異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~ 作:九泉
数日にわたる浅層の探索を終え、蒼介は「始まりの街テルス」へと帰還していた。
迷宮の薄暗がりとは対照的な、街の活気と喧騒が心地よい。冒険者ギルドで換金した魔石は、当面の生活費としては十分すぎるほどの額になった。これも全て、リリアーナという優秀なナビゲーターのおかげである。
安宿の一室に戻り、蒼介はベッドにごろりと寝転がった。軋むスプリングの音が、疲れた身体に心地よく響く。
天井の木目をぼんやりと眺めながら、ここ数日の出来事を反芻する。
ロック・リザードの群れとの戦闘、巧妙に隠された通路の発見。そのどれもが、リリアーナの知識なくしては乗り越えられないものだった。彼女の存在は、もはや単なる協力者という言葉では言い表せないほど、蒼介にとって大きなものになりつつあった。
(相棒、か……)
柄にもない言葉が脳裏に浮かび、蒼介は自嘲気味に口の端を吊り上げる。
現代日本では、誰も信じず、誰と組むこともなく、ただ一人でダンジョンに潜り続けてきた。仲間とは、失うもの。そう固く信じていたはずだった。
だが、この異世界で出会った魂だけの王女は、そんな彼の頑なな心を、いともたやすく解きほぐしていく。
「ソウスケさん、いつまで寝転がっているおつもりですの? さっさと夕食の準備をしてくださいまし。わたくし、お腹が空きましたわ」
「……お前、魂だけなんだから腹は減らねえだろ」
腰のペンダントから響く、尊大な、しかしどこか楽しげな声に、蒼介は呆れたように返した。
「雰囲気ですわ、雰囲気! あなたが食事をするのを見ていると、わたくしも食べたような気分になるのですから。今日のメニューは何ですの? まさか、また干し肉と硬いパンだけ、などという手抜きは許しませんわよ」
「へいへい。今日は奮発して、市場で買った鶏肉の串焼きとスープがある。それで満足か、お姫様」
「まあ! 聞いているだけでよだれが……じゅるり。……こほん。まあ、及第点といったところですわね。許して差し上げます」
軽口を叩き合いながら、蒼介はゆっくりと身体を起こした。
リリアーナとの会話は、異世界に来てから張り詰めっぱなしだった彼の心を、確かに癒していた。孤独だったはずの宿屋の部屋も、彼女の声があるだけで、不思議と温かく感じられる。
夕食を終え、ランプの頼りない光が部屋を照らす頃。
蒼介はふと、腰に下げたままのペンダントへと視線を落とした。
これまでまじまじと観察したことはなかったが、それは古びていながらも、見事な装飾が施された一級品だった。銀とも白金とも違う、月光を思わせる柔らかな輝きを放つ金属。中央には、蒼い宝石が埋め込まれている。リリアーナの瞳と同じ、深く、澄んだ蒼穹の色だ。
(……こいつは一体、何なんだ?)
リリアーナという存在そのものへの疑問が、今更ながら頭をもたげる。
「魂を封じる」魔法という未知の技術。五百年という長すぎる時間。それは、蒼介がこれまで培ってきた常識や科学的知識では、到底説明のつかない現象だった。
彼は、自らの左腕にそっと触れる。皮膚の下、ナノマシンが絶えず体内を巡り、彼の生命活動を補助している。現代科学の粋を集めた、オーパーツ的なテクノロジー。
この力を使えば、あるいは。
「リリア」
「なんですの、改まって」
「ちょっと、お前のそのペンダント、詳しく調べさせてもらってもいいか?」
「調べる……? なさりたいようになさればよろしいのではなくて。今更ですわ」
リリアーナは、特に気にする様子もなく答える。彼女にしてみれば、ペンダントは自分の身体というわけでもないのだから、蒼介がそれをどうしようと構わないということなのだろう。
蒼介は頷くと、ペンダントを腰から外し、テーブルの上にそっと置いた。そして、その蒼い宝石の上に、ゆっくりと右手の指を触れさせる。
(【
心の中でスキルを発動させる。
体内のナノマシンが、彼の指先からペンダントへと流れ込み、その内部構造を解析しようと試みる。通常であれば、鉱石や薬品の組成、構造といった情報が、即座に脳内へとフィードバックされるはずだった。
だが。
「……ッ!?」
指先から伝わってきたのは、経験したことのない奇妙な感覚だった。
ナノマシンが、まるで未知の奔流に呑み込まれるかのように、ペンダントの内部へと吸い込まれていく。解析を試みるそばから、それを拒絶するかのような、あるいは無効化するかのような、巨大で複雑なエネルギーの渦。
そして、数秒の拮抗の後、蒼介の脳内に響いたのは、無機質なエラーメッセージだった。
――『解析不能』
――『未知のエネルギー体を確認』
――『組成鉱物、地球上にデータなし』
――『内部構造、三次元的法則を超越。情報取得不可』
立て続けに表示されるエラーの文字列に、蒼介は思わず息を呑んだ。
【
