異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第123話 溶岩からの刺客

 足元で煮えたぎる赤熱の海が、重々しい音を立ててうねっていた。

 大迷宮第六十一層【黒焔火山】。

 すべてを溶かし尽くすマグマの河は、この階層の血管のようにどこまでも続いている。

 

 蒼介たちは今、幅数十メートルにも及ぶ巨大な溶岩の川を渡らざるを得ない状況に直面していた。

 対岸へと続く道は、マグマの海から突き出た黒い岩場のみ。それも、人が数人立てるかどうかの狭い飛び石のような足場が、点々と不規則に並んでいるだけだ。

 一歩でも足を踏み外せば、千度を超える溶岩の海に飲み込まれ、骨の髄まで一瞬で炭化するだろう。

 

(最悪の地形だな……。逃げ場が全くない)

 

 蒼介は慎重に一つ目の岩場へと跳び移りながら、小さく舌打ちをした。

 黒い岩肌は靴底を通してジリジリと熱を伝えてくる。

 ネアの認識阻害の暗示によって「涼しい」という錯覚を維持しているものの、実際の物理的な熱気は確実に彼らの体力を削り取っていた。

 ナノマシンのステータスバーは相変わらず危険信号を発し続けている。

 

「セレス、ネア。跳ぶ時は絶対に足元から目を離すな。岩が脆くなっている箇所もある」

 

 蒼介が振り返って注意を促す。

 

「わかっている。だがこの甲冑の重さで足場が崩れないか、気が気ではないな」

 

 セレスティアは白銀の槍をバランスを取るための天秤のように横に構え、一つ一つの岩の強度を確かめるようにして跳び移ってきた。

 普段の彼女であれば、これしきの跳躍など造作もない。しかし金属製の鎧に蓄積された熱と、落ちれば即死という極限のプレッシャーが、彼女の動きをわずかに硬くしていた。

 

「えいっ、とぉっ!」

 

 セレスの後に続いて、ネアが小鹿のように軽やかに跳んでくる。

 彼女は新しい薄緑色のチュニックの裾を翻し、ふわりと蒼介のいる岩場へと着地した。

 体重が軽い分、足場への負担は少ない。しかし彼女の顔色は決して良くなかった。

 熱を感じさせない暗示をパーティ全体に掛け続けるという行為は、彼女の精神力を目に見えない形でゴリゴリと削り続けている。

 鼻から流れた血の跡は拭き取られているが、紫色の瞳の奥には隠しきれない疲労の色が滲んでいた。

 

「ネア、無理はするなよ」

 

「だいじょうぶだよ、ソースケ。ほら、すずしい風が吹いてるもん」

 

 ネアは虚ろな笑みを浮かべて答える。

 その言葉を聞くたびに、蒼介の胸の奥がチクリと痛む。

 彼女の献身に甘えるしかない己の無力さが歯痒かった。

 

 最後尾からは、白金級冒険者フェイルが全く音を立てずに跳躍してくる。

 彼はまるで重力が存在しないかのように、足先のわずかな力だけで岩から岩へと滑空していた。

 額に汗一つかかず、極薄の魔力断熱層によって環境の暴力を完全に無効化しているその姿は、この灼熱地獄にあって異質すぎる光景だった。

 

「いやあ、スリリングでいいね。足元が溶岩なんて、最高の綱渡りじゃないか」

 

 フェイルは楽しげに笑いながら、蒼介たちの立つ岩場の少し手前の岩に降り立った。

 蒼介は彼を無視して、前方へと視線を戻す。

 対岸まではまだ三十メートル以上ある。黒い岩場の点在は不規則で、跳躍距離が徐々に長くなっている箇所もあった。

 

(さっさと渡り切るぞ。こんな開けた場所で敵に襲われたら……)

 

 蒼介が次の岩場を見定めた、その瞬間だった。

 

『ソウスケさん! 足元の溶岩の奥深くから、巨大な魔力反応が急浮上してきますわ!』

 

 腰のペンダントから、リリアーナの切羽詰まった声が脳内に響き渡った。

 ほぼ同時に、蒼介の右目に宿る【探知(サーチ)】のレーダーが、真っ赤な警告光で埋め尽くされた。

 

 溶岩の海という強烈な熱源のせいでノイズだらけだったレーダーを突き破るほどの、圧倒的で凶悪な熱と魔力の塊。

 それが、自分たちのいる岩場の周囲を取り囲むように、真っ直ぐ下から突き上げてくる。

 

「止まれ! 岩から動くな!」

 

 蒼介の鋭い怒声が響いた直後。

 ボッッッコーーーンッ!!

