異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第22話 亡国の叡智

 銀色の騎士セレスティーナが迷宮の闇に消えてから、しばらくの時間が流れた。

 オーガとの死闘と、予期せぬ出会いが残した喧騒はすでに遠く、通路には再び深閑とした静寂が戻っている。蒼介は壁に残された巨大な棍棒の痕を見つめ、それから自らの掌を静かに見下ろした。

 

(邪道、か)

 

 セレスティーナに投げつけられた言葉が、思考の片隅で小さな棘のようにちりちりと痛む。否定されたことへの怒りではない。むしろ、あまりにも的確な指摘だったからこそ、その言葉は重く響いた。力で真正面から敵を打ち砕くあの圧倒的な強さと比べれば、自分の戦い方はいかにも泥臭く、小賢しい。それは紛れもない事実だった。

 

 だが、と蒼介は思う。

 その小賢しい生存術で、自分は今まで生き延びてきた。現代日本の殺伐としたダンジョンで、孤児という最底辺からB-ランクのシーカーまで、己の知恵と覚悟だけを頼りに登ってきたのだ。誇りはない。だが、卑下するつもりも毛頭なかった。

 

「……ソウスケさん」

 

 不意に、腰のペンダントからリリアーナの控えめな声が届いた。先程までの憤慨した様子は鳴りを潜め、どこか心配そうな響きを帯びている。

 

「気になさらないでくださいまし。あの女騎士は、何も分かっておりませんわ」

「ああ、分かってるさ」

 

 蒼介は短く応えると、意識を切り替えるようにひとつ大きく息を吐いた。感傷に浸っている暇などない。この大迷宮は、一瞬の油断が死に直結する危険地帯だ。

 

「それより、行くぞリリア。俺たちのやり方で、だ」

「……ええ、もちろんですわ!」

 

 彼の力強い言葉に、リリアーナの声もぱっと明るさを取り戻した。

 そうだ。自分にはこの王女がいる。自分の戦い方を信じ、支えてくれる最高の相棒が。それだけで十分だった。

 蒼介はオーガが守っていた通路の先へと、改めて足を踏み出す。ここから先は、彼にとって完全に未知の領域だ。より一層、気を引き締めて進まなければならない。

 

 通路は緩やかな下り坂になっており、壁の材質も少しずつ変化していた。これまでの硬質な岩肌とは異なり、どこか湿り気を帯びた粘土質の壁が続く。空気も心なしか重く、かび臭い匂いが鼻をついた。

 【探知(サーチ)】のスキルを常に展開し、周囲の警戒を怠らない。神経を研ぎ澄ませ、暗闇の奥に意識を集中させる。

 しばらく進むと、道は開けた空間へと繋がっていた。ドーム状の天井を持つ、広大な空洞だ。そして、そこに奴らはいた。

 

「……!」

 

 蒼介は咄嗟に身を隠し、岩陰からそっと内部の様子を窺う。

 広間のあちこちで、何かが蠢いている。全長二メートルほど、トカゲに似たフォルムだが、その全身は鈍い金属光沢を放つ鱗で覆われていた。数は、ざっと見て五体。広間の中央で、何かを貪るように地面に頭を押し付けている。

 

(金属質の鱗……厄介な相手だな)

 

 一目見ただけで、並大抵の攻撃では傷一つ付けられないことが分かった。生半可な斬撃は、あの鱗に弾き返されて終わりだろう。一体ずつならまだしも、五体同時に相手するのは分が悪い。

 

「リリア、あれは何だ?」

「お待ちくださいまし……あれは、おそらく『ロック・リザード』ですわ。ええ、間違いありません。様々な階層によく出現した魔物です」

 

 リリアーナの声は、驚くほど冷静だった。まるで、図鑑のページをめくるかのように、淡々と情報を紡ぎ出す。

 

「その名の通り、岩石のように硬い鱗が特徴です。並の剣や魔法では歯が立ちませんわ。厄介なのは、見た目によらない俊敏さと、群れで行動する習性。一体見つけたら、近くに仲間がいると思った方がよろしいかと」

「見たまんまの情報、どうも。で、弱点は?」

 

 蒼介が核心を突くと、リリアーナは「もちろん、ございますわ」と自信ありげに答えた。

 

「ロック・リザードの鱗は、ほぼ完璧な防御力を誇りますが、一箇所だけ、例外がございます。喉元をご覧ください。他の鱗とは逆向きに生えている、一枚だけ色の違う鱗が見えませんこと?」

「喉元……?」

 