このペンダントは、ナノマシンという現代科学の結晶を、まるで赤子の手をひねるかのように、いともたやすく弾き返してしまったのだ。
「……どうかなさいましたの、ソウスケさん? 難しい顔をして」
リリアーナが、不思議そうに問いかけてくる。
蒼介は、ペンダントからゆっくりと指を離すと、乾いた唇を舌で湿らせた。
「……いや。なんでもねえ」
「まあ、隠し事ですの? お互い隠し事はなし、と約束したはずですけれど」
「……分かったよ」
蒼介は観念し、大きくため息をつくと、先程の解析結果を正直に伝えた。
未知のエネルギー。未知の鉱物。そして、理解を超えた複雑な構造。
「俺のスキルでも、お前が宿るこのペンダントが何でできているのか、どういう仕組みで機能しているのか、全く分からなかった。手も足も出ない。完敗だ」
その言葉に、リリアーナは「まあ」と小さく呟いた。だが、その声に驚きや落胆の色はない。むしろ、どこか納得したような響きがあった。
「それは、当然のことですわ。このペンダントは、アルストロメリア王国で最高の魔術師たちが総力を決して作り上げた、国宝級の魔道具なのですから。あなたの世界の『すきる』とやらで、そう簡単に解き明かされては、わたくしたちの魔法も、安く見られたものですわ」
「……魔法、か」
その言葉の重みを、蒼介は今、改めて痛感していた。
この世界に来てから、魔法の存在は知識として理解していたつもりだった。セレスティーナが見せた圧倒的な魔法剣も、目の当たりにした。
だが、心のどこかで、それを自分と同じ土俵にある「力」の一種だと考えていたのかもしれない。ナノマシンのスキルと同じように、解析し、理解し、あるいは対抗できるものだと。
しかし、それは根本的な間違いだったのだ。
魔法とは、科学とは全く異なる法則で成り立つ、異世界の理そのもの。ナノマシンという物差しでは、測ることすらできない、遥か高みにある存在。
そして、リリアーナを縛る呪いもまた、その魔法の産物なのだ。
(……こいつを、解放する……?)
そのことが、どれほど困難な道であるかを、蒼介は予感せずにはいられなかった。
仕組みが分からなければ、解き方も分からない。科学の通用しない世界で、魔法という巨大な壁を前に、自分はあまりにも無力ではないのか。
元の世界に帰るという、自身の願い。
それと同じくらい、あるいはそれ以上に、この気高き王女を解放したいと願っている自分に、蒼介は気づいていた。だが、その道のりは、想像を絶するほどに険しく、遠い。
沈黙する蒼介の心中を察したのか、リリアーナが、不意に優しい声色で言った。
「ソウスケさん。あなたのそのお気持ちだけで、わたくしは十分ですわ」
「……何だよ、急に」
「わたくしのことを、本気で心配し、助けようとしてくださっている。その心が、誰にも届かなかったこの魂に、温かく響きますの。……ありがとう、ソウスケさん」
素直な感謝の言葉が、蒼介の胸にじんわりと染み渡る。
彼はテーブルの上のペンダントを、そっと手に取った。ひんやりとした金属の感触が、彼の決意を固めさせる。
(……ああ、そうだな)
難しい? 困難だ? そんなことは、最初から分かっていたことじゃないか。
簡単にいくと思っていたわけではない。ただ、その困難さの「質」を、今ようやく理解しただけだ。
科学で駄目なら、別の方法を探せばいい。魔法が相手なら、魔法をもって制すか、あるいは、魔法の理を上回る何かを見つけ出すか。
道は、閉ざされたわけではない。
「……礼を言うのは、まだ早いぜ、リリア」
蒼介は、力強く言った。その瞳には、先程までの迷いはなく、確かな光が宿っている。
「俺は、諦めたわけじゃねえ。むしろ、面白くなってきたくらいだ。未知のエネルギー? 構造が複雑? 上等じゃねえか。解き明かせない謎なんて、この世にはねえんだよ」
それは、根拠のない虚勢だったかもしれない。
だが、彼の言葉には、数多の死線を潜り抜けてきた者だけが持つ、揺るぎない覚悟が込められていた。
「必ず、お前をそこから出してやる。そして、俺は俺の世界に帰る。どっちもだ。どっちも叶える。それが、俺のやり方だ」
力強い宣言に、リリアーナは息を呑んだ。
そして、くすりと、楽しそうな笑い声を漏らす。
「ふふっ……本当に、あなたは面白い方ですわね、ソウスケさん」
「褒め言葉として受け取っておくぜ」
蒼介はペンダントをぎゅっと握りしめると、再びそれを腰へと結びつけた。
解析不能の魂。結構。邪道で、上等。
「俺にかかればそのうち魔法使い……いや、大魔術師・神谷蒼介が爆誕するかもしれねえぞ?」
「ソウスケさんは魔法を舐めすぎですわ」
糾弾するような言葉とは裏腹に、リリアーナの口調は微笑んでいるように優しいものだった。
どんな困難が待ち受けていようと、この魂の王女と共に、必ず乗り越えてみせる。
蒼介は、ランプの揺れる光の下で、静かに、新たな誓いを立てるのだった。