異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第133話 神話級の暴力

 大迷宮第七十三層。

 【巨人の洞穴】と呼ばれるこの下層エリアは、進めば進むほどその異常なスケールで俺たちの精神をじわじわと削り取っていった。

 

 道幅は軽く数十メートルを超え、見上げる天井は暗闇に霞んで見えない。足元に転がっている単なる小石でさえ、俺の背丈ほどの大きさがあった。

 自分がまるで小さな虫ケラにでも成り下がったかのような錯覚。

 ナノマシンの【探知(サーチ)】を最大出力で展開しても、得られる情報はこの広大な空間のほんの一部に過ぎない。常に視界の端が暗闇に溶け込んでおり、どこから何が飛び出してくるか分からないというプレッシャーが、歩みを進めるごとに両肩へのしかかってきた。

 

(広すぎる。これじゃあ罠を避けるのも一苦労だ)

 

 俺は油断なく周囲へ視線を巡らせながら、荒い息を細く吐き出した。

 七十層での死闘のダメージは、まだ完全に抜けきってはいない。右腕の火傷も左腕の凍傷も、ナノマシンの【自己修復(リペア)】によって表面上は塞がっているが、深部の神経は時折ズキリと鈍い痛みを主張してくる。

 それでも足を止めるわけにはいかなかった。

 

 ふと、少し前を歩くネアの姿が目に入った。

 彼女は薄緑色のチュニックの裾を揺らしながら、相変わらず軽やかな足取りで進んでいる。俺が視線を向けたことに気づくと、彼女は振り返って小さく手を振った。

 俺は背後を歩くセレスに気づかれないよう、ネアに向かって微かに頷きを返す。

 

 セレスは最近、どうも様子がおかしい。おそらく、下層の重圧と、金級冒険者になったという責任感が彼女を追い詰めているのだろう。真面目すぎる彼女のことだ、俺が緊迫感なく振る舞っているように見えて、苛立っているのかもしれない。

 

(だからといって、ネアを邪険にするわけにはいかないからな)

 

 俺はネアが機嫌良く前を歩くのを確認し、再び周囲の警戒に意識を戻した。

 しばらく巨大な回廊を進んでいくと、急に目の前の空間が開けた。

 

 そこは、地下にあるとは思えないほどの広大な空洞だった。ドーム状になった天井からは巨大な発光ゴケが不気味な青緑色の光を放ち、スタジアムをいくつも並べたような広大な岩肌の平原を照らし出している。

 

 その瞬間、俺の右目の網膜に投影されていたレーダーが、けたたましい警告音と共に真っ赤に染まった。

 探知範囲のギリギリ外側。

 だが、そこから放たれる圧倒的な生命反応と魔力の波長は、隠しようがないほど強烈だった。

 

「セレス、止まれ。何かいる」

 

 俺が低く声をかけると、背後のセレスが即座に白銀の槍を構えた。

 

 ズシン。

 ズシン。

 

 地鳴りのような足音が、広大な空洞の奥から響いてくる。

 一歩ごとに地面が微かに揺れ、発光ゴケの青緑色の光を遮るように、途方もなく巨大な影がゆっくりと姿を現した。

 

「……冗談だろ」

 

 俺は無意識のうちにナイフの柄を強く握りしめていた。

 暗がりから現れたのは、見上げるほどの巨躯を誇る人型の魔物だった。

 身長は優に十メートルを超えている。岩のように筋骨隆々とした赤茶色の肉体。顔の半分を占めるような巨大な単眼が、らんらんと凶悪な光を放ってこちらを睨み下ろしていた。

単眼の巨人(サイクロプス)』。

 その右腕には、大木を丸ごと根元から引き抜いて削り出したような、無骨で巨大な棍棒が握られている。

 

「あれが、巨人の洞穴の名の由来か……」

 

 セレスが掠れた声で呟く。

 彼女の槍の穂先が、かすかに震えていた。

 アーマー・ビートルとは次元が違う。あれは知性があるのか怪しい昆虫だったが、目の前の巨人は明確な殺意と闘争本能を持って俺たちを標的に定めていた。

 

「グルォォォォォッ!!」

 

 サイクロプスが天を仰いで雄叫びを上げた。

 空気がビリビリと震え、鼓膜が破れそうなほどの音圧が全身を打ち据える。

 奴は太い丸太のような足で地面を蹴り、その巨体に似合わぬ猛スピードでこちらに向かって突進してきた。

 

「セレス、前に出るな! 距離を取れ!」

 

 俺は叫びながら、自らは前方へと躍り出た。

 真正面からあの棍棒を受ければ、盾ごとセレスが叩き潰される。俺の機動力で攪乱し、隙を作るしかない。

 俺は体内のナノマシンにアクセスし、【迅速(ブースト)】を起動した。

 

 神経伝達が爆発的に加速し、周囲の風景がスローモーションのように引き伸ばされる。

 俺は黒い弾丸となって地面を蹴り、サイクロプスの巨体に向かって肉薄した。

 

 ブォンッ!

