異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第132話 噛み合わない歯車

 第七十一層【巨人の洞穴】の探索は、これまでの常識を根底から覆すようなものだった。

 どこまでも続く巨大な空間。見上げるような高い天井からは、ビルよりも太い巨大な鍾乳石が垂れ下がり、足元の岩肌には、俺たちの身長などゆうに飲み込んでしまうほどの深い亀裂が走っている。

 

 何もかもが規格外にデカい。

 自分が小人にでもなってしまったかのような錯覚に陥るこの場所では、距離感も方向感覚もたちまちのうちに狂わされてしまう。

 ナノマシンをフル稼働させて【探知(サーチ)】を展開しても、探知範囲の五十メートルなど、この途方もないスケールの前ではほんのわずかな領域しかカバーできなかった。壁の向こう側を透視しようにも、壁そのものが分厚すぎてエラーを吐き出す始末だ。

 自衛のできる俺とセレスは少し距離を開けて歩く。せめてもの抵抗として、目で見える範囲を拡げようとしていた。

 

 だが、そんな絶望的な状況でも、俺の隣には頼もしい道案内がいた。

 

「こっちだよ、ソースケ! この風のにおい、隠れ里の近くの山にすっごく似てるの!」

 

 ネアが薄緑色のチュニックの袖を翻し、俺の少し前を跳ねるように歩いている。

 彼女は時折立ち止まっては、空中でかすかに流れる洞窟の冷気を鼻先で嗅ぎ取り、進むべき道を指し示してくれた。

 魔人族特有の、自然や精霊と調和する感覚。

 機械的なレーダーが通用しないこの場所で、彼女の直感はどんな最新鋭のマップよりも正確だった。

 

「お前がいてくれて本当に助かるよ、ネア。お前がいなけりゃ、今頃とっくに迷子になってただろうな」

 

 俺が微笑みかけると、ネアは振り返って「えへへぇ」と照れくさそうに笑った。

 彼女の紫色の瞳が、洞窟の薄暗い発光ゴケの光を受けてキラキラと輝いている。

 

 七十層での死闘を乗り越えたばかりだというのに、彼女の足取りは驚くほど軽やかだった。

 その笑顔を見ていると、俺の胸の中にあった漠然とした不安がスッと消えていくのを感じる。

 

(やっぱり、仲間ってのはいいもんだな)

 

 誰にも背中を預けられず、ただ一人で泥水をすすっていた頃の俺には、こんな感情はわからなかった。

 誰かを頼り、誰かに頼られる。

 その当たり前の温かさが、今の俺を突き動かす原動力になっていた。

 

 だが、俺たちから少し離れて後ろを歩いているセレスティアの様子は、どうにもおかしかった。

 ザッ、ザッ、という彼女の重い足音が、洞窟の静寂の中で不自然に響いている。

 時折、後ろを振り返って様子を窺うと、彼女は俺の背中――いや、正確には俺とネアの方を、ひどく思い詰めたような顔で見つめていた。

 そして、何かを言いかけようと唇を震わせ、結局ギリッと強く噛み締めて俯いてしまうのだ。

 

「なあセレス、本当に大丈夫か? さっきから足取りが重いぞ」

 

 俺が足を止めて声をかけると、セレスはビクッと肩を震わせ、慌てて視線を逸らした。

 

「い、いや……。問題ない。ただ、少し……疲労が残っているだけだ」

 

 彼女の声は掠れており、覇気がまるでなかった。

 白銀の甲冑に身を包んだ誇り高き騎士の面影はどこへやら、今の彼女はまるで怯えた子供のように小さく見えた。

 

「無理はするなよ。金級に上がったからって、急に背負い込む必要はないんだからな」

 

 俺がそう言うと、セレスは何かをこらえるように目を伏せ、小さく頷いた。

 やはり、下層のプレッシャーにビビっているのだろうか。それとも、あの七十層での絶体絶命の戦いが、彼女の心に深いトラウマを植え付けてしまったのか。

 真面目すぎるが故の不調。

 そう結論づけた俺は、それ以上深くは追求せず、再び前を向いて歩き出した。

 

