異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第127話 秘策

 灼熱の雨が降り注ぐカルデラの底で、絶望という名の黒い鳥が空を舞っていた。

 大迷宮第七十層の主『不死黒鳥(ノワールフェニックス)』。

 その巨大な漆黒の双翼が羽ばたくたびに、空間そのものが悲鳴を上げているかのような錯覚に陥る。

 翼から剥がれ落ちた黒焔の塊が、巨大な火球となって次々と岩盤へと叩きつけられていた。

 

「くそっ、また来るぞ!」

 

 蒼介は血を吐くような思いで【迅速(ブースト)】を起動した。

 過負荷で焼け焦げそうな神経に無理やり命令を下す。彼は動けなくなっているネアの体を抱え上げ、溶岩の池すれすれの岩肌へと跳躍した。

 ドゴォォォンッという轟音と共に、先ほどまで彼らがいた場所が黒焔に飲み込まれる。  黒い炎は岩を溶かし、まるで生き物のように周囲へと侵食を始めた。

 逃げ場は確実に削り取られている。

 この巨大な火口の底は、すでに八割方が溶岩と黒焔の海と化していた。

 

「ハァッ……ハァッ……」

 

 蒼介の腕の中でネアが苦しげな息を漏らす。

 主の強大な精神障壁に暗示を弾き返された彼女の顔は、死人のように青ざめていた。

 

 鼻から流れた血が顎を伝い、薄緑色のチュニックを黒く汚している。

 精神回路への直接的なダメージは、肉体的な外傷よりも遥かに深刻だ。彼女は意識を保っているのがやっとの状態だった。

 

「しっかりしろネア。寝たらそのまま灰になるぞ」

 

 蒼介は厳しい言葉を投げかけながら、彼女を安全な岩陰に下ろした。

 慰めている余裕などない。

 上空ではセレスティアがたった一人で不死鳥の攻撃を凌いでいるのだ。

 

「そこだッ!」

 

 セレスの凛とした声が熱風を引き裂いた。

 彼女は岩盤を蹴って宙高く跳躍し、迫り来る黒焔の雨に向かって白銀の槍を突き出す。

 肩甲骨から練り上げられた紫電が、無数の雷の槍となって空中へと放たれた。

 

 しかしその決死の迎撃も、不死鳥が纏う異常な熱波の壁に阻まれてしまう。

 雷の魔力は黒焔に触れた瞬間に蒸発し、軌道を逸らされて虚空へと消えていく。

 

「またか……! 私の魔力が、全く届かない!」

 

 セレスが着地と同時に歯噛みする。

 彼女の全身は汗で濡れそぼり、白銀の甲冑のあちこちに煤がこびりついていた。

 

 魔法剣士としての最大火力を何度も無効化され、彼女の気力も魔力も底を突きかけている。

 何より絶望的なのは、敵が遥か上空を旋回しているという事実だった。

 

(魔法も物理攻撃も届かない。あんなバカげた高度から一方的に爆撃されてるんじゃ、手も足も出ない)

 

 蒼介は岩陰から上空を睨み据えた。

 ナノマシンのインターフェースは激しいエラーを吐き出し続けている。

 熱によるオーバーヒートと、極限の疲労によるシステムダウンの警告だ。

 このまま防戦一方を続ければ、数分後には確実に全滅する。

 冒険者ギルドで誰も突破できなかったという記録は伊達ではなかった。

 

『ソウスケさん! 上空の魔力密度がさらに上昇していますわ!』

 

 腰のペンダントからリリアーナの切迫した声が響いた。

 蒼介が【探知(サーチ)】の意識を上空へ向けると、不死黒鳥の周囲に尋常ではない量の魔力が集束し始めているのが見えた。

 奴はただ飛び回っているだけではない。

 より広範囲を一度に焼き尽くすための、特大の黒焔を練り上げているのだ。

 

「冗談じゃない。あんなのが降ってきたら、防ぎようがないぞ」

 

 蒼介は唇を噛み切りそうなほど強く噛み締めた。

 どうすればいい。どうすればあの絶望の塊を打ち落とせる。

 思考を加速させろ。

 必ず活路はあるはずだ。

 