 

 サイクロプスが巨大な棍棒を横薙ぎに振り抜いた。

 ただの一振り。それだけで台風のような暴風が巻き起こり、俺の体を吹き飛ばそうとする。

 棍棒がかすった地面の岩盤が、まるでビスケットのように呆気なく粉砕され、無数の破片となって散弾のように飛び散った。

 

(くそっ、リーチが違いすぎる!)

 

 俺は飛来する岩の破片をナイフで弾き落としながら、舌打ちをした。

 懐に飛び込もうにも、あの巨大な棍棒の旋回範囲内に入れば一瞬で肉塊に変えられる。

 スピードはこちらが上だが、攻撃を当てるための絶対的な距離が足りないのだ。

 

 ズドォォン! と棍棒が地面に叩きつけられ、俺は衝撃波で体勢を崩しかけた。

 このままではジリ貧だ。何か、奴の動きを止める手立てはないか。

 

 俺は素早く周囲を見渡し、近くの岩陰に身を隠しているネアの姿を捉えた。

 セレスは俺の背後、かなり遠い位置で雷の魔力を練り上げている。

 

 俺はネアの方へ顔を向け、指示を出した。

 

「ネア、奴の足元が泥沼だと錯覚させろ。足を止めろ」

 

 俺の意図を察したネアは、力強く頷いて見せた。

 彼女は岩陰から身を乗り出し、サイクロプスに向かって両手を突き出す。

 何か呪文を唱えるような仕草。彼女の紫色の瞳が、淡く発光しているように見えた。

 

 その直後だった。

 

「グォ……?」

 

 サイクロプスが棍棒を振り上げようとした瞬間、その動きが不自然にピタリと止まった。

 奴は自分の足元を不思議そうに見下ろし、まるで深い泥沼に足を取られたかのように、太い足を重々しく引き抜こうとする動作を見せたのだ。

 

(かかった! ネアの暗示が効いたんだ!)

 

 俺の目には、サイクロプスの動きが明らかに鈍ったように見えた。

 幻の泥沼に足を取られ、バランスを崩してよろめく巨体。

 その隙を、俺が見逃すはずがない。

 

「今だ!」

 

 俺は【迅速(ブースト)】の出力を最大まで引き上げ、一気にサイクロプスの懐へと飛び込んだ。

 奴が足元の幻覚に気を取られている間に、その無防備な巨大な膝の裏へと滑り込む。

 腰からアンカーショットを引き抜き、銃口を巨人の膝の関節部分に直接押し当てた。

 

「倒れろッ!」

 

 引き金を引く。

 火薬の爆発音と共に、特殊合金製のアンカーが分厚い皮膚を突き破り、サイクロプスの膝裏の筋に深々と食い込んだ。

 俺はそのまま地面を蹴って後方へ跳躍し、ワイヤーを近くの巨大な石柱へと素早く巻き付けた。

 

「グオォォォッ!?」

 

 サイクロプスが痛みに吼え、強引に足を踏み出そうとする。

 だが、ワイヤーで固定された膝の関節がそれに逆らい、奴の巨体は完全にバランスを崩した。

 ズズンッ! と地響きを立てて、サイクロプスが片膝をつく。

 大木のような棍棒が手から滑り落ち、地面を激しく叩いた。

 

「いまだ、セレス!」

 

 俺が叫ぶよりも早く、後方から強烈な紫電の光が空洞を照らし出した。

 極限まで魔力を練り上げていたセレスが、大地を蹴って宙高く跳躍していた。

 彼女の白銀の槍は、もはや一つの雷光の柱と化している。

 片膝をつき、無防備に顔を下げたサイクロプス。その巨大な単眼に向かって、セレスは真っ直ぐに急降下した。

 

「我が雷霆よ、巨躯を穿て!」

 

