異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~ 作:九泉
リリアーナ・エル・アルストロメリア。
そう名乗った半透明の少女は、まるでそれが当然であるかのように、優雅に宙空で佇んでいる。その存在感はあまりに希薄でありながら、同時に、決して見過ごすことのできない絶対的な気品を放っていた。五百年前の王女。その言葉が持つ途方もない時間の重みが、蒼介の思考を鈍らせる。
(……幽霊? いや、幻影か? そもそも、こいつは本魔物ではないのか?)
混乱する頭で、彼は無意識のうちにスキルを発動させていた。ナノマシンが彼の視神経を補助し、世界の情報を解析する。
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彼は目の前の少女、リリアーナに向けて意識を集中させた。しかし、ナノマシンから返ってきた答えは、彼の混乱をさらに加速させるだけだった。
『対象:リリアーナ・エル・アルストロメリア。――解析不能。高密度の未知エネルギー集合体。物理的干渉不可。存在定義の再構築を推奨』
解析不能。現代科学の粋を集めたはずのナノマシンが、完全に匙を投げた。それは蒼介にとって、この少女が己の常識の外側にいる存在であるという、何より雄弁な証明だった。
リリアーナは、蒼介の内心の動揺など露知らず、ふわりと宙を漂いながら、品定めするような視線を彼に向けていた。
「随分と……変わった身なりをしていますのね。どこの国の騎士ですの? そのような奇妙な意匠の鎧は、わたくしの知る限りでは見たことがありませんわ」
革と金属を組み合わせた、機能性重視のシーカー装備。それを彼女は「奇妙な意匠」と評した。その口調は丁寧だが、言葉の端々には隠しようのない優越感が滲んでいる。王族として、他者を見下すことに慣れきっている者のそれだ。
「……悪いが、俺は騎士じゃない。しがない冒険者だ」
「冒険者……?」
「知らんのか……?『大迷宮』に挑む者だが」
「ああ!
リリアーナは感心したように、しかしどこか侮るような口調で続けた。彼女にとって、魔力を持たない人間は、力を持たない人間と同義なのだろう。
蒼介は苛立ちを覚えながらも、冷静に状況を分析していた。この自称・王女の魂は、目の前にあるこのペンダントに封じられている。それが、この状況から導き出せる、唯一の仮説だった。
「あんたの……その、なんだ。魂? 存在? は、そのペンダントに封印されている。そういうことで合ってるか?」
単刀直入な問いに、リリアーナは僅かに碧い瞳を見開いた。驚いたように、そして少しだけ不愉快そうに眉をひそめる。
「……随分と直接的な物言いですのね。ですが、まあ、その通りですわ。わたくしはこの『魂縛の宝玉』に存在を繋ぎ止められ、五百年以上もの間、ここで眠りについておりました。あなたがこの宝玉に触れたことで、わたくしの意識が強制的に覚醒させられたのです」
コールドスリープ装置みたいなものか、と一瞬納得しかけたが、しかし目覚めても肉体が無いとはとんだ欠陥品だ。
「魂縛の宝玉……。つまり、呪いのアイテムってことか」
蒼介の口から思わず本音が漏れる。その言葉を聞いたリリアーナは、カチンときたように頬を微かに紅潮させた。
「呪いとは心外ですわ! これはアルストロメリア王家に伝わる、由緒正しき秘宝ですのよ! ……まあ、たしかに呪いの力を利用はしており、結果として、あくまで結果としてわたくしを縛る檻と成り果ててしまいましたけれども……」
語尾が尻すぼみになるあたり、彼女自身も現状を肯定しているわけではないらしい。
「なるほど。ちなみに、素朴な疑問なんだが」
「……なんですの?」
「なぜ〝五百年〟眠っていたとわかるんだ? 羊でも数えていたのか?」
「違いますわよ! そういう秘宝なのですわ! 使用者を五百年は眠らせ、その後誰かが触れることで覚醒するという……」
「じゃあ五百年どころか千年前かもしれねーってことじゃねえか」
「そっ、それはそうですけども……ひとまずそこは五百年前ということで……」
それから言葉が続かず、ごにょごにょと口の中でなにか言っている。ずいぶんと人間臭い幽霊だ。
蒼介は、はあ、と深いため息をついた。やはり、ろくな物ではなかった。虎穴に入って得たものが、呪いのペンダントと五百年(仮)物の幽霊。割に合わなさすぎる。
