異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第109話 狂言回し

 重力が無秩序に乱れ飛ぶ狂気の世界で、最後の攻防が繰り広げられていた。

 

 大迷宮第五十一層、壁に掛けられた巨大な絵画『逆さまの雨』の内部。

 石畳から空へと向かって雨が逆流する奇妙な街の広場で、蒼介たちは一際異彩を放つ魔物と対峙していた。

 赤と黒の市松模様の衣装を纏った、道化師のような姿をした魔物だ。

 

 その顔には真っ白な仮面が張り付いており、表情は一切読み取れない。ただ、空中にふわりと浮遊しながら、両手の指先を指揮者のように振るうたびに、周囲の重力場がでたらめに書き換えられていく。

 この絵画世界の支配者とも言うべき中ボスであった。

 

「ケケケケケッ!」

 

 仮面の奥から耳障りな嗤い声が響く。

 道化師が右手を振り上げた瞬間、蒼介たちの足元にあった石畳が、突如として頭上の「天井」へと変わった。

 

「くっ……また重力が反転したぞ!」

 

 蒼介は空に向かって落下していく体勢を強引に立て直した。

 体内のナノマシンが三半規管の悲鳴を強制的にミュートし、視界の揺れを補正していく。だが、度重なる重力変化は確実に彼らの体力を削り取っていた。

 

『ソウスケさん、左から瓦礫が落ちてきますわ!』

 

 腰のペンダントからリリアの鋭い警告が響く。

 蒼介が視線を向けると、重力反転に巻き込まれた石造りの時計塔が崩壊し、無数の瓦礫となって彼ら目掛けて降り注いでくるところだった。

 本来なら「空」に向かって落ちていくはずの瓦礫が、横方向への重力ベクトルを付与されて飛来してくるのだ。

 

「ネア! 防御を頼む!」

 

「任せて! 【風壁(ウィンド・シールド)】!」

 

 ネアが両手を前に突き出すと、青白い風の障壁が展開された。

 弾丸のように飛来した瓦礫が風の壁に激突し、粉々に砕け散る。

 彼女もまた、この狂った重力世界に必死に適応しようとしていた。吐き気を堪えながらも、紫色の瞳で魔物の動きをしっかりと捉えている。

 

「ちょこまかと逃げ回る奴だ。私の雷で撃ち落としてくれる!」

 

 セレスティアが怒りの声を上げた。

 彼女は崩れかけた建物の壁面を器用に蹴り、空中に浮遊する道化師へと肉薄する。白銀の槍に紫電を纏わせ、渾身の突きを放った。

 しかし道化師は手首を軽く返すだけで、自身の周囲の重力を局所的に反転させる。

 セレスの槍の軌道が目に見えない壁に阻まれたように上に逸れ、彼女の体ごと宙に放り出されてしまった。

 

「しまっ……!」

 

「セレス!」

 

 蒼介は【迅速(ブースト)】を起動し、壁面を蹴って空中のセレスを抱き留めた。

 そのまま近くの屋根へと着地するが、着地した瞬間にその屋根が「絶壁」に変わる。二人は辛うじて縁にしがみつき、滑落を免れた。

 

(厄介すぎる。こちらの攻撃の直前に重力をいじって軌道を逸らしてきやがる)

 

 蒼介は舌打ちをした。

 あの道化師そのものの戦闘力は高くない。しかし空間の法則を自在に操る能力が、あらゆる物理攻撃と魔法攻撃を無効化してしまっている。

 力押しでは決して倒せない相手だ。

 

『ソウスケさん。あの魔物、重力を操作する前に必ず周囲の魔力を両手に集束させていますわ』

 

 リリアの冷静な分析が脳内に響く。

 蒼介は右目に【探知(サーチ)】の光を宿した。

 確かにリリアの言う通りだった。

 でたらめに指揮をしているように見えて、重力を書き換える直前には、両手の指先に濃密な魔力が球状になって集まっている。

 逆に言えば、その魔力集束を乱せば、重力操作は失敗するということだ。

 

(なるほど。なら、タイミングを合わせれば隙を作れる)

 

 蒼介の脳内で逆転のシミュレーションが組み上がった。

 彼は縁にしがみついたまま、隣のセレスに視線で合図を送る。

 彼女は小さく頷き、槍を握り直した。

 

「ネア! あいつが次に手を振る直前だ。お前の暗示で『手の感覚』を狂わせろ!」

 

「わかった! 手の感覚だね!」

 

