異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第40話 20層の主

 第11層から始まった【逆さ大樹】の階層群も、いよいよ終わりの時を迎えようとしていた。

 蒼介とセレスティーナ、そしてペンダントの中のリリアの一行は、ついに第20層の最深域へと到達していた。

 

 そこは、これまでの不安定な枝や根の上とは明らかに異質な空間だった。

 

 頭上を覆っていた鬱蒼とした葉が途切れ、広大なドーム状の空間が広がっている。

 天井――すなわち、この階層における「地面」である巨大な樹木の根本付近からは、淡い燐光を放つ胞子が雪のように降り注ぎ、空間全体を幻想的な薄明かりで満たしていた。

 足元は、無数の太い根が網目のように絡み合い、硬く平らな大地を形成している。久々に感じる、揺れない地面の感触。だが、その安堵感を楽しむ余裕は、今の二人にはなかった。

 

 二人の視線の先には、威圧感を放つ巨大な扉が鎮座していたからだ。

 それは人工物ではなく、樹木そのものがねじれ、絡み合って形成された自然の門だった。高さは優に二十メートルはあるだろうか。

 表面には、血管のように脈打つ太い蔦が這い回り、その隙間から漏れ出す魔力が、周囲の空気を重く淀ませている。

 間違いない。

 この先にいるのは、第10層の大鎧百足をも凌ぐ、このエリアの支配者だ。

 

「……でかいドアだ」

 

 蒼介がポツリと漏らした感想は、あまりにも陳腐だったが、それ以外に言葉が見つからなかった。

 ただそこに在るだけで、肌を突き刺すようなプレッシャー。

 現代ダンジョンでB-ランクだった頃の蒼介なら、迷わず回れ右をして撤退していただろう。生存本能が、あの扉の向こう側は死地だと告げている。

 

「ああ。とてつもない魔力の密度だ。扉越しでさえ、肌がヒリつく」

 

 セレスが槍の柄を強く握りしめる。

 彼女の表情は硬い。だが、以前のような焦りや功名心からくる気負いではない。武人として、目の前の脅威を正しく恐れ、その上で立ち向かおうとする静かな闘志が宿っていた。

 

「少し休もう。万全の状態で挑みたい」

 

 蒼介の提案に、セレスは無言で頷いた。

 二人は扉から十分に距離を取り、物陰になる巨大な根の隙間に腰を下ろした。

 ここはこの階層におけるセーフティエリアに近い場所なのだろう。周囲に雑魚モンスターの気配はない。

 蒼介はバックパックから携帯食料と水筒を取り出し、セレスに手渡す。

 干し肉と堅焼きパン。味気ない冒険者の保存食だが、極度の緊張と疲労の中では、その塩気が身体に染み渡るように美味かった。

 

「……ここまで、長かったな」

 

 堅焼きパンをかじりながら、蒼介が口を開く。

 第11層に入ってから、時間にして数日。だが、体感では数週間にも感じられる濃密な時間だった。

 落下死の恐怖、空からの襲撃、底知れぬ深淵への不安。

 それらを乗り越えてこられたのは、間違いなく隣にいる騎士のおかげだ。

 

「そうだな。だが、不思議と短くも感じる。……お前と、リリアーナと共にあったからか」

 

 セレスが水筒の水を一口飲み、ふと笑みをこぼす。

 出会った当初の、刺々しい態度はもうない。

 彼女はペンダントに向かって優しく語りかける。

 

「リリアーナ。この先に待つ『主』について、何かわかることは? 以前のように、記憶が戻っていれば良いが」

 

 ペンダントが微かに明滅し、リリアの声が響く。

 

『ええ……おぼろげながら。この扉の先にいるのは、【古の森の守護者(エンシェント・トレント)】。この地を守り続けている、生ける要塞のような魔物です』

 

「トレント、か」

 

 蒼介が眉をひそめる。

 トレントといえば、ファンタジー作品や現代ダンジョンでも定番の、動く樹木の魔物だ。

 一般的には、動きが遅く火に弱いというイメージがあるが、この大迷宮の、それも20層の主となれば、そんな生易しい相手ではないだろう。

 

『ただの木ではありませんわ。この階層全体の植物を統べる王。再生能力が極めて高く、生半可な攻撃ではダメージを与えられないでしょう。それに、周囲の根や蔦を自在に操り、全方位から攻撃を仕掛けてくると聞いています』

 

「再生能力に、全方位攻撃……相性が悪いな」

 

 蒼介は苦い顔をする。

 彼の戦い方は、相手の急所を一点突破で突く暗殺術に近い。だが、植物型の魔物、特に巨大なトレントとなれば、急所がどこにあるのか分かりづらい。心臓があるわけでも、脳があるわけでもないからだ。

 全身が筋肉の塊のような相手に、ナイフ一本で挑むようなものだ。

 

