異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

118 / 132
第118話 理不尽への反逆

 バチバチという不吉な放電音が、真っ白な空間に響き渡った。

 大迷宮第六十層の主『狂気の画家(マッド・ペインター)』が振り下ろした巨大な筆から、黄色い絵の具の飛沫が頭上へと降り注いでくる。

 それは単なる絵の具ではない。キャンバスであるこの空間に付着した瞬間、その領域を致死量の高圧電流が奔る感電トラップへと書き換える理不尽な法則の塊だった。

 

「伏せろ!」

 

 蒼介は叫びと同時に【迅速(ブースト)】を起動した。

 体内のナノマシンが筋肉のリミッターを強制的に解除し、限界を超えた速度で肉体を前進させる。

 彼は右腕でセレスを、左腕でネアを強引に抱え込み、白い床を転がるようにして黄色い飛沫の着弾点から離脱した。

 

 直後、彼らが先ほどまで立っていた空間に黄色い絵の具がベチャリと張り付いた。

 凄まじい閃光が弾ける。空中の何もない空間から、何万ボルトという稲妻が四方八方へと放たれた。

 焦げ臭いオゾンの匂いが闘技場のような真っ白な空間に充満する。

 

「ぐっ……! かすっただけでもこの威力か!」

 

 セレスが顔をしかめながら白銀の槍を杖にして立ち上がった。

 彼女の甲冑の肩口が黒く焦げている。直撃は免れたものの、大気を伝播した電流の余波だけで全身の筋肉が麻痺しそうになっていた。

 

「休む暇はないぞ! 次が来る!」

 

 蒼介が警告を発するよりも早く、マッド・ペインターののっぺらぼうの頭部が不気味に揺れた。

 左腕の巨大なパレットの上で、今度は赤と黄色の絵の具が無造作に混ぜ合わされる。

 完成したのは毒々しいオレンジ色の絵の具だ。

 主が巨大な筆を薙ぎ払うと、オレンジ色の飛沫が弾丸のような速度で蒼介たちを目掛けて飛来した。

 

『ソウスケさん! 高熱と重力異常の複合ですわ!』

 

 腰のペンダントからリリアの悲痛な声が響く。

 オレンジ色の絵の具が空間に定着した瞬間、そこは灼熱の炎が渦巻く重力反転領域と化した。

 足元の白い床が炎の海に変わり、同時に強烈な上向きの重力が蒼介たちの体を空へと向かって乱暴に引きずり上げる。

 

「きゃあああっ!」

 

 再びネアの体がふわりと宙に浮き、炎が燃え盛る空へと落ちていく。

 

「ネア!」

 

 蒼介は再び【迅速(ブースト)】のスイッチを入れた。

 連続使用による過負荷で全身の血管が沸騰するような熱を持つ。それでも彼は重力に逆らうように壁面を蹴り、空中のネアの腕を掴んで強引に安全な白い床へと引き戻した。

 だが安全な場所など、この闘技場にはもはや存在しなかった。

 

 マッド・ペインターは狂ったような速度で筆を振り回し続けていた。

 赤、青、黄。

 極彩色の絵の具が次々と空間に撒き散らされ、白いキャンバスが暴力的な色に染まっていく。

 赤い領域では上空に向かって落ちる重力異常が発生し、青い領域では絶対零度の極低温の沼が広がる。黄色い領域では絶え間なく稲妻が荒れ狂っている。

 それらがパレットの上で混ざり合えば、紫色の猛毒の雨となり、緑色の腐食性の酸となって降り注いだ。

 

「はあああぁぁぁッ!」

 

 セレスの裂帛の気合いが空間を震わせた。

 彼女は白銀の槍に紫電を纏わせ、迫り来る毒の雨と酸の飛沫を渾身の魔力で迎撃している。

 フェイルの助言を取り入れた肩甲骨からの魔力運用は、彼女の魔法の威力を劇的に向上させていた。放たれた雷の刃が飛沫を蒸発させ、一時的な安全地帯を作り出す。

 しかしその代償は大きかった。

 

「はぁっ、はぁっ……!」

 

 セレスの肩が激しく上下している。

 出力が大きすぎるのだ。次から次へと迫る理不尽な法則の暴力を力技で相殺し続けていれば、どれほど優秀な魔力回路を持っていようとすぐに枯渇してしまう。

 彼女の額から滝のような汗が流れ落ち、金色の髪が肌に張り付いている。

 防戦一方という言葉すら生ぬるい。ただ生き延びるために命をすり減らしている状態だった。

 

「痛くない! 熱くない! 全部気のせいだよ!」

 

 ネアの叫び声が、絶望的な戦場に響き渡った。

 彼女は両手を胸の前で強く組み、紫色の瞳から魔法の波長を放ち続けている。

 

