異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第105話 嵐の王

 カルデラの底に足を踏み入れた瞬間だった。

 空を覆う分厚い雲が、巨大なすり鉢状の地形に蓋をするように激しく渦を巻き始めた。

 灰色の天蓋の中を縦横無尽に雷光が走り抜ける。耳を劈くような轟音が遅れて響き、大地そのものが恐怖に震えるように揺れた。

 

 第五十層の主。大迷宮の深淵に君臨する『嵐を呼ぶもの(ストーム・ブリンガー)』。

 その姿は、生物というよりは具現化した災害そのものだった。

 数十メートルにも及ぶ漆黒の翼が羽ばたくたび、空気が悲鳴を上げる。鋭い嘴は鋼鉄をも容易く砕きそうで、黄金色の獰猛な瞳は地上の侵入者たちを冷酷に見下ろしていた。

 羽の一枚一枚が紫電を帯びており、周囲の空間がプラズマの匂いで満たされる。

 

『ギャアアァァァァァァッ!!』

 

 怪鳥が鼓膜を破らんばかりの咆哮を上げた。

 それが開戦の合図だった。

 

 ストーム・ブリンガーが大きく翼を煽ると、カルデラの底に複数の巨大な竜巻が発生した。

 ただの風ではない。磁気を帯びた岩石の欠片を巻き込み、巨大な削岩機と化した死の竜巻だ。

 岩肌が削り取られる凄まじい騒音が響き渡る。

 

「散開しろ!」

 

 蒼介の鋭い叫びと同時に、四人は即座に散った。

 だが怪鳥の猛攻はそれだけでは終わらない。

 空中で静止したストーム・ブリンガーが、その巨大な嘴を大きく開いた。

 その奥で圧縮された魔力が極限まで高まり、眩い閃光が放たれる。

 

「雷のブレスか!」

 

 蒼介は舌打ちをした。

 直進する光の奔流が、彼らがつい先程まで立っていた場所を焦土に変える。

 着弾地点の岩盤がドロドロに溶け、カルデラ内に異常な熱気が立ち込めた。

 

(デカい図体して、とんでもない機動力と火力だ)

 

 蒼介は岩陰を転がるようにして雷撃の余波から逃れた。

 彼の網膜に投影されたステータス表示が、極度の危険を告げて赤く点滅し続けている。

 敵は遥か上空を悠然と旋回している。こちらがどれほど地を這い回ろうとも、怪鳥にとっては盤上の虫を眺めるようなものだろう。

 

「このままじゃ的になるだけだ! セレス、ネア! 岩陰から離れるな!」

 

 蒼介が叫んだ次の瞬間だった。

 上空のストーム・ブリンガーが、突然その羽ばたきの軌道を変えた。

 

 翼を大きく上段に振りかぶり、力任せに真下へと振り下ろす。

 その瞬間、目に見えない巨大な質量の塊が頭上から降ってきたような錯覚に陥った。

 

「ぐっ……!?」

 

 強烈なダウンバーストだった。

 台風の目から一気に吹き下ろされるような超圧縮された下降気流。

 蒼介の身体が地面に叩きつけられ、肺から空気が強制的に搾り出された。

 周囲の岩肌にへばりつくような姿勢を強いられ、指先一つ動かすことすら困難になる。

 

「動けねえ……!」

 

 蒼介は奥歯を強く噛み締めた。

 ナノマシンのインターフェースが、全身の骨格にかかる異常な圧力を警告してくる。

 見えない巨人に足で踏みつけられているかのような絶対的な暴力。

 重力が数倍に跳ね上がったかのような状況下で、蒼介は必死に首を巡らせた。

 

「ソースケ……っ! 息が……」

 

 少し離れた場所で、ネアが地面に這いつくばって苦悶の表情を浮かべていた。

 彼女の華奢な身体では、この規格外の風圧に耐え切れるはずがない。

 風の精霊の声を聞く彼女だからこそ、大自然の怒りそのものである怪鳥の圧力に、精神的にも限界を迎えているようだった。

 

(このままじゃネアが潰される!)

 

 蒼介は迷うことなく体内のナノマシンに命令を下した。

 

「全神経系、出力を最大まで上げろ。【迅速(ブースト)】ッ!」

 

 強制的なリミッター解除。

 蒼介の全身の筋肉が断裂しそうなほどの悲鳴を上げた。

 細胞の隅々まで行き渡ったナノマシンが、常人なら即死するレベルの負荷を無理やり抑え込む。

 蒼介は血の滲むような気合いと共に、目に見えない圧力の壁を強引に押しのけて立ち上がった。

 

「ネア!」

 

 蒼介は風の重圧に逆らいながら泥臭く地面を蹴った。

 一歩踏み出すたびに足の骨が軋み、膝が笑いそうになる。

 それでも彼はネアの元へとたどり着き、その小さな身体を乱暴に抱え上げた。

 

「あ……ソースケ……」

 

「喋るな。舌を噛むぞ」

 

