異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第27話 鉄の暴風

 第十層の空気は、それまでの階層とは明らかに異質だった。

 湿り気を帯びた土と苔の匂いに混じり、微かに鼻を突くのは金属が錆び付いたような鉄臭さ。そして、生物が本能的に抱くであろう純粋な「畏れ」を凝縮したかのような、重苦しい圧力が空間そのものを満たしていた。洞窟の壁を伝う水滴の音さえもが、ここでは不気味な心音のように反響する。

 

 蒼介は、だだっ広い空洞の中心へと続く通路の入り口で、慎重に足を止めた。腰に下げた剣の柄を握る手に、じっとりと汗が滲む。

 

「……いるな」

 

 誰に言うでもなく呟いた声は、自分でも驚くほど乾いていた。

 スキル【探知(サーチ)】が、空洞の中心部で渦巻く巨大な力の塊を明確に捉えている。まるで、地底の奥深くに眠る火山が噴火の時を待つかのような、途方もないエネルギーの奔流。あれがこの階層の「主」、【大鎧百足(グランアーマー・センチピード)】に違いない。

 

『ええ、間違いありませんわ。この気配……不快な圧ですわね』

 

 ペンダントから響くリリアの声は、いつものような軽やかさはなく、静かな緊張を帯びていた。彼女もまた、この先に待ち受ける脅威の大きさを肌で感じ取っているのだろう。

 

(準備は万端。シミュレーションも完璧だ。……だが)

 

 蒼介は己の胸に手を当て、激しく脈打つ心臓の鼓動を意識する。恐怖はない。シーカーとして、死線は幾度となく潜り抜けてきた。だが、この圧倒的な存在感を前にして、武者震いを禁じ得なかった。これは、ただの魔物ではない。この階層の生態系の頂点に君臨し、侵入者を拒絶し続けてきた、まさしく「主」の名にふさわしい存在だ。

 

「行くぞ、リリア」

『心得ておりますわ。ご武運を、ソウスケさん』

 

 短いやり取りを最後に、蒼介は静かに息を吸い込んだ。ナノマシンが全身を駆け巡り、思考をクリアに、感覚を鋭敏に研ぎ澄ませていく。彼は猫のようにしなやかな足取りで、暗がりの中を滑るように進み始めた。

 

 やがて、通路を抜けた先に、巨大なドーム状の空間が広がった。

 天井からは鍾乳石が牙のように垂れ下がり、地面は長年の月日を経て踏み固められたかのように平坦だ。そして、その中央に「それ」はいた。

 

 全長は、大型バスを二台は直列に繋げたほどだろうか。おびただしい数の節で構成された長大な胴体は、鈍い光を放つ黒鉄色の外殻で覆われている。その一つ一つの節からは、鎌のように鋭い脚が左右に無数に生え、蠢くたびに地面と擦れて不快な金属音を立てていた。頭部と思しき先端には、巨大な二本の顎がまるで城門のように鎮座し、その奥で複数の赤い複眼が爛々と輝いている。

 

 それが、【大鎧百足(グランアーマー・センチピード)】の全容だった。

 ただそこにいるだけで、周囲の空間を歪ませるかのような圧倒的な威圧感。生物というよりは、もはや意志を持った殺戮兵器、あるいは古代の城塞とでも言うべき異様な存在だ。

 

(……これで浅層(・・)の主かよ。この先どうなっちまうんだか)

 

 思わず内心で悪態をつく。リリアからの情報で、その巨体についてはある程度予測していた。だが、実際に目の当たりにすると、想像を遥かに超える絶望的なまでの質量が、現実として蒼介の眼前に突きつけられる。

 

 大鎧百足は、まだ蒼介の存在に気づいていないのか、あるいは気づいていながらも意に介していないのか、ゆっくりと巨体をくねらせているだけだった。

 蒼介は息を殺し、岩陰に身を潜めながら、テーブルの上で練り上げた作戦を脳内で反芻する。

 

(第一段階は、ワイヤーによる足止め。奴の突進の軌道上にこれを張り、一瞬の隙を作り出す)

 

 革袋から慎重に金属製のワイヤーロープを取り出す。これを、突進の経路上に張り巡らせる。狙うは、あの無数の脚だ。巨体であればあるほど、わずかなバランスの乱れが致命的な隙を生むはず。

 彼は、大鎧百足の注意を引かぬよう、ドームの壁際に沿って静かに移動を開始した。狙いを定めた二つの頑丈そうな岩柱に、ワイヤーの両端を固定していく。

 