 下方の壁面に張り付いていたネアが、大きく息を吸い込んだ。

 道化師は再び(わら)い声を上げ、蒼介たちを絶壁から振り落とそうと両手を高く振り上げた。

 指先に魔力が集束していくのが【探知(サーチ)】の視界に映る。

 

「いまだ、ネア!」

 

「私の目を見て……! 指先が、羽みたいに軽くなるよ!」

 

 ネアの魔眼が紫色の光を放った。

 強力な精神干渉が道化師の認識を強制的に書き換える。

 魔力を重く練り上げようとしていた道化師の指先の感覚が、突如として無に帰した。

 魔物の動きがピタリと止まり、集束しかけていた魔力が霧散していく。

 

「ギ……?」

 

 仮面の奥から困惑の声が漏れた。

 重力操作が不発に終わったのだ。

 その一瞬の硬直を、蒼介とセレスは見逃さなかった。

 

「セレス、足場にするぞ!」

 

「ああ!」

 

 蒼介はセレスの差し出した盾を力強く蹴り上げた。

 反動で空中に飛び出した彼の体は、まるで弓矢のように道化師へと迫る。

 彼は腰のアンカーショットを引き抜き、空中で引き金を引いた。

 射出された特殊合金のワイヤーが、道化師の右腕に深く絡みつく。

 

「捕まえたぜ、クソピエロ!」

 

 蒼介はそのまま空中で体を捻り、ワイヤーを支点にして強烈な遠心力を生み出した。

 道化師の体がバランスを崩し、空中で錐揉み回転を始める。

 

「セレス!」

 

「はあああぁぁぁッ!」

 

 蒼介の叫びと同時に、後方から雷光の尾を引いてセレスが跳躍してきた。

 完全に無防備となった道化師の胸元へ、紫電を限界まで纏わせた白銀の槍が突き出される。

 

 閃光が炸裂した。

 重力を操る中ボスの体は、雷の直撃を受けて完全に粉砕された。

 断末魔の叫びすら上げる暇もなく、極彩色の絵の具となって弾け飛び、逆流する雨の中へと溶けていく。

 

「ふう……。なんとか、なったな」

 

 蒼介はワイヤーを巻き取りながら、近くの石畳へと着地した。

 その瞬間、周囲の空間が大きく歪み始めた。

 逆流していた雨が止み、無機質な街並みがキャンバスの絵の具のようにドロドロと溶け出していく。

 主を失ったことで、この絵画世界の構成が崩壊し始めたのだ。

 

「世界が溶けていくよぉ……!」

 

「慌てるな。外に弾き出されるだけだ」

 

 蒼介はネアの腕を引き寄せ、セレスと共に固まった。

 視界が極彩色に塗り潰され、強烈な浮遊感が彼らを襲う。

 次の瞬間、まるで水面から顔を出した時のように、冷たい空気が彼らの頬を撫でた。

 

「げほっ、がはっ……!」

 

 蒼介は膝を突き、激しく咳き込んだ。

 彼らが戻ってきたのは、真っ白な額縁が並ぶ静謐な回廊だった。

 

 背後を振り返ると、『逆さまの雨』が描かれていた巨大なキャンバスは完全に色を失い、ただの白い布へと戻っていた。

 絵画の内部ダンジョンをクリアしたことで、道を塞いでいた障害が取り除かれたのだ。

 

「ううぅ……気持ち悪い……。世界がぐるぐるしてる……」

 

 ネアは赤い絨毯の上にうつ伏せに倒れ込み、呻き声を上げている。

 激しい重力反転の連続は、彼女の三半規管に相当なダメージを与えていたらしい。

 セレスも槍を杖にしてどうにか立っているものの、その顔色は青白かった。

 

「……絵の中の迷宮など、二度と御免だな」

 

 セレスが忌々しそうに吐き捨てる。

 蒼介も同感だった。ナノマシンの修復機能がフル稼働しているものの、脳が揺さぶられるような不快感はすぐには消えない。

 彼らはしばらくその場で休息を取るしかなかった。

 

 静寂が戻った回廊。

 足音一つしない不気味な空間で、蒼介たちは荒い息を整えていた。

 

 

 パチ、パチ、パチ。

 

 

 その静寂を破るように、突如として乾いた拍手の音が響き渡った。

 蒼介は弾かれたように顔を上げ、腰のナイフに手をかけた。セレスも瞬時に槍の穂先を音の方向へと向ける。

 

 回廊の奥、薄暗い照明の中から、一つの人影がゆっくりと歩み出てきた。

 

「ブラボー。いやあ、見事な攻略だったね。あの魔物、結構厄介なんだけどな」

 

