異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~ 作:九泉
「エリア・アクア」攻略拠点として湾岸に急設されたプレハブの巨大な作戦司令室は、集められたシーカーたちの熱気と緊張感で満ちていた。壁一面に設置されたモニターには、ダンジョンの入り口である蒼い渦のリアルタイム映像や、様々な計測データが映し出されている。その数と情報の密度が、この任務の重要性を雄弁に物語っていた。
神谷蒼介は、その他大勢のシーカーたちと共にパイプ椅子に腰掛け、腕を組んで正面の演台を眺めていた。周囲の者たちの表情は様々だ。一攫千金を夢見るギラついた目の男、国家規模のプロジェクトに参加できることに興奮を隠せない若者、そして、ただ黙って己の得物を見つめる歴戦の猛者。誰もが、これから始まる未知への挑戦に、期待と不安をない交ぜにしていた。蒼介だけが、そのいずれでもない、醒めた目でこの状況を観察していた。
(まるで戦争前夜だな。まあ、やってることは戦争みたいなもんだが)
やがて、演台に一人の背広姿の男が立った。防衛省から出向してきたという、線の細い官僚だ。彼はマイクを手にすると、集まったシーカーたちを鋭い目で見渡し、事務的な口調で語り始めた。
「諸君、本日は国家の要請に応じ、参集いただき感謝する。ご存じの通り、我々の目の前に出現したダンジョン『エリア・アクア』は、その規模、エネルギー量において過去最大級のものと予測されている。諸君らに課せられた任務は、この未踏のダンジョンにおける初期調査である」
男はレーザーポインターを使い、背後の巨大モニターに映し出されたダンジョンの推定構造図を指し示した。
「第一目標は、地上から深度500メートルまでの安全なルートの確保。第二目標は、出現するモンスターのサンプリングおよび戦闘データの収集。そして第三目標は、ダンジョン内部における利用可能な資源の探査。以上だ。諸君らはこれから4名1組のチームに分かれ、指定されたセクターの調査にあたってもらう。チーム分けは、諸君らのランク、及び過去のダンジョン踏破データに基づき、最適と判断された組み合わせを事前に決定してある」
最適、という言葉に、蒼介は思わず鼻で笑いそうになった。単独での活動を主とし、協調性に関する評価が最低ランクであろう自分が、どんなチームの「最適」なピースになるというのか。
官僚の淡々とした説明が続く。支給される特殊装備――水中での呼吸を可能にする酸素供給装置付きのマスク、水圧から体を保護するウェットスーツ型のアンダースーツ、そして水中でのコミュニケーションを可能にする骨伝導式のインカム。どれも最新鋭の、金の掛かった装備だった。
「初期調査」という名目にしては、あまりにも物々しい。まるで、奥で何が待ち受けていようと、必ず生きて帰ってこい、と言わんばかりの重装備だ。いや、違う。これは「生きて帰れ」ではなく、「必ずデータを持ち帰れ」という国の意思の現れだ。蒼介は、支給品のリストを眺めながら、この任務の裏に隠された冷徹な計算を嗅ぎ取っていた。
ブリーフィングが終わり、チーム分けが発表される。蒼介の名前は、案の定と言うべきか、Aランクシーカーが率いる花形のチームではなく、寄せ集めのようなメンバー構成の「デルタ・チーム」の中にあった。
指定された集合場所へ向かうと、そこには既に三人の男が待っていた。
一人は、見るからに自信家といった風情の大柄な男だ。巨大な戦斧を肩に担ぎ、他のメンバーを値踏みするような視線で見ている。リーダーはこの男だろう。
もう一人は、神経質そうに自分の装備を何度も確認している、眼鏡をかけた中年の男。おそらく後衛のサポート役か、あるいはトラップの解除などを得意とする技術職のシーカーだろう。
そして最後の一人は、まだ二十歳そこそこにしか見えない、緊張で顔をこわばらせた青年だ。将来性を買われての抜擢か、あるいは単なる頭数合わせか。
蒼介が近づくと、リーダー格の大男が顎をしゃくった。
「お前が四人目か。神谷蒼介、B-ランク。……ずいぶんと低いのが混じったもんだな。俺はリーダーを任された陣内だ。ランクはA-。足を引っ張るなよ」