雷刃(ライトニング・ピアス)】。

 セレスの渾身の一撃が、サイクロプスの単眼の中央に寸分の狂いもなく突き刺さった。

 眼球を貫き、脳髄へと直接流し込まれる莫大な雷のエネルギー。

 

「ゴガアアアアアァァァァァァッ!!!」

 

 サイクロプスが天を仰ぎ、凄まじい断末魔の絶叫を上げた。

 巨体の内側から雷光が弾け、眼球から黒焦げの煙が噴き出す。

 

 数秒の激しい痙攣の後、神話級の魔物は糸の切れた操り人形のように、ドスーンと仰向けに倒れ伏した。

 巨大な空洞に、土煙が濛々と舞い上がる。

 そして、完全な静寂が訪れた。

 

「はぁっ……、はぁっ……」

 

 俺はワイヤーを巻き取りながら、その場に膝をついた。

 ナノマシンの限界駆動による反動が、全身の筋肉を鈍器で殴られたような痛みに変えて襲ってくる。

 

 息をするだけで肺が焼けつくように痛い。

 だが、なんとか勝った。あの絶望的な質量を前にして、誰も欠けることなく勝利を収めることができたのだ。

 

 俺は荒い息を整えながら、岩陰の方へと顔を向けた。

 そこには、ホッとしたような笑顔を浮かべるネアの姿があった。

 俺はネアに向かって親指を立てた。

 

(ナイスだ、お前がいなきゃ潰されてたぜ)

 

 声には出さず、目配せだけで感謝を伝える。

 ネアは嬉しそうにえへへと笑い、俺に向かって小さく手を振り返してくれた。

 その無邪気な仕草に、俺の胸の中にあった強張りも少しだけ解けていく。

 

「……ソウスケ」

 

 不意に、背後から震える声が聞こえた。

 振り返ると、単眼の巨人から槍を引き抜いたセレスが、ふらつく足取りで俺の方へと歩み寄ってきていた。

 彼女の白銀の甲冑は土煙で汚れ、息も絶え絶えだった。

 だが、その表情は勝利の喜びなど微塵もなく、ただひたすらに、痛切な悲しみと怒りに歪んでいたのだ。

 

「セレス? どうした、怪我でもしたか?」

 

 俺が立ち上がろうとすると、セレスは俺の数歩手前で立ち止まり、槍を杖代わりにして体を支えた。

 彼女の青い瞳から、ポロリと大粒の涙がこぼれ落ちる。

 

「……やめてくれ、ソウスケ」

 

 絞り出すような、悲鳴にも似た声だった。

 

「お願いだから……もう、そんな戦い方は……!」

 

 彼女の叫びが、広大な洞窟の暗闇に虚しく吸い込まれていく。

 俺は完全に面食らってしまった。

 

「そんな戦い方って……。なんだよ、急に。俺の陽動でお前がトドメを刺す、完璧な連携だったじゃないか」

 

 俺の言葉に、セレスはギリッと強く下唇を噛み締めた。

 彼女の目には、俺がまるで正気を失った狂人であるかのように映っているのだろうか。

 確かに、今回はかなり危険な橋を渡った。俺が囮になって懷に飛び込まなければ、あの巨人は倒せなかったのだ。前衛の彼女からすれば、俺のその無謀な突撃が、命を粗末にしているように見えたのかもしれない。

 

「俺は死に急いでるわけじゃない。勝算があったから突っ込んだんだ。心配かけさせちまったなら悪かったな」

 

 俺は努めて軽く笑いながら、そう返した。  だが、セレスの表情は少しも晴れることはなかった。

 彼女はただ首を横に振り、ポロポロと涙を流し続けている。

 

「……違う。そうではない、ソウスケ……」

 

 セレスはそれ以上言葉を紡ぐことができず、俯いてしまった。

 俺はどうしていいか分からず、ただその場に立ち尽くすしかなかった。

 

 彼女がなぜここまで取り乱しているのか、俺には全く理解できなかったのだ。

 俺たちの戦術は噛み合っていたはずだ。ネアのサポートがあり、俺が隙を作り、セレスが決める。

 完璧な歯車だった。

 それなのに、なぜ彼女はこれほどまでに悲痛な顔をしているのだろうか。

 

(真面目すぎるんだよ、お前は……)

 

 俺は心の中でため息をつき、セレスの肩にそっと手を置いた。

 冷たい洞窟の風が、俺たちの間に生じた致命的な断絶を撫でて通り過ぎていった。

 

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