異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~ 作:九泉
セレスティーナから放たれた「同行させてもらう」という言葉は、逆さ大樹の森の奇妙な静寂の中に、小さな波紋のように広がった。
神谷蒼介は、自分に向けられた真っ直ぐな青い瞳を見つめ返し、掴まれたままの腕に視線を落とす。そして、盛大なため息をついた。
「……本気で言ってるのか、あんた」
「私は常に本気だ。戯言を口にする趣味はない」
きっぱりとした口調。その声には一片の迷いも感じられない。
蒼介は呆れを通り越して、ある種の感心すら覚えていた。ここまで自分の信念と目的に忠実な人間は、元の世界でもそうそういなかった。
『なんですって!? ソウスケさん、断りなさいまし! こんな高慢ちきな女と一緒に行動するなど、時間の無駄ですわ!』
腰のペンダントから、リリアの抗議の声が響く。彼女はよほどセレスティーナのことが気に入らないらしい。極限まで声量を絞った小声で叫ぶという器用な真似をしてのけている。
自分にしか聞こえないその声に顔をしかめ黙り込んだ蒼介を、セレスティーナは訝しげな表情で見つめていた。
「なぜ黙る。何か不都合でもあるのか」
「不都合だらけだろ。俺はソロだ。誰かと馴れ合うつもりはない」
「馴れ合いではない。これは、目的達成のための合理的な判断だ」
セレスティーナは掴んでいた蒼介の腕を放すと、改めて彼と向き合った。
「単刀直入に言おう、カミヤ・ソウスケ。貴様と私は、ここで一時的なパーティを組むべきだ」
「……話が飛躍しすぎだろ」
(パーティ、ねえ。こいつと俺が?)
想像するだけで頭が痛くなる。戦闘スタイルも、物事の考え方も、何もかもが正反対だ。
その戦闘力から足手まといになることはないだろうが、精神的な疲労は計り知れない。
蒼介が明確な拒絶の意思を示そうとした、その時だった。
「私の家、エッケハルト家は、代々大迷宮の攻略を使命としてきた騎士の名門だ」
セレスティーナが、静かに語り始めた。その声には、先ほどまでの刺々しさはなく、どこか宿命を背負った者の重みが滲んでいた。
「それは誉れであると同時に、呪いにも等しい。何世代にもわたり、多くの先祖がこの迷宮に挑み、そして志半ばで倒れていった。私は……私の代で、この永きにわたる悲願に、一つの区切りをつけなければならないのだ」
「……家の事情、か。悪いが、俺には関係ない話だな」
蒼介は冷たく突き放した。同情を誘うつもりならお門違いだ。彼は自分の目的のためにここに来ているのであって、他人の家の事情に首を突っ込む義理はない。
だが、セレスティーナは蒼介の冷淡な反応にも怯まなかった。
「関係なくはない。貴様もまた、この迷宮の深層を目指しているのだろう? 目的は違えど、道は同じはずだ」
「……」
「私の目標は、ひとまず未踏階層の制覇。歴史にエッケハルトの名を刻み、家の使命を果たす。そのためには、一刻も早く、そして確実に迷宮を攻略する必要がある。貴様のその型破りな力は、私の剣を補うものとなり得る」
彼女は、まるでそれが当然の権利であるかのように、高圧的な態度で続けた。
「貴様の力、邪道ではあるが利用価値はある。私の剣となり、盾となれ。そうすれば、貴様のような者でも、より安全に深く迷宮を進めるだろう。悪い話ではないはずだ」
その言い草に、蒼介の口元がひくりと歪んだ。
(こいつ、本気で言ってるのか。どこまで上から目線なんだ)
『聞いていましたか、ソウスケさん! この女、貴方のことをただの便利な道具としか見ていませんわよ!』
リリアの怒りに満ちた声が頭に響く。
蒼介は、わざとらしく鼻で笑ってみせた。
「へえ、未踏階層の制覇、ねえ。ずいぶんと目標が慎ましいじゃないか、騎士様。もしかして、志が低いんじゃないか?」
「なっ……!」
セレスティーナの表情が、蒼介の軽口一つで凍り付いた。彼女の背負ってきたものの重さを、家の悲願を、真正面から茶化されたのだ。
『ちょっ、ソウスケさん! 胸のすく思いではありますが、この女をあまり刺激するのはよくありませんわよ!』
リリアが焦ったように告げるが、蒼介はどこ吹く風で言葉を続ける。
「俺の目標は、あんたみたいな中途半端な場所じゃない。大迷宮の最深部、その踏破だ。迷宮の完全攻略と言い換えてもいい。俺は俺の目的のために、何としても辿り着かなきゃならん」
「き、貴様ァッ……! 我がエッケハルト家の悲願を、使命を……愚弄するか!」
激昂したセレスティーナから、凄まじい魔力が迸る。腰の剣の柄に手がかけられ、空気がビリビリと震えた。
一触即発。足場が不安定なこの場所で戦闘になれば、どちらかが奈落の底へ落ちるまで終わらないだろう。
(やべ、ちょっと煽りすぎたか)
『だから言わんこっちゃありませんの!』
リリアの呆れた声を聞きながら、蒼介は冷静に状況を分析していた。
彼はゆっくりと両手を挙げて、目の前で怒りに震える女騎士に、降参のポーズをとった。
「わかった、わかった。悪かったよ。あんたの家の事情にケチをつけるつもりはなかった」
「……ならば、今の言葉は何だ」
「ほんの冗談だ。あんまり偉そうに言うもんだから、ついな。なあ、ちょっと考えさせてくれないか?」
「…………よかろう」
確かに、セレスティーナの態度は腹立たしい。単独行動の気楽さを手放したくもない。
だが、彼女の言うことにも一理あるのだ。
この【逆さ大樹】の階層は、これまでの洞窟型とは全く性質が異なる。いつ、どこから魔物に襲われるか分からない。特に、飛行型の魔物に囲まれでもしたら、足場の確保と迎撃を同時に行うのは至難の業だ。
そして、大鎧百足との戦いを思い出す。あの時も、決定力不足で追い詰められた。もしセレスティーナのような強力なアタッカーが一人いれば、もっと楽に、そして安全に戦えたはずだ。
生存確率を上げる。その一点において、彼女の提案には無視できないメリットがあった。
(……リリア。どう思う?)
