異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第130話 凱旋と金級昇格

 第七十層の主『不死黒鳥』を討ち果たした後、俺たちは青白く光る帰還用ゲートを抜け、大迷宮第一層の冒険者都市テルスへと帰還した。

 ゲートの光が収まり、ギルドの地下施設特有のひんやりとした空気が頬を撫でた瞬間、張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れるのを感じた。

 

 過負荷で悲鳴を上げていたナノマシンのインターフェースは、安全圏に入ったことを検知して徐々にアイドリング状態へと移行していく。右腕の火傷と左腕の凍傷はまだ痛むが、アドレナリンが引いていくにつれて、立っているのもやっとというほどの重い疲労感が全身にのしかかってきた。

 

「戻って、こられたんだな……」

 

 隣を歩くセレスティアが、白銀の槍を杖のように突き立てながらぽつりとこぼした。

 彼女の全身は煤にまみれ、金糸のような髪も埃でくすんでいる。だが、その青い瞳には、死線を越えた者だけが持つ強い光が宿っていた。

 

「ああ。俺たちの勝ちだ」

 

 俺は重い足を引きずりながら、セレスに頷き返した。

 背中側から、「えへへ、勝ったねぇ、ソースケ!」とネアの無邪気な声が聞こえてくる。俺のすぐ後ろをぴょこぴょこと跳ねるように歩く彼女の姿を見て、俺は心の底から安堵の息を吐き出した。

 

「ギルドマスターに報告しに行くぞ。不死鳥のドロップ品なんて、誰も見たことがないはずだからな」

 

 俺たちは地下施設から階段を上り、冒険者ギルドの喧騒が響く一階のフロアへと足を踏み入れた。

 いつも通り、多くの冒険者たちが依頼の掲示板の前に群がり、あるいは受付で手続きをしている。

 

 俺とセレスがフロアを進んでいくと、周囲の空気が少しずつ変わっていくのを感じた。

 普段なら銅級や銀級の冒険者たちでごった返しているギルドだが、俺たちの凄惨な出で立ちと、どこか常軌を逸した空気を纏っていたせいか、モーセの十戒のようにスッと道が開いたのだ。

 

「……彼ら、どこから帰ってきたんだ?」 「あの鎧、騎士の子か? ずいぶんとボロボロじゃねえか」

 

 ヒソヒソとした囁き声が波紋のように広がっていく。

 俺たちはそんな視線を無視して、受付の奥にあるギルドマスターの執務室へと真っ直ぐに向かった。

 扉をノックすると、中から「入れ」という野太い声が響く。

 

 執務室に入ると、歴戦の戦士のようなギルドマスターが、机に積まれた書類の山から顔を上げた。

 彼は俺たちの姿を見るなり、訝しげに眉をひそめた。

 

「カミヤに、セレスティア嬢か。中層の攻略に行っていたと聞いているが、随分と派手にやられたようだな。まさか五十層の『嵐を呼ぶもの』に返り討ちにでも遭ったか?」

 

 ギルドマスターの言葉に、俺は小さく鼻で笑った。

 五十層など、もう随分と昔のことのように感じられる。

 

「いいや。五十層の怪鳥なら、とっくに炭にしてきたよ」

 

 俺がそう言うと、ギルドマスターは目を丸くした。

 

「なんだと? じゃあ、お前らどこから帰ってきたんだ」

 

 俺は背負っていたリュックを肩から下ろし、乱暴に机の上へと置いた。

 そして、その中から革袋を取り出し、中身を机の上にぶちまけた。

 真っ黒な灰の塊。そして、ほんのりと赤黒い光を放つ、ひび割れた巨大な魔石の欠片だ。

 それが何であるかを察した瞬間、ギルドマスターの表情が驚愕に凍りついた。

 

「おい、まさか……それは……」

 

「大迷宮第七十層。主である『不死黒鳥』のドロップ品だ。ギルドの公式記録、更新させてもらうぜ」

 