その高圧的な物言いに、蒼介は表情を変えずに軽く頭を下げた。
「どうも。足手まといにならないよう、善処します」
「……俺は鈴木だ。ランクはA-。一応、索敵と解析が専門だ」と眼鏡の男が名乗り、「は、初めまして! B-ランクの田中です!」と若いシーカーが慌てたように頭を下げた。
陣内は「神谷。B-ランクに索敵の真似事ができるのか知らんが、鈴木の邪魔だけはするなよ」と釘を刺す。蒼介の持つ【
(なるほど。前衛脳筋、後衛技術職、経験の浅い若手、そして俺か。見事なまでの寄せ集め。最適ねぇ……)
波乱の予感しかしないチーム編成に、蒼介は内心で深いため息をついた。だが、口に出しても状況が好転するわけではない。彼は黙って支給された装備を身につけ、出発の時を待った。
やがて、作戦開始の号令が下る。
蒼介たちデルタ・チームは、指定されたゲートから「エリア・アクア」へと足を踏み入れた。
ゲートをくぐった瞬間、世界は蒼に塗りつぶされた。生暖かい水が全身を包み込み、陸上とはまったく異なる浮遊感が体を支配する。ゴーグル越しの視界には、どこまでも続く青い空間が広がっていた。頭上からは、水面に反射した太陽の光がゆらゆらと降り注ぎ、幻想的な光のカーテンを作り出している。しかし、その美しさとは裏腹に、肌をピリピリと刺すような未知のエネルギーの圧力が、全身にのしかかってきた。
『デルタ・チーム、これより深度100メートルまで潜行。周囲の警戒を怠るな』
インカムから、陣内の硬い声が響く。
蒼介は即座にスキルを発動させた。
(【
意識を集中させると、半径50メートル以内の水の流れ、水圧の微細な変化、そして生命の気配が、脳内に立体的なイメージとして流れ込んでくる。陸上とは情報の質が違う。音は水によって伝わり方が変わり、匂いはほとんど役に立たない。視界も濁りや暗がりによって簡単に奪われる。この水中ダンジョンにおいて、彼のスキルは普段以上に重要な生命線となる。
『リーダー、左手の岩陰に反応。数、二。小型です』
蒼介は淡々と報告する。
『……鈴木、どうだ?』
陣内はすぐには信じず、後衛の鈴木に確認を促した。
『……ああ、確かに。魔力探知に微弱な反応がある。神谷とか言ったか、なかなかやるじゃないか』
鈴木が少し感心したように応える。
『チッ、田中! お前の初陣だ、行って仕留めてこい!』
陣内が命令を下し、田中がおずおずと水中用のスピアを構えて岩陰へと向かう。蒼介は眉をひそめた。
(馬鹿か。単独で先行させるなんて、セオリー無視もいいところだ)
案の定、田中が岩陰に近づいた瞬間、中から二匹の半魚人型モンスターが飛び出してきた。一匹が田中のスピアを腕で受け止め、もう一匹がその隙に鋭い爪で脇腹を切り裂こうとする。
「うわっ!」
田中の悲鳴。その瞬間、彼の背後から放たれた閃光が、半魚人の一匹を貫いた。鈴木が放った水中弾だった。しかし、もう一匹の攻撃は止められない。
その時、半魚人のすぐ横の水が、不自然に揺らいだ。次の瞬間には、蒼介がその懐に潜り込んでいた。スキル、【
『……なっ』
陣内が息を呑むのが、インカムを通して伝わってきた。
『田中、大丈夫か』
蒼介は田中の元へ泳ぎ寄り、彼の脇腹を確認する。アンダースーツが切り裂かれていたが、傷は浅い。
『す、すみません! 俺……』
『油断したな。反省は後だ。今は集中しろ』
蒼介はそれだけ言うと、周囲への警戒を再開した。
『……B-のくせに、生意気な口を……。だが、まあいい。助かったのは事実だ。次からは俺の指示を待て』
陣内は苦々しげにそう吐き捨てた。蒼介は返事をせず、ただ【
この一件で、チーム内の力関係が僅かに変化した。少なくとも、陣内と鈴木は、蒼介を単なる「ランクの低いお荷物」として見るのをやめたようだった。
その後も、探索は続いた。蒼介の【
いくつかの戦闘とトラップを乗り越え、彼らは深度300メートル地点にまで到達した。周囲は、地上から差し込んでいた光もほとんど届かない、暗闇に包まれている。古代遺跡を思わせる巨大な建造物の残骸が、あちこちに沈んでいた。
