異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第34話 巨大樹の罠

 天と地が逆転したかのような異様な光景が、蒼介たちの眼前に広がっていた。

 

 第十一層【逆さ大樹】。

 

 その名の通り、天井たる岩盤から巨大な樹々が下に向かって生い茂り、その枝や根が複雑怪奇に絡み合うことで一つの広大な森を形成している階層だ。足場となるのは、時に大人が十人並んで歩けるほど太い枝もあれば、一本の丸木橋のように心許ない細い枝もある。一歩足を踏み外せば、奈落とも呼ぶべき遥か下方の暗闇へと吸い込まれていく。そこには死以外の何も待ってはいないだろう。

 

「おい、少し休まないか」

 

 蒼介は背後を歩くセレスティーナに声をかけた。銀級に昇格したとはいえ、蒼介たちの探索は慎重そのものだ。特にこの【逆さ大樹】の階層は、これまでの洞窟型とは勝手が違いすぎる。常に三次元的な警戒を強いられ、精神的な消耗が激しかった。

 

「まだ歩き始めて一時間も経っていない。軟弱なことだ」

 

 セレスティーナは、はあと呆れたように息を吐きながらも、足を止めた。彼女もこの階層の異常さは理解している。悪態をつく彼女も額にはうっすらと汗が浮かび、金色の髪が張り付いていた。不承不承といった体ではあるが、蒼介の提案を無下に断るほど石頭ではないらしい。

 

 二人は比較的安定している太い枝の根元に腰を下ろした。水筒の水を口に含み、乾いた喉を潤す。眼下には雲海のように霧が漂い、遥か遠くには別の逆さ大樹のシルエットが霞んで見えた。幻想的でありながら、同時に命の危険を肌で感じさせる絶景だ。

 

(さて、どうしたものか……)

 

 蒼介は周囲を見回しながら、思考を巡らせる。この階層の厄介さは、道が無限にあるように見えて、その実、下層へと続く正規のルートが極端に少ないことにある。枝から枝へと飛び移り、時には蔓を使って枝を渡る。そのアスレチックな攻略法は、一瞬の判断ミスが死に直結する。

 

(もっと安全なルートはないのか……)

 

 蒼介は意識を集中させ、体内のナノマシンを起動させた。スキル【探知(サーチ)】。彼の視界に、世界の輪郭が淡い光の線として浮かび上がる。生命の反応、魔力の流れ、そして構造的な密度。それらが複雑な情報として脳内に流れ込んでくる。

 

 これまでと同じように、蒼介は周囲の構造をスキャンしていく。敵性生物の反応はない。罠の類も、今のところは。だが、彼の意識はある一点に引き寄せられた。

 

 それは、彼らが今いる巨大な逆さ大樹の、ちょうど目の前にある幹の部分だった。直径数十メートルはあろうかという巨木。その表面に、まるで獣の巣穴のようにぽっかりと空いた巨大な(うろ)がある。

 

 スキル【探知(サーチ)】は、その洞の奥に広大な空洞が続いていることを示していた。しかも、それはただの空洞ではない。緩やかな螺旋状の下り坂を描きながら、遥か下層へと続いている。まるで、天然のトンネルのように。

 

(これだ……!)

 

 蒼介は内心で快哉を叫んだ。枝の上を渡るよりも、風雨や空飛ぶ魔物の心配もない木の幹の中を進む方が、遥かに安全で確実だ。なぜ今まで誰もこのルートを使わなかったのか。不思議に思うほど、それは完璧な道に見えた。

 

「おい、セレスティーナ。あそこを見てみろ」

 

 蒼介は顎で巨大な洞を指し示した。セレスティーナは訝しげに眉をひそめ、そちらに視線を向ける。

 

「あれがどうした。ただの洞だろう」

「ただの洞じゃない。あそこから木の内部を通って下に行けるんじゃないか? 外の枝を渡っていくより、ずっと安全なはずだ」

 

 これは名案だろう。蒼介は自信を持って提案した。危険な橋を渡るよりも、確立された安全を選ぶ。それはシーカーとして培ってきた彼の生存戦略の根幹だった。

 

 しかし、その提案を聞いたセレスティーナの反応は、蒼介の予想とは全く異なるものだった。彼女は一瞬きょとんとした顔をし、次の瞬間、ぷっと吹き出した。そして、腹を抱えるようにして笑い始めたのだ。それは侮蔑と嘲笑の色を隠そうともしない、あからさまなものだった。

 

「くっ……ふ、ふふっ……あははは!」

「なっ、何がおかしいんだ!」

 

 蒼介は思わず声を荒らげた。命懸けの探索の最中だ。真剣な提案を、ここまで馬鹿にされる謂れはない。

 