 軽薄な響きを持つ声だった。

 現れたのは、黒髪黒目の青年だった。

 

 年齢は二十歳前後に見える。この異世界では珍しい、蒼介と同じような東洋的な顔立ちだ。

 しかし彼が身に纏っている装備は、一見しただけでそれが一級品、いや、最高級の逸品であることがわかる。

 滑らかな漆黒の革鎧は一切の傷がなく、腰に帯びた細身の剣からは微かに魔法的なオーラが漏れ出していた。

 何より異質なのは、その出で立ちに全く不釣り合いな、彼の飄々とした態度だった。

 

「『逆さまの雨』は、初見だと三半規管をやられてゲロまみれになるのがオチなんだけどね。君たち、全然平気そうじゃないか」

 

 青年はニコニコと人懐っこい笑みを浮かべながら、蒼介たちの数メートル手前で立ち止まった。

 

「『逆さ』大樹の時とは違う、ってことかな?」

 

 その言葉に、蒼介の脳裏に一つの記憶がフラッシュバックした。

 第二十層の主、エンシェント・トレントとの死闘。

 あの時、絶体絶命の危機に陥った彼らを助けてくれた、見知らぬ冒険者の姿。

 

(こいつは……あの時の……!)

 

 蒼介の右目の視界で、ナノマシンの警告システムが激しく赤色に点滅し始めた。

 眼前の青年から放たれる生命反応が、常軌を逸していることを示している。

 五十層で戦った災害級の怪鳥ストーム・ブリンガーすら凌駕するほどの、圧倒的で底知れない気配。

 蒼介は瞬時に警戒レベルを最大に引き上げ、ナイフを逆手に構え直した。

 

「アンタは……!」

 

「おや、警戒しないでよ。僕は怪しい者じゃない。名乗るほどでもない、ただの通りすがりの冒険者さ」

 

 青年は両手を軽く上げて降参のポーズをとった。

 しかしその笑顔の裏に隠された鋭い観察眼を、蒼介は見逃さなかった。

 

「前に名乗っただろうが。白金級冒険者のフェイル、だったな」

 

 蒼介が低い声で告げると、青年――フェイルは嬉しそうにパチンと指を鳴らした。

 

「おお、覚えていてくれたのかい? 光栄だなあ。あの時はちょっと手助けしただけだったから、忘れられてるかと思ったよ」

 

 白金級冒険者。

 冒険者ギルドにおける最高峰の階級であり、この世界において文字通り「最強」の一角を担う存在。

 しかし、そんな雲の上の存在が、なぜこんな中層をふらふらと歩いているのか。

 

『ソウスケさん。この方……魔力の質が異常ですわ。まるで巨大な湖を人間サイズに圧縮しているような……』

 

 ペンダントの中でリリアが息を呑む気配がした。

 物理的な感知を無効化するこの画廊において、リリアがこれほど明確に相手の魔力を捉えられていること自体が異常だった。

 それほどまでに、フェイルの存在感は突出しているのだ。

 

「俺のストーカーか?」

 

 蒼介は警戒を解かないまま、皮肉めいた口調で放った。

 

「妙齢の美女ならまだしも生憎、男に興味はねえんだ」

 

 その言葉に、フェイルは腹を抱えて笑い出した。

 

「あはははっ! 随分な言われようだね。君、相変わらず面白いなあ。そういう減らず口を叩ける余裕があるのは、良いことだよ」

 

 フェイルは涙目になりながら笑い転げている。

 その隣で、セレスがムッとした表情で蒼介を睨みつけた。

 

「おいソウスケ。〝妙齢の美女〟なら許すのか貴様は」

 

「例え話だろ。言葉の綾に突っ込むな」

 

 蒼介はため息をつきながらセレスをなだめた。

 地面に這いつくばっていたネアも、這うようにして蒼介の足元にしがみつき、フェイルを不思議そうに見上げている。

 

「ソースケ、この人だれ……? すごく強い匂いがする……」

 

「ただの迷子だ。気にすんな」

 

「迷子扱いかい? 傷つくなあ」

 

 フェイルは笑いを収め、服の埃を払うようにして姿勢を正した。

 

「それにしても、あの絵画のギミックをあんな短時間で突破するなんてね。君のその空間把握能力、ちょっと異常だよ。何か特別なアーティファクトでも持ってるのかな?」

 

 フェイルの黒い瞳が、面白そうに蒼介を値踏みしている。

 その視線には明確な敵意はない。しかし、純粋な好奇心によって相手を解剖しようとするような、不気味なほどの探究心が感じられた。

 ナノマシンの存在を知られるわけにはいかない。蒼介は無表情を貫いた。

 

