異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第104話 風啼きの峠

 大迷宮の空は常に重苦しい雲に覆われている。

 階層を下るごとにその圧迫感は増していた。第四十九層から第五十層へと続く道は、もはや道と呼べるような代物ではなかった。鋭く尖った岩の連なりが、まるで竜の背骨のように続いている。

 一歩踏み外せば底なしの奈落が待っている。蒼介は先頭を歩きながら、慎重に足場を確かめた。吹き荒れる強風が彼の外套を激しく煽る。

 これほど過酷な環境でありながら、彼の歩みには迷いがなかった。彼の体内を巡るナノマシンが、風の強弱や足場の安定性を絶えず計算している。

 だがそれ以上に、背後を歩く仲間たちの存在が彼を支えていた。

 

(ついにここまで来たな)

 

 蒼介は心の中で独りごちた。

 現代のダンジョンでBマイナスランクのシーカーとして生きていた頃は、こんな深層まで潜る気など毛頭なかった。厄介な依頼を避け、適度に稼げればそれでいいと思っていた。

 しかし異世界に転移し、リリアと出会い、セレスと刃を交え、ネアという守るべき存在ができた。今の彼はただ生き延びるためではなく、仲間と共に明日を迎えるために歩いている。

 

『風が……さらに強くなってきましたわね』

 

 蒼介の腰から涼やかな声が響いた。

 

 銀のペンダントに宿るリリアーナの魂が、周囲の魔力の乱れを感知して警告を発しているのだ。彼女の肉体は五百年前に失われているが、その精神は誰よりも気高く、そして鋭敏だった。

 

「ああ。普通の風じゃない。肌を直接切られるような感覚だ」

 

 蒼介は短く答えた。

 彼は顔を覆う布をきつく引き上げ、吹き付ける砂塵から目を守る。後ろを振り返ると、セレスが盾を構えるようにしてネアを風から庇っていた。

 

「セレちゃん、ありがとう。でも私、風は平気だよ!」

 

 ネアは強風の中でも明るい声を張り上げた。

 彼女の青紫の髪が風に激しく舞っている。魔人族である彼女は魔法の扱いに長けており、無意識のうちに微弱な風の障壁を展開しているようだ。

 それでもセレスは油断なく周囲を警戒していた。

 

「強がるなネア。この風には魔力が混じっている。ただの自然現象ではないぞ」

 

 セレスの青い瞳が鋭く前方を睨み据えていた。

 彼女は白銀の甲冑を身に纏う王国騎士だ。いかなる時も己の使命を忘れず、仲間を守るための盾であろうとする姿勢は崩れない。

 蒼介はそんな二人のやり取りにわずかに頬を緩めた。

 

(いいチームになったな)

 

 これまでの階層で培った信頼が、彼らの間に確かな絆を結んでいた。

 誰かが欠けてもここまで来ることはできなかったはずだ。蒼介は再び前を向き、険しい斜面を登り始めた。

 

 数十分の登攀の末、彼らはついにその場所に辿り着いた。

 大迷宮第四十九層と第五十層の境界。

 魔の峡谷の最深部であり、次なる階層へのゲートが待ち受ける場所。

 そこは『風啼きの峠』と呼ばれる巨大なカルデラであった。

 

 視界が開けた瞬間、圧倒的な光景が四人の目に飛び込んできた。

 すり鉢状に窪んだ広大な地形の底に、淡く光る転移ゲートが鎮座している。周囲の岩壁は長年の暴風によって奇妙な形に削り取られていた。

 カルデラの内部では、狂ったような風が渦を巻いている。

 ヒュルルル、という耳障りな音が絶え間なく響いていた。それは風が岩の隙間を抜ける音であり、まるで無数の亡霊が泣き叫んでいるかのようだ。

 

「これが……第五十層の入り口」

 

 セレスが思わず息を呑んだ。

 彼女の言葉は凄まじい風の音にかき消されそうになる。

 吹き荒れる風はもはや暴風という言葉では表現しきれない。目に見えない刃が飛び交うような、カマイタチの領域だった。

 蒼介の頬をかすめた風が、浅い切り傷を作った。

 

「痛っ……。気をつけろ。風自体が物理的な殺傷力を持ってるぞ」

 

 蒼介は腰のペンダントを手で庇いながら警告した。

 ナノマシンの【自己修復(リペア)】が即座に働き、頬の傷を塞いでいく。しかしこれほど無差別に風の刃が飛んでくる環境では、体力の消耗が激しすぎる。

 

『ソウスケさん! 上空を!』

 

