異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第19話 転移門

 神谷蒼介は、無言で歩いていた。

 先程まで魔物と死闘を繰り広げていた迷宮の通路を、今はただひたすらに、始まりの街テルスへと向かって引き返している。彼の隣、腰に提げたペンダントからは、時折リリアーナが何かを話しかけてくる気配があったが、蒼介は上の空で、気の利いた返事を返すこともできなかった。

 

 彼の頭の中は、先程リリアーナから告げられた衝撃の事実で飽和状態にあった。

「転移門」。

「帰還のスクロール」。

 

 もし、それが本当なら。

 もし、この世界の冒険者たちが、そんな便利なシステムを当たり前のように利用しているのだとしたら。

 自分は、今まで一体何をしていたというのか。

 

(……いや、まだだ(・・・)。まだ決まったわけじゃない)

 

 蒼介はかぶりを振る。リリアーナの知識は五百年も前のものだ。彼女が封印されている間に、世界が変わり果ててしまった可能性は十分にある。かつては存在した転移門も、今では失われた古代の魔法、オーバーテクノロジーの類になっているのかもしれない。帰還のスクロールとやらも同じだ。

 

「ソウスケさん。わたくしの言ったこと、まだ信じられないというお顔をしていますわね」

 

 彼の心中を見透かしたかのように、リリアーナが声をかけてきた。その声には、僅かな不満の色が滲んでいる。

 

「……疑ってるわけじゃねえよ。ただ、あんたの情報は古いんだろ? 五百年だ。国が滅んで、新しい国がいくつもできるくらいの時間だ。常識が変わっててもおかしくはない」

「ふん。迷宮の根幹に関わるようなシステムが、そう簡単に廃れるものですか。それに、わたくしが眠っていたこの五百年間、この大迷宮そのものに大きな変化がなかったことは、これまでの探索で証明されておりますわ。主の名も、階層の構造も、わたくしの知るものとほとんど変わりはなかった。ならば、それに付随するシステムだけが失われると考える方が、不自然ではございませんこと?」

 

 正論だった。蒼介はぐっと言葉に詰まる。確かに、リリアーナの知識は、これまで何度も蒼介の窮地を救ってきた。彼女のナビゲーションの正確さは、疑いようもない。

 

(だとしたら……。やっぱり、俺が、俺だけが、知らなかった、と……?)

 

 認めたくない可能性が、じわじわと心を侵食してくる。焦りと、羞恥と、そして自分の愚かさに対する怒りが、胃のあたりで渦を巻くようだった。

 

 長い、あまりにも長く感じられる道のりを経て、ようやく蒼介は迷宮の出口にたどり着いた。洞窟の外に広がる、見慣れたテルスの街並み。外の空気を吸い込み、蒼介は大きく息を吐き出す。そして、覚悟を決めて、足早に街の中心、冒険者ギルドがそびえる広場へと向かった。

 

 広場は、いつものように活気に満ち溢れていた。鎧をがちゃつかせる冒険者たち、彼らに商品を売り込む商人、そして街の住人たちの笑い声。その喧騒の中心に、それはあった。

 地面に描かれた、巨大で、複雑で、そして荘厳な魔法陣。

 蒼介が今まで、ただの装飾品だと信じて疑わなかった、あの紋様。

 

 彼の目の前で、屈強な獣人の男をリーダーとするパーティが、慣れた様子で魔法陣の中央へと歩みを進める。リーダーが魔法陣の縁にある台座に手をかざすと、陣全体が淡い蒼光を放ち始めた。

 

「よし、お前ら! 今日は十五層からだ! 気合い入れてけよ!」

「「「応!」」」

 

 リーダーの威勢のいい声に応え、仲間たちが次々と魔法陣の中へ入っていく。そして、光が一際強く瞬いたかと思うと、彼らの姿は、まるで陽炎のように掻き消えていた。

 蒼介は、その光景を、ただ呆然と見つめていた。

 魔法陣の光が収まると、今度は別の場所が輝き、中から泥だらけになったドワーフの冒険者が一人、よろよろと現れた。彼は悪態をつきながら、近くの酒場へと直行していく。

 転送。そして、帰還。

 リリアーナの言葉は、すべて、真実だった。

 この世界の冒険者たちは、当たり前のようにこの魔法陣を使い、迷宮と街を瞬時に行き来していたのだ。

 

「マジ、だった……」

 

