異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第39話 剣と影

 上層と中層を隔てる巨大な関門、第10層を越えて足を踏み入れた第11層以降。

【逆さ大樹】と呼ばれるこの階層は、その名の通り、天地が逆転したかのような奇妙な植生に支配されていた。

 天井と呼ぶべき遥か高みから、太古の巨木を思わせる無数の樹木が逆さまに垂れ下がっている。その太い幹や複雑に絡み合った根、そして広大な枝葉が、この階層における唯一の「地面」だった。

 踏みしめる足場は、苔むした樹皮か、あるいは太い枝の上。一歩踏み外せば、底の見えない暗闇へと真っ逆さまだ。どこまで落ちていくのか、その底に何があるのかを知る者はいない。ただ、落ちれば二度と戻っては来られないという事実だけが、冒険者たちの間で共有されている。

 

「……ふっ!」

 

 そんな不安定な足場の上で、鋭い裂帛の気合が響く。

 金色の髪をなびかせ、銀の鎧を纏った少女――セレスティーナ・エッケハルトが、手にした長剣を振るった。

 彼女の剣には、青白い雷光が纏わりついている。それは単なる物理的な斬撃ではない。彼女の魔力が生み出した、刃の延長線上にある破壊のエネルギーだ。

 

 対峙しているのは、この階層特有の魔物「ツリー・エイプ」。樹皮のような茶褐色の体毛に覆われた猿型の魔物で、長い手足と鋭い爪を持ち、枝から枝へと自在に飛び回る厄介な相手だ。

 ツリー・エイプはセレスの剣撃を、長い腕を使って巧みに枝へとぶら下がることで回避する。そのまま反動を利用し、セレスの死角である頭上へと回り込もうとした。

 

「遅い!」

 

 だが、セレスは動じない。彼女は視線を上げることなく、自身の直感を信じて剣を頭上へと突き上げる。

 魔力を帯びた剣先から、バチリと火花が散った。

 空中で回避行動を取ろうとしたエイプの横腹を、雷撃の余波が掠める。魔物は悲鳴を上げ、バランスを崩して太い枝の上へと落下した。

 そこへ、セレスが追撃の一歩を踏み出す。

 真正面からの、正々堂々たる突撃。騎士としての誇りを体現するかのような、迷いのない一撃だ。

 

(いい動きだ。だが、あと一歩足りない)

 

 その様子を、少し離れた別の枝の上から観察している男がいた。

 神谷蒼介。黒髪に黒い瞳、どこにでもいそうな風貌の男だが、その目は冷静に戦況全体を俯瞰している。

 

 彼の視界には、セレスと対峙しているエイプだけでなく、周囲の茂みに潜む別の影が映っていた。

 ツリー・エイプは群れで狩りをする。セレスが相手をしているのは囮だ。本命は、彼女が追撃のために隙を見せたその瞬間を狙っている。

 セレスの背後、太い幹の陰から、二匹目のエイプが音もなく飛び出した。

 狙いはセレスの首筋。鋭い爪が、無防備な背中へと迫る。

 

(想定通り)

 

 蒼介は、呼吸をするように自然にスキルを発動させた。

 

迅速(ブースト)

 

 脳内を走る電気信号が加速する。世界がスローモーションのように停滞し、筋肉の収縮速度が限界を超えて引き上げられる。

 彼は音もなく枝を蹴った。

 セレスが気づくよりも速く、エイプが爪を振り下ろすよりも速く。

 蒼介の姿は、黒い疾風となって空間を駆け抜けた。

 手にしたコンバットナイフが、鈍い銀色の軌跡を描く。

 すれ違いざまの一閃。

 空中に躍り出ていた二匹目のエイプは、何が起きたのか理解することすらできず、その首を深々と切り裂かれた。

 鮮血が舞う。

 蒼介は勢いを殺すことなく、そのまま木の幹を蹴って反転し、音もなく着地する。

 その時にはもう、セレスの剣が最初の一匹にとどめを刺していた。

 

「シッ!」

 

 雷光を帯びた剣がエイプの心臓を貫く。魔物は短く絶命の声を上げ、光の粒子となって消え失せた。

 ほぼ同時。

 蒼介が仕留めた二匹目もまた、地面に落ちる前に粒子となって霧散する。

 残されたのは、静寂と、わずかに焦げた木の匂いだけ。

 

