで看病をしていた。

 あの時はかなり動転していて、寺子屋の事をすっかり忘れてしまっていた。待ちぼうけとなっていた子供たちには悪い事をしたと思う。

 ようやく熱も引き、咳も止まって……きみは今のようにすうすうと安らかに眠っていたね。

 看病に疲れてはいたが、そんなきみの寝顔を見て……こうして頭を撫でていると、疲れも吹っ飛んでしまった。

 愛しき我が子よ。大切な我が子よ。大好きな、我が子よ。

 知っているか?きみを引き取ってから、私に何度か見合い話があったんだぞ。始めは寿命の差から断ってたけど、いつからかな、断る時にきみの顔が浮かぶようになってしまったのは。

 知っているか?きみを引き取ってから、きみに何度か見合い話があったんだぞ。始めはまだ幼いからと断っていたけど、いつからかな、年齢関係なく断るようになってしまったのは。

 

 人間の里の守護者と呼ばれて長かったが、きみとの生活はあっという間の様で、それでも私の人生の殆どを占める彩りになってしまったよ。

 

 人間の里の守護者としての立場であれば……きみは起きて、新たな生を歩みだすべきだろう。眠り続けている生というのは、もはや死んだも同然なのだから。

 

 それが正しい道なんだ。

 

 それが、正しい道の筈なんだ。

 

 それが正しい道の筈なのに。

 

 大人になり切れてない、小さな私が胸の中で叫ぶ。叫び続ける。

 

「―――約束……」

 

「わ、わた……私は、お前と一緒に死ねないけど……っ……せめて、出来るだけ長く……長く生きてくれ……!」

 

「怪我もするな……なるべくでいいから……!」

 

「お前が大人になっても……出来る限り……毎日家に来て……一緒に夕飯を食べてくれ……!」

 

「……ああ……あぁ……あぁぁ……」

 

 いやだ。

 いやだよ。

 きみが居ない世界なんていやだよ。

 一緒に歩いてほしい。

 一緒にご飯を食べてほしい。

 一緒に生きてほしい。

 泣き虫な母親でごめんね。

 わがままな母親でごめんね。

 それでも一緒に。ただ……一緒に……。

 

 

 

 なあ。

 

「……何かしら」

 

 私が、祐希が見ている夢の世界に行くことは出来ないかな。

 

「……その場合、現実(こっち)の世界で生きていく事は出来ないわよ」

 

 ……構わない。

 

 ―――あの子の居ない世界なんて、要らない。居たくないんだ。

 

「……祐希の肉体が滅びるまで見る夢は、夢の世界からすると永遠に等しいわよ」

 

 永遠に一緒に居られるという事か、望むところだ。

 

「……そう。ならこの薬を飲みなさい」

 

 これは?

 

「劇薬よ。飲めば肉体は死に、精神と魂だけの存在になるわ。その代わり、最も近い人間の夢の中に居続ける事が出来る……仮に、その人間が夢から覚めても、また眠って夢を見ればその夢に居続ける事が出来るわ」

 

 今の私にうってつけの薬だな。

 

「……意志は、固いようね。急に人里から守護者が消えたら、里の人は困るんじゃない?」

 

 かもしれないな。まあ、妹紅が何とかしてくれるだろう。頼んだよ、妹紅。

 

「蓬莱人使いが荒い事。……まあ、良いよ。全く、私の気持ちは全部無視かよ」

 

 色々終わったらお前も夢の世界に来ても良いんだぞ?

 

「……ま、考えておく。それよか慧音が居なくなった穴を埋める作業をとっとと終わらせてくるよ」

 

 悪いな、妹紅。わがままを言って。

 

「いいよ。今まで私がわがまま言ってた分くらい頑張るさ」

 

 ああ、よろしく。

 

「……準備は良さそうね。全く……永遠亭の中で、健康な者を死なせる事になるとはね」

 

 迷惑をかける。

 

「良いわよ。アフターサービスの良さが良い診療所の評判に繋がるのよ。……水無しで一錠。そのまま飲めば胸の痛みと共にぽっくり逝くわ。後は精神が引かれるままに、気が付けば夢の中よ」

 

 ああ、ありがとう。

 

「まったく。お代はそこの蓬莱人から一生貰い続けるわ」

 

「けっ。おい鈴仙ちゃん、だいぶぼったくりやがるぞこのヤブ医者」

 

「あ、あはは……」

 

 皆もありがとう。

 ……これから死ぬっていうのに、全く不安に思わないのは何でだろうな。

 

「好きな人と永遠に居られるのなら、そんなものなんじゃない?」

 

