異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第12話 孤独な夜

 冒険者ギルドに併設された換金所は、血と泥の匂いを洗い流した者たちの、欲望と安堵が渦巻く場所だった。蒼介はカウンターに、ゴブリンの巣で手に入れた魔石を無造作に広げる。ぬらりとした黒い輝きを放つそれらは、彼の初めての迷宮探索が生死の瀬戸際であったことを雄弁に物語っていた。

 

「換金を頼む」

「はいよ。……ほう、こりゃまた随分と稼いできたじゃねえか、新人さん」

 

 カウンターの向こう側で、片眼鏡をかけた初老の男が感心したように声を上げる。その手つきは慣れたもので、一つ一つの魔石を素早く鑑定し、天秤に乗せて重さを確かめていく。

 

「質は並だが、数が多いな。全部で銅貨35枚だ」

「……銅貨35枚」

 

 提示された金額が、この世界でどれほどの価値を持つのか、蒼介にはまだ実感が湧かない。だが、ギルドの依頼掲示板で見た薬草採取の報酬が銅貨数枚だったことを思えば、初日の成果としては悪くないのだろう。命を懸けた対価としては、安いのか高いのか。そんなことを考えるのは、無意味だった。

 彼は無言で銅貨を受け取ると、ずしりとした重みを持つ革袋を腰のポーチにしまった。所持金は銀貨12枚と銅貨35枚。当面の食費と宿代には困らないだろう。生きるための最低限の基盤が、ようやく築かれた。

 

 

 陽が傾き始め、始まりの街テルスが橙色の光に染まる頃、蒼介はギルドに併設された酒場にいた。多くの冒険者たちが一日の探索を終え、酒と食事で疲れた身体を癒している。鎧の擦れる音、高らかな笑い声、時折聞こえる怒声。その喧騒は、彼がかつて通っていた日本のシーカーたちが集うバーのそれとよく似ていたが、決定的に違っていた。

 ここに、彼の知る者は一人もいない。

 

(……さて、何を食べたものか)

 

 彼はカウンターの隅に腰掛け、壁に掛けられた木札のメニューを眺める。見たこともない文字が並んでいるが、ナノマシンの翻訳機能が、その意味を脳内に直接表示してくれていた。

 

「黒パンと、豆と肉の煮込み。それと水で」

「あいよ!」

 

 無愛想な注文に、屈強な店主は気にするでもなく威勢のいい返事を返す。

 すぐに運ばれてきたのは、木の皿に乗った、酸味の強い香りがする黒いパンと、湯気の立つ素朴な煮込み料理だった。肉は硬く、豆はざらりとした食感が残っている。決して美味とは言えないが、空腹を満たすには十分だった。

 彼は黙々とスプーンを口に運ぶ。周囲の冒険者たちは仲間とパーティを組み、今日の成果や失敗談を大声で語り合っている。その輪の中に、蒼介の居場所はなかった。孤独。それは彼にとって慣れた感覚のはずだったが、この異世界ではその輪郭がより一層、濃く感じられた。

 

 その時だった。

 

「よう、新人。隣、いいか?」

 

 不意に、頭上から野太い声が降ってきた。見上げると、そこには巨大な盾を背負った、熊のような大男が立っていた。歳は三十代後半だろうか。顔にはいくつもの古い傷跡が刻まれ、その屈強な肉体は、歴戦の強者であることを物語っている。

 

「……ああ」

 

 蒼介が短く応じると、男はにかりと笑い、彼の隣の席にどかりと腰を下ろした。その巨体には、カウンターの椅子が少し小さすぎるように見える。

 

「俺はジークだ。お前さん、見ねえ顔だな。最近登録したのか?」

「神谷蒼介だ。まあ、そんなところだ」

「ソウスケ、か。変わった名前だな。よろしくな!」

 

 ジークと名乗った男は、豪快にそう言うと、エールらしき酒をジョッキで呷った。人懐っこい男のようだが、その瞳の奥には、鋭い光が宿っている。ただの脳筋ではない、と蒼介は直感した。

 

「それにしても、大したもんだ。銅級になりたてで、単独で浅層に潜ってる奴なんて、そうはいねえぜ」

「……あんたも、ソロか?」

「俺か? 俺はまあ、色々あってな」

 

 ジークは言葉を濁し、ぐいっとジョッキを空にした。彼にも何か、事情があるらしい。蒼介はそれ以上詮索する気にはなれず、残っていた煮込みを口に運んだ。

 少しの沈黙の後、蒼介はふと気になったことを口にした。

 

「一つ、聞いてもいいか」

「ん? なんだ?」

「ここの浅層は、やけにモンス……魔物が強い気がするんだが。連携してきたり、罠を仕掛けてきたり。どこの迷宮も、こんなものなのか?」

 

 それは、ゴブリンの巣での死闘を経験して以来、彼が抱いていた純粋な疑問だった。現代ダンジョンでは、低層のモンスターはもっと単純な思考と動きをしていた。

 しかし、その問いを聞いたジークは、きょとんとした顔で蒼介を見つめ、次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。

 

「がっはっはっは! なにを言ってやがるんだ、お前さん! そりゃあ、そうだろうよ!」

「……何がおかしい」

「いや、悪い悪い。だがな、お前さんが今潜ってるのは、ただの迷宮じゃねえ。始まりにして未だ誰一人として踏破したことのない、かの『大迷宮』だぜ? 他の迷宮と比べられる方がおかしいってもんだ」

 

 その言葉に、蒼介のスプーンを動かす手が、ぴたりと止まった。

 

(……他の、迷宮?)