 腰のペンダントに触れてみる。

 いつもなら、セレスが弱音を吐きそうになれば、リリアーナが上品な口調で励ましたり、俺のデリカシーのなさをたしなめたりしてくるはずだ。

 だが、今日のリリアは信じられないほど無口だった。

 

「おいリリア、道順これで合ってると思うか?」

 

 俺が軽く叩いて尋ねてみる。

 数秒の沈黙の後、微かに銀の装飾が震え、弱々しい声が頭の中に響いた。

 

『……ええ。ソウスケさんの判断にお任せしますわ』

 

「なんだよ、お前まで調子悪いのか。下層の魔力が強すぎて酔ったか?」

 

『……ええ。申し訳ありません。少し、休ませていただきます』

 

 それきり、リリアからの反応は完全に途絶えてしまった。

 セレスに続いて、リリアまでこの有様だ。

 俺は小さくため息をついた。

 

(しょうがない。ここは俺とネアで引っ張っていくしかないな)

 

 俺は気を引き締め直し、ナノマシンの出力を微調整した。

 ネアの案内で広大な洞窟を縫うように進んでいく。

 しばらく歩いていると、洞窟の空気がかすかに変わったのを感じた。

 埃っぽい乾燥した空気に混じって、獣の放つ独特な腐臭が漂ってきたのだ。

 

 ピコンッ。

 右目の網膜に投影された【探知(サーチ)】のレーダーが、前方の暗がりから巨大な生命反応を拾い上げた。

 

「止まれ! 何か来るぞ!」

 

 俺が低く鋭い声で警告を発する。

 同時に、ズシン、ズシンという重い地響きが洞窟を揺らし始めた。

 暗闇の奥から、二つの赤い発光体がこちらを睨みつけている。

 発光ゴケの光に照らされて、そいつの姿が徐々に浮かび上がってきた。

 

「なんだ、あのアホみたいなデカさは……!」

 

 俺は思わずナイフの柄を強く握りしめた。

 現れたのは、巨大なカブトムシのような姿をした魔物だった。

 だが、そのサイズが狂っている。

 全長は優に十メートルを超え、現代日本のダンプカーがそのまま魔物になったかのような圧倒的な質量を誇っていた。

 漆黒の分厚い外殻は金属のような光沢を放ち、頭部には巨大な三本の角が前方に突き出している。

 

「外のダンジョンで見たことがある『アーマー・ビートル』だが、あの大きさは……! この階層は魔物まで規格外だというのか!」

 

 後ろからセレスが槍を構え、緊迫した声を上げた。

 俺のナノマシンが瞬時に敵の生体構造を解析する。

 

 外殻の硬度は異常だ。正面から俺のナイフで切りつけたところで、傷一つつけられないだろう。セレスの雷魔法も、あの分厚い装甲には弾かれる可能性が高い。

 だが、どんな装甲にも必ず隙間はある。関節部や腹部の柔らかい部分。そこを狙うしかない。

 

「ギチチチチチッ!」

 

 巨大な甲虫が、顎を打ち鳴らして不快な音を立てた。

 次の瞬間、奴は六本の太い脚で地面を抉りながら、俺たちに向かって一直線に突進してきた。

 

 ダンプカーがノーブレーキで突っ込んでくるような、純粋な物理的暴力。

 回避しようにも、通路は広いが奴の巨体がその大部分を塞いでいる。

 

「セレス、足を止めろ!」

 

 俺は背後のセレスに指示を飛ばした。

 

「なっ……!? 正気か!」

 

「いいからそこで雷の魔力を限界まで練ってろ! 迎撃のタイミングは俺が作る!」

 

 俺はセレスをその場に留まらせ、前にいるネアに向かって叫んだ。

 この巨大な質量の突進をまともに受ければ、セレスの防御ごとミンチにされる。

 奴の狙いを逸らし、側面や背後から柔らかい関節部を狙い撃つ必要があるのだ。

 

「ネア、奴に『正面に俺がいる』と暗示を掛けて引きつけてくれ。その隙に俺が側面に回り込んでアンカーを撃ち込む」

 

