異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第13話 隠された道標

 大迷宮での日々は、単調な繰り返しの中に、確かな変化を蒼介にもたらしていた。日の出と共に目を覚まし、黒パンと塩気の強い干し肉を胃に詰め込み、夜明け前の薄暗い街を抜けて大迷宮へと向かう。日がな一日、魔物と殺し合い、日が暮れる頃に街へと戻る。稼いだ銅貨で腹を満たし、安宿の硬いベッドで眠りに落ちる。その繰り返し。

 かつて東京でシーカーとして過ごした日々も、本質的には何も変わらない。狩場が現代ダンジョンから大迷宮に、標的がモンスターから魔物に、通貨が円から銅貨に変わっただけだ。

 だが、決定的に違うものが一つだけあった。

 

(……静かすぎる)

 

 浅層の洞窟を進みながら、蒼介は思わず自嘲の笑みを浮かべた。

 以前の世界では、インカムから聞こえるオペレーターの声や、仲間の軽口、時には悲鳴が常に耳にあった。しかし、ここでは聞こえるのは己の足音と、洞窟を吹き抜ける風の音、そして時折響く魔物の呻き声だけだ。

 孤独。それは慣れているはずの感覚だったが、ジークと話して「外の世界」の存在を知って以来、その重みは増すばかりだった。帰るべき場所が、途方もなく遠い。

 

 数日にわたる浅層の探索で、蒼介はいくつかの発見をしていた。彼のスキル【探知(サーチ)】は、魔物の気配や魔力の流れといった曖昧な情報だけでなく、もっと物理的な、微細な差異を捉えることができた。空気の僅かな淀み、岩盤の密度の違い、僅かな温度変化。それらの情報を統合することで、蒼介の脳内には、簡易的なソナーのように周囲の三次元構造が描き出される。

 その能力は、戦闘において敵の奇襲を予知するだけでなく、思わぬ副産物をもたらした。

 

「……またか」

 

 蒼介は通路の隅、瓦礫に半ば埋もれた状態で横たわる人影に気づき、足を止めた。

 近づくと、それは一体のゴブリンだった。だが、その胸には一本の矢が深々と突き刺さっており、すでに事切れている。そして、そのすぐ傍らには、息絶えた人間の冒険者が倒れていた。身に着けていたであろう鎧は砕け、傍らには錆びついた剣が転がっている。相打ち、というところだろうか。

 浅層で命を落とした冒険者の遺留品。蒼介がこうしたものを発見するのは、これで五度目だった。最初に発見した時は、見て見ぬふりをしようかとも思った。死体漁りなど、趣味が悪い。そう呼ばれるのは、気分が良いものではない。

 だが、どうしても見過ごすことができなかった。かつて、目の前で仲間を失った記憶が、彼の足を縫い留めたのだ。

 

(せめて、誰かに見つけてもらうくらいは……)

 

 彼は冒険者の亡骸から、身分を示すであろう銅の認識票を回収し、ギルドへと持ち帰った。

 すると、意外なことに、受け取った男性のギルド職員は深々と頭を下げ、感謝の言葉を口にしたのだ。

 

『助かるよ、ソウスケ。これで、彼の仲間も区切りがつけられる』

 

 区切り、という言葉が蒼介の胸にすとんと落ちた。

 そうだ。残された者たちにとって、仲間の死は、その事実を知ることでしか乗り越えられない。たとえそれが、無残な亡骸との対面であったとしても。

 

(俺の装備も、エリア・アクアに残してきたままだったな……。今頃、遺留品として扱われているんだろうか)

 

 そんな感傷に浸りながらも、彼は探索を続ける。

 ギルドからは、遺留品の回収に対して僅かながら謝礼も支払われた。それは蒼介にとって、魔石の換金だけではない、新たな収入源となりつつあった。命の危険を冒して魔物と戦うよりも、よほど効率がいい。

 皮肉なものだ、と彼は思う。生きるための糧が、他人の死によってもたらされる。この大迷宮では、それが現実だった。

 

 その日も、蒼介はいつもと同じように、【探知(サーチ)】で周囲を警戒しながら、未踏の通路を慎重に進んでいた。ゴブリンの斥候を数体、音もなく始末し、さらに奥へと足を進める。

 その時だった。

 

(……ん?)