 

 彼の思考が、一瞬だけ停止する。

 今まで、この世界そのものが、この巨大な地下迷宮なのだと、彼は無意識のうちに思い込んでいた。天井のある街、果てしなく続く地下階層。ここが世界の全てなのだと。

 

「……外があるのか」

「はあ? 外? なにを当たり前のことを……」

 

 言いかけて、ジークははっとしたように口をつぐんだ。彼は値踏みするように、蒼介の顔をまじまじと見つめる。その目には、先程までの親しみやすさとは違う、真剣な色が浮かんでいた。

 

「……ソウスケ。お前さん、もしかして、本当に何も知らねえのか? この街の外には、森も山も、他の国だって広がってるんだぜ。竜峰の迷宮だの、嘆きの沼だの、この大迷宮以外にも、迷宮は世界中に点在してる」

「…………」

 

 衝撃。

 それは、世界観が根底から覆されるような、強烈な感覚だった。

 外がある。地上がある。この閉鎖された地下空間だけが、世界の全てではなかった。

 

 その事実は、蒼介にわずかな安堵と、同時に途方もない絶望感をもたらした。元の世界に帰るという目的が、より遠く、より不確かなものに感じられたからだ。大迷宮を攻略すれば帰れるというのは、ただの伝説に過ぎないのではないか。だとしたら、本当に出口はあるのか。

 

「……そうか」

 

 なんとか、それだけを絞り出す。

 ジークは、蒼介の様子から何かを察したようだった。彼はそれ以上深くは追及せず、ただポンと、蒼介の肩を力強く叩いた。

 

「まあ、色々事情があるんだろう。だが、焦りは禁物だぜ、新人。この大迷宮は、そういう奴から喰い殺していく。まずはじっくり腰を据えて、この街と、迷宮の浅層に慣れるこった」

 

 それは、ベテラン冒険者からの、実直なアドバイスだった。

 蒼介は小さく頷くと、残りの食事を終え、席を立った。

 

「忠告、感謝する」

「おう。またな、ソウスケ。死ぬんじゃねえぞ」

 

 ジークに背を向け、蒼介は喧騒に満ちた酒場を後にした。

 外に出ると、ひんやりとした夜気が火照った身体に心地よかった。天井の岩盤には、昼間とは違う、発光性の鉱物が星々のように淡い光を灯している。偽りの夜空。

 彼は、街で一番安いと言われた宿屋へと向かった。ぎしりと軋む階段を上り、案内されたのは、ベッドと小さな机が一つあるだけの、簡素な部屋だった。

 

 ベッドに倒れ込むように身を横たえる。硬い藁の感触が、背中に伝わってきた。

 目を閉じれば、今日の戦闘の光景が蘇る。ゴブリンたちの甲高い奇声、緑色の血の匂い、そして、天井が崩落する轟音。

 孤独と、そして先の見えない不安が、暗闇の中からじわりと心を侵食してくるようだった。

 

(……必ず、帰る)

 

 彼は強く、自分に言い聞かせる。

 目的を見失えば、心はすぐに折れてしまう。どんなに絶望的な状況でも、その一点だけは見失ってはならない。

 その時、探索中に負った肩口の切り傷が、かすかに疼いた。レザーアーマーの上からだったが、ゴブリンのナイフは彼の皮膚を浅く切り裂いていたのだ。

 だが、その痛みはすぐに、微かな温かさへと変わっていく。

 体内のナノマシンが、傷の修復を開始したのだ。スキル【自己修復(リペア)】。それは、蒼介が意識せずとも、彼の身体を常に最適な状態に保とうと働き続ける、忠実な機能だった。

 蒼介は、静かに傷が塞がっていくのを感じながら、自嘲気味に呟いた。

 

(……孤独、か。だが、完全な一人でもない、か)

 

 この世界で、彼を理解する者は誰もいない。

 だが、彼の身体の中には、故郷の世界のテクノロジーが、今もこうして生き続けている。

 それは、異邦人である彼の、唯一の証であり、最後の希望だった。

 蒼介は静かに意識を沈めていく。

 明日もまた、大迷宮に潜る。

 あまりにも遠い目的のための一歩を、また踏み出すために。

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