異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第128話 呪いには呪いをぶつけんだよ!

 広大なカルデラの火口底は、もはや逃げ場のない灼熱の地獄と化していた。

 大迷宮第七十層の主『不死黒鳥(ノワールフェニックス)』が巨大な漆黒の翼を羽ばたかせる。そのたびに空間を焼き尽くす黒焔の雨が降り注いでいた。

 溶岩湖の赤と呪炎の黒。視界を覆う二つの色彩が、挑戦者たちの命を無慈悲に削り取っていく。

 上空から急降下してくる絶望の巨影を前に、蒼介は右拳に固く巻きつけた銀のペンダントを強く握りしめた。

 

(やるしかない。この一撃にすべてを懸ける)

 

 ペンダントには五百年前の王女リリアーナの魂が封じられている。

 彼女を現世に縛り付ける強大な呪いの力。それを引き出し、不死鳥の纏う黒焔の呪いと正面から衝突させる。

 常軌を逸した泥臭い作戦だ。だが現代日本のシーカーとして培った蒼介の生存本能が、これが唯一の活路だと告げていた。

 蒼介は大きく息を吸い込み、爆音に負けない声で叫んだ。

 

「行くぞ!」

 

 その号令が、反逆の火蓋を切って落とした。

 

「はあああぁぁぁッ!」

 

 先陣を切ったのはセレスティアだった。

 彼女は安全な岩陰から飛び出すと、燃え盛る黒焔の雨を掻き分けてカルデラの中央へと躍り出た。

 白銀の甲冑が溶岩の照り返しを受けて赤く染まる。

 

 彼女は両手で槍を力強く握りしめ、足を大きく開いて大地を踏み締めた。

 そして騎士の矜持と持てる全魔力を、己の肩甲骨へと集中させる。

 

(限界などとうに超えている。だが、ここで折れるわけにはいかないのだ!)

 

 セレスは奥歯を噛み砕かんばかりに食いしばった。

 魔力回路が悲鳴を上げ、全身の毛細血管から血が滲み出しそうになる。

 フェイルから教わった魔力運用を極限まで引き上げ、彼女は体内のすべてのエネルギーを雷の属性へと変換していった。

 槍の穂先から青白いプラズマが放電し、周囲の空気が焦げる異臭を放つ。

 

「天を裂け、我が雷霆よ!」

 

 セレスが槍を天空に向かって高く突き上げた。

 その瞬間、彼女の全身から溢れ出した紫電が巨大な渦となり、天空へと真っ直ぐに立ち昇った。

 それは数十メートルの高さに達する巨大な雷の竜巻だった。

 すり鉢状のカルデラを震わせる轟音と共に、雷の嵐が不死鳥の急降下ルートを完全に塞ぐように立ち塞がった。

 

『ギャアアアアアッ!』

 

 不死鳥が苛立たしげな咆哮を上げた。

 いかに神話級の魔物とはいえ、極限まで圧縮された雷の竜巻に自ら突っ込むような愚は犯さない。

 

 巨鳥は鬱陶しそうに翼を煽り、急降下の軌道をわずかに逸らして高度を下げた。

 そして眼前の目障りな雷の竜巻を消し飛ばすべく、巨大な嘴を大きく開く。

 喉の奥で漆黒の炎が集束し、周囲の空間から光が吸い込まれていく。

 

(来たぞ。奴の意識が完全にセレスに向いた)

 

 蒼介は岩陰に身を潜めたまま、ナイフの柄を握る左手に力を込めた。

 不死鳥が特大の黒焔を放つためのタメを作った瞬間。

 それこそが、彼らが待ち望んでいた最大の隙だった。

 

「ネア!」

 

 蒼介の短く鋭い声に、ネアが即座に反応した。

 彼女は両手を胸の前で強く組み合わせ、顔を蒼介へと向けていた。

 鼻からは赤い血が絶え間なく流れ落ち、紫色の瞳は限界の魔力行使によって痛ましいほどに充血している。

 精神回路はとうに焼き切れかけているはずだ。  それでも彼女は決して視線を外さず、己の全存在を懸けて蒼介を見つめた。

 

(ソースケを隠す。絶対に誰も見つけられないくらいに……!)