 俺の言葉が落ちた瞬間、執務室の空気が完全に停止した。

 ギルドマスターは机の上の魔石の欠片を震える手で手に取り、信じられないものを見るような目で俺とセレスを交互に見つめた。

 中層の完全制覇。そして、未踏破だった下層の「主」の突破。

 それは、このテルスの街の歴史が始まって以来の偉業だった。

 

「……本当か。本当にお前ら、七十層を抜けたのか」

 

 ギルドマスターの声が微かに裏返っている。

 セレスが一歩前に出て、凜とした声で答えた。

 

「誇りにかけて。我々は第七十層の主を討ち果たし、第七十一層へのゲートを確認して帰還いたしました」

 

 その言葉が決定打となった。

 ギルドマスターはバンッと大きな音を立てて両手で机を叩き、顔を真っ赤にして立ち上がった。

 

「す、すげえ……! お前ら、とんでもねえことをやり遂げやがった! 歴史が変わるぞ!」

 

 彼はそのまま執務室の扉を蹴り開け、ギルドのフロアに向かって雷鳴のような大声で怒鳴った。

 

「野郎ども、聞けええええッ!」

 

 ギルド内のすべての冒険者たちの視線が、一斉にこちらへと集まる。

 

「神谷蒼介とセレスティア・エッケハルトのパーティが、たった今、大迷宮第七十層の主を討伐して帰還したぞおおおおッ!!」

 

 水を打ったような静寂。

 一秒、二秒、三秒。

 その意味を全員の脳が理解するまでのわずかな空白の後。

 

「うおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 建物の屋根を吹き飛ばすのではないかというほどの、地鳴りのような歓声が湧き上がった。

 冒険者たちが次々と武器を振り上げ、ジョッキを叩きつけて狂喜乱舞する。

 

 それは彼らにとっても、人類が迷宮の深淵に一歩近づいたという希望の証だったのだ。

 俺はあまりの熱気に気圧されそうになりながらも、悪い気はしていなかった。

 現代日本のダンジョンで、誰にも期待されず、ただ黙々と泥水のような依頼をこなしていた頃の俺からは、想像もつかないような光景だった。

 

「カミヤ・ソウスケ。セレスティア・エッケハルト」

 

 ギルドマスターが、興奮冷めやらぬ様子で俺たちの前に立った。

 彼の目は、真剣な敬意に満ちていた。

 

「お前たちの功績は、もはや銀級という枠に収まるものではない。ギルドの権限において、本日この刻をもって、お前たち二人を『金級冒険者』に昇格とする!」

 

 金級冒険者。

 それは政治的な理由で任命される白金級を除けば、純粋な実力者として冒険者が到達できる最高峰の栄誉だ。

 

 俺は自分の胸元で揺れる認識票に触れた。ついこの間まで銅級だったはずなのに、あっという間に金級へと駆け上がってしまった。

 上昇志向などなかったはずだが、仲間たちと共に手に入れたこの称号は、不思議と誇らしく思えた。

 

「謹んで、お受けいたします」

 

 セレスが深々と頭を下げ、俺もそれに倣って軽く会釈をした。

 

「ソースケ! セレちゃん! すごい、すごいよ! 金級だって!」

 

 ネアが俺の横でぴょんぴょんと跳ね回りながら、自分のことのように喜んでいる。

 彼女には冒険者の階級など関係ない。魔人族の隠れ里から出てきて、ただ俺たちと一緒にいることが楽しいのだ。

 

「お前のおかげだ、ネア」

 

 俺は小さく呟き、彼女の頭を軽く撫でた。

 ギルド全体が祝祭の空気に包まれる中、俺たちはひとまず手続きを済ませ、泥と血を洗い流すために宿へと向かったのだった。

 

 

 * * *

 

 

 その日の夜。

 俺たちはテルスの街でも一際賑わっている大きな酒場の一角で、ささやかな祝賀会を開いていた。

 