 俺の作戦はシンプルだ。

 ネアの認識阻害を使って、突進してくるアーマー・ビートルの視覚と進行方向を狂わせる。

 虚空に向かって突進させ、壁に激突するか隙を晒した瞬間に、俺とセレスで一気にトドメを刺す。

 

「わかった!」

 

 ネアは元気よく返事をすると、両手を大きく広げて魔物の正面に立ちはだかった。

 彼女の紫色の瞳が強く光り、強力な精神干渉の波長が放たれる。

 

「こっちだよ! ソースケはこっちにいるよ!」

 

 ネアが可愛い声で陽動の言葉を叫ぶ。

 よし、これで奴の意識は完全にネアの作り出した幻影へと向かうはずだ。

 

 俺はすぐさま【迅速(ブースト)】を起動し、超加速で魔物の突進軌道から大きく右へと逸れた。

 腰のアンカーショットを抜き放ち、側面から奴の脚の関節部にワイヤーを撃ち込んで転倒させる算段だ。

 

 ズゴゴゴゴゴォォォッ!!

 

 アーマー・ビートルが土煙を上げながら猛スピードで突っ込んでくる。

 俺は右側面に回り込み、アンカーの照準を合わせた。

 さあ、ネアの暗示に引っかかって、明後日の方向へ曲がれ!

 

 しかし。

 

「……は?」

 

 俺の予想に反して、アーマー・ビートルは一切軌道を変えなかった。

 奴はネアの暗示など全く受けていないかのように、真っ直ぐに直進を続けたのだ。

 

 いや、それどころか、奴の突進の矛先は、ネアを完全に無視していた。

 セレスでもなく、なぜか俺が最初からいた位置の延長線上にある、巨大な岩壁に向かって一直線に突っ込んでいったのだ。

 

 ドッッッカァァァァンッ!!!

 

 洞窟が崩落するかと思うほどの凄まじい轟音が響き渡った。

 アーマー・ビートルの巨大な角が硬い岩壁に深々と突き刺さり、その凄まじい質量の勢い余って、奴の巨体は後方へと大きく跳ね上がった。

 

 そのまま自らの突進の反動で空を舞い、ゴロンッと無様に仰向けにひっくり返る。

 六本の脚が空中でジタバタともがいているが、甲虫特有の悲しさか、自力で起き上がることはできないようだった。

 

「…………おい」

 

 俺は構えていたアンカーショットを下ろし、唖然としてその光景を見つめた。

 ネアが暗示をかけたはずなのに、奴は完全にネアを無視して岩壁に自爆した。

 俺が右に避けたから軌道が変わると思ったのに、なぜか一直線に壁に突っ込んだのだ。

 

「おい、ネア。 方向がズレてるぞ」

 

 俺は岩壁の近くに立っているネアに向かって、少し呆れたように声をかけた。

 

「暗示をかける対象の位置がずれてたじゃないか。結果オーライとはいえ、危ないところだったぞ」

 

 俺が注意すると、ネアは振り返って、ペロッと舌を出した。

 

「えへへ、ごめんごめん! ちょっと間違えちゃった!」

 

 彼女は頭をかきながら、悪びれる様子もなく笑っている。

 まあ、あの図体で自爆してくれたんだから、結果としては一番楽な展開になったわけだが。

 

「ソウスケッ! 大丈夫か!?」

 

 セレスの鋭い声が響いた。

 ひっくり返って無防備な腹部を晒しているアーマー・ビートルに向かって、セレスが跳躍していた。

 

「こっちは問題ない! そのままブッ刺せ!」

 

 彼女の白銀の槍には、先ほどから練り上げていた極太の紫電が纏われている。

 雷の魔力がパチパチと放電し、周囲の空気を焦がしていた。

 

「穿て!」

 

 セレスの渾身の突きが、甲虫の柔らかい腹部へと真っ直ぐに突き刺さる。

 装甲に守られていない弱点に、限界まで圧縮された雷のエネルギーが直接流し込まれた。

 

「ギイィィィィィィッ!!」

 