「火攻めはどうだ? 植物なら燃えるだろ」

『通常の火では、表面を焦がす程度で終わるかと。樹皮は鋼鉄よりも硬く、魔力による耐性も持っています』

 

 リリアの言葉に、蒼介は「やっぱりな」と肩をすくめる。

 現代ダンジョンでも、植物系のボスは火炎放射器が効かないケースが多かった。魔力を含んだ植物は、もはや生物というより鉱物に近い性質を持つことがある。

 

「となれば、やはり私の雷か」

 

 セレスが自身の槍を見つめる。

 彼女の魔法剣(今は槍だが)による一点突破の破壊力。

 硬い樹皮を貫き、内部から焼き尽くすには、それしか決定打がない。

 

「ああ。メイン火力はお前だ、セレス。俺はいつものように、お前が攻撃を当てるための隙を作る。攪乱と、敵の注意を引きつける役だ」

「……危険だぞ、ソウスケ。全方位攻撃を持つのなら、近づくだけで蜂の巣にされる可能性がある」

「そこを掻い潜るのが、俺の仕事だろ?」

 

 蒼介はニカっと笑って見せる。

 セレスは一瞬、心配そうな瞳を向けたが、すぐに力強く頷き返した。

 

「わかった。お前の犠牲は決して無駄にはしない。私の全霊を込めて、その硬い樹皮を貫いてみせる」

「おいおい勝手に殺すな」

「はは、すまん」

 

 食事を終え、二人は装備の最終点検を行う。

 蒼介はナイフの刃を入念に確認し、靴紐を締め直す。

 セレスは鎧の留め具を確認し、精神統一を行うように目を閉じて呼吸を整える。

 

 準備は整った。

 二人は立ち上がり、巨大な扉の前へと歩みを進める。

 近づくにつれ、扉から漏れ出る魔力の圧が増していく。まるで、侵入者を拒絶する意思そのもののように、空気が重くのしかかってくる。

 

「……ソウスケ」

 

 扉に手をかける直前、セレスが足を止めて呼びかけた。

 

「なんだ?」

「礼を言っておく」

「は? なんだよ急に。死亡フラグか?」

「ふらぐ? ……よくわからんが、違う。ただ、お前がいなければ、私はとっくにこの逆さ大樹の養分になっていただろうと思ってな」

 

 セレスは真剣な眼差しで蒼介を見つめる。

 

「私の家……エッケハルト家は、代々力こそが全てだと教えられてきた。正面から敵を打ち倒すことこそが騎士の誉れだと。だが、この迷宮で思い知った。力だけでは、生き残れないことを」

「……」

「お前の戦い方は、確かに騎士道とはかけ離れているかもしれない。だが、そこには生き残るための知恵と、仲間を生かすための覚悟がある。……それを、私は尊敬している」

 

 まっすぐすぎる言葉に、蒼介は頬が熱くなるのを感じた。

 こういう直球の賛辞には慣れていない。

 彼は照れ隠しに頭をかき、視線を扉へと逸らす。

 

「よせよ。俺はただ、死にたくないだけだ。それに……お前のその馬鹿正直な突撃力がなけりゃ、俺の小細工も通用しない。持ちつ持たれつだろ」

「ふふ、そうだな。……相棒、か」

「……ま、悪くない響きだな」

 

 蒼介が小さく笑うと、セレスもまた、憑き物が落ちたような晴れやかな笑みを浮かべた。

 リリアもまた、ペンダントの中で二人の絆を祝福するように、温かな光を放っている。

 

「行くぞ、セレス、リリア。ここを抜ければ、次は第21層だ」

「ああ、行こう! 我らの道を阻む者は、この槍で貫くまで!」

『私も、全力でサポートいたしますわ! お二人なら、きっと勝てます!』

 

 三人の心が一つになる。

 蒼介とセレスは同時に手を伸ばし、巨大な樹木の扉に触れた。

 重厚な木の感触。

 二人が力を込めると、扉はズズズ……と地響きのような音を立てて、ゆっくりと内側へと開き始めた。

 

 開かれた隙間から、強烈な風圧と共に、濃密な森の匂いが吹き出してくる。

 その奥に待ち受けるのは、絶対的な気配。

 

 蒼介は【迅速(ブースト)】の準備を整え、セレスは槍に魔力を充填させる。

 言葉はもういらない。

 二人は並んで、光の射さない闇の奥――決戦の地へと、力強く足を踏み入れた。

 

「……ッ!」

 

 扉をくぐり抜けた瞬間、背後で扉が轟音と共に閉ざされる。

 退路は断たれた。

 もう、倒して進むしかない。

 目の前の闇が動き出す。

 第20層の主、【古の森の守護者《エンシェント・トレント》】との死闘が、今始まろうとしていた。

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