 蒼介は目を凝らす。確かに、一体のロック・リザードが頭をもたげた瞬間、顎の下に逆立った、僅かに赤みがかった鱗が一瞬見えた。他の鱗が順向きに並んでいるのに対し、そこだけが不自然にめくれ上がるようになっている。

 

「あれが、奴らの急所『逆鱗』ですわ。全身の急所がそこに集中しているため、普段は頭を下げて隠すようにしています。ですが、威嚇や攻撃で頭をもたげる瞬間、無防備に晒されるのです」

「……なるほどな。そこを狙え、と」

 

 言うのは簡単だが、実行するのは至難の業だ。俊敏な魔物が頭を上げる、その数秒の隙を正確に突かなければならない。失敗すれば、カウンターで鋭い牙の餌食になるだろう。

 

(だが、やるしかねえ)

 

 攻略法が見えただけでも、大きな前進だ。闇雲に戦いを挑んでいたら、体力を消耗した挙句、なぶり殺しにされていただろう。

 

「何か、動きに癖はあるか? 例えば、攻撃の予備動作とか」

「ええ。彼らは突進攻撃を得意としますが、その直前に必ず、甲高い鳴き声で威嚇する習性がありますわ。鳴き声が止んだ瞬間、最短距離で突っ込んできます」

「鳴き声……よし、覚えた」

 

 蒼介の脳内で、戦闘のシミュレーションが高速で組み立てられていく。

 リリアーナから得た情報アドバンテージ。それを、現代で培ったスキルと戦闘技術で、いかにして勝利という結果に結びつけるか。

 これこそが、蒼介の戦い方だった。

 

(まず、数を減らす。一体ずつ、確実に)

 

 蒼介は腰のポーチから小石を数個取り出すと、一体のロック・リザードから最も離れた位置にいる個体へと狙いを定めた。そして、その背後の壁に向かって、力任せに小石を投げつける。

 カツン、と乾いた音が広間に響いた。

 その音に、狙い通り一体だけが鋭く反応し、音のした方へと首を巡らせる。仲間から意識が逸れた、その一瞬。

 

「――もらった!」

 

 蒼介は岩陰から飛び出すと同時に、地面を蹴った。目標は、孤立した一体。

 彼の急な出現に、ロック・リザードは驚き、即座に臨戦態勢に入った。

 

「キシャアアアッ!」

 

 威嚇。甲高い金属音のような鳴き声が鼓膜を震わせる。

 蒼介は止まらない。最短距離で距離を詰めながら、相手の喉元、その一点だけを凝視する。

 

「キシャアアッ!」

 

 二度目の威嚇。ロック・リザードが大きく顎を反らし、牙を剥き出しにする。逆鱗が、蒼介の視界にハッキリと映った。まだだ。まだ早い。

 

「キシャアアアアアッ!」

 

 三度目。ひときわ大きい威嚇の直後、空気が震えた。リリアーナの言った通り、鳴き声が止んだコンマ一秒後、ロック・リザードの巨体が弾丸と化して蒼介に襲いかかる。

 直線的な、あまりに正直な突進。

 

(読み通り!)

 

 蒼介は突進を真正面から受け止めるのではなく、半身ずらして紙一重で回避する。すれ違いざま、彼の右腕が閃いた。

 狙うは、がら空きになった喉元。剥き出しの逆鱗。

 

「――そこだ!」

 

 手にしたナイフの切っ先が、寸分の狂いもなく逆鱗の根元に突き刺さる。

 ザクリ、という生々しい感触。それは、硬い岩を削るような手応えではなく、熟した果実に刃を立てるような、確かなものだった。

 

「ギ……ッ!?」

 

 ロック・リザードの巨体が慣性の法則に従って数メートル先まで進み、それから、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。巨体はぴくりとも動かず、やがて光の粒子となって霧散していく。

 残された四体のロック・リザードが、何が起こったのか理解できずに混乱している。蒼介は、その隙を見逃さなかった。

 即座に次のターゲットへと駆け寄り、一体、また一体と、確実に数を減らしていく。

 リリアーナの知識という名の「答え」を知っている蒼介にとって、ロック・リザードの行動は全て予測可能なものに過ぎなかった。

 数分後、広場には静寂が戻り、後には蒼介が一人、静かに息を整えているだけだった。

 

「……はぁ、はぁ……。どうにかなったな」

 

 額に浮かんだ汗を拭い、蒼介は安堵のため息を漏らす。リリアーナの情報がなければ、こうはいかなかっただろう。無駄な戦闘を避け、最小限の消耗で勝利を掴む。これこそ、彼の理想とする戦い方だった。

 

「お見事ですわ、ソウスケさん。私の知識を、完璧に使いこなしてみせましたわね」

 