 店の中は、七十層突破の噂を聞きつけた冒険者たちで満員御礼だ。時折こちらに祝杯を掲げてくる連中に軽く手を挙げながら、俺は冷えたエールの入ったジョッキを傾けた。

 ナノマシンによる疲労回復はある程度進んでいるが、火傷と凍傷のダメージはまだ完全に抜けきっていない。アルコールが傷口に染み渡るような感覚があったが、今日くらいは酔っ払ってもバチは当たらないだろう。

 

「ソースケ、金級おめでとう! すごいすごい!」

 

 隣の席では、ネアが俺の腕に抱きつきながら無邪気に跳ね回っていた。

 彼女は新しい薄緑色のチュニックを着ている。迷宮の汚れは魔法できれいに落ちており、石鹸のいい匂いがした。

 普段はフードで隠している二本の角も、酒場の薄暗い照明と喧騒の中ではそれほど目立たない。

 

「お前のおかげだよ。お前の暗示がなきゃ、あんな化け物相手に手も足も出なかった」

 

 俺はジョッキをテーブルに置き、笑いながら答えた。

 本当に、彼女の認識阻害がなければ、俺は黒焔の障壁を破る隙を作れなかった。彼女は間違いなく、俺たちにとって欠かせない最高の仲間だ。

 

「えへへぇ……もっと褒めて褒めて!」

 

 ネアが子犬のように擦り寄ってくる。

 俺は苦笑しながら、ふと彼女の前のテーブルに視線を落とした。

 

 そこには、俺が特別に注文してやった、肉厚のオークのローストや山盛りの果物、甘い焼き菓子が乗った皿が並んでいる。

 初めて人間の街で串焼きを食べた時、あんなに目を輝かせていた彼女だ。こんなご馳走を見れば、飛びつくように食べると思っていた。

 だが、皿に乗った料理は全く減っていなかった。

 フォークやナイフを動かした形跡すらなく、ただ湯気を立てているだけだ。

 

「どうしたネア。お前、食わないのか?」

 

 俺が不思議に思って尋ねると、ネアはペロッと舌を出して悪戯っぽく笑った。

 

「さっきお部屋で、セレちゃんが買ってくれた林檎のお菓子、つまみ食いしちゃってお腹いっぱいなんだ~」

 

「お前なぁ……せっかくの祝賀会なのに、先にお菓子でお腹いっぱいにする奴があるかよ」

 

 俺は呆れてため息をつきながら、自分の皿の肉を切り分けた。

 まあ、女の子なんてそんなものかもしれない。

 俺は肉を口に運びながら、向かいの席に座る、思い詰めたような顔をしているセレスへと視線を向けた。

 

「おいセレス、お前も食わないのか?」

 

 俺が声をかけると、セレスはビクッと肩を震わせた。

 

「あ、ああ……」

 

 セレスは短く答えたきり、うつむいてしまった。

 彼女の目の前にあるエールのジョッキには、たっぷりと冷たい液体が注がれたままだ。一口も飲んでいないらしい。

 それどころか、彼女の様子が明らかにおかしいことに、俺はようやく気がついた。

 いつもなら、勝利の後は誰よりも騎士としての誇りを語り、美味そうにエールを煽るはずの彼女が、今日は一言も喋ろうとしない。

 彼女は両手を膝の上で固く握りしめ、小刻みに震えている。

 

 そして、顔を上げた彼女の目を見た瞬間、俺は息を呑んだ。

 セレスの青い瞳は、今にも泣き出しそうなほどに赤く充血し、ひどく痛ましい色を浮かべていたのだ。

 

「どうした、セレス? どこか痛むのか?」

 

 俺は怪訝に思いながら身を乗り出した。

 七十層での激戦だ。俺が気づかないだけで、彼女も相当な深手を負っているのかもしれない。

 

 だが、セレスは俺の問いかけに答えず、ただギリッと強く下唇を噛み締めるだけだった。

 彼女の目から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ち、木製のテーブルに染みを作った。

 

「……セレス?」

 

