異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第135話 因縁の邂逅

 昨夜の冷たい岩穴での出来事は、俺の心に重く、そして奇妙な靄をかけたままであった。

 大迷宮第七十五層付近。

 【巨人の洞穴】と呼ばれるこの下層の空間は、相変わらず俺たちのちっぽけな存在をあざ笑うかのように、どこまでも巨大で静まり返っていた。

 見上げるような天井から垂れ下がる鍾乳石からは、忘れた頃に巨大な水滴が落ちてきて、地下湖のような水溜まりに反響音を響かせる。

 俺たちはその水溜まりを迂回し、ビルよりも太い石柱の森を縫うようにして歩みを進めていた。

 

 少し前方を、ネアが小走りで進んでいる。

 彼女の薄緑色のチュニックが発光ゴケの光を受けて淡く浮かび上がっていた。時折、彼女は立ち止まって風の匂いを嗅ぐような仕草をし、振り返って俺に無言で進むべき方向を指差してくれる。

 俺は彼女の案内に頼りきりだった。ただ、背後に不安定なセレスがいるため、俺はネアに向かって声をかけることはせず、ただ小さく顎を引いて頷くだけに留めていた。

 

 セレスは俺から数歩離れた後ろを、重い足取りで歩いている。

 昨夜、俺の胸ぐらを掴んで泣き崩れた彼女は、今朝になってから一言も口を開こうとしなかった。

 

 白銀の甲冑に身を包んだその姿は立派な騎士のそれだが、兜の下の表情は固く閉ざされ、俺と視線を合わせることすら避けているのがわかった。

 俺が一人で背負い込んでいる。ボロボロになっていくのを見ていられない。

 彼女のあの悲痛な叫びの意味が、俺にはどうしても理解できなかった。

 だが、あそこまで思い詰めた彼女の姿を見てしまえば、無理に言葉を交わす気にもなれない。今はただ、この重苦しい空気が少しでも薄れるのを待つしかなかった。

 

(リリアまで黙り込んじまうしな……)

 

 俺は腰のペンダントに触れながら、心の中でため息をついた。

 いつもなら俺の頭の中に直接響いてくるリリアーナの上品な声も、昨日の夜から完全に途絶えている。彼女は確かにそこにあるのだが、まるで外界との接触を自ら絶ってしまったかのように静かだった。

 噛み合わない歯車。

 俺たちのパーティは、致命的な何かを見落としたまま、ただ惰性で前へ進んでいるような危うさを抱えていた。

 

 どれくらい歩いただろうか。

 視界を遮っていた巨大な石柱の群れが途切れ、目の前に広大な空間が開けた。

 

 ドーム状になったその巨大な洞窟は、これまで見てきたどの空洞よりも広かった。天井の発光ゴケの光すら届かず、中央部分は完全な深い闇に沈んでいる。

 風の音も水滴の音もしない。

 あまりにも静かすぎる。完全な無音状態が、逆に鼓膜を圧迫してくるような異様な空間だった。

 

 俺が足を踏み入れたその瞬間だった。

 ピィィィィンッ!

 右目の網膜に投影されていたナノマシンの【探知(サーチ)】レーダーが、突如としてけたたましい警告音と共に真っ赤に染め上がった。

 

「止まれッ!」

 

 俺は低い声で鋭く指示を飛ばし、即座に腰のサバイバルナイフを抜き放った。

 前方を歩いていたネアがサッと近くの岩陰に身を隠すのが見えた。背後では、セレスが弾かれたように立ち止まり、白銀の槍を構える衣擦れの音が響く。

 

「ソウスケ、魔物か?」

 

 セレスの緊張を孕んだ声が背中越しに聞こえる。昨夜から一言も喋っていなかった彼女が、即座に戦闘態勢に入った。腐っても金級冒険者、その警戒心は本物だった。

 

「……いや、魔物じゃない」

 