 乾いた声が、蒼介の喉から漏れた。

 頭が、真っ白になる。

 自分は、B-ランクのシーカーだった。決して最高ランクではないが、それでも数多のダンジョンを攻略し、幾度もの死線を潜り抜け、それなりの経験と実績を積んできた、プロの探索者だ。

 探索の基本は、情報収集と状況確認。ダンジョンに潜る前には、必ずその構造、出現モンスター、そして利用可能な施設やシステムを徹底的に調べ上げる。それは、生き残るための鉄則であり、シーカーとしてのプライドの根幹をなす部分でもあった。

 

 それなのに。

 こんな、街のど真ん中に、誰の目にも明らかに見える形で存在する、最も重要と言っても過言ではないシステムを、完全に見落としていた。

 高速道路の隣で、必死に自転車を漕いでいた哀れな男。それが、自分だった。

 あまりの間抜けさに、もはや笑いも出ない。ただ、冷たい汗が背中を伝っていくのを感じた。

 

「ふふん、ご覧なさいな。わたくしの言った通りでしたでしょう?」

 

 リリアーナの、少し得意げな声が響く。だが、今の蒼介には、その声に返事をする余裕すらなかった。

 

「さあ、ソウスケさん。次は、帰還のスクロールですわ。ほらあちら、右前方に、冒険者向けの道具を扱うお店がございますわよ」

 

 リリアーナに促されるまま、蒼介は幽鬼のような足取りで、一軒の店へと向かった。

 

『冒険者御用達! マクガイアの道具店』。

 何度も前を通ったことのある店だ。中に入るのは、初めてだった。

 店内に足を踏み入れると、薬品と革製品の混じった独特の匂いが鼻をつく。壁には剣や盾、棚には色とりどりの液体が入った薬品や、ロープ、松明といった探索道具が所狭しと並べられている。

 

 そして、蒼介は見てしまった。

 入ってすぐの、一番目立つ場所にあるガラスケース。その中に、丁寧に陳列された、羊皮紙を丸めただけの、何の変哲もない巻物を。

 値札には、こう書かれていた。

 

『帰還のスクロール 一枚 銀貨五枚』

 

 蒼介は、吸い寄せられるようにカウンターへ向かう。陽気な髭面の店主が、「へい、いらっしゃい!」と声をかけてきた。

 

「……これ、一つ、くれ」

「へい、毎度! 帰還のスクロールね! 銀貨五枚だよ!」

 

 店主は手慣れた様子でスクロールを一つ取り出すと、カウンターの上に置いた。蒼介は、震える手で懐から銀貨を取り出す。その指先が、妙に冷たい。

 

「兄ちゃん、見ない顔だね。冒険者になったばっかりかい? そのスクロールはな、いざって時にビリッと破けば、街の転移門までひとっ飛びできる優れもんだ。ケチらずに、お守りだと思って一枚持っときな。命あっての物種だからな!」

 

 店主の親切な説明が、今はただ、蒼介のプライドを無慈悲に抉る刃となっていた。

「冒険者になったばっかり」。

 その言葉が、頭の中で何度も反響する。

 

「違う。俺は……俺は、プロのつもりだったんだ……」

 

 蒼介は焦点の定まらない目でぼそぼそと呟きつつ銀貨を置き、スクロールを受け取ると、逃げるように店を出た。

 手に持った羊皮紙の、乾いた感触。それが、自分の愚かさと無知の証明であるかのように思えた。

 彼は、人通りの少ない路地裏へとふらふらと入り込むと、汚れた壁に背を預け、ずるずるとその場に座り込んだ。

 

「……ははっ」

 

 乾いた笑いが漏れた。

 

「なんだよ、これ……」

 

 いつもの飄々とした態度は、完全に消え失せていた。ただ、深い自己嫌悪と無力感が、彼の全身を支配していた。

 

「慎重なつもりだった……? ベテラン……? 笑わせるぜ……」

 

 蒼介は両手で顔を覆う。指の隙間から、アスファルトで舗装された日本の道路ではなく、古びた石畳の地面が見える。ここは、異世界。ルールも常識も違う場所だ。だからこそ、誰よりも注意深く、誰よりも疑い深くあらねばならなかったはずだ。

 

 それなのに、自分は何を見ていた?