 

 彼のスキルが、奇妙な反応を捉えた。

 それは魔物の気配ではない。魔力の流れでもない。まるで、そこだけ空間が「ずれている」かのような、微かな違和感。

 蒼介は足を止め、全神経を集中させて反応の源を探る。場所は、彼の左手側にある、ごくありふれた岩壁の一点。見た目には、他の壁と何ら変わらない。手で触れてみても、ひんやりとした岩の感触が伝わってくるだけだ。

 しかし、【探知(サーチ)】は明確に告げていた。この壁の向こう側に、「何か」が存在する、と。

 

(隠し通路……か?)

 

 現代ダンジョンでも、稀にそういったギミックは存在した。

 彼は壁を丹念に調べ始めた。指先で岩肌をなぞり、僅かな凹凸や隙間を探す。スキルを最大まで酷使し、壁の内部構造を透視するようにイメージする。

 すると、ある一点だけ、僅かに密度が低い部分があることに気づいた。まるで、巨大な岩盤をくり抜いて、別の素材で蓋をしたかのような……。

 

「……ここか」

 

 彼はその一点に狙いを定め、腰のナイフの柄で軽く叩いてみる。コンコン、と軽い音が響く。他の場所を叩いた時の、ゴツゴツという鈍い音とは明らかに違う。

 間違いない。この奥は空洞だ。

 彼はナイフを鞘に戻し、全身の力を込めて、その一点を強く押し込んだ。びくともしない。ならば、と今度は体重をかけて体当たりする。岩盤は、それでも微動だにしなかった。

 

(くそ、どうなってやがる……)

 

 罠の可能性も考え、蒼介は一旦その場を離れて周囲を観察する。しかし、怪しい仕掛けは見当たらない。

 もう一度、壁の前に戻る。何か、見落としていることがあるはずだ。

 彼は思考を巡らせた。なぜ、こんなにも巧妙に隠す必要があるのか。誰に、何を見られたくなかったのか。

 あるいは、特定の条件を満たさなければ開かない類のものなのかもしれない。特定の時間にだけ開くとか、特定の言葉を唱えるとか……。

 

(……いや、待てよ。発想が逆か?)

 

 押して駄目なら、引いてみろ。

 彼は壁に手をかけ、今度は引く方向に力を込めた。だが、やはり結果は同じだった。

 その時、ふと、ある考えが彼の脳裏をよぎった。

 

(構造が違う……。つまり、物理的な法則が、この一点だけ異なっている可能性がある……?)

 

 彼は試しに、その壁に向かって小石を一つ投げてみた。

 カツン、と小石は壁に当たって、力なく地面に落ちる。

 何も起こらない。

 

(……考えすぎか)

 

 諦めてその場を去ろうとした、まさにその瞬間だった。

 蒼介の視界の端で、地面に落ちたはずの小石が、ふわりと宙に浮き上がり、壁に向かって吸い込まれるように消えていくのが見えた。

 まるで、壁そのものが幻影であったかのように。

 

「……なっ!?」

 

 彼は驚きに目を見開いた。

 慌てて壁に手を伸ばす。しかし、先程まで確かにそこにあったはずの硬い岩の感触はなく、するりと、彼の手は壁の向こう側へと通り抜けた。

 

(なん……だと……?)

 

 これは、単なる隠し扉などではない。一種の空間転移か、あるいは高度な幻術か。

 蒼介の額に、じわりと冷たい汗が滲む。

 壁の向こう側から、ひやりとした空気が流れ込んでくる。それは、洞窟内の淀んだ空気とは明らかに違う、澄んだ、そしてどこか神聖さすら感じさせる匂いがした。

 好奇心と、そして未知への恐怖が、彼の心の中でせめぎ合う。

 一瞬の躊躇。

 だが、彼の口から漏れたのは、かつての上司の口癖だった。

 

「……虎穴に入らずんば、か」

 

 このまま浅層で小銭稼ぎを続けるだけでは、元の世界に帰るという目的は、永遠に果たせないかもしれない。

 リスクを冒さなければ、リターンは得られない。それは、シーカーとしての彼の信条でもあった。

 彼は意を決し、ナイフを抜き放って構え、最大限の警戒と共に、幻影の壁の向こう側へと、その一歩を踏み出した。

 

 その先に何が待ち受けているのかも知らずに。

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