 ペンダントから、賞賛と僅かな興奮を帯びたリリアーナの声が聞こえる。

 

「お前の情報が正確だったおかげだ。サンキューな、リリア」

「ふふん。当然ですわ。このリリアーナ・エル・アルストロメリアの知識を、疑うなんて許しませんからね」

 

 得意げに胸を張る(であろう)リリアーナの様子が目に浮かぶようで、蒼介は思わず苦笑した。

 彼は魔物の消えた広間を横切り、先へと続く通路へ向かう。

 探索は続く。しかし、先程までの心細さは、もうなかった。このペンダントに宿る魂は、単なる情報源ではない。共に死線を潜り抜ける、かけがえのない相棒なのだと、蒼介は改めて実感していた。

 

 

 

 ロック・リザードの群れを退けてから数時間、蒼介とリリアーナは慎重に迷宮の探索を続けていた。

 リリアーナの知識は、戦闘においてだけ真価を発揮するわけではなかった。

 例えば、分かれ道に差し掛かった時。

 

「ソウスケさん、左ですわ」

「何かあんのか?」

「ええ。この時代の建築様式……いえ、迷宮の構造法則から言って、右の通路は十中八九、行き止まりか罠が仕掛けられています。壁の石材の積み方、空気の淀み具合。間違いありませんわ」

 

 彼女の言葉に従い左へ進むと、案の定、道は下層へと続いていた。もし右を選んでいたら、無駄な時間と労力を費やすことになっていただろう。

 またある時は、広間に生い茂る奇妙なキノコの群生地を発見した。

 

「リリア、このキノコ、食えるか?」

「【物質分析(アナライズ)】を使えばよろしいのではなくて?」

「まあ、そうなんだが。一応、専門家のご意見も伺っておこうかと」

「専門家……まあ、よろしいでしょう」

 

 リリアーナは少しだけ得意げな声色になると、解説を始めた。

 

「それは『幻惑ダケ』。食べれば強烈な幻覚作用と共に、全身が痺れて動けなくなりますわ。ただし、乾燥させて粉末状にし、特定の薬草と調合すれば、優れた麻痺毒として利用することも可能です。もっとも、その薬草がこの階層にあるとは思えませんが」

「……猛毒じゃねえか」

 

 蒼介は冷や汗をかきながら、幻惑ダケからそっと距離を取った。もしリリアーナがいなければ、空腹に負けたときに口にしてしまっていたかもしれない。

 魔物の弱点や習性、迷宮の構造法則、果ては自生する植物の知識まで。

 彼女の頭脳は、まさにデータベースそのものだった。その情報の精度と広範さは、蒼介の想像を遥かに超えている。

 探索の効率と安全性は、彼女と出会う前とは比べ物にならないほど向上していた。

 

(こいつは、マジですげえな……)

 

 蒼介は、腰で揺れるペンダントに、改めて畏敬の念を抱かずにはいられなかった。

 そんな探索の道中、彼らはついに完全な行き止まりに突き当たった。

 通路の最奥は、分厚い岩盤で完全に塞がれている。蒼介は【探知(サーチ)】を発動し、壁の向こう側を念入りに探るが、スキルは反応も示さない。

 

「……まいったな。完全に行き止まりだ。リリアのナビでも、ここが限界か?」

「まあ、お待ちになって。わたくしの知識を甘く見ないでいただきたいですわ」

 

 リリアーナは落ち着き払った声で言うと、蒼介に壁をよく観察するように促した。

 

「その壁、何か不自然な点はございませんこと?」

「不自然な点……?」

 

 蒼介は言われるがまま、松明の灯りで壁を照らしながら、隅々まで視線を走らせる。一見すると、ただの岩壁にしか見えない。だが、リリアーナに指摘されて改めて観察すると、ある一点に目が留まった。

 壁の中央付近。そこに、周囲とは明らかに違う意匠が彫り込まれている。それは、翼を広げた鳥のようにも、あるいは盾のようにも見える、風化した紋章だった。

 

「この紋章……」

「それは、かつてアルストロメリア王国に仕えた四大騎士家のひとつ、『グリフォン』家の紋章ですわ。彼らは王家のための迷宮探索を主な任務としていました」

「騎士家の紋章……それがどうしたんだ?」

「ふふ。当時の建築様式では、王家に連なる者が通る隠し通路には、必ずそれを守護する騎士家の紋章が刻まれることになっていましたの。そして、その仕掛けは決まって……」

 

 リリアーナは、どこか楽しげに言葉を続ける。

 

「紋章が象徴する動物の『瞳』の部分。そこが、隠しスイッチになっているのですわ」

「……瞳?」

 

