異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第137話 特に望まぬ再会

 極彩色の死が雨のように降り注いでいた。

 黒紫のローブを纏った魔術師が骨の杖を振るうたび、空間が歪み、ドス黒い紫色の腐食魔法が無数に射出される。それは岩盤を容易く溶かし、空気を悪臭で満たしていく。

 

 俺は空中で身を捻りながら、その致命の雨を掻き分けて進んだ。

 左肩の肉が焼け焦げる激痛が脳を焼き切ろうとしていた。だが体内のナノマシンが強制的にアドレナリンを分泌し、痛覚のフィードバックを無理やり押さえ込んでいる。

 筋肉の繊維が限界を超えて悲鳴を上げ、ブチブチと千切れる音が耳の奥で響いた。

 それでも俺は止まらなかった。

 

(死ね……! ここで絶対に殺す!)

 

 怒りと殺意だけが俺を突き動かしていた。

 五百年もの間、リリアーナを呪いのペンダントに縛り付けた元凶。そして今、俺たちをゴミのように見下ろして嗤うあの男を、この手で八つ裂きにしなければ気が済まなかった。

 俺は眼下に蠢く巨大な骨の山を蹴り台にし、再び宙を舞う。

迅速(ブースト)】の出力はとうに限界を超えていた。視界の端で警告の赤いアラートが点滅し続けているが、すべて無視した。

 風を切り裂き、俺は魔術師の目前へと肉薄する。

 

「野蛮な猿が。届かぬと学習しろ」

 

 魔術師は冷笑を浮かべ、指先を軽く鳴らした。

 直後、奴の周囲に半透明の多面体障壁が展開される。

 俺は右手に握ったサバイバルナイフを逆手に構え、全体重を乗せてその障壁に叩き込んだ。

 ガギィィィンッ! という金属が弾けるような甲高い音が響いた。

 火花が散る。だが刃先は障壁の表面を滑るだけで、傷一つつけられない。

 俺の腕に凄まじい反動が跳ね返り、手首の骨が軋んだ。

 

「無駄だ。私の防壁は破れん」

 

 魔術師が杖を俺に向ける。

 杖の先端に紫色の光が収束し、至近距離からの腐食魔法が放たれようとしていた。

 回避する空中の足場はない。

 このままでは全身を溶かされて死ぬ。

 だが俺はナイフを捨て、空いた右手でその障壁を直接殴りつけた。

 

(リリア! お前の怒りを俺に貸せ!)

 

 心の中で絶叫した。

 その瞬間だった。

 腰に下げた銀のペンダントが、かつてないほど激しく明滅した。

 ペンダントから溢れ出した青白い魔力が、ドス黒い呪いの炎へと変質し、俺の右腕に絡みついてきたのだ。

 それは五百年の長きにわたって蓄積された、アルストロメリア王国の怨念。

 リリアーナの魂が抱え続けてきた、血を吐くような怒りの形だった。

 

「なんだ……これは……?」

 

 魔術師の顔に初めて驚愕の色が浮かんだ。

 呪いの黒い炎が俺の右腕を包み込み、障壁の表面を侵食し始めたのだ。

 パリ、パリッと。

 絶対に破れないはずだった多面体の防壁に、細かな亀裂が走り始める。

 俺の肉体は呪いの魔力に耐えきれず、右腕の皮膚が焼け焦げていく。だが痛みはなかった。俺の魂がリリアの怒りと完全に同調し、ただ破壊の衝動だけを共有していた。

 

「砕け散れェッ!」

 

 俺は血の混じった咆哮を上げ、さらに力を込めて右拳を押し込んだ。

 障壁の亀裂が蜘蛛の巣のように広がっていく。

 だが、あと一歩が足りない。魔術師が慌てて魔力を注ぎ込み、防壁を修復しようとしているのがわかった。

 

「ソウスケッ! そこを退け!」

 

 背後から、空気を震わせるほどの鋭い声が響いた。

 セレスだ。

 俺が障壁に張り付いて時間を稼いでいる間、彼女は後方で極限まで魔力を練り上げていたのだ。

 俺は声を聞いた瞬間に右拳を引き抜き、そのまま重力に従って下方へと落下した。

 