 俺の心の中に、冷たい不安がよぎる。

 なぜ彼女は泣いているんだ。俺たちは勝ったじゃないか。生き残ったじゃないか。

 その時、俺はさらに奇妙なことに気がついた。

 いつもなら、こういう時には必ず口を挟んでくるはずの、腰のペンダントにいるリリアーナ。

 彼女が、今日は酒場に来てから全く声を出さないのだ。

 

「おい、リリア。お前もどうしたんだ。セレスの様子がおかしいぞ」

 

 俺はペンダントに触れながら声をかけた。

 しかし、銀の装飾からは何の反応も返ってこない。

 魔力の波長は感じられる。彼女の魂は確かにそこにいる。

 だが、まるで息を潜めて、俺という存在から目を逸らそうとしているかのような、重苦しい沈黙がそこにはあった。

 

「お前ら、本当にどうしたんだよ。何かあったのか?」

 

 俺の問いかけに、ネアが俺の袖を引っ張った。

 

「ソースケ、セレちゃんきっと疲れちゃったんだよ。あんなにいっぱい魔法使ってたし」

 

 ネアの明るい声が、やけに酒場の喧騒から浮いているように感じられた。

 俺はセレスの顔と、ネアの顔を交互に見比べた。

 セレスは泣き出しそうな目で俺を見つめ、ネアは無邪気な笑顔で俺に抱きついている。

 なんだ、このチグハグな空気は。

 まるで、俺だけが全く別の世界に取り残されているような、強烈な違和感。

 

(激戦の疲労と、生き残った安堵が出た、のか……?)

 

 無理もない。七十層の不死鳥戦は、俺たちの精神と肉体を極限まで削り取るものだった。

 俺も火傷と凍傷で感覚が麻痺している。セレスは魔力枯渇寸前まで自分を追い込んでいたし、リリアも俺の無茶な魔力運用に付き合わされて相当な負担を強いられたはずだ。

 緊張の糸が切れて、感情のコントロールが効かなくなっているのだろう。

 俺はそう自分を納得させ、努めて明るい声でセレスに声をかけた。

 

「疲れてるなら、お前ら先に戻って休んでていいぞ。無理して祝賀会に付き合う必要はないからな」

 

 俺がそう言うと、セレスはビクッと肩を跳ねさせ、俺の顔をまじまじと見つめた。

 彼女の唇が震え、何かを言いかけようとして、そして力なく閉ざされる。

 

「……ああ」

 

 セレスは掠れた声で、短く答えた。

 

「そう……させてもらう。すまない、ソウスケ。私は、少し疲れたようだ」

 

 彼女は椅子から立ち上がり、俺の顔を直視できない様子で、逃げるように足早に酒場を出て行った。

 その背中は、まるで耐え難い悲しみを一人で抱え込んでいるように見えた。

 

「行っちゃったね。セレちゃん、本当にお疲れだったんだ」

 

 ネアがテーブルに顎を乗せながら、残念そうに呟いた。

 俺は残されたジョッキのエールを一気に飲み干し、大きく息を吐き出した。

 

「ああ。あいつは真面目だからな、無意識のうちに気を張ってたんだろう」

 

 俺は空になったジョッキを置き、隣で微笑むネアを見た。

 彼女の笑顔を見ていると、胸の奥にあったモヤモヤとした不安がスッと消え去っていくような気がした。

 

 疲れているのは俺も同じだ。だから、ちょっとした仲間たちの不調を敏感に感じ取ってしまっただけのこと。

 何も心配することはない。

 俺たちは勝ったのだ。

 そして、かけがえのない仲間たちと共に、これからも迷宮の底を目指していく。

 

「お前も、疲れたらちゃんと言えよ。無理は禁物だぞ」

 

「ううん、私はソースケと一緒にいるから元気いっぱいだよ!」

 

 ネアは満面の笑みで答え、俺の腕にぎゅっとしがみついた。

 彼女の体温が、服越しに伝わってくる。

 俺はネアと二人きりになった酒場の席で、周囲の喧騒をBGMにしながら、七十層突破の余韻に深く静かに浸っていた。

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