異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第10話 異世界の洗礼

 銅級の登録証を懐にした蒼介が次に向かったのは、ギルドに併設された換金所だった。彼がカウンターの上に置いたのは、東京湾のダンジョン「エリア・アクア」で最後に手に入れた、青みがかった鉱石。日本でなら、それなりの金額になったはずの代物だ。

 

「これを換金してほしい」

「拝見します」

 

 鑑定士と思しき老人が、単眼鏡を片手にその鉱石をまじまじと見つめる。数秒の沈黙の後、彼は意外そうな顔で蒼介を見上げた。

 

「……これは、珍しい。高純度の『アクア・クォーツ』ですね。しかも、これほどの大きさのものは滅多にお目にかかれません。迷宮のどのあたりで?」

「さあな。拾ったもんでね」

 

 蒼介がはぐらかすと、老人はそれ以上は追及せず、そろばんのような道具を弾き始めた。

 

「結構です。では、こちらで買い取らせていただきましょう。銀貨20枚になります」

「銀貨20枚……」

 

 その価値が、蒼介にはまだピンとこない。眺めてきた露店の相場から推測するに、おそらくは平民が数ヶ月は暮らせるくらいの金額だろうか。無一文からのスタートとしては、上出来すぎるほどの軍資金だった。

 

(助かった。これで当座はなんとかなりそうだ)

 

 思わぬ臨時収入に内心で安堵しつつ、彼は銀貨を受け取った。ずしりとした重みが、この世界で生きていくための最初の糧のように感じられた。

 

 軍資金を得た蒼介は、街の武具屋へと足を運んだ。カラン、とドアベルが鳴り、鉄を打つ甲高い音と熱気が彼を迎える。壁には多種多様な剣や鎧が所狭しと掛けられ、そのどれもが実戦を想定した無骨な作りをしていた。

 

「へい、いらっしゃい! 新人さんかい?」

 

 店の奥から現れたのは、ドワーフと思しき、筋骨隆々とした店主だった。豊かな髭を揺らし、値踏みするように蒼介の全身に視線を走らせる。

 

「ああ。迷宮に潜るための装備を一式、見繕ってほしい」

「おう、任せとけ! 予算はどれくらいだ?」

「銀貨10枚までで、頼む」

 

 その言葉に、店主は片眉を上げた。銀貨10枚は、新人冒険者が最初に用意する予算としては破格だ。彼はにやりと笑うと、店の奥からいくつかの装備品を持ってきた。

 

「銅級なら、こんなもんがいいだろう。レザーアーマーに、鉄の篭手とすね当て。動きやすくて、ゴブリンの牙くらいなら弾き返せる。剣は、このショートソードだな。扱いやすいし、狭い通路でも取り回しが利く」

 

 蒼介は店主が勧める武具を一つ一つ手に取り、その感触を確かめていく。革のなめし具合、金属の重さ、剣の重心。日本で使っていたカーボンナノチューブ製の装備に比べれば、比べるまでもなく粗末で重い。だが、今はこれで凌ぐしかない。

 

(ないよりはマシか……)

 

 彼はいくつかの装備を試着し、自分の身体に馴染むものを慎重に選んだ。最終的に、動きやすさを重視した軽装のレザーアーマーと、片手で扱える長さのショートソード、そして腰に下げるためのポーチなどを購入した。支払いを済ませると、銀貨は残り12枚。これで宿と食事の心配も当面はなくなった。

 

 準備を整えた蒼介は、街の中央広場を抜け、ふたたび大迷宮の入り口へと向かった。

 始まりの街テルスは、それ自体が巨大なドーム状の洞窟の中に築かれているが、その洞窟のさらに奥、巨大な亀裂のように口を開けた場所が、大迷宮への本当の入り口だった。

 

 入口周辺は、ギルドホールとはまた違う、独特の緊張感に満ちていた。これから死地へ向かう冒険者たちの引き締まった表情。帰還したばかりの、血と泥に汚れた者たちの疲弊した顔。誰もが無口で、自分のパーティ以外の人間にはほとんど関心を示さない。誰もが、己の生存に必死だった。