 視界の端で、凄まじい光の奔流が瞬いた。

 セレスの全身から溢れ出した魔力が、白銀の槍の穂先に極限まで圧縮されている。

 それは先ほどの単眼の巨人を仕留めた一撃とは比べ物にならない。彼女の命そのものを削るような、文字通りの全開攻撃だった。

 青白いプラズマが巨大な空洞を照らし出し、バチバチと放電する音が鼓膜を打つ。

 

「我が血肉を糧とし、天の怒りをここに顕現せよ!」

 

 セレスが槍を振りかぶり、その顔は決死の覚悟に満ちていた。

 

「奥義――『ライトニング・ピアス・フルバースト』ッ!!」

 

 彼女の放った槍が、文字通りの光の柱となって俺の頭上を通過した。

 それは轟音と共に、俺が亀裂を入れた魔法障壁の中心へと真っ直ぐに直撃した。

 

「ぐおおおおッ!?」

 

 魔術師の焦燥に満ちた叫びが響いた。

 リリアの呪いによって弱体化していた防壁が、セレスの規格外の雷魔法に耐えきれるはずがなかった。

 ガラスが砕け散るような派手な音と共に、多面体の防壁が完全に粉砕される。

 

 光の柱は止まらず、そのまま魔術師の体を飲み込んだ。

 雷の暴力と、俺の右腕から障壁に残されていた呪いの魔力が融合し、黒と紫の凄まじい爆発を引き起こした。

 

「馬鹿な……我らの偉大なる計画が……このような虫ケラどもに……!」

 

 魔術師の断末魔が、爆音の中に溶けていく。

 その体は雷光に焼かれ、呪いに蝕まれ、空中で黒い灰となってパラパラと崩れ落ちていった。

 彼が握っていた骨の杖も真っ二つに折れ、音を立てて岩盤に転がった。

 主を失ったことで、洞窟内を埋め尽くしていた骨の巨人たちも一斉に動きを止める。

 眼窩に灯っていた緑色の鬼火がフッと消え、自重を支えきれなくなった骨の山がガラガラと崩れ落ちていった。

 

 凄まじい地響きと共に巨大な骨が砕け散り、空洞には濛々たる土煙が舞い上がった。

 やがて、その粉塵がゆっくりと晴れていく。

 

 残されたのは、完全な静寂だった。

 巨人の洞穴は、再びただの冷たい石の空間へと戻っていた。

 

「はぁっ……! がはっ……!」

 

 俺は地面に落下した衝撃を受け流しきれず、岩盤の上を無様に転がった。

 勢いが止まったところで、たまらず大量の血を吐き出した。

迅速(ブースト)】のオーバードライブによる反動が、ここに来て一気に俺の肉体を襲ったのだ。

 全身の筋肉が断裂し、骨が軋み、ナノマシンのインターフェースは危険を知らせるアラートで真っ赤に染まっていた。

 左肩の腐食の痛みと、右腕の呪いによる火傷が重なり、意識が朦朧としてくる。

 

(終わった……のか?)

 

 俺は仰向けのまま、霞む視界で天井の巨大な鍾乳石を見上げた。

 呼吸をするだけで肺が千切れそうなほど痛い。

 それでも、俺たちは勝ったのだ。あの規格外の化け物を相手に。

 

「ソウスケ……!」

 

 遠くからセレスの声が聞こえた。

 首を動かして視線を向けると、彼女は俺からかなり離れた場所で、槍を杖にしてなんとか立ち上がろうとしていた。

 だが極限の魔力放出の反動は凄まじく、彼女の膝はガクガクと笑っている。

 そのまま彼女は力尽きたように膝をつき、荒い息を吐きながら動けなくなってしまった。

 

(セレスも無事か……よかった)

 

 俺は安堵の息を細く吐き出し、ゆっくりと体を起こそうとした。

 だが腕に力が入らず、再び地面に崩れ落ちそうになる。

 

 その時だった。

 

「ソースケ!」

 

 パタパタという軽い足音と共に、俺の視界に薄緑色のチュニックが飛び込んできた。

 ネアだ。

 彼女は岩陰から慌てて駆け寄ってくると、俺の横にしゃがみ込み、その顔を覗き込んできた。

 

「大丈夫!? 血がいっぱい出てるよ!」

 

 彼女の紫色の瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。

 心配そうに俺の顔や腕を見つめ、どうしていいかわからないというように小さな両手を彷徨わせている。

 その表情は純粋な優しさに満ちていて、俺の胸の奥にあった冷たい疲労感を少しだけ和らげてくれた。

 

(本当に、お前はいつも心配ばかりかけるな)