「ただの勘だ。それより、白金級の最強様が最前線をほっぽりだしてなぜ中層にいる。ギルドの記録じゃ、最深到達階層は七十層だったはずだが」

 

 蒼介のストレートな問いに、フェイルは悪びれる様子もなく肩をすくめた。

 

「うん、ちょっと散歩」

 

「……は?」

 

「だから、散歩だよ。迷宮の空気を吸いたくなってね。ここは絵画を見るのも楽しいし、静かでいい場所じゃないか」

 

 あまりにもふざけた理由に、蒼介は額に青筋を浮かべた。

 災害級の魔物がうごめく大迷宮を、近所の公園を散歩するような感覚で歩き回っているというのか。

 だが、彼の放つ圧倒的なプレッシャーを前にすると、それが単なる虚勢ではないことが痛いほど理解できた。

 

「それに僕が白金級なんてのに据えられてるのは、戦闘能力だけじゃなくてね……なんにせよ、仰々しくて嫌になっちゃうよね」

 

 たはは、とわざとらしく苦笑してみせるフェイル。

 

(こいつ……本気で言ってるのか。目的が全く読めない)

 

 蒼介は内心で警戒を強めた。

 味方だと思えば頼もしいが、敵に回ればこれほど恐ろしい相手はいない。

 フェイルは暗躍しているという噂もある。ギルドの意向で動いているのか、それとも個人的な目的があるのか。

 

「君たち、なかなか面白いパーティだよね。魔法を使えない青年に、王国の騎士。よかった、姿なき参謀殿もちゃんといるね。それに……そこの紫髪のお嬢さんは、まさか魔人族かい?」

 

 フェイルの指摘に、ネアがビクッと肩を震わせた。

 蒼介は咄嗟にネアの前に立ち塞がり、フェイルの視線を遮った。

 

「俺の仲間の素性を詮索するな。用がないなら、道を空けてくれ」

 

 蒼介の冷たい声に、フェイルは軽く両手を上げた。

 

「おっと、ごめんごめん。他意はないんだ。ただ、君たちがこの先どこまでいけるか、純粋に興味があってね」

 

 フェイルは道を譲るように壁際へと寄り、優雅にお辞儀をした。

 

「先へ進むといいよ。第五十一層の絵画たちは、君たちの訪れを歓迎するだろうから。またどこかで会おう、神谷蒼介君」

 

「……前にも思ったが、なんで俺の名を知ってるんだ」

 

「言っただろ? 僕はただの冒険者さ。ギルドの酒場で耳にしただけだよ」

 

 フェイルは意味深な笑みを残し、そのまま踵を返して回廊の奥へと歩き去っていった。

 彼の足音は、赤い絨毯に吸い込まれるように消えていく。

 その背中が見えなくなって初めて、蒼介は大きく息を吐き出した。

 

「はぁ……。立っているだけで、息が詰まるような重圧だった」

 

 セレスが額の汗を拭いながら呟いた。

 彼女もまた、フェイルの底知れなさを肌で感じ取っていたのだ。

 

「わからない。敵か味方か、それすらもな。だが、関わらない方がいい相手だということだけは確かだ」

 

 蒼介はナイフを鞘に収め、腰のペンダントに触れた。

 

「リリア、どう思う?」

 

『……危険ですわ。彼の持つ魔力は、私たちが知る法則から外れています。まるで、何かに深く縛られている(・・・・・・)ような……奇妙な歪さを感じました』

 

 リリアの言葉に、蒼介は眉をひそめた。

 縛られている魔力。それが何を意味するのかはわからないが、フェイルがただの冒険者ではないことだけは明白だ。

 

「ソースケ……あの人、怖い」

 

 ネアが不安そうに見上げてくる。蒼介は彼女の頭を軽く撫でた。

 

「大丈夫だ。俺たちがやるべきことは変わらない。迷宮の底を目指すだけだ」

 

 フェイルの存在が落とした波紋は、蒼介たちの心に小さな影を落としていた。

 しかし、彼らは立ち止まるわけにはいかない。

 絵画の中の迷宮を抜け、次なる階層への扉はすでに開かれている。

 蒼介は気を取り直し、静寂の回廊を再び歩き始めた。

 

「行くぞ。次の絵画がどんな悪趣味な代物でも、俺たちなら突破できる」

 

 物理法則が狂う中層の後半戦。

 謎めいた白金の狂言回しとの遭遇を経て、彼らの攻略はさらなる深淵へと幕を開けるのだった。

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