異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第41話 逆さ大樹の支配者

 重厚な扉が背後で閉ざされ、退路が断たれる轟音が響いた。

 蒼介とセレス、そしてリリアの視界に広がるのは、圧倒的な緑だった。

 

 第20層の最深部。そこは、ただ広いだけの空間ではない。

 天井と呼ぶべき遥か高みから、無数の太い根がカーテンのように垂れ下がり、壁面はびっしりと苔や蔦に覆われている。

 地面は、幾重にも重なった根が複雑な起伏を描き、所々に発光する胞子が幻想的な、しかしどこか不気味な明かりを灯していた。

 空気は湿り気を帯び、濃厚な植物の匂いが鼻孔を突く。

 それは生命の息吹というよりは、腐葉土と古い樹液が混ざり合ったような、むせ返るような死と再生の匂いだった。

 

 その空間の中央に、それは鎮座していた。

 

「……でかいな」

 

 蒼介が思わず漏らした言葉は、恐怖よりも呆れに近い響きを含んでいた。

 事前にリリアから聞いていた情報――【古の森の守護者(エンシェント・トレント)】。

 その名は伊達ではない。

 高さは優に三十メートルを超えているだろうか。

 幹の太さは、大人が十人がかりで手を繋いでも届かないほどだ。

 樹皮は岩盤のようにゴツゴツと隆起し、その表面には数百年、いや数千年の時を刻んだ年輪のような亀裂が走っている。

 そして何より異様なのは、その樹木が顔を持っていたことだ。

 幹の中央付近、ねじれた樹皮とコブが形成するそれは、苦悶に歪んだ老人のようにも、怒りに燃える鬼のようにも見える。

 虚ろな眼窩の奥には、深緑色の魔力が怪しく揺らめいていた。

 

「……やっぱりデクの樹様だ」

 

 蒼介は乾いた笑みを浮かべ、ボソリと呟く。

 だが、目の前にいるのは、森の勇者を導く賢者ではない。

 侵入者を排除し、養分として喰らおうとする、貪欲な捕食者だ。

 

『ソウスケさん、来ます!』

 

 リリアの警告が脳内に響くのと同時だった。

 ズズズ……と、地響きのような音が空間全体を震わせる。

 エンシェント・トレントが動いたのだ。

 根が張っているため、移動こそできないようだが、その代わりに無数の枝が、まるで巨大な蛇のようにうねりながら鎌首をもたげた。

 

「散開! 正面からまともに受けるな!」

 

 蒼介の叫びに、セレスが即座に反応する。

 彼女は右へ、蒼介は左へと跳躍した。

 直後、二人がつい先ほどまで立っていた場所に、太い枝が叩きつけられる。

 

 ドゴォォォォン!

 

 岩盤が砕けるような破砕音と共に、地面が陥没した。

 飛び散る木片と土煙。

 もし直撃していれば、鎧ごとひしゃげて肉塊になっていただろう。

 

「なんて馬鹿力だ……!」

 

 蒼介は着地と同時に転がり、衝撃を殺す。

 だが、休む暇はない。

 叩きつけられた枝から、さらに細い蔦が無数に伸び、鞭のようにしなりながら襲いかかってくる。

 シュッ、シュッ、と風を切る音。

 その一本一本が十分な強度と鋭利さを持っていることは、空気を裂く音だけで容易に想像できた。

 

「【迅速(ブースト)】!」

 

 蒼介は迷わずスキルを発動させる。

 世界がスローモーションになり、迫りくる蔦の軌道が視界の中で鮮明になる。

 右、左、上、斜め後ろ。

 全方位からの刺突。

 蒼介は最小限の動きでそれを躱す。

 鼻先を蔦が掠め、頬に赤い線が走る。

 だが、致命傷は避けた。

 彼はそのまま地面を蹴り、エンシェント・トレントの死角となる側面へと回り込もうと走る。

 

 一方、セレスは真っ向から勝負を挑んでいた。

 彼女は騎士だ。

 敵の攻撃を回避するだけでは、勝利は掴めないと知っている。

 彼女の役割は剣。

 敵の注意を引きつけ、その強固な守りを打ち砕くことだ。

 