「……ふぅ」

 

 セレスが剣を下ろし、短く息を吐く。

 彼女は振り返り、自身の背後に散らばる光の粒子を見た。そして、その少し先で、ナイフの血糊を振るっている蒼介に視線を向ける。

 以前の彼女なら、「獲物を横取りするな」と怒ったかもしれない。あるいは、「背後を取られるなど騎士の不覚」と恥じたかもしれない。

 だが今は、ただ静かに蒼介を見つめ、小さく頷いただけだった。

 

「助かった、ソウスケ」

「いいや。お前が派手に注意を引いてくれたおかげで、こっちの仕事が楽だっただけだ」

 

 蒼介は肩をすくめて答える。

 謙遜ではない。事実だ。

 セレスの戦闘スタイルは、良くも悪くも目立つ。

 輝く鎧、魔力を帯びた剣、そして何より、彼女自身が放つ強烈な闘気。それらは魔物の注意を一点に引きつける餌となる。

 敵の意識がセレスに向くということは、それ以外の場所がお留守になるということだ。

 蒼介のような、隠密と奇襲を得意とするタイプにとって、これほど動きやすい環境はない。

 

「にしても、よくあのタイミングで飛び出してきたな。気配、完全に消してただろ」

 

 蒼介が言うと、セレスは少しだけ口元を緩めた。

 

「お前なら、必ず死角をカバーしていると……そう思っただけだ」

「へえ。買い被りすぎじゃないか?」

「事実、お前はそこにいた。違うか?」

 

 まっすぐな瞳で見返され、蒼介は思わず視線を逸らす。

 信頼、という言葉にするにはまだ少し照れくさい。だが、そこには確かな手応えがあった。

 背中を預けることへの恐怖が、薄れつつある。

 それは、ソロでの活動が長かった蒼介にとっても、新鮮な感覚だった。

 

『あらあら、ごちそうさまですわね』

 

 不意に、蒼介の腰元から茶化すような声が響いた。

 リリアのペンダントだ。

 蒼介は顔をしかめ、腰のペンダントを軽く指で弾く。

 

「……余計な口出しは無用だ、リリアーナ」

『だって事実でしょう? お二人の連携、見ていて安心感が出てきましたわ。最初の頃の、いがみ合っていたのが嘘のようです』

「い、いがみ合ってなどいない!」

 

 セレスが即座に反応し、顔を赤くする。

 彼女にとって、ペンダントの中にいる亡国の王女との会話はいまだに慣れないもののようだが、それでも最初の頃のような過剰な敬意や、逆に反発するといった態度は鳴りを潜めていた。

 

「意見の相違があっただけだ。騎士の戦い方と、ソウスケの……その、実利的な戦い方とでな」

「それを世間では『相性が悪い』って言うんだよ」

 

 蒼介は苦笑しながら、周囲を警戒する。

 戦闘は終わったが、ここはダンジョンだ。血の匂いや魔力の残滓に惹かれて、新たな魔物が寄ってくる可能性は十分にある。

 

「移動しよう。長居は無用だ」

「ああ、そうだな」

 

 二人は自然な動作で隊列を組む。

 先頭は蒼介。彼の持つ【探知(サーチ)】スキルとリリアが罠や敵の配置を探り、ルートを切り開く。

 その後ろをセレスが続く。いざ戦闘になれば彼女が前に出て前線を構築し、蒼介が遊撃に回る。

 言葉で決めごとをしたわけではない。

 何度かの死線を潜り抜ける中で、自然と形作られた最適解だった。

 

【逆さ大樹】の探索は、精神を削る作業の連続だ。

 単純な平面移動ではない。枝から枝へ飛び移り、時には蔦を掴んで高低差を移動し、幹に空いた空洞を潜り抜ける。

 三次元的な空間把握能力と、常に落下死と隣り合わせの緊張感。

 

 だが、蒼介にとってこの環境は、意外にも肌に合っていた。

 現代のダンジョン――ビルや地下鉄が迷宮化した場所での戦闘経験が生きているのかもしれない。

 立体的な地形を利用し、敵の死角を突く。それは彼がシーカーとして生き残るために磨いてきた技術そのものだった。

 

(……それに、こいつがいるのも大きいな)

 

