異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第102話 四人の夜明け

 大迷宮第四十九層。魔の峡谷を縦に裂く道なき道の半ばまで来たところで、ようやく周囲を覆っていた分厚い霧が薄れ始めた。

 吹き荒れる強風も岩壁の凹凸によって遮られ、この地点だけは奇跡的な静寂に包まれている。蒼介は肩で荒い息を吐きながら、背負っているネアの重みを確認した。

 

(……限界に近い。ナノマシンのエネルギーも底を突きかけてるな)

 

 網膜に投影されたステータスバーは、危険を示す赤色で激しく点滅している。全身の筋肉は【迅速(ブースト)】の過負荷で悲鳴を上げ、一歩踏み出すごとに針で刺されたような痛みが走った。

 それでも蒼介は足を止めなかった。この先に、自分を待っている仲間がいると確信していたからだ。

 

 不意に、上方の岩棚から一つの影が飛び出してきた。

 白銀の甲冑が淡い光を反射し、一本の槍が風を切り裂く。それは、蒼介がこの絶望的な奈落の底で片時も忘れることのなかった、誇り高き騎士の姿だった。

 

「――ソウスケッ!」

 

 その叫びは、震えていた。

 セレスティアは険しい斜面を、まるで重力を無視するかのような速さで駆け下りてくる。彼女の瞳には、かつてないほどの激しい感情が渦巻いていた。

 

 蒼介は立ち止まり、口端をわずかに吊り上げた。

 顔は煤と血で汚れ、装備もボロボロだが、その瞳だけは以前と変わらず、冷徹なまでに冷静な光を宿している。

 

「よう。……待たせたな、セレス」

 

 掠れた声でそう告げると同時に、セレスが蒼介の胸に飛び込んだ。

 握り締められたままの槍の柄は小刻みに震え、その白皙の頬には、安堵の涙が静かに伝っている。

 

「……無事だったのだな。本当に、無事だったのだな」

 

「ああ。ネアが頑張ってくれたおかげでな」

 

 蒼介は背中のネアを少しだけ持ち上げるようにして答えた。

 セレスは自らの首にかけていた銀のペンダントに手を伸ばした。彼女はそれを丁重に外し、宝物を扱うかのような手つきで蒼介へと差し出す。

 

「ソウスケ。……彼女を、返そう。リリアーナも、貴殿が戻るのを一刻も早く待ち望んでいた」

 

 蒼介は差し出されたペンダントを受け取った。

 銀の装飾に触れた瞬間、温かな光が手のひらから広がり、懐かしく、そして気品に満ちた声が響き渡る。

 

『……ソウスケさん。お帰りなさいませ。ご無事で、本当に何よりですわ……!』

 

 リリアの声は、いつになく感極まったように震えていた。

 普段は冷静な彼女でさえ、この再会の瞬間には、溢れ出す感情を抑えきれなかったのだろう。蒼介はペンダントをいつものように腰のベルトへと固定し、一つ頷いた。

 

「心配かけたな、リリア」

 

『いいえ……。助けていただき、ありがとうございました。それでも……あのようなことは二度としないでください』

 

 ごしごしと涙を拭いながら、セレスも頷いていた。

 

「考えるより先に身体が動いてたんだよ……まあ、なんだ、すまなかった」

 

 その時、蒼介の背中で小さな呻き声が上がった。

 強力な暗示魔法の反動で眠りについていたネアが、ゆっくりと瞼を持ち上げる。

 

「んん……。……ソースケ? ここは……?」

 

 ネアはまだ朦朧とする意識の中で、周囲を見渡した。

 そして、目の前に立つセレスと、蒼介の腰で光るペンダントに気づくと、パッと顔を輝かせた。

 

「あ、お姉さんたち! 無事だったんだ! えへへ、よかったぁ……」

 

 ネアは蒼介の背中からずるりと降りると、ふらつく足取りでセレスの前に立った。

 鼻血の跡を乱暴に袖で拭い、照れくさそうに笑う。

 

「ねえ、お姉さん。私、ちゃんと役に立った? ソースケのこと、守れたかな?」

 

 その問いかけに、セレスは表情を険しくした。

 驚いたネアが身を縮める。だが、セレスはそのまま、彼女の前に跪いた。

 騎士が、一介の魔人族の少女に対し、最高敬礼の姿勢を取ったのだ。

 

「……礼を言う、ネア。貴女がいなければ、私は二人の大切な仲間を永遠に失うところだった。私の失態を、貴女の勇気が救ってくれたのだ。心から感謝する。貴女は、私たちの命の恩人だ」

 

「え、ええっ!? や、やめてよお姉さん、そんな堅苦しいの!」

 

 ネアは顔を真っ赤にして慌てふためいた。

 両手をぶんぶんと振り、どうにかセレスを立ち上がらせようとする。

 

「私はただ、ソースケと一緒にいたかっただけだし! それに、私たちってもう『仲間』でしょ? 仲間が困ってるときに助けるのは、当たり前じゃない!」

 

 ネアの真っ直ぐな言葉に、セレスは呆気に取られたように目を見開いた。

 そして、ふっと表情を和らげ、静かに立ち上がる。

 

「……そうだな。その通りだ。私は、まだ形にこだわりすぎていたようだ」

 

 セレスは蒼介の方を向き、微笑んだ。

 それは、厳しい騎士の仮面が剥がれ落ちた、一人の女性としての柔らかな笑みだった。

 

「んじゃ改めて、だな。これからは、この四人で攻略を進める。異論はないだろ?」

 

 蒼介が周囲を見渡すと、皆が力強く頷いた。

 現代から来た孤独なシーカー。亡国の王女。王国騎士。そして魔人族の少女。

 奇妙な組み合わせだが、死線を共にした彼らの間には、もはや種族や立場の違いなど存在しなかった。

 

 

 * * *

 

 

 その夜、彼らは峡谷の岩棚に小さな野営地を築いた。

 蒼介が手際よく焚き火を起こし、セレスが干し肉を炙る。ネアはそれを待ちきれない様子で、火の粉が舞うのを眺めていた。

 

「わあ、あったかいね! 谷底はあんなに寒かったのに」

 

 ネアの明るい声が、過酷な峡谷の夜空に響く。

 その賑やかさに、ペンダントの中のリリアも、くすくすと上品に笑った。

 

『ふふ。ずいぶんと騒がしい子が加わりましたわね。でも……悪くありませんわ』

 

「ああ。少し騒がしすぎるくらいが、丁度いいのかもしれないな」

 

 蒼介は炎に照らされる仲間たちの顔を見つめた。

 迷宮の攻略はまだ半ばだ。これから先、さらに過酷な試練が待ち受けているだろう。

 だが、今の自分たちなら、きっと、どんな困難も乗り越えていける。

 

(ああ、本当に……悪くない。俺が求めていたのは、こういう景色だったのかもしれないな……)

 

 蒼介は静かに目を閉じ、束の間の休息に身を委ねた。

 四人の絆が、大迷宮の闇を照らす確かな希望の光となって、夜明けを待ち望んでいた。

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