 俺はレーダーの光点を見つめながら、背筋に冷たい汗が伝うのを感じていた。

 巨大な空洞の中央、深い闇の中に佇む一つの生命反応。

 

 それはサイクロプスのような規格外の巨大さではない。人間とほぼ同じサイズの、ごく小さな光点だ。

 だが、その光点から放たれる力の波長が異常だった。

 淀み、腐りきったような、凝縮された純粋な悪意の塊。

 ナノマシンが敵対生物として認識する前に、俺の生存本能が「あれは危険だ」と警鐘を鳴らしてやまなかった。

 

 コツ、コツ、コツ。

 

 静まり返った暗闇の中から、硬い靴音が響いてきた。

 一定の、ひどく落ち着いたリズムで、その足音はこちらへと近づいてくる。

 やがて、発光ゴケの微かな光が届く境界線から、一つの影がゆっくりと姿を現した。

 

 俺は息を呑んだ。

 現れたのは、不気味な黒紫色のローブを全身に纏った男だった。

 顔の上半分はローブの深いフードで隠れており、痩せこけた顎と、薄く笑みを浮かべた青白い唇だけが見える。手には、人間の背骨をねじ曲げて繋ぎ合わせたような、悪趣味な白い杖が握られていた。

 

 その黒紫色のローブの意匠を見た瞬間。

 俺の脳裏に、かつて中層の『静寂の水没都市』で触れた記憶の断片が、鮮烈なフラッシュバックとなって蘇った。

 炎に包まれた美しい街並み。逃げ惑う人々。

 それを冷酷に見下ろしながら、死の魔法を撒き散らしていた者たちが纏っていたのと同じ、禍々しい装束。

 

(こいつは……!)

 

 俺の全身の筋肉が硬直した。

 同時に、腰に下げた銀のペンダントが、突然火傷しそうなほどの熱を発し始めた。

 

 沈黙していたリリアーナの魂が、かつてないほどの激しい感情の爆発を起こしていた。

 怒り。憎悪。そして、五百年という途方もない時間を経ても決して消えることのない、血を吐くような殺意。

 ペンダントから漏れ出す青白い魔力が、俺の腰元で激しく明滅している。

 

「ほう。なかなか良い反応をするな」

 

 ローブの男が、足を止めて薄ら笑いを浮かべた。

 その声はひどく乾いていて、まるで枯れ木が擦れ合うような耳障りな響きを持っていた。

 

「アルストロメリアの生き残りと、迷宮の理に反する異端の力を持つ小僧。……ようやくお出ましか」

 

 男の言葉に、俺はナイフの柄を限界まで強く握りしめた。

 アルストロメリアの生き残り。それは間違いなくリリアのことを指している。

 

 そして異端の力を持つ小僧とは、ナノマシンを体内に宿す俺のことだ。

 こいつは、俺たちの正体も、この迷宮での動向も、すべて知った上でここに現れたのだ。

 

「お前らが、王国を滅ぼしたのか……!」

 

 俺の低い声が、巨大な洞窟に響く。

『原初の探求者』。

 大迷宮の深淵に眠るという「願いを叶える力」を独占し、世界を自らの都合の良いように作り変えようと目論む秘密結社。

 リリアの故郷を一夜にして地図から消し去り、彼女の魂をこのペンダントに縛り付けた元凶。

 

「いかにも。我々は『原初の探求者』。大いなる真理に至るための道を切り拓く者だ」

 

 男は仰々しく一礼してみせた。

 

「私はその幹部の一人。死という究極の素材を、芸術へと昇華させる魔術師。お前たちの動向は、我が『遠見の魔術』によって常に監視させてもらっていたよ」

 

 遠見の魔術。

 その言葉に、俺は歯噛みした。

 五十層の怪鳥や、六十層の狂気の画家。あの理不尽極まりない連戦の最中も、こいつらは安全な場所から俺たちの死闘を見物していたというのか。

 フェイル(あいつ)と同じだ。いや、フェイルよりも遥かに悪質で、明確な敵意を持っている分だけタチが悪い。

 

