異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第106話 偽りの空

 絶望的な暴風と雷鳴が支配するカルデラの底。

 岩陰に身を潜めた蒼介の脳内で、無数のシミュレーションが高速で組み上げられては破棄されていく。

 ナノマシンが過熱を告げる警告を網膜に散らしていた。だが彼は思考を止めることを許さなかった。

 無敵に見える災害級の魔物にも必ず付け入る隙はある。

 現代ダンジョンで生き抜いてきたシーカーとしての直感が、ひとつの狂気じみた作戦を弾き出した。

 

(これしかない。だが一歩間違えれば全員消し飛ぶぞ)

 

 蒼介は荒い息を整えながら隣でうずくまるネアを見た。

 華奢な魔人族の少女は恐怖と疲労で震えている。しかしその紫色の瞳には、決して諦めないという強い意志が宿っていた。

 彼は少しだけ離れた場所で結界を維持するセレスへと視線を移す。

 白銀の騎士は絶え間なく降り注ぐ雷撃を耐え凌いでいた。彼女の魔力もすでに限界に近いことは明白だった。

 

「セレス! ネア!」

 

 蒼介は風の咆哮に負けないように声を張り上げた。

 彼の声に反応して二人がこちらを向く。

 腰のペンダントに宿るリリアも静かに耳を傾けている気配がした。

 

「あのデカブツを空から引きずり下ろす。俺の合図で動いてくれ」

 

 蒼介は短く端的に作戦の概要を伝えた。

 あまりにも無謀で死と隣り合わせの策だった。しかし仲間たちの顔に迷いはなかった。

 彼らは蒼介の知略を信じていた。これまで幾度となく死線を共に越えてきた絶対の信頼がそこにはあった。

 

「わかった。私の命、貴殿に預けよう」

 

 セレスが結界の中で力強く頷いた。

 

「私もやるよ! ソースケのためだもん!」

 

 ネアも両手で頬を叩いて気合を入れた。

 

「よし。セレス、今だ!」

 

 蒼介の号令がカルデラに響き渡った。

 その瞬間、セレスは己を守っていた防御の結界をあっさりと解除した。

 彼女の身を包む白銀の甲冑が、剥き出しの風雨に晒される。

 しかし彼女は怯むことなく天を仰ぎ、右手に握った槍を高く掲げた。

 

「我が雷霆よ! 忌まわしき偽りの嵐を撃ち落とせ!」

 

 セレスの全身から膨大な魔力が一気に解放された。

 彼女の家系に伝わる最高位の雷属性魔法だった。槍の穂先から極太の紫電が空に向かって逆流していく。

 それはカルデラを支配していた暗雲を切り裂くほどに鮮烈な一撃だった。

 雷光は上空を旋回していたストーム・ブリンガーの翼を掠め、空中で激しい火花を散らした。

 

『ギャアアァァァァァァッ!!』

 

 怪鳥が怒りに満ちた叫び声を上げた。

 自らが絶対の支配者であるはずの雷を、地を這う矮小な虫ケラが放ってきたのだ。

 それは魔物としての本能を逆撫でする究極の挑発だった。

 ストーム・ブリンガーの黄金色の瞳が、明確な殺意を持ってセレスを捉える。

 

(かかった。同属性の攻撃にプライドを刺激されたな)

 

 蒼介は岩陰からその様子を冷静に観察していた。

 怒り狂った怪鳥は悠然と空を舞うのをやめた。翼を折りたたみ、巨大な質量を伴って急降下を始めたのだ。

 

 獲物を確実に引き裂くために、自ら安全圏を放棄して地上へと迫ってくる。

 その恐るべき速度と風圧がカルデラの底を再び蹂躙しようとしていた。

 敵の高度が百メートル、五十メートルと急激に縮まっていく。

 

「ネア! 今だ!」

 

 蒼介が叫んだ。

 待機していたネアが岩陰から飛び出した。

 彼女は迫り来る巨大な死の影から目を逸らさず、両手を前に突き出した。

 彼女の青紫の髪が暴風に煽られて激しく舞う。

 

「私の目を見て……!」

 

 ネアの澄んだ声が不思議な反響を伴って響いた。

 彼女の紫色の瞳が、妖しくそして深く発光する。

 

 それは魔人族に伝わる強力な精神干渉魔法だった。対象の認識を強制的に書き換え、現実を歪める禁忌の力。

 急降下してくるストーム・ブリンガーの視線が、一瞬だけネアの魔眼と交錯した。

 その瞬間、怪鳥の脳内に凄まじいバグが発生した。

 

『……ギ?』

 

 ストーム・ブリンガーの動きが空中で不自然に硬直した。

 ネアがかけた暗示は「天地の逆転」だった。

 怪鳥の認識の中では、今まさに迫っていた地面が果てしない大空へとすり替わっている。

 逆に背後に広がっていたはずの空が、硬い岩盤として認識されていた。

 

 鳥の魔物は本能的に空へと逃げようとする。

 平衡感覚を完全に狂わされたストーム・ブリンガーは、背後の「地面」を避けるために全力で翼を羽ばたかせた。

 自分では空高く舞い上がっているつもりなのだ。

 

 だが現実の物理法則は非情だった。

 怪鳥は空に向かって飛んでいるつもりで、猛烈な速度でカルデラの底へと自ら突っ込んでいったのである。

 

 ズドォォォォォォンッ!!