 蒼介はネアを抱えたまま、カルデラの壁面にできた深い窪みへと飛び込んだ。

 岩陰に入った瞬間、嘘のように風の重圧が消え去る。

 ダウンバーストの直撃を免れたことで、蒼介は荒い息を吐きながらその場に崩れ落ちた。

 ナノマシンの【自己修復(リペア)】が追いつかず、口端から一筋の血が流れ落ちる。

 

「セレちゃんは……!」

 

 ネアが蒼介の腕の中で身を起こし、悲痛な声を上げた。

 岩陰から外の様子を窺うと、カルデラの中央付近でセレスが孤軍奮闘していた。

 

「くっ……! この程度の風に、我が盾が砕けるものか!」

 

 セレスは膝を突きながらも、白銀の盾を天に向けて構えていた。

 彼女の全身から眩い雷の魔力が放たれ、球状の結界を形成している。

 ストーム・ブリンガーの放つ雷のブレスが次々と結界に直撃するが、同属性である雷耐性の装備と彼女自身の魔力によって、致命傷には至っていなかった。

 

 だが状況は決して楽観できるものではない。

 雷撃こそ防げているものの、絶え間なく襲い来る風の刃が結界を削り取っていく。

 セレスの甲冑には無数の傷が刻まれ、彼女の体力と魔力は確実に削られていた。

 防戦一方。その言葉が今の彼女の状況を正確に表している。

 

「空を飛ばれたままじゃ手が出せない!」

 

 蒼介は岩の壁を強く殴りつけた。

 敵の高度は優に百メートルを超えている。

 蒼介の頼みの綱であるアンカーショットのワイヤーは、到底届かない距離だ。

 セレスの雷槍やネアの魔法も、あの暴風の中に放てば軌道を逸らされ、散らされてしまうだろう。

 物理攻撃も魔法攻撃も届かない絶対的な安全圏から、敵は一方的に蹂躙を楽しんでいる。

 

『ソウスケさん! あの鳥の動きをよく見てくださいませ!』

 

 絶望的な状況の中、腰のペンダントからリリアの切迫した声が響いた。

 彼女の魂は物理的な目を持たない代わりに、魔力の流れを色や形として視覚化して捉えることができる。

 

「動きだと? ただ飛んでるだけじゃないのか」

 

『違いますわ! あの魔物、帯電した岩石を食らって魔力を補充しています!』

 

「なんだと……?」

 

 蒼介は目を細め、上空のストーム・ブリンガーを睨みつけた。

 ナノマシンの視覚補正を最大まで引き上げる。

 

 怪鳥の行動には、確かに不自然な点があった。

 竜巻を起こす際、カルデラの底から大量の岩石が空高く巻き上げられている。

 ストーム・ブリンガーはその竜巻の中を縫うように飛びながら、空中に舞い上がった磁気を帯びた岩石を、巨大な嘴で次々と丸呑みにしていたのだ。

 

『地面の岩を自身の魔力炉にくべているのですわ! この地形そのものを利用するつもりです!』

 

 リリアの指摘に、蒼介の背筋に冷たい汗が流れた。

 大迷宮の魔物は、自身の魔力が尽きれば行動不能になるのが定石だ。

 だからこそ、相手の大技を凌ぎ切れば反撃のチャンスが生まれる。

 しかしこのカルデラには、無数の磁気鉱石が転がっている。

 ストーム・ブリンガーにとって、この階層は無尽蔵のエネルギー供給源なのだ。

 

「冗談じゃないぞ……。このままじゃ一生空から雷を落とされる」

 

 蒼介はギリッと奥歯を鳴らした。

 

 圧倒的な自然の暴力。

 これまでの階層で培ってきた戦術や小細工が、すべて力でねじ伏せられようとしている。

 セレスの結界が破られるのは時間の問題だ。ネアの暗示も、敵を射程に収めなければ発動すらできない。

 

(どうする。どうすればあのデカブツを空から引き摺り下ろせる)

 

 蒼介は岩陰に背を預け、目を血走らせながら思考を加速させた。

 体内を巡るナノマシンが脳への血流を極限まで高め、視界に入るすべての情報を処理していく。

 

 吹き荒れる風の軌道。

 巻き上げられる磁気鉱石。

 怪鳥の飛行ルート。

 カルデラのすり鉢状の地形。

 そして、自分たちの持つ手札のすべて。

 

 どんな無敵の存在にも、必ずシステム的な穴がある。

 それが現代ダンジョンで培ったシーカーとしての蒼介の信念だった。

 敵は環境を利用している。ならば、その環境そのものを逆手に取る方法があるはずだ。

 

(考えろ。俺がここで思考を止めたら、全員死ぬんだ)

 

 ダウンバーストの風切り音が響く中、蒼介の脳内で無数のシミュレーションが展開されていく。

 恐怖を押し殺し、彼はただ攻略の糸口だけを求めて深淵を覗き込んでいた。

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