 彼らが渡ろうとしていた前方の溶岩の海が、爆発したかのように大きく盛り上がった。

 数千度のマグマの飛沫が数十メートルの高さまで噴き上がり、雨のように降り注ぐ。

 その紅蓮の飛沫を突き破り、溶岩の底からぬらりと姿を現したものがあった。

 

「な、なんだあれは……!」

 

 セレスが目を見開き、槍を強く握りしめた。

 それは巨大な蛇、あるいは首長竜のような姿をした魔物だった。

 

 直径は二メートルを超え、長さは目視できる範囲だけでも十メートル以上ある。

 黒曜石のように硬く鋭い鱗に覆われた巨体。そしてその鱗の隙間からは、火炎ネズミの死骸から発生したあの呪いの炎――漆黒の『黒焔』が、チロチロと不気味に立ち上っていた。

 

『マグマ・サーペント……!』

 

 リリアの声に思わず蒼介は舌打ちをした。

 浅層の湖に生息する水棲のサーペントとは次元が違う。千度を超える溶岩を水のように泳ぎ回り、呪いの炎を纏う下層の化け物だ。

 

「シャアアアアァァァァッ!!」

 

 マグマ・サーペントが鎌首をもたげ、耳を劈くような威嚇の咆哮を上げた。

 大きく開かれた顎には、溶岩の熱で赤熱した無数の牙が並んでいる。

 奴は溶岩の海に胴体の半分を沈めたまま、その巨大な頭部を蒼介たちのいる岩場へと向けた。

 

(最悪だ。ここじゃ回避するスペースがねえ!)

 

 蒼介は瞬時に周囲の状況を計算した。

 彼らが立っている岩場は狭く、三人で身を寄せ合うのが精一杯だ。

 

 横に跳ぼうにも溶岩の海。前方の岩場は、飛び出してきたサーペントの巨体によって完全に塞がれている。

 そして何より厄介なのは、奴が纏っている黒焔だ。

 かすりでもすれば生命力を燃料にして燃え広がる呪いの炎。盾で防ぐことも、ナイフで切り裂くこともできない。

 

「どうするソウスケ! このままでは足場ごと叩き潰されるぞ!」

 

 セレスが悲痛な声を上げた。

 マグマ・サーペントは巨体をくねらせ、巨大な鞭のように胴体を振りかぶった。

 ただの物理攻撃ではない。黒焔を纏った巨質量が直撃すれば、この脆い岩場など一瞬で粉砕されてしまうだろう。

 

 絶体絶命の危機。

 しかし、蒼介の顔に焦りはなかった。

 現代日本のダンジョンで数え切れないほどの死線を潜り抜けてきた彼の脳は、この極限状態にあって氷のように冷徹に回転していた。

 

(落ち着け。奴はデカいが、デカいがゆえに動きは単純だ)

 

 蒼介は【探知(サーチ)】の出力を最大まで引き上げた。

 ナノマシンがオーバーヒートの警告を発するが、構わずに神経系へと直結させる。

 溶岩の海というノイズの中で、サーペントの体内を巡る魔力の脈動だけを抽出して可視化する。

 筋肉の収縮、魔力の集束、そして攻撃の軌道。

 

「来るぞ! 右下から二体!」

 

 蒼介の鋭い声が響いた。

 目の前のサーペントだけではない。溶岩の底に潜んでいた別の個体が、右斜め下の死角から同時に奇襲を仕掛けようとしていたのだ。

 

「ネア! 温度を誤魔化して、右から来るやつの目を誤魔化せ!」

 

「温度!? わ、わかった!」

 

 蒼介の指示に、ネアは一瞬の逡巡もなく動いた。

 彼女は自分自身に掛けていた「涼しい」という暗示の出力をわずかに落とし、その分の魔力を右側の溶岩の海へと叩きつけた。

 マグマ・サーペントは視覚ではなく、熱源感知で獲物を捉えている。

 ネアの放った暗示は、サーペントの脳内に直接偽の熱源を作り出すという高度な精神干渉だった。

 

「そっちは何にもないよ! 美味しいご飯は、あっち!」

 

 ネアが指差した先。

 蒼介たちが立っている岩場から数メートル離れた、何もない溶岩の海上空。

 右下から凄まじい勢いで飛び出してきた二体目のサーペントは、ネアの作り出した強烈な偽の熱源に完全に騙された。

 巨大な顎が虚空に向かって噛みつき、鋭い牙が空気を切り裂くだけで終わる。

 空振りをした巨体が、そのまま無防備に宙を舞った。

 

「そこだッ!」

 

 蒼介の叫びと同時に、セレスが地を蹴った。

 彼女は狭い岩場の縁ギリギリまで踏み込み、白銀の槍を大きく振りかぶる。

 肩甲骨から溢れ出す魔力が、青白い雷光となって槍全体を包み込んだ。

 狙うは、空振りをして隙を晒したサーペントの巨大な胴体。

 