 

 俺は痛む体を無理やり動かし、壁に寄りかかるようにして半身を起こした。

 そして彼女に向けて、努めて明るい笑みを作って見せた。

 

「気にするな……お前が無事なら、それでいい」

 

 俺の声は掠れていたが、言葉ははっきりと紡いだ。

 俺が一人で突っ走るから、彼女にこんな悲しい顔をさせてしまうのだ。

 でも俺は、仲間を守り抜くためなら、自分がどれだけ傷つこうが構わなかった。

 彼女の無邪気な笑顔さえ守れれば、それでよかったのだ。

 

「ソースケ……ばかぁ……」

 

 ネアが鼻をすすり、俺の服の裾をギュッと握りしめた。

 セレスは遠くで動けないままだ。今はただ、この静かな時間をネアと共に共有していたかった。

 

 だが、迷宮は俺たちに安息の時間を許してはくれなかった。

 

 パチ、パチ、パチ。

 

 静寂に包まれた広大な空洞に、場違いな音が響き渡った。

 ゆっくりとした、リズムを刻むような拍手の音だ。

 

 俺はハッとして顔を上げ、音のした方へと視線を鋭く向けた。

 ネアも俺の緊張を感じ取ったのか、ビクッと肩を震わせている。

 

 土煙が完全に晴れた暗がりの中から、一つの影がゆっくりと歩み出てきた。

 発光ゴケの青緑色の光に照らされて、その顔が鮮明に浮かび上がる。

 

 この異世界では珍しい、深い黒髪と黒い瞳。

 軽装の鎧を身に纏い、腰に細身の剣を下げた青年。

 その口元には、状況に全くそぐわない飄々とした笑みが張り付いている。

 

「やあやあ、見事な戦いだったよ」

 

 白金級冒険者、フェイル。

 この大迷宮において、俺たちの周りをうろつき、敵か味方かもわからない謎の暗躍を続ける男だった。

 

「まさか、彼ら幹部の一人を落とすとはね。君たちの成長速度には、本当に驚かされるばかりだ」

 

 フェイルは倒れた骨の巨人の残骸をヒョイと軽く飛び越え、俺から十メートルほどの距離で立ち止まった。

 その声には嫌味なほどの余裕が満ちている。

 俺は全身の痛みを忘れ、猛烈な警戒心を剥き出しにした。

 

「観光客の次は、ハイエナの真似事か?」

 

 俺は低く唸るように睨みつけた。

 こいつはいつもそうだ。俺たちが死闘を繰り広げている時はどこからか高みの見物を決め込み、すべてが終わった後に涼しい顔をして現れる。

 

「おや、手厳しいね。僕はただ、君たちの見事な連携に感心していただけさ」

 

 フェイルは両手を軽く上げて、降参するようなポーズをとった。

 だがその黒い瞳の奥には、全く笑っていない冷たい光が宿っている。

 

 彼の視線が、俺のボロボロの肉体から、遠くで倒れているセレス、そして俺のすぐ傍らにいるネアへと滑るように移動した。

 

(こいつ……何か探っているのか?)

 

 俺の背筋に冷たい汗が伝う。

 

「お前、ずっとここで見ていたのか」

 

 俺はナイフの柄に手を伸ばそうとしたが、腕が重くて持ち上がらない。

 

「まあね。幹部クラスの魔術師が動くとなれば、僕としても無視はできないからね。でも、手出しをする必要はなかったみたいだ」

 

 フェイルはニヤリと笑い、俺の足元へとゆっくり歩み寄ってきた。

 

「それにしても、あの呪いの力と雷の魔法の合わせ技。実に鮮やかだった。五百年の執念というのは、伊達じゃないね」

 

 俺は息を呑んだ。

 こいつは今、はっきりと五百年の執念と言った。

 リリアの魂の因縁を知っているのか。それとも、この男自身が何か深い関わりを持っているとでも言うのか。

 

「お前……一体何を知っている?」

 

 俺が問い詰めると、フェイルはふっと目を細めた。

 

「世界は君が思っているよりもずっと単純で、そして残酷だってことさ。神谷蒼介くん」

 

 俺のフルネームを呼んだその声は、かつてなく低く、冷酷な響きを持っていた。

 俺は歯を食いしばり、この底知れない男から目を逸らさないように睨み返し続けた。

 

 洞窟の中には、俺の荒い息遣いだけが重苦しく響いていた。

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