異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第16話 利害の一致

 静寂が、霊廟のような広間に戻ってきた。

 先程までの必死さが嘘のように、リリアーナは再び優雅な王女の仮面を被り、しかしその碧い瞳には隠しきれない期待と不安の色を浮かべて、蒼介の言葉を待っていた。

 蒼介は無言で彼女を見つめ返す。その頭の中では、利益と危険性を乗せた天秤が、激しく揺れ動いていた。この王女の幽霊を連れていく。その決定は、彼の今後の運命を根底から覆しかねない、重大な岐路だった。

 

(迷宮の攻略情報。それは間違いなく破格の価値がある。だが、同時にこいつ自身がとんでもないリスク要因だ。魂が封じられている理由、滅んだ王国の内情……面倒事の匂いしかしない)

 

 しかし、と彼は思考を続ける。

 現状、彼には圧倒的に情報が不足していた。この世界の常識、大迷宮の危険性、そして何より、元の世界へ帰るための手掛かり。その全てが闇の中だ。リリアーナの知識は、その闇を照らす松明となり得る。

 

(リスクを恐れてこのチャンスを逃すのは、愚策中の愚策だ。問題は、どうやってこいつをコントロールするか……)

 

 力で縛ることはできない。彼女は物理的な干渉を受け付けない幻影だ。ならば、縛るべきは心。契約によって、互いの立場を明確にする必要があった。

 蒼介は腕組みを解き、リリアーナに向かって一歩近づいた。

 

「いいだろう。取引成立だ。あんたをここから連れ出してやる」

「……! ほ、ほんとですの!?」

 

 リリアーナの表情が、ぱあっと明るく輝く。五百年という永劫の孤独から解放される。その喜びに、半透明の身体が僅かに強く発光したように見えた。だが、蒼介はすぐさま冷や水を浴びせるように、人差し指を立ててみせる。

 

「ただし、条件がある。いくつか、あんたに呑んでもらう約束事だ」

「……条件、ですって?」

 

 リリアーナは警戒するように、すっと表情を引き締めた。

 

「まず一つ目。俺があんたに提供するのは、あくまで『移動手段』だ。このペンダントを持ち運び、外の世界を見せてやる。その代わり、あんたは俺の迷宮攻略に必要な情報を、誠実に、そして遅滞なく提供する。これは対等な取引だ。どちらが上でどちらが下という関係じゃない。いいな?」

「……ええ。承知いたしましたわ」

 

 リリアーナは少し不満そうに唇を尖らせたが、こくりと頷いた。王族である彼女にとって「対等」という言葉は屈辱的だったのかもしれないが、現状では呑むしかない。

 

「二つ目。俺の戦闘や探索の方針に、口出しはするな。助言は歓迎する。だが、最終的な決定権は俺にある。あんたはあくまでも助言役で、騎手は俺だ。それでいいな?」

「……それも、仕方ありませんわね。わたくしには戦う力がありませんもの」

「そして、三つ目だ。これが一番重要だ」

 

 蒼介は一度言葉を切り、リリアーナの碧い瞳を真っ直ぐに見据えた。

 

「隠し事は、互いになしだ」

「……隠し事、なし?」

 

 リリアーナが怪訝な顔で問い返す。

 

「そうだ。俺はあんたを信用していない。あんたも、俺を信用しちゃいないだろう。だが、これから俺たちは一つのペンダントを介して、文字通り一心同体でこの迷宮を進むことになる。そんな関係で、互いに腹の底に何かを隠し持ったままじゃ、いざという時に命取りになる。そうは思わないか?」

 

 それは、蒼介がこれまでのシーカー人生で骨身に染みて学んだ教訓だった。疑念は連携を乱し、不信はパーティを崩壊させる。ならば最初から、互いの手札を可能な限り開示し、その上で協力関係を築くべきだ。それは、この得体の知れない王女の幽霊を御するための、最善の策でもあった。

 リリアーナはしばらく黙って蒼介の言葉の意味を考えていたが、やがて、諦めたように小さく息を吐いた。

 

「……あなたの言う通りですわ。疑念を抱いたままでは、良い協力関係など築けませんものね。わかりましたわ。その条件、お受けいたします」

「話が早くて助かる」

 

 蒼介は満足げに頷くと、自ら範を示すように、口を開いた。

 

「じゃあ、まず俺からだ。俺の名前は神谷蒼介。あんたの言う通り、しがない冒険者だ。……ただし、この世界の人間じゃない」

「…………はい?」

 

 リリアーナの思考が、完全に停止した。彼女の半透明の顔に、蒼介がこれまで見た中で最も素の、純粋な困惑が浮かんでいた。

 蒼介は構わず続けた。彼は、ナノマシン、スキル、そして自分が日本という場所から来たこと、そして元の世界に帰るために大迷宮の最深部を目指していることを、可能な限り分かりやすい言葉を選んで説明した。魔法という概念が存在しない科学の世界。ダンジョンと呼ばれる迷宮。シーカーという職業。その全てが、リリアーナにとっては御伽噺のように聞こえただろう。

