異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第3話 蒼き深淵への誘い

 世界は、新たなダンジョンの出現に沸き立っていた。

 東京湾の海上に、まるで蜃気楼のように突如として現れた巨大な渦。それは海水を飲み込み、蒼い光を放つ深淵への入り口だった。未踏のダンジョン「エリア・アクア」。その発見は、シーカー業界だけでなく、社会全体を大きな興奮の渦に巻き込んだ。

 

 街頭の大型ビジョンは、連日トップニュースとしてその名を報じている。

 

『Sランクシーカー『雷帝』、神崎隆二氏が『エリア・アクア』への挑戦を表明! 人類は新たな領域を切り開けるのか、世界中が注目しています!』

 

 アナウンサーが高揚した声で伝え、コメンテーターがその経済効果や技術的進歩への期待を語る。人々はスマホを片手にその映像に見入り、新たな英雄の誕生を待ち望んでいた。

 

 神谷蒼介は、そんな世間の熱狂をどこか他人事のように眺めていた。

 いつものように「旧都庁地下」での探索を終え、換金所からの帰り道。彼の耳にも、嫌でもそんな話題が入ってくる。

 

(「エリア・アクア」、ねぇ……)

 

 水中型のダンジョンは装備も特殊なものが必要になるし、三次元的な機動を要求されるため厄介極まりない。何より、未踏のダンジョンというのは、未知のリスクの塊だ。どんなモンスターがいて、どんなトラップがあるのか、データがまったくない。そんな場所に率先して飛び込む連中の気が知れなかった。

 

「なぁ聞いたか? エリア・アクアの初期調査隊、Bランク以上から公募してるらしいぜ」

「マジかよ! 一攫千金のチャンスじゃねえか!」

 

 すれ違った若いシーカーたちの会話に、蒼介は内心で肩をすくめる。

 

(チャンスね。死ぬ確率と隣り合わせの、な)

 

 彼にとって、ダンジョンは夢を掴む場所ではなく、ただ明日を生きるための金を得る仕事場だ。ハイリスク・ハイリターンな賭けに乗るつもりは毛頭ない。

 

 古びたアパートに帰り着き、集合ポストを覗くと、一通の無骨な封筒が差し込まれていた。差出人は、シーカー協会本部。普段、支部とのやり取りは全てデータ上で行われるため、物理的な郵便物が届くこと自体が異例だった。

 嫌な予感を覚えながら部屋に入り、封を切る。中から出てきたのは、一枚の書類。

 そこに記された「特別指名依頼書」という物々しい表題に、蒼介は思わず眉をひそめた。

 

「……は?」

 

 思わず、声が漏れた。

 依頼内容は、ダンジョン「エリア・アクア」の初期調査任務への参加要請。そして、その依頼対象者として、自分の名前とID、ランク:B-がはっきりと記載されていた。

 報酬額は、蒼介が普段一ヶ月かけて稼ぐ金額の数十倍にもなる破格のものだった。だが、彼の心は少しも踊らない。むしろ、急速に冷えていくのを感じた。

 

(なんで俺が? B-ランクなんて、他にいくらでもいるだろうが)

 

 初期調査隊とはいえ、世間の注目が集まる国家規模のプロジェクトだ。参加するのは、健太のような向上心溢れるAランクシーカーや、実績のあるベテランが中心になるはず。自分のような、目立つことを嫌い、最低限のノルマしかこなさないシーカーに白羽の矢が立つ理由が見当たらない。

 書類を裏返してみるが、選定理由などの記載はなかった。ただ、無機質な文字で任務内容と集合日時、場所が記されているだけだ。

 

(無視、だな)

 

 蒼介は書類をテーブルに放り投げた。面倒事に関わるのは、彼の主義に反する。

 しかし、その書類の末尾に記された小さな一文が、彼の目を引いた。

 

『追記:本件は、ダンジョン災害対策基本法に基づく国家安全保障任務の一環である。正当な理由なく本招集を辞退した場合、シーカーライセンス規定第7条に基づき、資格の一時停止を含む重篤な罰則の対象となる』

 

「……国が絡んでるのかよ」

 

 蒼介は舌打ちした。これは、ただの依頼ではない。事実上の、強制招集。断れば、シーカーとしてのキャリアが断たれることを意味していた。シーカーライセンスを失えば、ナノマシンによって強化されたこの体を持て余し、一般社会で生きていく術はない。選択の余地は、初めからなかった。

 

(一番面倒なやつを引き当てちまった)

 

 ソファに深く沈み込み、天井を仰ぐ。

 なぜ、自分だったのか。協会が保有するデータを見れば、自分がチームでの活動を避け、常に単独で行動していることなど分かりきっているはずだ。そんな人間を、連携が必須となる初期調査隊に組み込む意図が読めない。

 あるいは、数合わせか。それとも、使い潰しても惜しくない駒として見られているのか。

 どちらにせよ、胸糞の悪い話だった。

 

 過去のトラウマが、じわりと胸を締め付ける。

 また、誰かとパーティを組むのか。また、誰かの命を、自分の判断が左右するような状況に身を置くのか。

 もう二度と、あんな経験はしたくなかった。

 

 だが、どれだけ思考を巡らせても、結論は変わらない。

 蒼介は立ち上がり、協会の端末にアクセスすると、無言のまま、依頼書に記載されたコードを打ち込んだ。画面に表示された「受諾」の二文字を、感情のない目で見つめる。

 決まってしまった以上、やるべきことは一つ。生き残るための、最善の準備をすることだけだ。

 

 彼は押し入れの奥から、普段は使わないメンテナンスツールを取り出した。ショートソードを分解し、刃こぼれがないか入念にチェックする。戦闘服の縫製を確かめ、予備のナイフを研ぎ、スキルの使用で体に掛かる負荷を計算し、携帯食料や回復薬をリストアップしていく。

 その背中には、いつもの飄々とした雰囲気はない。ただ、これから始まる厄介事に対する、静かな覚悟と、深い憂鬱が色濃く漂っていた。

 

 数日後。

 蒼介は、東京湾岸に設けられた「エリア・アクア」の特設ゲート前に立っていた。

 潮の香りに混じって、蒼い光を放つダンジョンから溢れ出す、未知のエネルギーの匂いがする。周囲には、自分と同じように招集されたであろうシーカーたちが、緊張と期待の入り混じった表情で集まっていた。

 蒼介は誰と目を合わせるでもなく、ただ腕を組み、これから自分を飲み込むであろう、蒼き深淵を静かに見据えていた。

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