(最悪だ……。とんでもない厄介事を拾っちまった)
彼の目的は、元の世界に帰ることだ。王女様の幽霊の世話を焼いている暇など、一秒たりともない。関わるだけ無駄だ。彼はそう結論付けた。
リリアーナは、そんな蒼介の内心の変化には気づかず、話を続ける。
「わたくしには肉体がありません。ですから、この宝玉から一定距離を離れることはできませんし、もちろん、物に触れることも叶いませんわ」
それを証明するかのように、彼女はすっと白い手を伸ばし、すぐ傍にある台座に触れようとした。しかし、その手はまるで陽炎のように、台座をすり抜けていく。物理的な干渉が一切できない。それは、ナノマシンの解析結果とも一致していた。
「……そうか。それはご愁傷様なこった」
蒼介は、一切の感情を込めずにそう呟くと、くるりと背を向けた。
「じゃあな。せいぜい安らかに眠ってくれ」
「…………へ?」
リリアーナの、間の抜けた声が背後から聞こえる。
蒼介はそれを完全に無視し、元来た道、罠が満載の通路へと向かって無言で歩き始めた。
一歩、二歩。彼の脳内は、この厄介事をどう処理するかでいっぱいだった。ペンダントをこの場に置いていく。それが最善の選択だ。
(面倒はごめんだ。俺には俺の目的がある)
三歩、四歩。
背後で、リリアーナが息を呑む気配がした。
「ちょ、ちょっと待ちなさいな! あなた、どこへ行くつもりですの!? 無礼にもほどがありますわよ!」
先程までの優雅な口調は消え、焦りの色を浮かべた素の声が響く。だが、蒼介は足を止めない。
五百年。それだけの時間、彼女はずっと一人だったのだ。再び……しかも今度は目覚めた状態で、永い孤独と静寂の中に置き去りにされる。その恐怖が、彼女のプライドを打ち砕いた。
「ま、待ってくださいまし! このままわたくしを置いていくつもりですの!?」
悲鳴に近い声。それでも蒼介は振り返らない。
すると、リリアーナの声が、今度は懇願するような響きを帯びた。
「お、お願いですわ! 待って! わたくしには……わたくしには、この迷宮に関する知識がありますわよ!」
その言葉に、蒼介の足が、ぴたりと止まった。
迷宮の、知識。
彼はゆっくりと振り返った。そこには、今にも泣き出しそうな、必死の形相でこちらに手を伸ばす (そしてその手は何も掴めずに空を切っている)王女の姿があった。その表情は、先程までの尊大な態度の欠片も感じさせない。
「……詳しく聞かせてもらおうか」
蒼介は、感情を殺した声で言った。
リリアーナは、彼が足を止めたことに安堵の表情を浮かべ、慌てて咳払いをして体裁を整える。
「……え、ええと。わたくしの生きていた時代、この大迷宮はすでに存在していました。当時の王国騎士団が、国の威信をかけて何度も挑んでいたのですわ。その際に集積された膨大な情報……迷宮の構造、各階層に潜む魔物の習性や弱点、それらが王家の書庫には保管されていました。わたくしは、その全てに目を通しております」
迷宮の攻略情報。
蒼介の脳が、高速で回転を始める。
(五百年……。情報としては古すぎる。魔物の世代交代や、迷宮の構造変化も考えられる。どこまで信用できるかは未知数だ。だが……)
だが、もしその情報が少しでも正確なものだとしたら?
それは、この暗闇の中を手探りで進むような探索において、何よりも強力な道標となり得る。魔物の弱点をあらかじめ知っていれば、無駄な戦闘を避け、消耗を最小限に抑えることができる。隠された通路や安全なルートを知っていれば、探索の効率は飛躍的に向上するだろう。
それはつまり、生存確率が劇的に上がることを意味していた。
(デメリットは、このやかましい幽霊を連れて歩くこと。メリットは、計り知れないほどの攻略情報。……計算するまでもない)
彼の心は、一瞬で決まった。
利用できるものは、何でも利用する。それが、神谷蒼介という男の生き方だった。
「……なるほどな。確かに、それは価値のある情報だ」
蒼介は腕を組み、冷静にリリアーナを見つめた。主導権は、完全にこちらに移っていた。
彼は、この自称・王女を、ただの呪われた幽霊から、利用価値のあるナビゲーションシステムとして再定義した。
孤独を抱えた王女と、故郷への道を求める異邦人。
二人の利害が、この薄暗い霊廟の中で、奇妙な形で一致した瞬間だった。