 リリアの切羽詰まった声が脳内に響いた。

 蒼介は即座に視線をカルデラの上空へと向けた。

 分厚い灰色の雲の下を、巨大な影が悠然と旋回している。

 それは鳥のようなシルエットだったが、規格外の大きさだった。翼を広げた幅は数十メートルにも及び、羽ばたくたびにカルデラ内の暴風がさらに激しさを増す。

 

「なんだ、あれは……。ギルドの事前情報とは違うぞ!」

 

 セレスが槍を強く握りしめた。

 彼女の家系は代々迷宮攻略に挑んできた騎士の家柄だ。冒険者ギルドが蓄積した過去の攻略データも頭に入っている。

 第五十層の主は、かつての記録では巨大なワイバーンの変異種だったはずだ。しかし上空を飛ぶあの影はどう見ても別の魔物である。

 

「主の世代交代か。あるいは……前に倒された後に湧いた新個体かもしれないな」

 

 蒼介は冷静に状況を分析した。

 大迷宮の主は基本的に一度倒されれば復活しない。しかしそれは絶対の法則ではなく、長い年月が経てばより強力な魔物がその階層の主として君臨することがある。

 上空の怪鳥は、明らかにこのカルデラの嵐を支配していた。

 

(厄介なことになったな。飛んでいる相手にはこちらの攻撃が届きにくい)

 

 蒼介は身を屈め、足元に転がっている黒ずんだ岩の欠片を拾い上げた。

 彼の右目に青い光が走る。

 【物質分析(アナライズ)】のスキルが発動し、岩石の組成情報が視界に表示されていく。

 

「……なるほど。ここは風だけじゃない。雷も来るぞ」

 

 蒼介の呟きに、セレスが鋭く反応した。

 

「雷だと? どういうことだソウスケ」

「このカルデラを形成している岩石だ。磁気を帯びた特殊な鉱石が大量に含まれている」

 

 蒼介は拾い上げた石を軽く放り投げた。

 石は風に流されることなく、不自然な軌道を描いて近くの岩壁にカチリと張り付いた。

 

「風の摩擦とこの磁気鉱石の相互作用で、カルデラ全体が巨大な発電機みたいになってるんだ。あの怪鳥は、そのエネルギーを利用しているに違いない」

 

 蒼介の分析を聞き、ペンダントの中でリリアが思案する気配がした。

 

『それは……セレスさんの雷魔法と相性が良いとも言えますわね。環境の雷起電力を利用すれば、威力を底上げできるかもしれませんわ』

「確かに。だが逆に言えば、敵も強力な雷撃を放ってくる可能性が高いということだ。まともに食らえば一溜まりもないぞ」

 

 蒼介の指摘にセレスは重く頷いた。

 彼女は雷属性の魔法剣士として卓越した実力を持っている。しかし敵が同属性の巨大な魔物となれば、単純な力押しでは勝機は薄い。

 

「ソースケ……あの鳥、すごく嫌な感じがする」

 

 ネアが不安そうに蒼介の外套の裾を引っ張った。

 彼女の紫色の瞳は、上空の巨大な影を怯えたように見つめている。普段は天真爛漫な彼女が、ここまで明確に恐怖を口にするのは珍しかった。

 

「どうしたネア。何か感じるのか?」

「うん……。風の精霊たちが、すごく怖がってるの。あいつはただの魔物じゃないよ。嵐そのものみたいな……全部を壊しちゃうような気配だもん」

 

 魔人族であるネアは、自然界の微小な精霊の声を聞くことができる。

 彼女の感覚が告げる危機感は、ギルドのデータよりもよほど信頼に足るものだった。

 

『精霊が恐れるほどの嵐を纏う怪鳥……。もしや、伝承にある『嵐を呼ぶもの《ストーム・ブリンガー》』ではないでしょうか』

 リリアの声が微かに震えていた。

 五百年前に滅びた王国の知識を持つ彼女の言葉は、常に的確な真理を突いている。

 

「ストーム・ブリンガー……。ただのデカい鳥が変異して、災害級の力を持ったってことか」

 

 蒼介は舌打ちをした。

 現代のダンジョンでも、環境に適応して異常進化を遂げた魔物は存在した。そうした個体は通常の攻略法が通じず、多くのベテランシーカーを葬ってきた。

 今彼らの前に立ち塞がっているのは、まさにその規格外の化け物だ。

 

「ソウスケ。どうする。引き返すか?」

 