 蒼介は背後の気配を感じながら思う。

 セレスティーナ・エッケハルト。

 最初はただの堅物で、足手まといになるかとすら思った騎士様。

 だが、その実力は本物だった。

 

(さすがにナイトは格が違った、ってか)

 

 剣の腕は言うに及ばず、魔法の威力も高い。何より、彼女には迷いがない。

 敵を前にして怯むことなく、自らが盾となり、剣となる覚悟が決まっている。

 前衛(タンク)としての信頼感。

 蒼介がかつて失ったパーティメンバーには、ここまでの強度はなかった。だからこそ、彼は仲間を失い、一人で戦うことを選んだのだ。

 

 だが、セレスなら。

 彼女なら、背中を任せても折れることはないかもしれない。

 そんな予感が、蒼介の心に小さな変化をもたらしていた。

 

「……ん」

 

 不意に、蒼介が足を止める。

 彼は右手を挙げ、セレスに停止の合図を送った。

 セレスは無言で身を低くし、剣の柄に手をかける。

 蒼介の視線は、前方斜め下。太い枝が複雑に絡み合い、薄暗いドーム状の空間を作っている場所へと向けられていた。

 

「どうした?」

 

 セレスが小声で問う。

 

「反応がある。数は……四、いや五か。魔力の質が少し違う。たぶん、このエリアの上位種だ」

 

 蒼介の【探知(サーチ)】が捉えたのは、先ほどのツリー・エイプよりも一回り大きな反応。

 そして、それらが組織的に配置されているという情報だ。

 待ち伏せだ。

 知能がある。

 

『気をつけてくださいまし。このあたりの植生……「擬態」をする魔物が多いという記録があります』

 

 リリアの助言が脳内に響く。

 蒼介は目を凝らす。

 薄暗い枝葉の陰。ただの樹皮のコブに見えるものが、微かに脈打っているのが見えた。

 

「『カメレオン・リザード』か、あるいはそれに近い種だな」

 

 蒼介は分析する。

 周囲の風景に溶け込み、獲物が通りかかるのを待って長い舌や魔法で奇襲をかけるタイプだ。

 しかも、配置がいやらしい。

 通らなければならない太い枝道を挟むように、三体が張り付いている。そして、残り二体はさらに後方、魔法の射程距離内に控えている。

 普通に突っ込めば、十字砲火を浴びてしまう。

 

「どうする、ソウスケ。迂回するか?」

 

 セレスが問う。

 賢明な判断だ。無駄な戦闘を避けるのは探索の鉄則。

 だが、蒼介は首を横に振った。

 

「いや、この道が一番安全なルートだ。他を行けば、もっと足場の悪い場所を通らされる。ここで潰しておいたほうがいい」

「……自信はあるのか?」

「お前が協力してくれるならな」

 

 蒼介はニヤリと笑い、小声で作戦を伝えた。

 それは、騎士道精神に照らせば、眉をひそめたくなるような策かもしれない。

 だが、セレスはもう反論しなかった。

 彼女はただ、短く「承知した」と答え、剣を抜いた。

 

 作戦開始。

 まず動いたのはセレスだ。

 彼女は隠れることを放棄し、堂々と枝道の中央へと進み出た。

 足音を響かせ、全身から魔力を立ち上らせる。

 暗闇の中で、彼女の存在感は松明のように際立っていた。

 

「さあ、どこに隠れている! 卑怯な真似をせず、姿を現すがいい!」

 

 挑発的な大声。

 当然、待ち伏せしていた魔物たちは反応する。

 獲物が自らキルゾーンに入ってきたのだ。逃す手はない。

 

 樹皮に擬態していた三体のトカゲ型魔物が、一斉に擬態を解いた。

 体色が周囲の色から鮮やかな毒々しい緑色へと変わり、口が大きく開かれる。

 そこから放たれるのは、粘着質の溶解液か、あるいは麻痺毒を含んだ針か。

 いずれにせよ、まともに食らえばただでは済まない。

 

 だが、セレスは動かない。

 彼女は盾を構えることすらせず、ただ剣を上段に構えたまま、敵の攻撃を真正面から受け止める構えを見せた。

 それは無謀な特攻か。

 否。

 彼女は知っているのだ。

 自分の「影」が、既に仕事をしていることを。

 