 アーマー・ビートルが耳障りな断末魔の悲鳴を上げ、全身を痙攣させる。

 内部から焼け焦げる不快な臭いが立ち込め、数秒後には、その巨大な魔物は完全に動きを止め、生命活動を停止した。

 

「ふう……。なんとか片付いたな」

 

 俺は【迅速(ブースト)】を解除し、軽く肩を回しながらセレスの方へと歩み寄った。

 結果的に俺は何もしていないに等しい。ネアの陽動(?)のおかげで自爆した魔物に、セレスがトドメを刺しただけだ。

 

「ナイスだ、セレス。見事な一撃だったぞ」

 

 俺が労いの言葉をかけながら近づいていくと、魔物の死骸から槍を引き抜いたセレスが、荒い息を吐きながらこちらを振り向いた。

 その顔を見て、俺は足を踏み止まった。

 彼女の表情は、魔物を倒した安堵や達成感など微塵もなかった。

 激しい怒りと、それ以上の深い悲しみ、そして困惑が入り混じったような、ひどく痛ましい顔をしていたのだ。

 

 ザッ、ザッ、と。

 セレスは重い足取りで俺に歩み寄ってくると、いきなり俺の肩を両手で強く、痛いほどに掴んだ。

 

「セレス……? どうしたんだ、急に」

 

 俺が驚いて尋ねると、彼女は充血した青い瞳で俺をキッと睨みつけた。

 

「ソウスケ、一人で無理をするな!」

 

 洞窟に反響するほどの、悲痛な叫びだった。

 

「……すべてをお前一人で抱え込む気か!?」

 

 俺は彼女が何を言っているのか、全く理解できなかった。

 一人で無理をする? 抱え込む?

 

「……何言ってんだ?」

 

 俺は心底不思議に思って首を傾げた。

 彼女は俺の顔を、まるで正気を失った狂人を見るような、あるいはひどく可哀想なものを見るような目でじっと見つめた。

 彼女の掴む手の力が、ブルブルと震えているのがわかる。

 ギリッ、と彼女が強く奥歯を噛み締める音が聞こえた。

 

「…………もう、いい!」

 

 セレスは俺の肩から手を離し、肩をいからせて俺に背を向けた。

 そして、逃げるように足早に歩き出し、倒れた魔物の死骸の向こう側へと去っていってしまった。

 

「おい、セレス! なんだってんだよ、一体」

 

 俺は呼び止めたが、彼女は振り返らなかった。

 ぽつんと取り残された俺は、頭を掻きむしった。

 

 なんであいつはあんなに怒っているんだ?

 確かに、ネアの暗示の方向がズレて壁に自爆するというマヌケな展開にはなったが、誰も怪我をしていないし、結果オーライじゃないか。

 それを意味不明な説教をしてくるなんて。

 金級に上がったプレッシャーでおかしくなったとしか思えない。

 

「セレちゃん、怒っちゃったね」

 

 隣から、ネアが申し訳なさそうな声で言った。

 彼女は俺の顔を見上げて、シュンと肩を落としている。

 

「私が魔法の方向、間違えちゃったからだよね……。ごめんね、ソースケ」

 

「気にするな。お前のせいじゃないさ」

 

 俺はため息をつきながら、ネアの頭を優しく撫でた。

 

「あいつは真面目すぎるんだよ。自分の思い通りに戦術がハマらないと、イライラしちまうんだろう。少し放っておけば落ち着くさ」

 

「うん……」

 

 ネアは不安そうに頷き、俺の外套の裾をギュッと握りしめた。

 俺はその感触に安心感を覚えながら、倒れたアーマー・ビートルの死骸から魔石を回収する作業に取り掛かった。

 

「よし、魔石は回収した。行くぞ、ネア」

 

「うんっ! こっちだよ、ソースケ!」

 

 俺は笑顔で応えるネアと共に、巨大な洞窟の奥へと歩き出した。

 前方で立ち止まっているセレスの背中が、ひどく遠く、小さく見えた。

 

 俺たちの間に生じた決定的な歯車のズレは、大迷宮の暗闇の中で、誰にも気づかれることなく静かに、そして確実に軋み音を立て始めていた。

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