 

 天地を揺るがすような轟音と共に、数十メートルの巨体が岩盤に激突した。

 磁気を帯びた岩石が粉々に砕け散り、凄まじい土煙が巻き上がる。

 自らの全力の羽ばたきを推進力にして地面に激突したのだ。その衝撃は計り知れない。

 ストーム・ブリンガーは苦悶の声を上げながら、ひっくり返った無様な姿でもがいていた。

 

「今だ! アンカー、発射!」

 

 蒼介は迷わず駆け出した。

 【迅速(ブースト)】で限界まで加速した肉体が、土煙の中を黒い弾丸となって突き進む。

 彼は両手に構えたアンカーショットの引き金を連続で引いた。

 鋭い金属音と共に、特殊合金製のアンカーが怪鳥の四肢に向かって射出される。

 

 ガキンッ! という重い音が響く。

 アンカーの鋭利な先端が、ストーム・ブリンガーの翼の関節部や巨大な爪の隙間に深々と突き刺さった。

 蒼介はそのまま地面を蹴り、ワイヤーをカルデラの底に突き出た強固な岩柱へと素早く巻き付けていく。

 ナノマシンの出力を最大にしてワイヤーを限界まで引き絞った。

 

「これで……飛べないだろ!」

 

 蒼介が最後のワイヤーを固定した瞬間だった。

 四方から地面に縫い付けられた巨体が、拘束を逃れようと激しく暴れ回る。

 強靭なワイヤーがギリギリと悲鳴を上げ、岩柱に深いヒビが入る。

 しかし蒼介の計算通り、天地が逆転したままの怪鳥は上手く力を込めることができず、完全に地面に拘束されていた。

 

『ギャアアアアァァァァッ!!』

 

 ストーム・ブリンガーが狂乱の雄叫びを上げた。

 空を支配する王としてのプライドが完全に砕かれた瞬間だった。

 

 だが災害級の魔物はまだ死んでいなかった。

 拘束されながらも、怪鳥は最後の足掻きとしてその身に蓄えていた膨大な魔力を暴走させた。

 全身の羽毛が眩い光を放ち、カルデラの空気をプラズマ化させていく。

 

「まずい。自爆に近い放電だぞ!」

 

 蒼介は瞬時に危険を察知した。

 怪鳥の体から無数の雷の矢が、方向も標的も定めずに無差別に撒き散らされ始めた。

 それは避けることすら不可能な死の豪雨だった。

 着弾した岩盤が次々と爆発し、カルデラ内が真っ白な光に包まれていく。

 

「ネア、伏せろ!」

 

 蒼介は身を翻し、力尽きて膝を突いていたネアの元へと飛び込んだ。

 彼は少女の小さな体を抱き込み、自分の背中で彼女を完全に覆い隠す。

 ナノマシンを背部の装甲化に集中させ、少しでも雷撃の威力を減衰させようと試みる。

 

(耐えろ。ここを凌げば勝機はある)

 

 蒼介が歯を食いしばったその時だった。

 激しい放電の音に混じって、腰のペンダントからリリアの声が極めて近い距離で囁かれた。

 それはいつもの上品な響きとは違う、何らかの決意を秘めた切羽詰まった声だった。

 

『ソウスケさん。この雷の魔力……利用できるかもしれませんわ』

 

 蒼介は耳を疑った。

 敵の無差別な雷撃を利用するなど、常軌を逸した発想だった。

 

「できるのか!? そんなこと」

 

 蒼介は雷鳴に負けないように声を捻り出した。

 

『わかりません。ですので、機があれば……』

 

 リリアの言葉は自信に満ちたものではなかった。

 五百年前に滅びた王国の魔法技術をもってしても、確証はないということだろう。

 しかし蒼介は一瞬の逡巡もなく口角を上げた。

 

「ダメ元ってことだな、任せろ」

 

 蒼介は短く応えた。

 今はまだその内容を反芻している余裕はない。ただリリアが何かを準備しているということだけを頭の片隅に刻み込む。

 

 周囲ではストーム・ブリンガーの無差別放電がさらに激しさを増していた。

 カルデラ中が白光に包まれ、何も見えない状態が続く。

 しかしその破壊の嵐の中を、一歩も退かずに前進する影があった。

 

「そこを退け。私の往く道だ」

 

 凜とした声が雷鳴を切り裂いた。

 セレスティアだった。

 

 彼女は白銀の盾を打ち捨て、両手で槍を固く握りしめていた。

 怪鳥から放たれる無数の雷撃が彼女の体を襲う。

 だがセレスは自身にも限界まで雷の魔力を纏わせ、自らを強烈な避雷針と化していた。

 

 敵の放つ死の雷が彼女の体へと引き寄せられていく。

 普通の人間であれば瞬時に炭化するほどの高圧電流だ。

 しかしセレスは歯を食いしばり、その破壊的なエネルギーを自身の魔力循環で無理やり受け流していた。

 彼女の甲冑が熱を帯びて赤熱し、金色の髪が帯電して逆立っている。

 

「私の雷の方が、速い!」

 

 セレスは血を吐くような叫びと共に大地を蹴った。

 落雷を身に受けながらも彼女の踏み込みは一切ブレなかった。

 騎士としての誇りと仲間を守るという意志が、限界を超えた肉体を動かしているのだ。

 

 彼女は地面に拘束されてもがくストーム・ブリンガーの懐へと一気に肉薄した。

 纏い続けた敵の雷と自身の魔力が融合し、槍の穂先で極大の輝きを放っている。

 セレスは渾身の力を込めて、怪鳥の急所に向けて白銀の槍を突き出した。

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