「監視してただと? 趣味の悪い覗き野郎が。だが、わざわざ自分から死に場所に出てくるとはな」

 

 俺は体内のナノマシンの出力を一気に引き上げた。

迅速(ブースト)】の待機状態。いつでも最高速で奴の懐に飛び込めるよう、全身の神経を極限まで研ぎ澄ませる。

 

「ソウスケ、奴の魔力は危険だ。ただの魔法使いではないぞ」

 

 背後からセレスが俺の横へと並び立ち、白銀の槍の穂先を男に向けた。

 昨夜の涙の痕跡は消え、そこにあるのは冷徹な騎士の顔だった。彼女もまた、目の前の男から放たれる死の臭いを本能で感じ取っているのだ。

 

「威勢が良いのは結構だが、少しは自分の立場を理解したらどうだ?」

 

 ローブの男は嘲笑い、持っていた不気味な骨の杖を高く掲げた。

 

「迷宮の理に反するその異端の力……我々の大業には邪魔なのだよ。五百年の執念も、ここで終わらせてやろう」

 

 男が杖を地面の岩盤に強く突き立てた瞬間だった。

 

 ゴゴゴゴゴォォォッ……!!

 

 広大な洞窟全体を揺るがすような、不気味な地鳴りが響き渡った。

 俺の【探知(サーチ)】レーダーが、周囲の暗闇から突如として無数の生命反応――いや、生命ではない、生命を模倣した何かのおぞましい反応を次々と捉え始めた。

 

「なんだ……!?」

 

 俺が息を呑むと同時。

 男の周囲の硬い岩盤が、まるで腐った沼のようにドロドロと溶け出し始めた。

 その真っ黒な沼の底から、ズズズッ……と巨大な腕が這い出してきた。

 肉は腐り落ち、白骨が剥き出しになった巨大な腕。

 続いて、空洞のようになった眼窩に緑色の鬼火を宿した、巨大な頭蓋骨が姿を現す。

 

「アンデッド……それも、巨人の死骸か!」

 

 セレスが驚愕の声を上げた。

 這い出してきたのは一体や二体ではない。

 巨大な空洞のあちこちの地面が沼と化し、そこから次々とアンデッドの巨人が産み落とされていく。

 身長十メートル近いサイクロプスの死骸や、さらに巨大な未知の巨人の骨。

 それらが男の邪法によって無理やり動かされ、俺たちを取り囲むように立ち上がっていく。

 

「死者を弄ぶ邪法……。趣味が悪いなんてもんじゃねえな」

 

 俺はナイフの柄を握りしめ、周囲を埋め尽くしていく巨大な骨の軍勢を睨みつけた。

 ただでさえ規格外の巨人を相手にするのは骨が折れるというのに、それが痛覚を持たないアンデッドとなって大群で押し寄せてくるのだ。

 圧倒的な質量と数の暴力。

 幹部を自称するだけのことはある。

 

「さあ、楽しませてくれよ。お前たちの絶望が、私の最高の芸術作品になるのだからな」

 

 男が骨の杖を振り下ろしたのを合図に、十体以上のアンデッド巨人が一斉に低い唸り声を上げ、俺たちに向かって足を踏み出した。

 ズシン、ズシンと地盤を砕くような足音が迫ってくる。

 

 腰のペンダントが、俺の皮膚を焼くほどの熱を放ち続けていた。

 リリアの怒りが、俺の心に直接流れ込んでくる。

 祖国を滅ぼし、死者を冒涜する許されざる敵。

 

(ここで終わらせる。お前たちの五百年の因縁ごと、俺がぶっ壊してやる)

 

 俺は深く息を吸い込み、限界までナノマシンの出力を解放した。

 因縁の敵との、血を洗う死闘が今、幕を開けた。

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