 ようやく笑いが収まったのか、セレスティーナは涙の浮かんだ目尻を指で拭い、蒼介を憐れむような視線で見つめた。

 

「貴様はやはり、根本的に冒険者というものを、そしてこの大迷宮というものを理解していないらしいな」

「どういう意味だ」

「言葉通りの意味だ。……いいか、よく聞け。誰もがそう見える(・・・・・)安全な道が、この邪悪な迷宮で、どうして本当に安全なことがあろうか」

 

 その言葉は、まるで子供に言い聞かせるような響きを持っていた。蒼介のカッと頭に血が上る。

 

「行ってみなきゃわからねーだろうが! お前のその根拠のない精神論にはうんざりだ!」

「いや、わかる」

 

 セレスティーナは、蒼介の怒声をピシャリと、冷たい一言で切り捨てた。その瞳には、先程までの嘲笑とは違う、絶対的な確信と、そして経験に裏打ちされた知性が宿っていた。

 

「わかる……だと?」

「そうだ。その洞が何なのか、私にはわかる。エッケハルト家に伝わる迷宮の記録にも、ギルドに保管されている幾多の死亡報告書にも、その存在は記されているからな」

 

 セレスティーナは立ち上がり、静かに語り始めた。その声は淡々としていたが、だからこそ、その内容の恐ろしさが際立った。

 

「その洞は、冒険者たちを誘い込むための『口』だ」

「口……?」

 

「そうだ。貴様が言った通り、あの道は最初は安全に進めるらしい。外敵もおらず、足場も安定している。疲弊した冒険者にとっては、まさに天国のような道だろう。だが……」

 

 セレスティーナは一度言葉を切り、洞を忌々しげに睨みつけた。

 

「入口からしばらく進んだあたり。洞の入口がずいぶんと遠くなった頃、それ(・・)は訪れる」

「勿体ぶるな。それとはなんだ」

「ふっ……前触れもなく、樹木の内部を埋め尽くすほどの無数の根が、壁から、床から、天井から、全方位から一斉に冒険者へと襲いかかるのだ」

「……!」

 

 蒼介は息を呑んだ。セレスティーナの淡々とした説明が、脳内で鮮明な映像を結ぶ。

 

「その根は鋼のように硬く、槍のように鋭い。回避する術も、防御する術もない。一瞬にして体中を貫かれた冒険者は、そのまま……」

「…………」

「そのまま、巨樹の養分にされる。血も、肉も、魔力さえも、その樹に吸い尽くされてな。骨一本残らない」

 

 ぞわり、と蒼介の背筋を悪寒が駆け抜けた。それは、単なる魔物との戦闘とは質の違う、もっと根源的で、抗いようのない死のイメージだった。

 

「実際に、銀級の実力者を含むパーティがいくつも、その罠にかかって全滅している。希望を見出した瞬間に、絶望の底に叩き落とす。実にこの迷宮らしい、悪趣味な罠だ」

 

『……あの女の言う通りですわ、ソウスケさん。大迷宮の甘言に乗ってはなりません』

 

 ペンダントから、リリアの静かな声が響く。彼女もまた、セレスティーナの言葉を肯定していた。蒼介と違って、この世界の常識を知る者として。

 

「食虫植物かよ……」

 

 蒼介の口から、乾いた声が漏れた。現代日本にも存在する、虫を捕らえて養分にする植物。だが、これはスケールが違いすぎる。人間を、それも武装した冒険者のパーティを丸ごと飲み込む巨大な食人樹。

 

(危なかった……)

 

 もし、セレスティーナがいなければ。もし、彼女の知識がなければ、自分は意気揚々とあの死の罠に足を踏み入れていただろう。そして、リリアを巻き込んで、名も知れぬ巨木の肥やしになっていたに違いない。

 

「……悪かった」

 

 蒼介は、短く謝罪の言葉を口にした。それは、彼の矜持が許す、最大限の敗北宣言だった。

 

「ふん。わかればいい」

 

 セレスティーナは勝ち誇ったように鼻を鳴らしたが、それ以上蒼介を責めることはなかった。彼女もまた、この大迷宮の恐ろしさを再認識しているようだった。

 

 二人の間に、気まずい沈黙が流れる。眼前にぽっかりと口を開ける巨大な洞が、まるで死神の口のように見えた。蒼介は、異世界に来てから何度も感じてきた、己の常識の無力さを、またしても痛感させられるのだった。この世界で生き抜くためには、強さだけではない。知識と、そしてそれを正しく用いることができる仲間が不可欠なのだと。

 

 蒼介はちらりと隣の女騎士の横顔を盗み見た。相変わらず気に食わない女だとは思う。だが、彼女の存在が今、自分の命を繋ぎとめたこともまた、紛れもない事実だった。

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