 

 ネアは心の中で強く念じ、最後の一滴となる魔力を双眸から放った。

 強力な認識阻害の暗示。

 その対象を蒼介という個人のみに絞り込み、極限まで濃度を高めた隠蔽魔法。

 紫色の波長が蒼介の体を包み込んだ瞬間だった。

 

 不死黒鳥の熱源感知から、蒼介の存在が完全に消え失せた。

 視覚、嗅覚、魔力探知。あらゆるセンサーから彼の情報がごっそりと抜け落ちたのだ。

 魔物の認識の中では、そこにはただの黒い岩盤があるだけだった。

 対象が「見えない」のではなく、最初から「存在しない」と思い込ませる絶対的な暗殺者の魔法。

 

「うおおおおおッ!」

 

 蒼介は大地を蹴り砕く勢いで跳躍した。

 体内のナノマシンに蓄えられていたエネルギーを、すべて神経伝達と筋力増強へと回す。

迅速(ブースト)】の限界突破。

 両足の筋肉繊維がブチブチと音を立てて断裂するのを感じたが、彼には痛みに構っている余裕はなかった。

 

 ドゴォォォンッ!

 

 蒼介の踏み込んだ岩盤が粉々に砕け散り、クレーターが形成される。

 その凄まじい反発力を利用して、彼の体は黒い弾丸となって上空へと射出された。

 周囲の景色が引き伸ばされ、雷の竜巻と黒焔の熱気がスローモーションのように視界を流れていく。

 

 蒼介は空中を一直線に駆け上がり、不死鳥の巨体へと肉薄した。

 狙うのは、雷の竜巻を消し去ろうと喉に魔力を集中させている奴の死角。

 巨大な腹部の懐である。

 

『ソウスケさん! 敵の障壁は健在ですわ!』

 

 ペンダントからリリアの緊張した声が響く。

 蒼介の目にも、不死鳥の腹部を覆うように展開された半透明の黒いドームが見えていた。

 黒焔を高密度に圧縮した呪いの防御障壁。

 中層の主たちが使っていた物理障壁とは桁が違う、触れれば魂ごと消し炭になる絶対防壁だ。

 

「わかってる! ここからが本番だ!」

 

 蒼介は空中で体を捻り、右の拳を限界まで後ろへと引き絞った。

 拳に固く巻きつけられた銀のペンダントが、ギリギリと悲鳴を上げる。

 その時だった。

 

 ペンダントの装飾の隙間から、ドス黒い靄のようなものが漏れ出し始めた。

 五百年もの間、王女の魂を閉じ込め続けてきた強大な呪いの力。

 リリア自身が己の封印をわずかに緩め、呪縛のエネルギーを意図的に外部へと解放したのだ。

 漆黒の靄が蒼介の右腕に絡みつき、禍々しいオーラとなって拳を包み込む。

 

『今ですわ! ソウスケさん!』

 

「喰らえぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 

 蒼介の絶叫が、カルデラの空気をビリビリと震わせた。

 彼は全霊の力を込めて、漆黒のオーラを纏った右拳を真っ直ぐに突き出した。

 常識外れの泥臭い機転と、仲間を信じる思いが一つになった一撃。

 

「呪いパンチ!!!!」

 

 あまりにも直球なネーミング。

 だがそこに込められた覚悟と破壊力は、紛れもない本物だった。

 

 ドゴァァァァァァンッ!!