 強力な自己暗示と、パーティ全体への精神干渉。

 第五十六層の『色彩の暴力』で使った、認識を書き換える魔法の応用だ。

 襲い来る高熱や極低温、感電の痛みを、脳が認識する前に「何もない」と強制的に書き換えているのだ。

 

 もしネアのこの暗示がなければ、蒼介たちはとうの昔にショック死していただろう。

 だが物理的なダメージを精神の領域で無理やり抑え込んでいるだけで、肉体の破壊が止まっているわけではない。

 何より、常に三人の痛覚と恐怖を麻痺させ続けるという高度な精神干渉は、魔人族の少女の許容量を遥かに超えていた。

 

「ネア、無理をするな! 鼻血が出てるぞ!」

 

 蒼介が叫ぶが、ネアは首を横に振った。

 

「だめ! 私がやめたら、セレちゃんもソースケも動けなくなっちゃう! 私、負けないもん……!」

 

 ネアの可憐な顔は青ざめ、鼻からはツーッと赤い血が流れ落ちている。

 限界は近かった。

 精神回路が焼き切れるのは時間の問題だ。

 

『ソウスケさん! 右方から青と黄の混色です! 凍結と感電の複合が来ますわ!』

 

 ペンダントの中のリリアが必死にナビゲートを続けている。

 五百年前に滅びた王国の王女である彼女の知識をもってしても、目の前の魔物が振るうデタラメな魔力運用は理解の範疇を超えていた。

 法則を創造し、空間に定着させる。  それはもはや神の御業に近い。ただの魂となったリリアには、迫り来る魔力の波を読み取って警告を発することしかできなかった。

 

「クソッ! 避けきれない!」

 

 蒼介は歯を食いしばった。

探知(サーチ)】のレーダーが示す安全地帯は、すでに闘技場の端のわずかなスペースしか残されていない。

 飛び退こうにも足場がないのだ。

 

「私が防ぐ!」

 

 セレスが前に出ようとした瞬間、蒼介は彼女の肩を掴んで背後に引きずり倒した。

 

「馬鹿野郎! そんな状態で防げるか!」

 

 蒼介は仲間たちを庇うように立ち塞がり、ナノマシンの出力を限界突破させた。

 【迅速(ブースト)】による超加速で迫り来る極寒の雷撃の軌道を見切り、紙一重のところでナイフを振るって飛沫の軌道を逸らす。

 だがすべてを弾き落とすことはできず、冷気を纏った雷の余波が蒼介の左腕を掠めた。

 

「がはっ……!」

 

 肉を焼くような痛みと、骨まで凍りつくような冷たさが同時に襲いかかってきた。

 ネアの暗示があっても完全に遮断しきれないほどの強烈なダメージ。

 蒼介の左腕は皮膚がどす黒く変色し、感覚が完全に消失していた。

 ナノマシンからの激しいエラー報告が網膜を埋め尽くす。

 

「ソースケ!」

 

「ソウスケさん!」

 

 仲間たちの悲鳴が遠く聞こえる。

 蒼介は片膝をつきながらも、右手のナイフだけは決して手放さなかった。

 上空の高台を見上げると、白金級冒険者フェイルが頬杖をついてこちらを見下ろしている。

 彼は時折パチパチと楽しそうに拍手をしており、助けに入る気配は微塵もなかった。

 

(このままじゃジリ貧だ。いずれ全員死ぬ)

 

 蒼介は荒い息を吐きながら、血走った目で闘技場の中央を睨みつけた。

 マッド・ペインターは依然として無傷だ。

 蒼介たちが反撃しようにも、奴の周囲には極彩色の絵の具が幾重にも渦巻き、絶対的な防御障壁を形成している。

 セレスの雷槍も、あの障壁に触れた瞬間に法則を書き換えられて無効化されてしまうだろう。

 

(何かあるはずだ。どんな理不尽な力にも、必ず弱点が存在する)

 

 現代日本のダンジョンで培ったシーカーとしての思考が、絶望の淵で冷徹に回転し始めた。

 大迷宮のギミックは悪辣だが、ゲームのようにクリア不可能な作りにはなっていない。システムには必ず欠陥がある。

 

(あの絵の具が法則を書き換えるメカニズム……。なぜ空間に色が付着する? なぜ空中で静止するんだ?)

 

 蒼介はナノマシンの【探知(サーチ)】と【物質分析(アナライズ)】の出力を、マッド・ペインターの一挙一動に極限まで集中させた。

 痛みを忘れ、疲労を忘れ、ただ情報を喰らう機械のように視界のすべてを解析する。

 のっぺらぼうの頭部の動き。  左腕のパレットで絵の具を練る速度。  そして、右手の巨大な筆が振り下ろされる軌道。

 

 バシャアッ!