 セレスが冷静な声で尋ねた。

 騎士としての誇りを持つ彼女だが、無謀な特攻で仲間を死なせる愚は犯さない。勝算がないと判断すれば、一時撤退を進言する冷静さも持ち合わせている。

 だが蒼介は首を横に振った。

 

「いや、退く道はない。ここまで来るのにかなり消耗してる。戻る途中で他の魔物に襲われればジリ貧だ」

 

 蒼介はナノマシンのインターフェースを確認した。

 エネルギー残量は十分だが、精神的な疲労は限界に近い。ここで一度気を抜けば、二度と立ち上がる気力は湧かないかもしれない。

 何より、ゲートは目の前にあるのだ。

 

「ここで決める。あのデカブツを叩き落として、第五十層への道をこじ開ける」

 

 蒼介の決意に満ちた声に、三人の空気が引き締まった。

 彼は視線を落とし、カルデラの地形を頭の中に叩き込む。すり鉢状の地形、磁気を帯びた岩石、そして乱気流。

 すべてを計算に入れた上で、彼は一つの作戦を導き出した。

 

「作戦を伝える。よく聞いてくれ」

 

 蒼介は風の音に負けないように声を張った。

 セレスとネアが真剣な表情で顔を寄せる。ペンダントの中のリリアも静かに耳を傾けていた。

 

「敵は常に上空を飛んでいる。こちらの攻撃が届く位置まで引きずり下ろさなければ話にならない」

「私が雷槍を放って牽制しようか?」

 

 セレスの提案に蒼介は首を振った。

 

「だめだ。あのサイズの魔物には、中途半端な魔法は通じない。むしろ雷を吸収される恐れがある。だから……今回はネアの暗示がキーになる」

「私……!?」

 

 ネアがビクッと肩を揺らした。

 直前の飛竜戦で彼女が見せた精神干渉魔法は絶大な効果を発揮した。だが格上の相手の認識を書き換える行為は、彼女自身の精神に甚大な負荷を強いる。

 

「ああ。お前の魔法で、あいつの飛行感覚を狂わせるんだ。空を飛んでいるという認識を、一瞬でも地面に落ちていると錯覚させろ」

「そ、そんなこと……できるかな。あいつ、すっごく魔力が強いよ……?」

 

 ネアの声は震えていた。

 彼女は自分の力量を正確に把握している。災害級の魔物に対して暗示をかけるのは、細い糸で巨象を縛り付けるようなものだ。

 

「できるさ。お前ならやれる」

 蒼介はネアの小さな肩に手を置いた。

 その手の温もりが、恐怖で凍りつきそうだったネアの心を少しだけ溶かす。

 

「それに、一人で全部背負わなくていい。俺たちが必ず隙を作る」

 

『ソウスケさんの言う通りですわ。ネアさん、貴女の魔法が届く距離まで、私たちが必ず魔物を誘導します』

 

 リリアの優しく力強い言葉が続く。

 セレスもネアの前に立ち、その肩をぽんと叩いた。

 

「私たちは仲間だ。誰か一人が無理をする必要はない。貴女の魔法が決まるその一瞬まで、私がすべての攻撃を弾き返してみせよう」

 

 三人の言葉を受け、ネアの紫色の瞳に少しずつ光が戻ってきた。

 彼女は大きく深呼吸をし、両手で自分の頬をパチンと叩いた。

 

「……うん! わかった。私、やるよ! ソースケたちのためだもん、絶対に成功させる!」

 

 その明るい声に、蒼介は深く頷いた。

 

「よし。だがタイミングは一度きりだ。失敗したら全滅すると思え。俺が合図を出したら、全魔力を注ぎ込んで暗示をかけろ」

 

 蒼介は腰のナイフを抜き放った。

 銀色に輝く刃が、カルデラに吹き荒れる風を切り裂く。

 彼の目にはもう迷いはなかった。トラウマに縛られ、仲間を作ることを恐れていた過去の自分はもういない。

 彼には信じられる仲間がいる。そして自分の指揮に従って命を預けてくれる者たちがいる。

 

「行くぞ。あの嵐をぶっ飛ばす」

 

 蒼介を先頭に、四人はカルデラへの斜面を下り始めた。

 彼らが足を踏み入れた瞬間、上空のストーム・ブリンガーが侵入者の存在に気づいた。

 ギャアァァァァァッ!! という耳を劈くような絶叫がカルデラに木霊する。

 同時に、分厚い雲の中で雷光が激しく明滅し始めた。

 

 死闘の幕が開こうとしていた。

 肌を切り裂く風の中、蒼介たちは次なる階層への扉を開くため、巨大な嵐へと真っ向から立ち向かっていくのだった。

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