異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第101話 騎士と王女の強行軍

 大迷宮第四十七層、魔の峡谷。

 空を覆い尽くす灰色の雲海からは、断続的に暴力的な突風が吹き下ろしていた。赤茶けた岩肌を叩く風の音は、まるで巨大な獣が飢えて咆哮しているかのようだ。崩落によって無残に削り取られた断崖の縁で、セレスティアは一振りの白銀の槍を杖代わりに立ち尽くしていた。

 

 その胸元には、本来ならば蒼介の腰にあるはずの銀のペンダントが揺れている。

 蒼介がその命を賭して守り抜き、ネアが風の魔法で崖上へと打ち上げた、リリアーナの魂が宿る器だ。セレスは震える指先でその冷たい銀の装飾に触れた。

 

「……リリアーナ。聞こえるか」

 

 掠れた声が、吹き荒れる風の中に霧散していく。

 

『……ええ、セレスさん。ここに。私は大丈夫ですわ』

 

 ペンダントの中から、凛とした、けれどどこか慈愛に満ちたリリアの声が響いた。物理的な肉体を持たない彼女の声は、脳内に直接語りかけてくるような不思議な透明感を持っている。

 

「ソウスケと、ネアの気配はどうだ。貴女なら、彼らの魂の行方を感じ取れるはずだろう」

 

 セレスの問いかけには、切実な祈りが混じっていた。

 普段は冷静な彼女も、今この瞬間はただの無力な一人の女として、仲間の安否に心を砕いている。

 

『……。微弱ではありますが、やはり、確かに感じられますわ。ソウスケさんの魂の鼓動が、この崖下の深い霧の底から。ネアさんの魔力の残滓も、彼と共にあります。二人は……確実に生きています。そして、止まることなく動き始めていますわ』

 

 リリアのその確信に満ちた言葉に、セレスの肩からわずかに力が抜けた。

 だが、安堵の直後に襲ってきたのは、焼けるような自己嫌悪だった。セレスは槍を握る拳を白くなるほど強く固め、奥歯を噛み締める。

 

(私の失態だ。あの時、私がもっと早く判断し、もっと早く動けていれば……二人があんな奈落へ落ちる必要はなかった)

 

 王族を守る盾として訓練されてきた自分が、守るべき仲間を見失った。蒼介はいつだって泥臭く、それでいて冷静に状況を打破してきた。それなのに、自分は肝心な場面で立ち尽くすことしかできなかったのだ。

 

「すまない、リリアーナ。私が、騎士としてあまりに未熟だった。ソウスケに、また背負わせてしまった」

 

 沈痛な面持ちで俯くセレス。その脳裏に、リリアの穏やかな微笑みが浮かぶ。実体はないはずなのに、不思議と頭を優しく撫でられているような感覚がした。

 

『セレスさん。貴女のせいではありませんわ。あの崩落は、誰にも予見できない不幸な事故でした。それに、あの極限の状況でネアさんが最善の判断を下しました。彼女は、ソウスケさんを守り抜くために自ら動いたのです。今は彼女の勇気を信じましょう』

 

「ネアを……。ああ、そうだな。彼女は奔放だが、仲間を想う気持ちは強い。出会ったばかりだが、それだけは分かる」

 

『ええ。ですから、私たちも立ち止まっているわけにはいきません。一刻も早く下層へ降り、彼らと合流するルートを探しましょう。私がソウスケさんの位置を導きます。さあ、顔を上げてくださいませ』

 

 リリアの言葉に、セレスはゆっくりと顔を上げた。

 青い瞳に宿っていた迷いの影が消え、代わりにかつての鋭い戦意が戻ってくる。彼女は腰のベルトを締め直し、槍を構え直した。

 

「わかった。貴女の導きに従おう。……行こう、リリアーナ」

 

 セレスはリリアの感応を頼りに、道なき道を進み始めた。

 峡谷の縁は、常に滑落の危険と隣り合わせだ。風に煽られれば、そのまま数百メートルの高さから叩きつけられることになる。だが、セレスの足取りに躊躇はなかった。蒼介の生存という一筋の光が、彼女の身体を突き動かす唯一の原動力となっていた。

 

 一時間ほど険しい岩場を歩き続けた頃、周囲の空気が不自然にざわつき始めた。

 カチカチ、という乾いた音が、周囲の岩陰から無数に響いてくる。

 

