異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第136話 届かない声

 地響きと共に立ち上がったのは、文字通り死の軍勢だった。

 大迷宮第七十五層付近の広大な空洞に、次々と巨大な白骨が這い出してくる。身長十メートル近いサイクロプスの骨や、さらに巨大な未知の巨人の亡骸。それらが『原初の探求者』を名乗る幹部の邪法によって、生者の命を刈り取るためだけの操り人形として蘇ったのだ。

 ドスン、ドスンと重い足音が響くたびに、洞窟の空気が不吉な瘴気で満たされていく。

 

(ふざけた真似を……)

 

 俺は腰のサバイバルナイフを強く握り直した。

 骨と皮だけになったアンデッドとはいえ、その質量は圧倒的だ。しかも相手は痛みも恐怖も感じない。

 腰に下げた銀のペンダントが、俺の皮膚を焼くほどの熱を放ち続けている。五百年前に祖国を滅ぼされたリリアーナの魂が、かつてないほどの激しい怒りに沸騰しているのがわかった。

 

「ソウスケ、来るぞ!」

 

 後方で白銀の槍を構えたセレスが、鋭い声で警告を発した。

 先陣を切った三体の巨大な骸骨が、虚ろな眼窩に緑色の鬼火を揺らめかせながら、俺たちをすり潰そうと巨大な骨の腕を振り下ろしてくる。

 

「散れ!」

 

 俺は短く叫び、右目の網膜に【探知(サーチ)】のレーダーを展開した。

 俺は前衛として大きく左へ跳び退き、セレスは右後方へと距離を取る。

 

 巨大な腕が交差するように岩盤に叩きつけられ、凄まじい轟音と共に石の破片が散弾のように飛び散った。

 俺は舞い上がる土煙の中へ、迷わず飛び込んだ。

 

 体内のナノマシンにアクセスし、【迅速(ブースト)】を起動する。

 神経伝達が爆発的に加速し、周囲の時間がスローモーションのように引き伸ばされた。

 

「まずは足元だ!」

 

 俺は黒い弾丸となって巨人の足元へと滑り込み、剥き出しになった膝の関節部分にナイフを叩き込んだ。

 ナノマシンによって分子レベルで強化された刃が、枯れ木のような古い骨を容易く切断する。

 メキィッという嫌な音を立てて、一体の巨人がバランスを崩して膝をついた。

 

「我が雷霆よ、邪悪を討て!」

 

 後方からセレスの凛とした詠唱が響いた。

 彼女の槍の穂先から極太の紫電が放たれ、体勢を崩した巨人の頭蓋骨を正確に撃ち抜く。

 落雷の轟音と共に、巨大な頭蓋骨が内側から弾け飛び、緑色の鬼火が霧散した。

 残った骨の残骸がガラガラと崩れ落ち、ただの骨の山へと還っていく。

 

(よし、連携は問題ない)

 

 俺は安堵の息を吐く暇もなく、次の標的へと向かって地面を蹴った。

 セレスの雷魔法の威力は申し分ない。俺が前衛で巨人の機動力を削ぎ、彼女が後方から高火力で粉砕する。

 俺たちは距離を保ちながら、無数の巨人の群れを相手に一歩も退かずに立ち回っていた。

 だが、敵はただの骨の集まりではない。

 

「鬱陶しい。ネズミのようにちょこまかと」

 

 骸骨の壁の向こう側から、黒紫色のローブを纏った魔術師の乾いた声が聞こえた。

 巨人の群れを盾にするように後方に陣取っていた奴が、ついに不気味な骨の杖を振り上げたのだ。

 杖の先端から、ドス黒い紫色の魔力が粘り気のある液体のように溢れ出す。

 

「消し飛べ」

 

 魔術師が杖を振るうと、空中の何もない場所から無数の紫色の弾丸が撃ち出された。

 それは巨人の骨の隙間を縫うようにして、前衛で動いている俺の死角から正確に襲いかかってきた。

 

「チィッ!」

 

 俺は【探知(サーチ)】の警告音に従い、身を捻ってその弾丸を紙一重で躱した。

 紫色の魔力が俺の頬のすぐ横を通り過ぎ、背後の岩盤に着弾する。

 

 ジュウウゥゥゥッ! という異様な音と共に、硬い岩盤がまるで蝋のようにドロドロに溶け出した。

 空気が腐敗したような強烈な悪臭が立ち込め、目や鼻の粘膜をチクチクと刺激してくる。

 

(ただの魔法弾じゃない。腐食毒か!)