 

 蒼介の右拳が、不死鳥の黒焔の障壁に激突した。

 瞬間、音と光が世界から消失したような錯覚に陥った。

 ペンダントから溢れ出した五百年の呪いと、神話級の魔物が纏う黒焔の呪い。

 性質の異なる二つの強大な呪縛が、ゼロ距離で正面から衝突し、互いを食い破ろうと激しく反発し合ったのだ。

 

 空間がグニャリと歪んだ。

 対消滅によって生み出された破壊のエネルギーが、半球状の衝撃波となって空中に弾け飛ぶ。

 

 黒い火花と銀色の光が狂ったように散り、バリィィィンッというガラスが砕け散るような甲高い音が響き渡った。

 不死鳥を絶対の死から守っていた黒焔の障壁が、蒼介の一撃によって完全に吹き飛ばされたのである。

 

『ギ、ギャアアアアアッ!?』

 

 突然の障壁の喪失に、不死鳥が驚愕と苦悶の悲鳴を上げた。

 ネアの暗示によって蒼介の存在を認識できていなかった巨鳥は、何もない虚空から見えない一撃を受けたように錯覚したはずだ。

 雷の竜巻に向けられていた集中が途切れ、不死鳥の巨体が空中で大きく体勢を崩す。

 

(やったぞ! 障壁を剥がした!)

 

 蒼介は空中で勝利の確信に口角を上げた。

 だが、その直後だった。

 

「あっちいいいいいッ!」

 

 鼓膜を劈くような蒼介自身の絶叫が、火口の底に響き渡った。

 対消滅によって呪いの性質は相殺できた。しかし、黒焔が持っていた「千度を超える物理的な熱量」までは消し去ることができなかったのだ。

 

 障壁が砕け散ったと同時に、圧縮されていた猛烈な熱波が爆風となって蒼介の右腕を襲ったのである。

 衣服の袖が一瞬で燃え尽き、ナノマシンで強化された皮膚がジューッと音を立てて焼け焦げる。

 肉を焼く匂いと、神経を直接焼かれるような激痛が蒼介の脳を乱打した。

 

(クソッ、痛てえ! だが、ここで退くわけにはいかねえ!)

 

 蒼介は歯を食いしばり、白目を剥きそうになるほどの激痛に耐えた。

 彼は空中に滞空したまま、焼け焦げた右腕をだらりと下げ、動く方の左手でナイフを構え直す。

 

 眼下には、体勢を崩して無防備に腹部を晒している不死鳥の巨体があった。

 障壁が剥がれた胸の奥には、ドクドクと赤黒い光を放つ巨大な魔石――この階層の主の核がはっきりと見えていた。

 

「今だ、セレス!」

 

 蒼介は肺の底から絞り出すように叫んだ。

 その声は、地上の岩盤で膝をついていた騎士の耳に確実に届いていた。

 

「任せろォォォッ!」

 

 セレスは血を吐くような気合いと共に立ち上がった。

 彼女は自身が作り出した雷の竜巻を強引に霧散させると、その余波の魔力をすべて両腕へと集束させる。

 白銀の槍が、これ以上ないほど眩い紫電の輝きに包まれた。

 彼女は槍を投擲のフォームに構え、限界を超えた筋力で腰を大きく捻った。

 

「穿て、ライトニング・ピアス!」

 

 セレスの腕から放たれた槍は、もはや武器の形をしていなかった。

 それは空を裂き、大地を揺るがす流星そのものだった。

 

 一筋の極太の雷光が、カルデラの底から上空へと一直線に逆流していく。

 蒼介が身を挺して作った決定的な隙。

 そして呪いの防御を完全に剥がされた不死黒鳥の胸元へ、セレスの投擲した雷槍が寸分の狂いもなく突き刺さった。

 

 ドグォァァァァァンッ!!