 ギチ、ギチ……。

 ワイヤーをきつく巻き付ける音が、やけに大きく響く気がした。大鎧百足の赤い複眼が、一瞬こちらを向いたような錯覚に陥り、心臓が跳ね上がる。だが、それは杞憂だったようだ。奴は再び、興味なさげに頭部の向きを変えた。

 

(よし……。次は、第二段階の準備)

 

 蒼介は懐から発煙筒を取り出した。これを囮に使い、奴の注意を逸らす。その隙に、自分は獣油の壺を手に奴の死角へと回り込む算段だ。

 

 作戦は完璧なはずだった。

 そう、完璧なはずだったのだ。机上の空論の上では。

 

 蒼介が発煙筒の導火線に火をつけ、ワイヤーを張った方向とは逆の壁際へと力껏投げつけた、その瞬間。

 

 ――グギャルルルルルルルッ!!

 

 鼓膜を突き破るかのような、甲高い咆哮がドーム全体を揺るがした。

 大鎧百足が、それまでとは比べ物にならない速度で頭部を蒼介へと向けた。無数の赤い複眼が、明確な殺意をたたえて彼を捉えている。

 

(しまった! 読まれていたのか!?)

 

 発煙筒が地面に落ち、濛々たる煙を上げる。しかし、大鎧百足はそれに一切惑わされることなく、蒼介ただ一人をその視界に収めていた。

 そして、次の瞬間。

 

 ゴウッ、と。

 地鳴りと共に、鉄の城塞が動き出した。

 突進。

 いや、それは、もはや突進などという生易しい言葉で表現できる現象ではなかった。

 地響きを立てながら、黒鉄の津波が、暴走する貨物列車が、凄まじい勢いで蒼介へと迫る。無数の脚が地面を削り、火花を散らしながら、一直線に死を運んでくる。

 

「――【迅速(ブースト)】ッ!」

 

 思考よりも早く、蒼介はスキルを発動させていた。

 世界がスローモーションになる。ナノマシンが神経伝達を加速させ、彼の身体能力を極限まで引き上げた。迫り来る鉄の暴風を、紙一重で見切り、真横へと跳ぶ。

 

 直後。

 蒼介が先ほどまで立っていた場所を、大鎧百足の巨体が轟音と共に通過した。

 岩壁に激突し、ドーム全体が震動する。凄まじい衝撃に、天井から無数の岩片がぱらぱらと降り注いだ。

 

(……やべえ、今のは本気で死んだかと思った)

 

 冷や汗が背中を伝う。

 だが、安堵する暇はなかった。突進の勢いのまま、大鎧百足は蒼介が仕掛けたワイヤーロープへと突っ込んでいく。

 

(かかれッ!)

 

 心の中で叫ぶ。

 蒼介の期待通り、ワイヤーは奴の無数の脚に絡みついた。

 

 ――バチンッ!

 

 金属がはち切れる、甲高い音が響き渡った。

 蒼介が自信を持って設置したはずの、頑丈な金属製ワイヤーロープが、まるで細い糸のように、いとも容易く引きちぎられたのだ。大鎧百足の突進の勢いは、一瞬たりとも衰えることはない。

 

(嘘だろ……!?)

 

 作戦の根幹が、開始わずか数秒で崩れ去った。

 ワイヤーで体勢を崩させ、その隙に獣油を叩き込む。その前提が、根底から覆された。

 大鎧百足は、壁に激突したダメージなど微塵も感じさせない様子で、ゆっくりと巨体を反転させる。再び、その殺意に満ちた複眼が、蒼介を捉えた。

 

『ソウスケさん! 作戦が破綻しましたわ!』

「見りゃわかる!」

 

 リリアの悲鳴のような声に、蒼介は叫び返す。

 手に持っていた獣油の壺が、急にひどく重く感じられた。これを投擲したところで、あの鉄の装甲に傷一つ付けられるとは思えない。

 

 ――グギャアアアッ!

 

 再び、咆哮。

 二度目の突進が開始される。

 今度は、先ほどよりもさらに速い。

 

「くそっ! 【迅速(ブースト)】!」

 

 蒼介は再びスキルを発動させ、回避に専念する。

 右へ、左へ。死の軌跡を、必死に避け続ける。

 

 轟音。衝撃。振動。

 鉄の暴風が、ドーム内を縦横無尽に吹き荒れる。蒼介が逃げ込んだ岩陰は、次の瞬間には巨大な顎に噛み砕かれ、木っ端微塵に砕け散った。

 

(ダメだ、埒が明かねえ!)