 

 蒼介は、その巨大な亀裂の前に立ち、中から吹き付けてくる冷たく湿った空気を吸い込んだ。それは、現代ダンジョンで何度も嗅いだ、死と魔力が混じり合った匂いによく似ていた。だが、もっと濃く、もっと根源的な気配がする。

 彼は周囲の喧騒から意識を切り離し、精神を集中させた。体内のナノマシンを起動させ、戦闘に備えて身体の状態を最適化していく。心拍数を落ち着かせ、血流を安定させる。五感を研ぎ澄まし、わずかな異変も見逃さないように備える。

 

(行くか)

 

 短い決意と共に、彼は一歩、暗闇の中へと足を踏み入れた。

 迷宮の内部は、ひんやりとした空気が淀み、壁を伝う水の滴る音だけが反響していた。天井は高く、所々に自生する発光性の苔が、ぼんやりと青白い光を放っている。それが唯一の光源だった。

 道は一本ではなく、まるで蟻の巣のように無数に枝分かれしている。右も左も、似たような岩壁と通路が続くだけで、方向感覚を失いやすい。これこそが、浅層が【愚者の黄泉路】と呼ばれる所以だろう。構造を把握せずに進めば、たちまち自分の位置を見失い、迷子になったところを魔物に狩られる。

 

(まずは、マッピングが最優先だな)

 

 蒼介は、現代シーカーとしての基本に忠実に、壁に沿って慎重に進み始めた。彼は時折立ち止まっては、持参した羊皮紙に、簡易的な地図を書き込んでいく。分岐点の数、通路の角度、目印になりそうな岩の形。地道で根気のいる作業だが、生存確率を上げるためには不可欠だった。

 

 しばらく進んだ、その時だった。

 蒼介の脳が、微かな違和感を捉えた。

 

(……気配?)

 

 彼は即座にスキルを発動させる。

 【探知(サーチ)】。

 ナノマシンが彼の感覚器を拡張し、半径50メートル以内の生命反応を探る。すると、彼の進行方向、右手の壁の向こう側に、複数の小さな光点が浮かび上がった。数は三つ。じっと動かず、こちらの様子を窺っている。

 

(待ち伏せか。壁が薄くなっている場所があるな)

 

 スキルは、生命反応だけでなく、構造物の脆弱部も可視化する。彼の視界には、光点の潜む先の壁が、一部だけ薄く、脆くなっていることが示されていた。おそらく、そこから奇襲を仕掛けてくるつもりだろう。

 蒼介は、気づかないふりをしながら、ゆっくりとその場所へと近づいていく。そして、薄くなった壁のすぐ手前で、わざとらしく足を止めた。羊皮紙を取り出し、地図を確認するふりをする。無防備を装う、完璧な演技。

 その瞬間。

 

 ガガガッ、と。

 脆弱だった壁が内側から突き破られ、三体の魔物が甲高い奇声を上げて飛び出してきた。

 それは、蒼介がこれまで見たことのない異形の生物だった。緑色の肌、子供ほどの背丈、鉤爪のついた手足。その姿は、ファンタジーの物語に登場するゴブリンによく似ていた。だが、その目が違う。彼らの目は、昆虫のように複眼になっており、不気味にきらめいていた。手には、鋭く研がれた石のナイフが握られている。

 

(これが、この世界のモンスターか)

 

 現代ダンジョンに出現するモンスターは、どちらかといえば動物や昆虫が巨大化、凶暴化したようなタイプが多かった。小鬼のような人型のモンスターもいたが、このような異形ではなかった。

 だが、彼の思考に戸惑いは一瞬しか存在しない。

 敵が壁を突き破って飛び出してくる、そのコンマ数秒の間に、彼の身体はすでに対応を完了していた。

 