 蒼介は紋章に刻まれたグリフォンの頭部へと視線を移す。確かに、そこには眼窩らしき窪みがあった。彼は半信半疑のまま、その窪みに指をそっと押し込んでみる。

 すると、指先に確かな手応えがあった。カチリ、と小さな音がして、窪みがさらに奥へと沈み込む。

 次の瞬間。

 ゴゴゴゴゴ……という地響きと共に、紋章が刻まれた壁全体がゆっくりと沈み始めたではないか。

 

「うおっ、マジかよ……!」

 

 蒼介の驚きをよそに、壁は完全に床下へと収納され、その向こうには新たな通路が口を開けていた。

 【探知(サーチ)】すら欺く、巧妙に隠された道。それを、リリアーナは古代の様式という知識だけでいとも簡単に見破ってしまったのだ。

 

「……はは。参ったな、こりゃ」

 

 蒼介は、もはや感嘆の声を漏らすしかなかった。

 隠し通路の先へと歩きながら、彼はぽつりと呟く。

 

「なあ、リリア。お前がいなけりゃ、俺はとっくに死んでるか、今頃まだ浅い階層で迷子になってたろうな。本当に、感謝してる」

 

 それは、彼の偽らざる本心だった。軽口や皮肉の混じらない、ストレートな感謝の言葉。

 その言葉に、リリアーナは一瞬、言葉を詰まらせたようだった。

 

「……べ、別に。わたくしは、わたくし自身の目的のために、あなたを利用しているだけですわ。勘違いなさらないで」

 

 素直ではない返事が、いかにも彼女らしい。だが、その声がほんの少しだけ上ずっているのを、蒼介は聞き逃さなかった。

 

(照れてやがる)

 

 それが分かると、なんだか無性に愉快になってくる。もう少しだけ、からかってみたくなった。

 

「にしても、お前は本当に優秀だよな。魔物の弱点から隠し通路まで、何でもお見通しだ。まるで、高性能なナビゲーションシステムみたいだぜ」

「なびげーしょん……? それは、何ですの?」

「ああ、俺の世界の便利な道具だよ。道案内してくれる機械だ」

 

 そう言って、蒼介は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「なあ、リリア。お前、本当に最高のナビだよ。だからさ、ちょっとお願いがあるんだけど」

「……何ですの、改まって」

「なにか教えてくれる前には『ヘイ!』とか、『リッスン!』って言ってみてくれよ」

「……は?」

 

 一瞬の沈黙。

 リリアーナが、蒼介の言葉の意味を理解できていないのが伝わってくる。

 

「へい? りっすん? ……それは、どういう意味の言葉ですの? 何かの呪文か何か?」

「いや、呪文じゃねえけど。なんていうか、お前にピッタリの決め台詞だと思ってな。ほら、案内役の妖精さん、みたいな感じでさ」

「よ、妖精……!? わ、わたくしが、あの虫のような……!?」

「虫ってお前……女の子って、妖精を可愛らしいと思うもんじゃねえのか……?」

 

 リリアーナの声が、驚愕と、それからじわじわと込み上げてくる怒りの色に染まっていくのが分かった。どうやら、彼女の世界にも妖精という存在はいるらしい。そして、王女である彼女にとって、それは決して喜ばしい例えではなかったようだ。

 

「……ソウスケさん」

「ん?」

「あなた、わたくしのこと、馬鹿にしてらっしゃいます……?」

 

 その声は、氷のように冷たかった。まずい。完全に地雷を踏み抜いたらしい。

 

「い、いや、そういうわけじゃ……! 褒め言葉のつもりだったんだが……」

「結構ですわ! 二度と、そのような訳の分からない言葉を口にしないでくださいまし! 大体、わたくしは王国の王女! かような戯言に付き合っている暇などないのです!」

 

 ぷりぷりと怒るリリアーナに、蒼介は慌てて「悪かった、悪かった!」と両手を上げた。

 ペンダントから聞こえてくるのは、まだ不満げな鼻息だけだ。しかし、そのやり取りが、先程までの張り詰めた探索行の緊張を、心地よく解きほぐしてくれていた。

 

(最高の、相棒だよ。本当に)

 

 蒼介は、誰にも聞こえない声でそっと呟くと、再び前を向いた。

 亡国の叡智をその魂に宿す、気高き王女。

 彼女という名の光が傍にある限り、この果てしない迷宮の闇も、もはや恐るるに足らない。

 そんな確信を胸に、異邦のシーカーは、まだ見ぬ下層を目指して、確かな一歩を踏み出すのだった。

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