「……何かが来るな」

 

 セレスは槍の柄を低く構えた。

 岩の隙間から這い出してきたのは、この峡谷に巣食う厄介な魔物――【落石虫(ロック・バグ)】の群れだった。

 硬質な外殻を岩石のように擬態させた、大型の甲虫だ。その鋭い鎌のような前脚は、軽装の鎧程度なら容易く切り裂く力を持っている。何より厄介なのは、集団で獲物を囲み、崖際へと追い詰めるその狡猾な習性だった。

 

(ソウスケがいれば、弱点を的確に突いてくれるだろうが……今は私がやるしかない!)

 

 焦燥が、セレスの判断をわずかに狂わせる。

 彼女は一気に魔力を高め、槍の穂先に白銀の輝きを集束させた。強力な一撃で群れを吹き飛ばそうとした、その時だ。

 

『セレスさん、冷静に! 大技は不要ですわ。左の岩陰を利用なさい!』

 

 ペンダントから響いたのは、いつになく鋭く、そして理知的なリリアの声だった。

 

『敵は連携を組んでいます。ここで全力の魔力を放てば、足場を自ら破壊しかねません。左の突き出た岩を背にすれば、一度に対峙する数を二体までに絞れます。最小限の【突撃(スラスト)】で十分ですわ』

 

「な……っ!?」

 

 セレスは息を呑んだ。

 その指示のタイミング、そして地形を利活用した戦術提案は、かつて蒼介が幾度となく戦場で示してきたものと酷似していた。

 リリアもまた、ただ守られているだけではなかったのだ。蒼介の隣で彼の戦いを見続け、彼の思考の癖、合理的な戦術判断を、魂の深奥に刻み込んでいた。

 

(リリアーナ……。貴女も、共に戦っているのだな)

 

 セレスは高ぶる魔力を霧散させ、リリアの言葉通りに左の岩陰へと身を躍らせた。

 指示は完璧だった。

 岩が壁となり、落石虫の群れはセレスを完全には包囲できなくなる。狭い通路に押し寄せる形となった魔物に対し、セレスの槍が閃光のごとき速度で突き出された。

 

「【銀閃(シルバー・ピアース)】!」

 

 最小限の魔力を込めた一撃が、先頭の一体の関節部を正確に貫く。

 硬い外殻に守られていても、動きの支点となる部分は脆い。蒼介が常に説いていた「効率的な殺し方」を、セレスは今、リリアの助言という形で実践していた。

 

『次、右から三体目が飛びます! 穂先を斜め上へ!』

 

「了解だ!」

 

 セレスは無意識に、リリアを対等な戦友として受け入れていた。

 リリアの感応による先読みと、セレスの持つ最高峰の武勇。

 本来なら物理的に交わることができないはずの魂が、蒼介という共通の絆を通じて、奇跡的な連携を見せていた。

 

 最後の一体を槍の柄で崖下へと叩き落とした時、セレスは大きな溜息を吐いた。

 かつてのようにただ闇雲に力を振るうのではない。周囲の状況を掌握し、最善の手を選択する。その充足感は、これまでの彼女が知らなかったものだった。

 

「助かった、リリアーナ。貴女がいなければ、無駄に体力を消耗するところだった」

 

『ふふ、お役に立てて光栄ですわ。私も……彼に教わったことがたくさんありますから。彼がいない間は、私が彼の代わりを務めなければなりませんもの』

 

 ペンダントの中で、リリアは少しだけ誇らしげに胸を張っているように見えた。

 セレスは思わず、頬を緩める。

 

「ああ。ソウスケが戻ってきたら、自慢してやるといい」

 

『ええ、そうしますわ。……でもその前に、早く彼を見つけ出して、御礼を言ったあと、思い切り叱って差し上げませんと』

 

「そうだな。勝手な真似をした罰が必要だ」

 

 二人の間に、僅かながらも温かな信頼の絆が結ばれる。

 絶望的な状況下であっても、彼女たちは決して折れてはいなかった。

 蒼介から受け継いだ知恵と、リリア自身の勇気。そしてセレスの誇り。

 それらを武器に、彼女たちは再び、仲間を救うための強行軍へと足を踏み出すのだった。

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