 

 攻撃の糸口が全く見えない。

 リリアの情報によれば、弱点は脚の付け根にある関節部。しかし、あの猛烈な突進の中で、どうやってその小さな的を正確に狙えというのか。近づくことすらままならない。

 

 防戦一方。

 いや、防戦にすらなっていない。ただ、ひたすらに逃げ回っているだけだ。

 【迅速(ブースト)】の連続使用が、徐々に彼の身体を蝕み始める。心臓が悲鳴を上げ、肺が酸素を求めて喘ぐ。筋肉の節々が、断続的に痙攣し始めた。

 

(消耗が、激しすぎる……!)

 

 このままでは、スキルに身体が耐えられなくなるのが先か、回避が見切られるのが先か。いずれにせよ、結末は「死」だ。

 

『ソウスケさん! 右ですわ!』

『今度は左から来ます! 落ち着いて!』

 

 ペンダントから響くリリアの声だけが、唯一の命綱だった。

 彼女は、この絶望的な状況下でも冷静さを失わず、大鎧百足の動きを的確に予測し続けている。彼女の指示がなければ、蒼介はとうの昔に肉塊と化していただろう。

 

 だが、それも時間の問題だった。

 大鎧百足の攻撃は、単調な突進だけではなかったのだ。

 巨体をしならせ、鞭のように薙ぎ払われる胴体。死角から突き出される、鎌のような鋭い脚。回避するべき攻撃の軌道が、徐々に複雑になっていく。

 魔法どころか毒さえ使わない、単純な質量による攻撃。だが、その巨体から繰り出されるそれは紛れもない脅威だった。

 

「ぐっ……!」

 

 【迅速(ブースト)】を発動し、身を屈めて胴体の薙ぎ払いを躱す。しかし、その直後に襲ってきた脚の一撃を完全には避けきれなかった。左肩を掠めただけで、鎧の一部が抉り取られ、鈍い痛みが走る。

 

『ソウスケさん!』

「……問題、ねえ!」

 

 虚勢を張りながらも、蒼介の額には脂汗が浮かぶ。

 ナノマシンによる【自己修復(リペア)】が傷口を塞いでいくが、失った体力は戻らない。呼吸が、どんどん浅くなっていくのがわかった。

 

(どうする……どうすればいい……!)

 

 思考が焦りで空回りする。

 用意していた道具は、もはや何の役にも立たない。ワイヤーはちぎれ、発煙筒の煙はとうに晴れている。残されたのは、己の身体と、一本の剣だけ。

 あの鉄の装甲を、この剣で貫けるとは到底思えなかった。

 

 その時だった。

 三度、四度と繰り返される突進を必死に回避し続けていた蒼介の耳に、リリアの冷静な声が響いた。

 

『ソウスケさん。あの化け物の動き、何か気づきませんこと?』

「気づくも何も……! 速くて硬くてデカい、最悪の三拍子だってことくらいだ!」

 

 息も絶え絶えに叫び返す。

 だが、リリアは落ち着き払った声で続けた。

 

『違いますわ。突進の後、方向転換する瞬間……ほんの一瞬ですが、特定の脚の動きが鈍くなっていますわ。おそらく、あれだけの巨体を無理に旋回させるための、軸足のような役割を果たしているのでしょう』

 

 言われてみれば、確かにそうかもしれない。

 だが、それがわかったところで、今の蒼介にできることは何もなかった。その一瞬の隙を突けるほどの余力は、もはや残されていない。

 

「それが……わかったところで……どうにも……!」

 

 足がもつれる。

 【迅速(ブースト)】の反動で、視界がぐらりと揺れた。

 まずい。

 その一瞬の隙を、鉄の怪物は見逃さなかった。

 咆哮と共に、最大戦速の突進が蒼介に迫る。

 回避が、間に合わない――!

 

(ここまで、か……!)

 

 死を覚悟し、蒼介が奥歯をギリリと噛み締めた、その刹那。

 

『ソウスケさん』

 

 リリアの声が、凛として響いた。

 それは、これまでのような焦りを含んだ声ではなかった。どこか吹っ切れたような、覚悟を決めた声。

 

『……私に策がありますわ』

 

 絶望が支配する戦場に、その言葉は、まるで天啓のように静かに、しかし力強く、響き渡った。

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