 

 俺は背筋に冷たいものを感じた。

 かすっただけでも肉体が腐り落ちる凶悪な魔法だ。

 それが、巨大な骨の壁の向こう側から、雨霰のように降り注いでくるのだ。

 

「ソウスケ、下がれ! 奴を直接狙う!」

 

 後方にいるセレスが叫んだ。

 俺は【迅速(ブースト)】を連続使用し、腐食の雨を潜り抜けながら大きく後退する。

 

 セレスは両手で槍を力強く握り締め、肩甲骨から溢れ出す全魔力を穂先へと圧縮していた。

 青白いプラズマが弾け、周囲の空気が焦げる匂いがする。

 

「穿て、ライトニング・ピアス!」

 

 彼女の放った渾身の雷槍が、巨人の群れの頭上を越え、真っ直ぐに魔術師へと突き進んだ。

 空気を焼き焦がす一撃だ。

 だが、黒紫色のローブの男は避ける素振りすら見せなかった。

 

「無駄だ。野蛮な力など、私には届かない」

 

 男が指を軽く鳴らした瞬間。

 彼の周囲に、半透明の多面体のような魔力障壁が展開された。

 セレスの雷槍が障壁に激突し、凄まじい閃光と爆音を撒き散らす。

 しかし、土煙が晴れた後に現れたのは、傷一つついていない障壁と、薄ら笑いを浮かべる魔術師の姿だった。

 

「くっ……! あの障壁、私の全力でも破れないというのか!」

 

 セレスが悔しげに唇を噛んだ。

『原初の探求者』の幹部というだけあって、防壁の強度は異常だ。

 魔力消費の激しいセレスの魔法では、あれを破る前にこちらの魔力が枯渇してしまうだろう。

 

(遠距離戦じゃ勝ち目はない。奴の懐に潜り込んで、直接障壁を叩き割るしかない)

 

 俺は瞬時に状況を判断し、再びナノマシンの出力を限界まで引き上げた。

 巨人の骨を盾にしている限り、奴はこちらの動きを正確には把握できないはずだ。

 

 俺の機動力なら、毒の雨を掻き分けて接近することは不可能じゃない。

 だが、あの障壁を破るための決定的な一撃を叩き込むには、どうしても奴の注意を俺から逸らす必要があった。

 

 俺は大きく息を吸い込み、ネアに向かって叫んだ。

 

「奴の視界を奪え! 認識阻害で俺の姿を消せ!」

 

 俺の指示は、この極限の戦場にあって明確だった。

 俺が奴の懐に飛び込むための、完璧な透明化。

 今まで何度も死線を共に越えてきた、信頼する魔法への要請だ。

 

 視界の隅で、俺の言葉に応えるように彼女が動いたのが見えた。

 両手を前に突き出し、力強く「えいっ!」と魔法を放つ動作をする。

 

 よし、これで俺の姿は奴の認識から完全に消え失せるはずだ。

 俺は一切の躊躇いを捨て、地面を爆発的に蹴って巨人の群れの中へと突っ込んだ。

 

 巨大な骨の脚をくぐり抜け、崩れ落ちる頭蓋骨を足場にして空高く跳躍する。

迅速(ブースト)】による超加速が、俺の肉体を黒い弾丸へと変えていた。

 右手に握ったサバイバルナイフを逆手に構え、魔術師の展開する障壁の一点へと狙いを定める。

 俺の存在に気づいていない奴の、無防備な頭上からの強襲。

 

(もらった……!)

