異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第24話 二人きりの喧騒

 迷宮の薄暗がりから解放され、街の喧騒の中に身を置くと、蒼介はいつも不思議な安堵感を覚えていた。

 活気のある市場、行き交う人々のざわめき、様々な食べ物が焼ける香ばしい匂い。それら全てが、「生きている」という実感を生々しく彼に突きつけてくる。異世界に来て間もない頃は、その全てが異物であり、彼の孤独を際立たせる背景でしかなかった。だが、今は違う。むしろ、この活気の中に身を置くことで、自分が確かにこの世界で「生きている」のだと実感できる。

 

 石畳の道を行き交う人々の波。獣人や亜人といった、かつての自分ならば驚愕したであろう姿も、今ではすっかり日常の風景の一部だ。香ばしい煙を上げる屋台、威勢のいい客引きの声、そして遠くから聞こえてくる鍛冶の音。それら全てが混然一体となり、街の生命力を形作っていた。

 

「ソウスケさん、そこの串焼きが美味しそうですわ! ほら、あの獣の肉を炭火でじっくりと焼いた……」

「却下だ。昨日食っただろ。大体、お前は味も匂いも分からねえくせに、よくそんなに食い物に執着できるな」

 

 腰のペンダントから響くリリアーナの催促を、蒼介はにべもなく切り捨てる。周囲から見れば、青年が一人でぶつぶつと独り言を呟いているようにしか見えないだろう。実際、時折すれ違う人々から訝しげな視線を向けられることもあった。だが、そんな些細なことは、もはや蒼介にとってはどうでもよくなっていた。

 孤独は、人を蝕む。かつての蒼介は、その事実から目を逸らし、孤独であることを自らの強さだと錯覚していた。だが、この魂だけの王女との出会いが、その強がりを内側から静かに溶かしていく。

 想像を絶する孤独に耐えてきた彼女もまた、蒼介との他愛ない会話によって、凍てついていた魂に温もりを取り戻しているのかもしれない。

 互いに、それを口にすることはなかった。だが、二人は無意識のうちに、互いの欠けた心を埋め合い、補い合う、奇妙で、そしてかけがえのない共生関係を築き始めていた。

 

「雰囲気が大事だと、何度言ったらお分かりになるのかしら、この朴念仁! 美食は目で楽しみ、そして音で愛でるもの。わたくしは今、その全てを堪能しているのですわ!」

「へいへい。ご高説どうも。じゃあ、その高級な感性で、今日の晩飯の献立でも考えてくれよ。俺はもう、考えるのも面倒なんだ」

「まあ、仕方ありませんわね。……では、あちらの店で売っている、色とりどりの野菜をふんだんに使った煮込み料理などはいかがでしょう。栄養のバランスも考えねば、迷宮で最高のパフォーマンスは発揮できませんことよ?」

「まー後でな」

 

 市場を抜け、少し開けた広場に出る。しばらく歩き続けたこともあり、蒼介は近くの噴水の縁に腰を下ろして一息つくことにした。水の流れる音が心地よい。

 

(探索は順調すぎるほど、順調だ)

 

 懐の革袋に入った硬貨の重みを感じながら、蒼介は思考を巡らせる。リリアーナという絶対的な情報アドバンテージは、彼の迷宮攻略を劇的に変化させた。魔物の弱点、迷宮の構造法則、危険な罠の配置。その全てを、彼女の五百年前の知識が事前に警告してくれる。

 そのおかげで、無駄な戦闘を避け、最小限の消耗で探索を進めることができている。すでに浅層と呼ばれる領域のほとんどを踏破し、第10層への到達も目前だった。

 

(そろそろ、考えないとな。この階層帯の『主』のことを)

 

 階層の主は、通常の魔物とは一線を画す強さを持つという。情報なしで挑むのは、自殺行為に等しい。

 

「なあ、リリア」

 蒼介は、誰にも聞こえないほどの小声で、腰のペンダントに話しかけた。

「浅層の『主』について、何か覚えてるか? お前の知識があれば、面倒な情報収集の手間も省けるんだが」

 

 これまで、彼女の知識に頼り切ってきた蒼介にとって、それはごく自然な問いかけだった。当然のように、淀みない答えが返ってくるものと信じて疑っていなかった。

 しかし、ペンダントからの返答は、珍しく歯切れの悪いものだった。

 

「……それが、どうにも、思い出せませんのよ」

「は? ど忘れか?」

「し、失礼な! このわたくしの完璧な記憶力を、あなたが疑うというのですか!?」

 

 リリアーナはいつもの調子で憤慨してみせるが、その声には確信の色が欠けていた。まるで、自分自身に言い聞かせているかのようだ。

 

「……違うのです。確かに、この階層に巣食う恐ろしい『主』の存在は覚えているのですけれど……。その姿形や、名前、そして弱点といった肝心な部分が、まるで分厚い靄に覆われたかのように、霞んでしまって……」

 

 彼女の声は、次第に自信を失い、もどかしさに満ちた響きへと変わっていく。

 

「ああ、忌々しい! なんてことでしょう! 分かっているはずなのに、言葉にならない……。まるで、喉に鳥の小骨が刺さったまま、どうしても取れないような……そんな気分ですわ!」

「鳥の小骨、ねえ……」

 

 その妙に生々しい比喩に、蒼介は思わず苦笑した。世界は違えど、もどかしい時の感覚というのは、案外共通しているらしい。

 だが、笑い事ではないのも事実だった。彼女の知識という最大の武器が、最も重要な局面で機能しない可能性があるのだ。

 

「……お役に立てず、申し訳、ありませんわ……」

 

 リリアーナの声は、蚊の鳴くようにか細くなっていた。自分の不甲斐なさが、よほど悔しいのだろう。

 その落ち込みように、蒼介は調子が狂うのを感じながら、わざと軽く息を吐いた。

 

「気にするなよ。お前には、これまで散々助けられてるんだ。それに、何から何までお前任せってのも、俺のプライドが許さねえ」

「ソウスケさん……」

「それに、だ。思い出せないってことは、大した相手じゃねえってことかもしれねえだろ。雑魚すぎて、記憶の片隅にも残らなかった、とかさ」

「……それはない、と断言できますわ」

 

 蒼介の根拠のない慰めは、きっぱりと否定された。だが、リリアーナの声には、先程までの落ち込みは消え、少しだけいつもの覇気が戻っている。

 

「そうかい。まあ、どっちにしろ、やることは変わらねえ」

 

 蒼介は立ち上がると、ズボンの埃を軽く手で払った。

 王女の記憶が頼れないのなら、自分たちの足で情報を稼ぐまでだ。幸い、この街には、ありとあらゆる情報が集まる場所がある。

 

「行くぞ、リリア。目的地変更だ。冒険者ギルドで、お偉い『主』様の情報を集めに行こうぜ」

 

 彼の言葉に、リリアーナは「ええ!」と力強く応えた。

 二人だけの喧騒が、再び街に溶けていく。まだ見ぬ強敵への、漠然とした不安。そして、それを上回る、相棒への確かな信頼。

 蒼介は、複雑な感情を胸に抱きながら、冒険者ギルドの建物を見据え、確かな一歩を踏み出した。

 

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