「我が雷霆よ、呪いを貫け!」

 

 セレスの渾身の一撃が、サーペントの黒い鱗を粉砕し、肉の奥深くまで突き刺さった。

 

「ギャアアアアァァァッ!?」

 

 強烈な紫電が体内に流し込まれ、サーペントが苦悶の絶叫を上げる。

 だがセレスはそれだけでは終わらない。

 彼女は槍を突き刺したまま、渾身の力を込めて柄を手前に引き寄せた。

 

「落ちろォッ!」

 

 騎士の鍛え抜かれた筋力と、魔力による身体強化。

 そして何より、溶岩という絶対のホームグラウンドから敵を引き剥がすという明確な戦術意図。

 宙に浮いていたサーペントの巨体が、セレスの怪力によって強引に引っ張られ、蒼介たちのいる岩場の上へと引きずり上げられた。

 

 ドゴォォォンッ!

 

 黒曜石の鱗が岩肌に激突し、鈍い音が響く。

 溶岩の中から引きずり出されたことで、サーペントは一瞬だけ完全に身動きが取れなくなった。

 その隙を、蒼介が見逃すはずがない。

 

「システム、リミッター解除! 【迅速(ブースト)】ッ!」

 

 蒼介の体が黒い弾丸となって弾けた。

 超極限の加速。

 ナノマシンが神経伝達速度を限界突破させ、周囲の景色がスローモーションのように引き伸ばされる。

 

 蒼介は引きずり上げられたサーペントの頭部に向かって一気に肉薄した。

 右手に握ったサバイバルナイフを逆手に構える。

 狙うのは、鱗の隙間にあるわずかな軟部。そこから脳髄へと直結する急所。

 

「死ねッ!」

 

 神速のナイフ捌きが閃いた。

 銀色の軌跡がサーペントの急所を的確に捉え、刃が深々と突き刺さる。

 ナノマシンによって分子レベルで強化された刃が、強靭な肉と骨を容易く切り裂いた。

 

 ブシュゥゥゥッ!

 

 黒い血が噴水のように噴き出し、サーペントの巨体がビクンと大きく跳ねた。

 そして、それきり動かなくなる。

 生命活動の完全な停止。

 

「よしっ! 一体沈めた!」

 

 蒼介はナイフを引き抜きながら、すぐに体勢を低くした。

 正面にはまだ、最初に出現したもう一体のサーペントが残っている。

 だが、仲間の死を目の当たりにした残る一体は、明らかな警戒の色を見せて溶岩の中へと後退していった。

 蒼介たちの連携の前に、本能的な恐怖を覚えたのだ。

 

「逃がすかよ……セレス、ネア! 追撃の準備だ!」

 

「了解した!」

 

「うんっ!」

 

 蒼介の【探知(サーチ)】による先読みとリリアのカバー。

 ネアの暗示による視覚阻害。

 セレスの怪力と雷魔法による拘束。

 そして蒼介の超加速によるトドメ。

 

 たった数秒の間に繰り広げられた攻防。それは誰一人欠けても成立しない、完璧に噛み合った歯車のような連携だった。

 現代から来たシーカーと、異世界の騎士、魔人族の少女、そして亡国の王女。

 生まれも育ちも全く異なる四つの魂が、この過酷な迷宮の底で一つの刃として研ぎ澄まされていた。

 

「うんうん、素晴らしい。見事なコンビネーションだ」

 

 静寂を取り戻した溶岩の海に、のんびりとした拍手の音が響いた。

 後方の岩場から、フェイルが笑顔でこちらを見下ろしている。

 彼は腰の剣の柄に手すらかけていなかった。完全に観客として、この絶体絶命の危機を楽しんでいたのだ。

 

「君たちの成長速度は本当にすごいや。僕は手を出さなくてもよさそうだね」

 

 フェイルの言葉に、蒼介は顔をしかめながらナイフの血を振り払った。

 

「見学なら黙って見てろ。また足元から来られたら厄介だ。さっさと渡り切るぞ」

 

 蒼介は【|ブースト》】の反動で痛む足を庇いながら、次の岩場へと視線を向けた。

 フェイルの腹立たしい態度にイラつきはするが、彼に頼らずとも自分たちの力でこの地獄を切り抜けられるという確信が、蒼介の胸に力強く宿っていた。

 

「行くぞ。遅れるなよ」

 

 蒼介の言葉に、セレスとネアが力強く頷く。

 彼らは再び、煮えたぎる溶岩の海に浮かぶ黒い岩場を跳び移り始めた。

 

 完璧な連携という武器を手に入れた彼らの歩みは、もはやどんな過酷な環境にも止められることはない。

 灼熱の地獄の底で、異邦人と仲間たちの絆は、黒曜石よりも硬く結びついていた。

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