「経験者は語るってやつ?」

 

「生憎、もうとっくの昔に死別してるわよ」

 

 そうか、そんなものか。

 ……じゃあな皆、先に逝ってるぞ。

 

「はいはい、祐希の身体は永遠に見てあげるわよ」

 

「わ、私は流石に永遠は無理ですね……」

 

「……ま、遅いか早いかの違いだよな。夢の世界で会ったらヨロシクな」

 

 ああ、待ってるよ。

 

 

 薬を飲み込む。錠剤であったのにもかかわらず、水のようにするりの喉の奥を通っていく。

 チクリ、と。

 胸の中でトゲが刺さったかのような痛みと共に、私の意識は暗闇へ墜ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上白沢慧音は自宅で一人。夕食を作りながら、血のつながらない不肖の息子の帰りを待っていた。

 

「全く、こんな暗くなるまで帰ってこないとはな……ん、美味……」

 

 作った一品を一つまみ口に運ぶ。最近になって料理の腕がメキメキと上達している事を改めて自覚する。

 それは決して数年前に里の外で拾った人間とは関係ない。齢十年程度、自身の10分の1も生きてない男児が気まぐれに作った料理が、自身の作る料理のそれよりも遥かに美味いものだったなどという事は全く持って関係ない。

 

 日の沈む時刻が早まってくる季節とは言え、それでも日が沈むまでには帰れるかどうかの一報を自身の式神を通じて伝えてきた息子に対し、要らぬこととは言え心配も募ってきた。

 そろそろ探しに行こうか……と考えていた時、玄関から騒がしい声が聞こえてきた。

 ガァガァと喚くような女性の声と、落ち着いたような男性の声。ずっと待っていた者の声が聞こえて、全く心配かけさせてと少しの怒りが湧き出てきて……

 

「ただいま」

 

「……ああ、お帰り」

 

 男性の、朗らかな笑顔を見た瞬間に怒りが萎えていき、喜びの感情が滾々と湧いてくる。

 

「けーねー!今日の晩飯はなんだ?」

 

「今日は唐揚げを作ってたぞ」

 

「おっ、やりぃ!慧音の唐揚げ大好物なんだよな!」

 

「こらこら、外から帰ってきたら手を洗いなさい」

 

「へいへーい」

 

 少女がててててと手を洗いに小走りで駆けていく。

 いつまで経っても子供っぽい妹紅とは対照的に、落ち着きのある青年へと成長した祐希を見る。今日も大きな怪我はないな。

 

「……?」

 

 不思議そうに首を傾げる青年だが、何か忘れてないか?

 

「忘れてる……?なにを……?」

 

 決まっているだろうに。家に帰ったら……

 

「手洗い……?」

 

 それもあるが、ほら。アレだよアレ……妹紅が手を洗ってるうちに……。

 

「アレ?」

 

 このすっとこどっこいの足を蹴る。生意気にも此処数年で伸びた身長は、私の身体を簡単に見下ろせる程の差が出来てしまった。

 足を押さえてしゃがみ込むバカタレの肩に手をかけ、その唇にそっとキスをする。

 

「……」

 

「……」

 

 数秒。繋がり合った唇は離れ、互いの顔が赤く染まる。

 

ぉ、おかえりの、ちゅー

 

「……ただいま」

 

 血の繋がってない息子に手を出す猥らな女と笑うが良い。しかし、異性としても好きになってしまったものは仕方ない。

 この気持ちは、抑えられなかったから。

 

「母さん」

 

「ん……」

 

 今度は、祐希からの接吻。ふと気が付けば、簡単に私を抱き上げる事が出来る程に大きくなっていた愛しい息子の成長がとても嬉しい。

 そのがっしりとした両腕に抱え上げられるのが、たまらなく喜ばしい。母親としても、一人の女としても。

 

「……」

 

 じぃぃぃっと、戸の隙間から覗く真ん丸な眼が見えた。

 

「……」

 

「……」

 

「……早く手を洗って夕飯にしない?」

 

「ッッッ!!!」

 

 妹紅の気遣いがただただ恥ずかしい。

 妹紅が居るにもかかわらず、強引にキスをし、キスをねだった私のせいであるのは分かってる。分かってはいるが!

 

「全部貴方が悪いっ!」

 

「え、ええ!?」

 

 貴方が愛おしすぎるのが悪い。貴方が素敵すぎるのが悪い。だから。だから―――

 

「……祐希、愛してます」

 

「……慧音母さん。俺も、愛してます」

 

 もう一度だけ、こっそりとキスをした。

 

 

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