 蒼介は逃げ回りながらも、眼前の敵の特性を冷静に分析し始めた。

 不死黒鳥の最大の武器は、その身に纏う黒焔だ。

 生命力を燃料にして燃え広がる呪いの炎。

 聖水などの解呪の力を使えば消火は可能だが、先ほどの試みで証明されたように、投擲しても敵に届く前に蒸発してしまう。

 ならば接近して直接ぶつけるしかない。

 しかし相手は空を飛んでいる。アンカーショットを使って無理やり距離を詰めるにしても、奴が纏う黒焔のバリアを突破できなければ、空中で丸焦げになるだけだ。

 

(黒焔のバリアをどうにかして突破する手段。聖水以外に呪いを打ち消す方法が……)

 

 蒼介の視線が、無意識に自分の腰元へと向かった。

 そこには銀色の装飾が施された古めかしいペンダントが揺れている。

 五百年前に滅びた王国の王女、リリアーナの魂を封じ込めている器。

 それはただの装飾品ではない。

 

(……そうだ。このペンダントには、五百年前の魔術師がかけた強力な呪いが封じ込められている)

 

 蒼介の脳裏に、かつてリリアから聞いた言葉が蘇る。

 彼女の魂を現世に縛り付け、輪廻の輪から外しているのは『原初の探求者』がかけた強大な呪いの力なのだと。

 五百年という途方もない時間を経てもなお、決して解けることのない強烈な呪縛。

 それは不死鳥の黒焔に匹敵するか、あるいはそれ以上の濃度を持った呪いの塊だと言える。

 

(毒を以て毒を制す)

 

 蒼介の頭の中で、一つの狂気じみた作戦が急速に組み上がっていった。

 あまりにも無茶で、一歩間違えれば自分だけでなくリリアの魂すら消滅させかねない危険な賭け。

 だが、もはや正攻法で勝てる相手ではないのだ。

 ジリ貧で全滅を待つくらいなら、一か八かの可能性に命を懸ける方がマシだった。

 

「……セレス! ネア!」

 

 蒼介は大きく息を吸い込み、爆音に負けない声で叫んだ。

 落下の衝撃を殺しながら後退してきたセレスが、怪訝な顔で蒼介を振り返る。

 岩陰でうずくまっていたネアも、ゆっくりと顔を上げた。

 

「俺にいい考えがある」

 

 蒼介のその言葉を聞いた瞬間、セレスは露骨に顔をしかめた。

 

「嫌な予感しかしないのだが!」

 

 セレスが毒づきながらも、迫り来る黒焔の飛沫を槍で弾き落とす。

 彼女の言う通りだ。これまでの蒼介の「いい考え」は、常に常軌を逸した戦術ばかりだった。

 しかし、それが常に彼らの命を繋ぎ止めてきたのもまた事実である。

 

「文句は生きて帰ってから聞く。いいか、奴の纏っている炎はただの熱じゃない。呪いの炎だ」

 

 蒼介はナイフを鞘に収め、素早い手つきで腰のペンダントの留め具に手をかけた。

 

「呪いの炎には、呪いで対抗するんだよ」

 

 蒼介は銀のペンダントを取り外すと、そのまま自分の右の拳にグルグルと固く巻きつけ始めた。

 銀のチェーンが蒼介の皮膚に食い込む。

 装飾部分の宝石が、彼の握り拳の関節部分にぴったりとフィットするように固定された。

 

『な……なにをするつもりですの……!?』

 

 ペンダントの中から、リリアの驚愕に満ちた声が響き渡った。

 彼女には蒼介の意図が全く理解できていないようだった。

 

「リリア、お前の呪いの力、少し借りるぞ!」

 

 蒼介は拳を強く握り締めながら答えた。

 

『正気ですか!? そのペンダントは私の魂を封じている器なのですわよ!』

 

 リリアの悲鳴のような声が脳内を反響する。

 

『もし物理的な衝撃でペンダントが壊れたりでもしたら、私の魂もどうなるかわかりませんわ! 霧散して完全に消滅してしまうかもしれないのです!』

 

「絶対壊さねえよ。俺を信じろ!」

 

 蒼介は迷いのない瞳で、右拳に巻きつけられたペンダントを見つめた。

 彼の声には、一片の揺らぎもなかった。

 

「お前は俺の相棒だ。相棒を壊すような真似は絶対にしない」

 

 その言葉の力強さに、ペンダントからの声が一瞬だけ途切れた。

 五百年もの間、暗い部屋で孤独に耐え続けてきた王女の魂。

 彼女を再び外の世界へと連れ出し、共に数々の死線を乗り越えてきた男の覚悟が、そこにはあった。

 

『……本当に、無茶苦茶な人ですわ』

 