 

「……つまり、あなたは、別の『世界』から迷い込んできたと……? その、なのましん、とかいう超小型の魔導ゴーレムを体内に宿し、それが『すきる』という魔法に似て非なる力を発揮すると……?」

 

 リリアーナはこめかみを押さえ、必死に蒼介の話を理解しようと努めている。その姿は、少しだけ年相応の少女に見えた。

 

「まあ、大体そんなところだ。思ったよりも理解力があるな。さすが王族、といったところか?」

「褒められている気がしませんわ……」

「まあ信じられないかもしれないが、これが俺の全てだ」

 

 蒼介は両手を広げ、降参のポーズをとってみせる。この告白は大きな賭けだった。異物として拒絶される可能性もあった。だが、彼は賭けに勝った。

 リリアーナは、長い沈黙の後、ふう、と再び大きなため息をついた。

 

「……信じられませんわ。ですが、あなたのその奇妙な鎧や、魔力を持たずにここまでたどり着いた事実を考えると、あるいは……。ええ、あなたの話、信じますわ。あなた自身が、わたくしにとって最大の『未知』ですものね」

 

 彼女はどこか面白そうに、好奇心に満ちた目で蒼介を観察し始めた。得体の知れない異邦人。それが、彼女の中で蒼介の新たな立ち位置となったようだった。

 

「さて、次はあんたの番だ。話せる範囲でいい。あんたのこと、そしてあんたの王国が滅んだ理由を教えてくれ」

 

 蒼介がそう促すと、リリアーナの表情からふっと光が消えた。楽しい好奇心は影を潜め、深い哀しみと、そして僅かな怒りの色が、その碧い瞳に宿る。

 

「……わたくしの記憶は、断片的なのです。特に、王国が滅び、わたくしがこの宝玉に封じられるに至った経緯は、まるで濃い霧に覆われているかのよう……。ですが、一つだけ、はっきりと覚えていることがありますわ」

 

 彼女は、かつて在ったであろう場所を見つめるように、虚空に視線を向けた。

 

「かつて、アルストロメリア王国は、この『大迷宮』の上……地表部に存在しました」

「……地表?」

 

 予想外の言葉に、蒼介は思わず聞き返した。

 

「ええ。王国が先にあり、この迷宮が、後から現れたのです。王国の足元、その大地が裂け、この巨大な穴が生まれた……。それが、迷宮の始まりでした」

 

 リリアーナの言葉は、蒼介に衝撃を与えた。彼は、この大迷宮は太古から存在する自然の洞窟のようなものだと思っていた。だが、そうではなかった。ある日、突如として出現した災厄。それは、彼がいた世界のダンジョンと、あまりにも似すぎていた。

 

「王国は当初、この大迷宮を脅威としていました。ですが、調査を進めるうちに、迷宮内部から、地上には存在しない未知の鉱物や、魔力を帯びた植物が発見されるようになったのです。それらは国に莫大な富をもたらしました。いつしか、大迷宮は『尽きることのない恵みの井戸』と呼ばれるようになり、王国はかつてないほどの繁栄を謳歌したのですわ……。あの日までは」

「あの日?」

「……ええ」

 

 リリアーナの声が、か細く震える。

 

「……沈んだのです」

「え?」

 

 蒼介は、聞き間違いかと思った。だが、リリアーナははっきりと、絶望の色を瞳に浮かべて繰り返した。

 

「わたくしの王国は、一夜にして、この大迷宮に沈んだのですわ。……まるで、大地に呑み込まれるかのように」

 

 王国が、迷宮に沈む。

 常識では考えられない言葉だった。だが、リリアーナの表情は、それが紛れもない事実であることを物語っていた。なぜ、どうやって。蒼介の頭に無数の疑問が浮かぶ。だが、それ以上彼女に問いかけるのは酷だと感じた。彼女の魂は、五百年、あるいはそれ以上の時が経った今でも、故郷を失った痛みに苛まれているのだ。

 

(……今は、深入りすべきじゃない)

 

 蒼介はそう判断し、話題を変えることにした。

 

「……わかった。辛いことを思い出させて悪かったな」

「……いえ。これも、契約ですもの」

 

 リリアーナは気丈にそう言うと、ふっと表情を切り替えた。

 

「さあ、ソウスケさん。わたくしの番は終わりましたわ。今度は、あなたがわたくしに見せてくださる番です。あなたのその『すきる』という力、そして異世界の方の戦い方を、このリリアーナ・エル・アルストロメリアに、とくと拝見させてくださいな」

 

 その口調には、再び王女としての自信と好奇心が戻っていた。

 こうして、元シーカーの男と、魂だけの王女の、奇妙な協力関係が正式に結ばれた。

 

 互いの利害のために手を取り、互いの素性を知ることで、かろうじて信頼の糸口を掴んだ二人。

 蒼介は台座に歩み寄り、白銀の鎖をそっと掴むと、呪いであり、同時に希望ともなったペンダントを、静かに持ち上げた。

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