蒼介は顎に手を当て下を向きつつ、唯一無二の相棒に小声で問いかけた。目の前のセレスティーナからすれば、蒼介が少し考え込むように黙り込んだ、ように見えただろう。
『……どう思う、ですって? 決まっていますわ。あんな高慢ちきで無礼な女、お断りに決まってます』
感情を隠さないリリアの反論。しかし、その声にはいつものような絶対的な響きがなかった。彼女もまた、蒼介と同じ結論に至りかけているのがわかった。
(高慢ちきはどこかの誰かさんもだが……。まあ、鼻持ちならない感情は俺も同じだ。だが、それでも。俺たちの目的――俺が元の世界に帰って、あんたの呪いを解く方法を探すためには、ここで死ぬわけにはいかない。あいつの腕は本物だ。利用できるものは、利用すべきじゃないか?)
『………………ふぅ』
しばしの沈黙の後、リリアは小さなため息と共に答えた。
『……不本意ですわ。ええ、極めて不本意ですけれど。貴方の言う通り、生存確率を上げるのが最優先。貴方がそう判断するというのなら、わたくしは反対しませんわ』
そして、プライドの高い彼女らしく、釘を刺すように付け加える。
『ただし! あの女の言いなりになるのだけは絶対に許しませんからね! 主導権は、あくまでこちらが握るのですわよ!』
(ああ、分かってる。サンキュ、リリア)
相棒の承諾を得た蒼介の心から、迷いが消えた。
蒼介は息を一つ吐いてから、本題を切り出した。
「……まあ、いいだろう。組んでやってもいい」
「……何?」
「聞こえなかったか? 一時的にパーティを組んでやってもいい、と言ったんだ」
予想外の返答だったのか、セレスティーナは目を丸くして固まっている。
「だが、条件がある」
蒼介は、人差し指を立てて、セレスティーナに突きつけた。
「第一に、互いの戦い方に一切、口出ししないこと。あんたの騎士道とやらは、あんた一人でやってくれ。俺は俺のやり方で生き残る。それで文句はないな?」
「……それは」
「第二に、報酬や戦利品、魔石の分配は折半。これでどうだ。この条件が飲めないなら、今の話は無しだ。俺は一人で行く」
それは、蒼介にとっての最低限の譲歩だった。特に、戦闘方針への不干渉は何よりも重要だ。彼の戦い方は、騎士道のような美学とはかけ離れた、泥臭い生存戦略そのものなのだから。
セレスティーナは、しばらく黙り込んでいた。彼女の青い瞳の中で、葛藤が渦巻いているのが見て取れる。己の信じる正義と、目の前の現実的な利益。その二つを天秤にかけているのだ。
やがて、彼女はぐっと唇を噛み締め、不承不承といった顔で、小さく頷いた。
「……よかろう。その条件、呑んでやる」
「交渉成立、だな」
「勘違いするな。これはあくまで、目的のための契約だ。貴様の戦い方を認めたわけではない。あまりに目に余る場合は、この契約も破棄させてもらうからな!」
釘を刺すように言うセレスティーナに、蒼介は「へいへい」と軽く手を振って応じた。
こうして、現代のダンジョンシーカーと、異世界の女騎士による、奇妙で不本意な共闘契約が成立した。
二人の間には、信頼とは程遠い、緊張と打算の空気が流れている。
『……本当に、大丈夫なのでしょうか、この二人』
リリアの不安げな呟きだけが、誰にも聞かれることなく、ペンダントの中で静かに消えていった。