 魔物たちが攻撃動作に入った、そのコンマ数秒前。

 後方で控えていた二体の魔物――魔法攻撃を担当するはずだった個体の背後に、黒い影が落ちていた。

 蒼介だ。

 彼はセレスが囮として注意を引きつけている間に、音もなく【迅速(ブースト)】で回り込んでいたのだ。

 敵の意識は、目立つセレスに釘付けになっている。

 背後の死角になど、微塵も気づいていない。

 

(まずは、厄介な砲台からだ)

 

 蒼介は無感情にナイフを振るう。

 一撃。

 延髄への正確な刺突。

 魔物は悲鳴を上げる間もなく絶命し、その身体が光の粒子となって崩れ落ちる。

 隣にいたもう一体が、仲間の消滅に気づいて振り返ろうとする。

 だが、遅い。

 蒼介の左手が、魔物の口を強引に塞ぐ。

 同時に、右手のナイフが心臓を下から上へと貫く。

 二体目、沈黙。

 

 後方の援護射撃が来ない。

 その異変に、前衛の三体が気づいた時には、もう手遅れだった。

 セレスが動く。

 彼女は待っていたのだ。蒼介が後方の敵を排除する、その瞬間を。

 敵の攻撃タイミングが、後方からの支援がないことで一瞬狂う。そのわずかな隙が、彼女にとっては致命的な好機となる。

 

「我が剣は雷! 悪しき者を断つ閃光なり!」

 

 詠唱と共に、剣が眩い光を放つ。

 【サンダー・スラッシュ】。

 横薙ぎの一閃から放たれた雷の衝撃波が、前衛の三体をまとめて吹き飛ばした。

 擬態を解いたばかりの柔らかな腹部を焼かれ、魔物たちが地面()に転がる。

 まだ息はある。だが、立ち上がることはできない。

 そこへ、蒼介が音もなく舞い降りる。

 彼は倒れた魔物たちの間を縫うように駆け抜け、的確にとどめを刺していく。

 無駄のない、作業のような処刑。

 

 数秒後には静寂が戻った。

 個々の力で圧倒したわけではない。互いの役割を完璧に遂行し、敵の連携を分断した結果だった。

 

「……ふん、他愛もない」

 

 セレスが剣を納め、髪をかき上げる。

 強気な言葉だが、その表情には微かな高揚感が滲んでいた。

 彼女自身、今の連携の手応えを感じているのだろう。

 自分の背後が安全であるという確信。そして、自分が前で暴れれば暴れるほど、敵が崩れていくという快感。

 それは、孤独な騎士道では決して得られなかった感覚だ。

 

「ナイス囮。お前のおかげで楽ができた」

 

 蒼介が軽口を叩きながら近づいてくる。

 セレスはむっとしたように眉を寄せた。

 

「囮と言うな。これは陽動だ。騎士が敵の目を引きつけるのは当然の務めだろう」

「はいはい、そういうことにしておこう」

「む……なんだその、子どもをあやすような態度は」

 

 不満げに頬を膨らませるセレス。

 そんな二人の様子を、ペンダントの中のリリアが微笑ましく見つめていた。

 

(……良いコンビになってきましたわね)

 

 最初は水と油に見えた二人。

 生きるために泥水を啜ってでも勝つシーカーと、名誉のために正道を往く騎士。

 決して交わらないはずの二つの線が、この過酷な迷宮の中で、奇妙な形で絡み合い始めている。

 セレスという強烈な光があるからこそ、蒼介という影がより濃く、鋭くなる。

 逆に、影が支えているからこそ、光は迷いなく輝ける。

 

 正反対の属性を持つ二人が生み出した、歪だが強固な型。

 それは、これから待ち受けるであろう更なる深淵、そして強大な敵に立ち向かうための、強い武器となる予感を孕んでいた。

 

「さて、先を急ぐか。このペースなら、第20層もそう遠くはない」

 

 蒼介が前を向く。

 その視線の先には、薄暗い樹海の奥深くに続く、見えない道が広がっている。

 セレスが頷き、彼の隣に並ぶ。

 以前のように後ろをついていくだけではない。

 時に前に出て、時に並び立ち、共に道を切り開くパートナーとして。

 

「ああ、行こう。我らの前進を阻むものなど、何もない」

 

 その言葉に、もはや虚勢の色はなかった。

 二人の足音だけが、逆さまの森に静かに、しかし力強く響いていった。

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