 

 雷槍が魔物の肉体を貫通し、胸の奥にある巨大な魔石に激突した。

 膨大な雷の魔力が魔石の内部へと流し込まれ、破壊的なエネルギーが核を内側から食い破る。

 

『ゴガアアアアアアァァァァァァッ!!!』

 

 不死鳥が天を仰ぎ、この世の終わりのような断末魔の絶叫を上げた。

 ピキ、ピキピキッ。

 胸の魔石に無数の亀裂が入り、眩い光が漏れ出し始める。

 そして次の瞬間、巨大な魔石が内側からの圧力に耐えきれず、粉々に砕け散った。

 

 核を失った主の肉体は、もはやその形を保つことができなかった。

 数十メートルに及ぶ漆黒の巨体が、ボロボロと音を立てて崩壊を始める。

 

 黒焔は魔力を失ってただの煙へと変わり、肉体は炭化した灰となって空中に散っていく。

 大迷宮第七十層の主。

 誰も生きて帰ることのなかった絶望の化身が、今、完全に消滅しようとしていた。

 

「……終わったか」

 

 蒼介は重力に引かれて落下しながら、黒い灰となって消えていく不死鳥の姿をその目に焼き付けていた。

 全身の力が抜け、意識が遠のきそうになる。

 

迅速(ブースト)】の反動と右腕の激痛が、遅れて彼を苛み始めていた。

 彼はされるがままに背中から岩盤へと激突し、数メートルほど転がって仰向けに倒れ込んだ。

 

「がはっ……」

 

 肺から空気が押し出され、痛みに顔を歪める。

 ナノマシンが全力で修復作業を開始しているが、右腕の火傷は深く、すぐには動かせそうになかった。

 

「ソウスケ!」

 

 セレスが槍を持たない手で傷ついた体を支えながら、蒼介の元へと駆け寄ってきた。

 彼女の顔は煤と汗で汚れ、息も絶え絶えだったが、その青い瞳には確かな勝利の喜びが満ちていた。

 

「無事か! あの高さから落ちて……右腕が酷い火傷じゃないか!」

 

「……死にはしねえよ。ペンダントは……リリアは無事か?」

 

 蒼介はかすれた声で尋ねながら、痛む右腕を少しだけ持ち上げた。

 拳に巻きつけられていた銀のペンダントは、黒く煤けてはいたものの、砕けることなく確かな形を保っていた。

 

『ええ、無事ですわ。ソウスケさんこそ、あのような無茶をして……右腕がボロボロではありませんか』

 

 ペンダントから響くリリアの声は、怒っているというよりは、心底安堵して泣き出しそうな響きを帯びていた。

 

「へっ……呪いをぶち破るには、あれしか方法がなかったからな。結果オーライだろ」

 

 蒼介は力なく笑い、ゆっくりと上体を起こした。

 少し離れた岩陰から、ネアがふらふらと歩み寄ってくるのが見えた。

 彼女は限界を超えた暗示の反動で歩くのもやっとのようだったが、蒼介とセレスの無事な姿を見ると、へにゃりと安心したように笑った。

 

「ソースケ、セレちゃん……勝ったの?」

 

「ああ。お前のおかげだ、ネア。お前が俺を隠してくれなきゃ、あんな一撃は決まらなかった」

 

 蒼介が優しく声をかけると、ネアはその場にへたり込み、ボロボロと涙をこぼし始めた。

 恐怖と緊張の糸がようやく切れたのだ。

 セレスが優しく彼女を抱き寄せ、その背中をぽんぽんと叩いてやる。

 

 カルデラの底に、静寂が戻っていた。

 煮えたぎっていた溶岩湖は嘘のように静まり返り、空から降り注いでいた黒焔の雨も完全に止んでいる。

 空気を満たしていた圧倒的な死の気配は霧散し、ただの熱い地下空間へと戻っていた。

 

 彼らは勝ったのだ。

 冒険者ギルドの公式記録を塗り替え、人類未踏の領域を自らの手で切り拓いた。

 

 蒼介は痛む右腕を庇いながら、真っ黒な灰が雪のように降り積もる火口の底を見渡した。

 現代日本のシーカーと、異世界の仲間たち。

 誰一人欠けても成し得なかった、奇跡のような勝利。

 

 心地よい疲労感と共に、勝利の静寂が彼らを優しく包み込んでいた。

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