(順調、すぎるな……)
蒼介は、このスムーズな進行に、逆に言い知れぬ違和感を覚えていた。未踏のダンジョンにしては、あまりにも罠が素直で、モンスターの配置が定石通りすぎる。まるで、誰かが用意したチュートリアルをこなしているような感覚。
そんな時、蒼介の視界の端に、奇妙な光が映った。
遺跡の壁に、鉱脈のように埋まっている青白い結晶体。それはまるで呼吸をしているかのように、ゆっくりとしたリズムで明滅を繰り返していた。
『リーダー、あれを見てください』
蒼介が指し示すと、陣内たちもその存在に気づいた。
『なんだ、ありゃ。モンスターの一種か?』
『いや、探知にはほとんど反応しません。ですが、何か……奇妙なエネルギーを発しているようです』
鈴木が首を捻る。
蒼介はゆっくりと壁に近づき、その鉱石にそっと手を触れた。ひんやりとした感触。そして、ナノマシンが未知の物質に反応する、微かな振動が指先から伝わってきた。
彼は、この任務に来て初めて使うスキルを試すことにした。シーカーになってから、ほとんど使う機会のなかった補助スキルだ。
(【
体内のナノマシンが活性化し、触れた対象物の情報をスキャンし始める。通常であれば、物質の構成元素、密度、構造、エネルギー特性などが、数秒で脳内にデータとして表示されるはずだった。
しかし。
【警告:対象物の情報解析に失敗しました】
【>$k・j・d#a!! Error: Unknown energy pattern detected】
【情報構造が不安定です。再スキャンを推奨しま……#%&@*...】
脳内に響いたのは、正常な解析結果ではなく、文字化けしたデータとけたたましい警告音だった。頭の芯がずきりと痛む。ナノマシンが、これほど明確なエラーを返すのは初めての経験だった。
『どうした、神谷? 顔色が悪いぞ』
鈴木が心配そうに声をかけてくる。
『……いえ。この鉱石、少し妙です。俺のスキルでも、解析ができない』
『解析不能? まあB-ランクのスキルじゃ、そんなこともあるだろうな』
陣内が馬鹿にしたように言う。だが、蒼介の直感は、これはスキルの性能の問題ではないと告げていた。もっと根本的な、この世界の法則に関わるような異常。
その時だった。
【
空間そのものが、ぐにゃり、と歪んだような感覚。
脳内に描かれていた周囲の三次元マップが、一瞬だけ砂嵐のテレビ画面のように乱れ、座標がコンマ数秒、意味不明な場所へと跳躍した。すぐに元に戻ったが、今の感覚は間違いなく現実のものだった。
『……今の、何か感じたか?』
蒼介はインカムで問いかけるが、他の三人はきょとんとしていた。
『何かって、何がだ?』
『いや、空間が少し……』
言いかけて、蒼介は口を噤んだ。彼らに説明したところで、気のせいだと一蹴されるだけだろう。この異常を感知できたのは、おそらく、常にナノマシンを介して周囲の物理情報を精密にスキャンしている自分だけだ。
このダンジョンは、何かがおかしい。
未知の鉱石。解析不能のエラー。そして、空間そのものの歪み。
これらは全て、一つの可能性を示唆していた。ここは、我々の知る物理法則が、完全には通用しない場所なのではないか?
蒼介が強い警戒心と共に【
レーダーの遥か前方に、これまでとは比較にならないほど巨大で、禍々しい反応が、突如として出現した。それは、ゆっくりと、しかし確実に、こちらへ向かってきている。
【
(まずい、まずいまずいまずい!)
全身の産毛が逆立つ。ナノマシンが、本能的な危険信号を脳へと送りつけてくる。
『リーダー! 前方から、何かが来ます! とんでもなく、デカいのが!』
蒼介の切羽詰まった声に、さすがの陣内も表情を変えた。
『何だと!? 鈴木、探知しろ!』
『だ、ダメです! 俺の探知には何も……いや、待て! なんだ、この圧は……!?』
鈴木が悲鳴のような声を上げた時には、もう遅かった。
深淵の暗闇の向こう側が、ぼうっと、不気味な光を放ち始めた。
それは、一つの巨大な、単眼だった。
法則の乱れた深淵で、蒼介たちは、このダンジョンの本当の顔を、初めて垣間見ることになる。