 

 再び赤い絵の具が放たれた。

 重力反転のトラップだ。

 蒼介はその飛沫が空中に放たれ、空間に張り付くまでのコンマ数秒のプロセスを、スローモーションのように視界に捉えていた。

 

(……待て)

 

 蒼介の脳裏に電流が走った。

 絵の具が筆から離れた瞬間。それはただの魔力と水分の塊だ。

 それが空間に付着し、ジワリと色が滲む。

 そして色が完全に定着した瞬間に、初めて重力が反転したのだ。

 

(タイムラグがある……!)

 

 蒼介は息を呑んだ。

 筆が振り下ろされ、絵の具が空間に定着して法則が書き換わるまでの時間。

 それはおよそ0.5秒。

 ほんの一瞬の出来事だが、確実に「間」が存在している。

 

「リリア! 奴が筆を振るった瞬間の、魔力の波長を読み取れ!」

 

 蒼介は目を血走らせながらペンダントに向かって叫んだ。

 

『波長、ですか!?』

 

「ああ! 色が空間に張り付いてから法則が発動するまでの間だ! 奴の周囲の防御障壁はどうなってる!」

 

 蒼介の切迫した問いに、リリアの魂が研ぎ澄まされた。

 彼女は五百年前の王女としての卓越した魔法知識を総動員し、マッド・ペインターの魔力循環の隙間を凝視した。

 

 次の瞬間、マッド・ペインターが青い絵の具を振り撒いた。

 

『……っ! ソウスケさん、見えましたわ!』

 

 リリアの弾んだ声が脳内に響く。

 

『絵の具が空間に定着するまでのほんの一瞬……奴が新たな法則を世界に上書きしようとするその瞬間だけ、奴自身の魔力循環が外部に向かって完全に開かれます!』

 

「つまり、どういうことだ!」

 

『法則が書き換わる瞬間、空間の法則が『無』になっていますわ! そして、奴を守る極彩色の防御障壁も、その瞬間だけ魔力供給が途絶えて薄れています!』

 

 その言葉を聞いた瞬間、蒼介の口角が吊り上がった。

 見つけた。

 完璧に見える理不尽のシステムに開いた、針の穴のような致命的なバグを。

 

(0.5秒のニュートラル状態。法則が存在しない空白の時間)

 

 それはつまり、どんな魔法もどんな物理攻撃も、その瞬間だけは法則に歪められることなく敵に届くということだ。

 蒼介は動かない左腕を引きずりながら、ゆっくりと立ち上がった。

 その顔には絶望の色はない。反逆の牙を研ぎ澄ました狩人の顔だった。

 

「セレス! ネア! 聞こえるか!」

 

 蒼介の声は、爆音と魔力の渦巻く戦場にあって、驚くほど澄み切って響いた。

 息も絶え絶えになっていたセレスが顔を上げ、鼻血を流すネアが紫の瞳を向ける。

 

「反撃の糸口が見つかった! よく聞け!」

 

 蒼介は迫り来る死の絵の具を避けもせず、決死の作戦を仲間たちに伝えた。

 0.5秒という絶望的に短い時間。

 しかし、彼らならば必ずその隙を突けるという絶対の信頼があった。

 

「法則が書き換わる瞬間、ほんの0.5秒だけ、空間の法則が『無』になってる! ボスの防御障壁もその瞬間だけ薄れるはずだ!」

 

 その言葉に、セレスの青い瞳に再び強い光が宿った。

 

「その隙に、ありったけの魔力を叩き込めばいいのだな!」

 

「そうだ! だがタイミングはシビアだ。俺が合図を出す。ネア、お前は限界まで障壁を張ってセレスを守れ!」

 

「う、うんっ! 私、まだやれるよ!」

 

 ネアが袖で乱暴に鼻血を拭い、両手に残された全魔力を集中させる。

 

『私も協力いたしますわ、ソウスケさん。私が魔力の波長を読み取り、奴が法則を書き換える正確なタイミングを貴方にお伝えします』

 

「頼むぞ、相棒」

 

 蒼介は右手のナイフを逆手に構え直し、深く息を吸い込んだ。

 体内のナノマシンが最後のエネルギーを振り絞り、限界を超えた超加速の準備を整える。

 

 上空の高台から、フェイルが身を乗り出してこちらを見下ろしているのが見えた。

 その顔には、予想外の展開に歓喜するような笑みが浮かんでいた。

 

(見てろよ、クソ野郎。俺たちは絶対にここで終わらない)

 

 蒼介は闘技場の中央に立つマッド・ペインターを見据えた。

 狂気の画家が、終わらせるように巨大な筆を高く振り上げる。

 パレットの上のすべての色が混ざり合い、漆黒の絶望となって筆に吸い込まれていく。

 

 理不尽への反逆が、今始まる。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。