 先頭の一体が、石のナイフを振りかぶり、蒼介の喉元を狙って突き出してくる。最短距離を狙った、効率的な一撃。

 しかし、その切っ先が蒼介の首に届くことはなかった。

 蒼介は、最小限の動きで半身になり、その一撃を紙一重で回避する。そして、すれ違いざま、体勢を崩したゴブリンの脇腹に、ショートソードを逆手に持って突き立てた。

 

「ギッ!?」

 

 肉を断ち、骨を砕く鈍い感触。ゴブリンは短い悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。

 だが、敵はまだ二体いる。

 残りのゴブリンたちは、仲間が一瞬で屠られたことに怯むことなく、左右から挟み撃ちにするように襲いかかってきた。連携の取れた、見事な動きだった。

 

(一体ずつ、確実に)

 

 蒼介は、正面から迫る一体に意識を集中させる。そのゴブリンがナイフを振り下ろすのと同時に、彼は前へと踏み込み、敵の懐へと潜り込んだ。そして、振り下ろされた腕を左手で受け流し、がら空きになった胴体に、再びショートソードを深々と突き刺す。

 二体目を仕留めた、その直後。

 背後から、最後の一体の殺気が迫る。振り返る時間はない。

 蒼介は、倒したばかりのゴブリンの死体を蹴り飛ばした。盾代わりだ。

 

「ギギッ!?」

 

 背後のゴブリンは、仲間の死骸にナイフを突き立てる形となり、一瞬だけ動きが止まる。

 蒼介はその隙を逃さない。彼は素早く反転すると、驚愕に目を見開く最後のゴブリンの眉間に、ショートソードの切っ先を正確に叩き込んだ。

 

 戦闘は、十数秒で終わった。

 三体のゴブリンの死骸が転がる通路で、蒼介は静かに息を吐いた。剣先から滴る、生暖かい緑色の血を軽く振り払う。

 

「……ふぅ」

 

 安堵の息。だが、油断はない。彼はすぐに【探知(サーチ)】を再発動させ、周囲に他の魔物がいないことを確認する。反応は、ない。

 安全を確保して初めて、彼はゴブリンの死骸を検分し始めた。その心臓部あたりに、親指の頭ほどの大きさの、黒く濁った石が埋まっているのを発見する。

 

(これが、魔石か)

 

 ギルドで得た知識だ。魔物の力の源であり、換金アイテムにもなる。彼はナイフを取り出し、手際よく三つの魔石を摘出した。ぬるりとした感触が、まだ死骸に魔力が残っていることを示している。

 初めての戦闘を終え、蒼介は改めてこの世界の厳しさを実感していた。

 もし【探知(サーチ)】がなければ、最初の奇襲で致命傷を負っていたかもしれない。もし現代ダンジョンでの戦闘経験がなければ、冷静に対処できず、数の暴力に押し切られていただろう。

 

(この世界で生き抜くには、俺が持っているもの……スキルと、知識と、経験。その全てを、常に最大限活用し続けなきゃならない)

 

 魔法という絶対的な力を持たない自分は、常に二手、三手先を読み、あらゆる状況を想定し、泥臭く、しかし確実に勝利を掴み取っていくしかない。

 それは、日本でB-ランクシーカーとして活動していた頃と、何も変わらない戦い方だった。ただ、舞台が変わり、敵が変わっただけだ。

 

 彼は懐から羊皮紙を取り出し、地図に今の戦闘場所と、敵が潜んでいた隠れ場所の存在を書き加えた。この情報が、次の探索で自分の命を救うかもしれない。

 異世界の洗礼は、決して生易しいものではなかった。だが、蒼介の心は折れるどころか、むしろより冷徹に、より鋭敏に研ぎ澄まされていく。

 彼は静かに立ち上がると、ショートソードの血糊を拭い、再び迷宮の暗闇の奥へと、慎重に歩みを進め始めた。

 元の世界へ帰る。

 その目的を果たすための一歩は、今、確かに踏み出されたのだ。

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