 短い沈黙の後、リリアの魂が小さなため息と共に答えた。

 

『ですが、貴方がそう言うのであれば……私のすべてを預けます。思う存分、私の呪いを使いなさいな!』

 

「ありがとよ!」

 

 蒼介は獰猛な笑みを浮かべ、右拳を胸の前に構えた。

 彼の意図を完全に理解したわけではないだろうが、セレスもネアも蒼介の異様な気迫に呑まれるように彼を見つめている。

 

「作戦を伝える。よく聞け!」

 

 蒼介は上空で旋回を続ける不死鳥を睨み据えた。

 奴の周囲に集束する魔力は、いよいよ臨界点に達しようとしていた。

 特大の黒焔が放たれるのは時間の問題だ。

 

「俺が奴の懐に飛び込んで、この呪いの拳を直接ぶち込む。だがそのためには、奴の注意を完全に引きつける囮が必要だ」

 

 蒼介はセレスの方へと視線を向けた。

 

「セレス! 次の旋回で、お前の全魔力を込めて奴の注意を引け! 防御は捨てろ、持てるすべてを攻撃に回すんだ!」

 

「……正気の沙汰ではないな」

 

 セレスは口元に不敵な笑みを浮かべた。

 彼女もまた、この絶望的な状況を覆すためには狂気が必要なのだと理解していた。

 

「だが、騎士たる者、主君の命とあらば地獄の底まで付き合おう。私に任せておけ」

 

 セレスは槍を両手で強く握り直し、深く息を吸い込んだ。

 彼女の全身から、これまでとは質の違う清冽な雷の魔力が立ち上り始める。

 それは己の命を削ってでも放つ、最後の一撃の構えだった。

 

「ネア!」

 

 蒼介は岩陰で震える魔人族の少女へと声をかけた。

 

「お前の出番だ。セレスが注意を引いた瞬間に、俺の気配を完全に消してくれ。奴の熱源感知からも、視覚からもだ!」

 

 ネアは鼻血で汚れた顔を上げ、紫色の瞳を瞬かせた。

 

「でも……私、さっきあいつに魔法を弾かれちゃったよ……。また失敗したら……」

 

「相手の精神に干渉するから弾かれるんだ」

 

 蒼介はネアの目を見て、はっきりと告げた。

 

「相手じゃなく、俺にだけ暗示をかけろ。俺の存在を、この空間から完全に切り離すような隠密の魔法だ。それなら、お前にもできるはずだ」

 

 認識阻害の対象を絞り込む。

 不死鳥の強大な精神に干渉するのではなく、蒼介という個人の気配を周囲から隠蔽するベクトルへと魔法の性質を変化させるのだ。

 

「……できるかな。私、もう魔力が……」

 

「できる。お前は俺たちの最高の仲間だ。お前の魔法がなきゃ、この作戦は成り立たないんだ」

 

 蒼介の真っ直ぐな言葉に、ネアの目から再び大粒の涙が溢れた。

 だがそれは、恐怖や絶望の涙ではなかった。

 自分を信じて命を預けてくれる仲間の思いに、彼女の魂が強く震えたのだ。

 

「うん……っ! 私、やるよ! ソースケのこと、絶対に見えなくしてあげる!」

 

 ネアは両頬をパンッと叩き、決意の表情で立ち上がった。

 彼女の紫色の瞳に、再び強い魔力の光が灯る。

 

 舞台は整った。

 あとはタイミングだけだ。

 蒼介は右手の拳を固く握りしめ、全身の筋肉をバネのように引き絞った。

 

 上空では、不死黒鳥がその巨大な翼を広げ、カルデラの底に向かって急降下を開始していた。

 奴の口から、巨大な漆黒の太陽のような黒焔の塊が吐き出されようとしている。

 

(来るぞ……!)

 

 蒼介は呼吸を止め、極限の集中状態へと入った。

 ナノマシンの出力をすべて右腕へと回し、ペンダントの呪いと己の肉体を同調させる。

 一か八かの賭け。

 もし失敗すれば、彼らは全員骨も残さず炭化するだろう。

 

 だが、彼らの目には微塵の迷いもなかった。

 彼らはすでに、互いの命を完全に預け合う運命共同体なのだ。

 

「行くぞ!」

 

 蒼介の号令が、決戦の火蓋を切って落とした。

 死の雨が降り注ぐ灼熱の火口で、異邦人と仲間たちの最後の反逆が始まろうとしていた。

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