 灯台下暗し、とはまさにこのことだ。あまりにも基本的な、あまりにも初歩的な情報を見落としたまま、自分は命を懸けていた。もし、リリアーナと出会っていなければ。もし、彼女がこのことを教えてくれなければ。自分はこれからも、延々と無駄な労力を費やし、無意味な危険を冒し続けていたのだろう。

 そして、いつか、その無駄な消耗が原因で、命を落としていたかもしれない。

 そう考えると、背筋が凍る思いだった。

 

「ソウスケさん……?」

 

 リリアーナが、心配そうに声をかけてきた。いつもの尊大な響きは消え、戸惑いの色が浮かんでいる。

 蒼介は、顔を覆ったまま、返事ができなかった。

 彼の様子が、明らかに普通ではないことに、リリアーナも気づいたのだろう。彼女の声が、焦りを帯び始める。

 

「ど、どうかなさいましたの!? まさか、どこかお身体の具合でも……?」

「……違う」

「では、なぜ……。そんな、見たこともないほど、落ち込んで……」

 

 リリアーナは、必死に言葉を探しているようだった。箱入りで育った彼女にとって、他人の、それも男の、ここまであからさまな精神的落ち込みにどう対処すればいいのか、見当もつかないのだろう。

 

「……情けねえんだ」

 

 蒼介は、ようやくそれだけを絞り出した。

 

「俺は、プロ……玄人のつもりだった。どんな状況でも、冷静に情報を分析して、最善の生存戦略を立てられるって、そう思ってた。だが、違った。俺はただ、運が良かっただけの、間抜けな素人だったんだ……」

 

 その声は、自分でも驚くほど弱々しく、力のないものだった。

 沈黙が落ちる。

 リリアーナは、蒼介の言葉を、ただ静かに聞いていた。

 やがて、彼女は、意を決したように、はっきりとした口調で言った。

 

「……素人ではございませんわ」

「……」

「あなた様が、素人などであるはずがございません」

 

 リリアーナの声は、力強かった。

 

「あなた様は、このわたくしが認めた男ですのよ? 魔法も使えず、この世界の知識もほとんどない状態で、たった一人でこの大迷宮を生き抜いてきたではありませんか! 転移門を知らず、帰還のスクロールも持たず、その知恵と、勇気と、そしてその奇妙なスキルだけで、誰の助けも借りずに。それが、『素人』にできることだと、本気でお思いですの?」

 

 その言葉は、蒼介の心に、染み入るように響いた。

 

「転移門を知らなかった? だから何ですの! それは、あなた様が異邦人であるという、ただの事実に過ぎませんわ! むしろ、そんな不利な条件で今まで生き延びてきたご自身のことを、もっと誇るべきですわ!」

「……」

「それに……今はわたくしがついております。わたくしの知識が、あなた様を助けます。あなた様が知らないことは、わたくしが教えますわ。だから……そんな顔を、しないでくださいまし……」

 

 最後の言葉は、囁くように、か弱かった。

 それは、高慢ちきな王女のものではなく、一人の少女の、心からの願いのように聞こえた。

 

 蒼介は、ゆっくりと顔を上げた。

 彼女の姿は見えない。声しか聞こえない。それでも、今、彼女がどんな表情で、どんな思いでこの言葉を紡いでいるのか、痛いほど伝わってくる気がした。

 自分を、本気で心配してくれている。

 その事実が、凍りついていた蒼介の心を、じんわりと溶かしていく。

 同時に、猛烈な照れくささが込み上げてきた。いい年した男が、こんな路地裏で本気で落ち込んで、年端もいかない (魂年齢は別だが)少女に、必死で慰められている。我ながら、格好のつかない姿だ。

 

 蒼介は、ごまかすように、わざと軽薄な口調で言った。

 

「……ははっ。なんだよ。そんなに必死になっちまって」

 

 彼は立ち上がり、服についた埃を払う。そして、腰のペンダントに向かって、ニヤリと笑いかけた。

 

「もしかして、俺に惚れちまったか?」

「なっ……!?」

 

 リリアーナが、息を呑む気配がした。

 

「そ、そんなわけ、ございませんでしょう!? な、何を、馬鹿なことを……!」

「いやいや、今の慰め方は、完全に惚れてる女のそれだったぜ? そこまで言うなら、元の世界に帰るのやめて、あんたがもし人間に戻れたりしたら、結婚でもしてやろうか?」

 

 照れ隠しの、完全な軽口だった。いつもの自分のペースを取り戻すための、悪ふざけ。

 だが、リリアーナの反応は、蒼介の予想を超えていた。

 

「け、け、け……こん……!?」

 

 彼女は、完全に言葉を失っていた。そして、しばしの、本当に気まずい沈黙の後、か細い、裏返ったような声で、こう呟いたのだ。

 

「……そ、それは……その……ふ、不束者ですが……よ、よろしく、お願い、します……?」

 

 今度は、蒼介が固まる番だった。

 

(……え、マジで受け取ったの、このお姫様!?)