 

 俺が勝利を確信した、まさにその瞬間だった。

 

「その程度で裏をかいたつもりか?」

 

 黒紫のローブの男が、ゆっくりと首を上げて俺を見た。

 フードの奥から覗く冷酷な瞳が、空中を飛ぶ俺の姿を寸分の狂いもなく捉えていたのだ。

 

(なっ……!?)

 

 俺の心臓が、氷を突き立てられたように跳ね上がった。

 目が合っている。

 奴は俺を認識している。

 なぜだ。

 認識阻害の暗示が掛かっているはずなのに。

 俺の存在は、奴の視覚情報から完全に消え去っているはずではないのか。

 

「目障りな羽虫め」

 

 魔術師が骨の杖を俺に向かって真っ直ぐに突き出した。

 杖の先端から、極大の腐食魔法がドス黒い閃光となって放たれる。

 空中で回避行動を取る余裕などなかった。

 完璧な不意打ちを狙った俺の軌道は、奴にとって最高の的でしかなかったのだ。

 

「がっ……!?」

 

 咄嗟に体を捻ったが、遅かった。

 紫色の毒魔法が、俺の左肩を深々と掠めていった。

 

 肉が焼け、骨が溶けるような常軌を逸した激痛が脳髄を乱打する。

 声にならない悲鳴を上げながら、俺は空中で体勢を崩し、岩盤の上へと無様に叩きつけられた。

 

「グハッ……! あぁっ……!」

 

 地面を転がり、肺から空気が強制的に押し出される。

 左肩の装備はドロドロに溶け落ち、その下の皮膚がどす黒く変色して泡を吹いていた。

 ナノマシンが修復のために凄まじい勢いでエネルギーを消費していくが、痛覚のフィードバックが俺の思考を白く塗り潰そうとしてくる。

 

「おかしい……暗示が全く効いてないだと!?」

 

 俺は痛みに喘ぎながら、血走った目で魔術師を睨みつけた。

 魔法が弾かれたのか?

 いや、七十層の不死鳥の時のような、精神障壁による反発の兆候はなかった。

 まるで最初から、何の魔法も放たれていなかったかのように、奴は俺の動きを完全に読み切っていたのだ。

 

 激痛に耐えて立ち上がろうとする俺を見下ろし、魔術師は骨の杖を肩に担ぐようにして薄ら笑いを浮かべた。

 その目は、這いつくばる俺をひどく滑稽なもの、理解し難い汚物を眺めるような、冷酷な光を帯びていた。

 

「何を一人で喚いているのだ、狂人め」

 

 乾いた声が、静まり返った洞窟の空気を震わせた。

 男の言葉が、俺の鼓膜を打つ。

 

「……黙れ」

 

 俺の口から、自分でも驚くほど低く、地を這うような声が漏れた。

 左肩の激痛が嘘のように遠のいていく。

 代わりに、胸の奥底からドス黒い感情が、どろどろとマグマのように溢れ出してきた。

 それは恐怖でも絶望でもない。この男への、純粋で暴虐的なまでの殺意だった。

 

「黙れェッ!」

 

 俺は獣のような咆哮を上げ、力任せに大地を蹴り砕いた。

 ナノマシンの安全装置を完全に切る。

 筋肉が断裂しようが、骨が砕けようが構わない。

 俺は右手にナイフを逆手に構え、巨大な骨の巨人を蹴り台にして再び宙へと舞い上がった。

 

「愚かな。何度やっても同じことだ」

 

 魔術師が冷笑と共に杖を振るう。

 無数の腐食魔法が俺の軌道を完全に塞ぐように放たれた。

 だが、俺の目にはもはやそれらすべてが止まって見えた。

 俺は空中で身を捻り、毒の雨を紙一重で躱しながら、男の展開する魔力障壁へと真っ直ぐに突進していった。

 

 狂人でも何でもいい。こいつは、俺がこの手でぶち殺す。

 激昂の渦に思考を委ねた俺は、ただ一つの破壊の衝動となって、黒紫のローブの男へと襲いかかった。

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