 

 予想外すぎる反応に、蒼介の背中を冷たい汗が流れ落ちる。これは、まずい。非常にまずい流れだ。

 リリアーナは、蒼介の沈黙をどう受け取ったのか、さらに言葉を続ける。

 

「だって、国の復興には王家の血を残す必要がありますし……。あ、あの! わ、わたくし、料理は嗜む程度にはできますし、裁縫も……あ、でも、肉体がございませんから、今は……。ですが、知識の面では、必ずや、あなた様のお役に立ってみせますわ! だから、その……!」

 

 必死に自分をアピールしようとする健気な声に、蒼介は罪悪感と焦りでどうにかなりそうだった。

 彼は、慌てて両手を振る。

 

「わ、悪ぃ! 悪かった! 今のは、その、冗談だ!」

「……へ?」

「いや、だから、ジョーク! 軽口だって! あんたが必死に慰めてくれたから、照れくさくて、つい、からかっちまっただけなんだよ! 本気にすんな!」

 

 蒼介がそう言った瞬間。

 路地裏の空気が、絶対零度まで凍りついた。

 

 長い、長い沈黙。

 嵐の前の静けさとは、まさにこのことだろう。

 やがて、ペンダントから、地獄の底から響いてくるような、低く、冷たい声がした。

 

「……じょ、う、だん……?」

「あ、はい……」

「わたくしの……覚悟と純情を……もてあそんでおいて……冗談……ですって……?」

 

 まずい。これは、本気で怒らせた。

 次の瞬間、リリアーナの絶叫が、蒼介に叩きつけられた。

 

「この朴念仁! 唐変木! 野蛮人! 最低! 最悪! 人でなし! 変態! 変態! 変態!! あなた様なんて、大迷宮のオークにでも食われてしまえばよろしいのですわぁぁぁぁっ!」

 

 わんわんと響く罵詈雑言の嵐に、蒼介はただ、頭を抱えて耐えるしかなかった。

 

 数分後。

 

「なあ、悪かったって。ごめんな。でもそっちだって嫌だろ? こんな会ったばかりの中年と結婚だなんてさあ」

「つーん」

 

 それだけ言うと、ぷいっとそっぽを向くようにリリアーナは完全に沈黙してしまった。だが、ペンダントから、未だに「許すまじ」という怨念にも似たオーラが発せられているのを、蒼介はひしひしと感じていた。

 しかし、不思議なことに、彼の心は先程までの重苦しい自己嫌悪から解放され、すっかり軽くなっていた。

 

(……まあ、なんだ。世話の焼けるお姫様だぜ、まったく)

 

 蒼介は苦笑し、空を見上げた。

 落ち込んでいた時間が、馬鹿らしく思えてくる。

 

 失敗はした。致命的な見落としだった。だが、命までは取られていない。そして、これからは、この優秀すぎるナビゲーターがいる。

 

「さて、と」

 

 彼は、気合を入れ直すように、自身の頬をパンと叩いた。

 

「無駄にした時間と、稼ぎ損ねた金を取り戻しに行くか!」

 

 蒼介は路地裏を出て、再び、広場の転移門へと向かう。彼の足取りには、もう迷いも気負いもない。ただ、やるべきことだけを見据えていた。

 リリアーナは、まだ黙りこくっている。

 

「行くぞ、リリア。あんたのナビがなきゃ、始まらねえんだからな」

 

 蒼介がそう声をかけると、ペンダントから、ふんっ、という小さな鼻息が聞こえた気がした。

 

「……当たり前ですわ。わたくしがいなければ、あなた様など、明日にでも野垂れ死んでしまいますもの」

 

 まだ怒ってはいるようだが、とりあえず、口は利いてくれるらしい。

 蒼介は笑みを浮かべ、転移門の前に立った。

 台座に手をかざすと、ホログラムのように、これまで到達した階層がリストとなって浮かび上がった。

 

「なるほど、こうやって使うのか……」

「さっそく探索に向かいますのね?」

 

 紆余曲折あり、迷宮攻略に必須級の知識を身に着けた蒼介。

 新たな相棒と共に、本当の意味での大迷宮攻略が、今、始まろうとして――

 

「いや、今日はもう宿に行く。色々疲れたわ……」

「締まらないですわね……」

 

 ――翌日に持ち越されるのだった。

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