「我が前に立ち塞がる巨木よ! その傲慢ごと切り伏せてくれる!」

 

 セレスは叫びと共に、魔力を練り上げる。

 彼女の手にする長剣――その刀身が、青白い雷光を帯びて激しくスパークした。

 【サンダー・ブレード】。

 彼女が得意とする、雷属性の魔法剣だ。

 

 植物であるトレントならば、火が弱点というのが定石だ。

 だが、リリアの情報によれば、このエンシェント・トレントは極めて高い耐火性能を持っているという。

 生半可な炎魔法では、表面を焦がすことすら叶わない。

 ならば、内部から焼き尽くす雷の方が有効打になり得る。

 セレスの判断は正しかった。

 

「はぁぁぁぁッ!」

 

 彼女は迫りくる枝を剣で弾き飛ばし、一気に懐へと飛び込む。

 狙うは、幹の中央にあるあの不気味な顔。

 そこが急所かどうかはわからない。

 だが、魔力が集中している場所であることは間違いない。

 セレスは跳躍した。

 銀色の軌跡を描き、雷を纏った剣を、眼窩の奥にある深緑の光へと突き立てる。

 

 ガギィィィン!

 

 硬質な金属音が響き渡った。

 剣が、止まった。

 突き刺さるどころか、樹皮の表面で弾かれたのだ。

 

「なっ……!?」

 

 セレスが驚愕に目を見開く。

 彼女の剣は、ミスリルを含有した業物だ。

 それに加えて、魔力による強化も施している。

 鉄板すら断ち切るその刃が、たかが木の皮一枚に阻まれるなど、あり得ないことだった。

 

(硬すぎる……! まるで大岩を叩いたようだ!)

 

 衝撃で腕が痺れる。

 その隙を、老獪な守護者は見逃さなかった。

 顔の周囲にあるコブが、突如として弾けた。

 中から飛び出したのは、無数の種子。

 いや、それは種子というよりは、散弾銃の弾丸だった。

 

「くっ!」

 

 セレスは咄嗟に剣を盾にして顔を庇う。

 だが、至近距離からの散弾を全て防ぎきることは不可能だ。

 バババババッ!

 硬い種子が鎧に当たり、火花を散らす。

 防ぎきれなかった数発が、鎧の継ぎ目を抜け、肩や太腿の肉を食い破る。

 

「うぐっ……!」

 

 苦悶の声を漏らし、セレスは空中でバランスを崩す。

 そこへ、すかさず太い枝が横薙ぎに振るわれた。

 回避不能。

 彼女は吹き飛ばされ、地面を数回バウンドして、巨大な根の陰に叩きつけられた。

 

「セレス!」

 

 蒼介が叫ぶ。

 彼は走りながら、ナイフを投擲した。

 狙いは、セレスに追撃を加えようとしていた枝。

 だが、ナイフは樹皮に当たった瞬間、カキンと乾いた音を立てて弾き返された。

 傷一つついていない。

 

(マジかよ……これ、どうやって倒すんだ?)

 

 蒼介は冷や汗が背中を伝うのを感じた。

 物理攻撃がほぼ効かない。

 魔法耐性もおそらく高い。

 そして、この圧倒的な質量と攻撃範囲。

 第10層の大鎧百足とは次元が違う。

 これが、20層の主。

 【逆さ大樹】の支配者の実力か。

 

『ソウスケさん! セレスさんの元へ! 彼女、動けませんわ!』

 

 リリアの悲痛な声。

 見れば、根の陰でセレスが膝をついている。

 鎧は凹み、隙間からは血が滲んでいる。

 意識はあろうが、ダメージは深い。

 エンシェント・トレントは、邪魔な羽虫を叩き落としたことに満足したのか、今度はゆっくりと蒼介の方へと顔を向けた。

 虚ろな瞳が、黒髪の異邦人を捉える。

 

 ゴゴゴゴゴ……。

 

 地面が隆起する。

 足元から、槍のように鋭く尖った根が次々と突き出してきた。

 

「くそっ、モグラ叩きの逆バージョンかよ!」

 

 蒼介は悪態をつきながら、再び【迅速(ブースト)】を発動。

 地面を蹴り、壁を走り、天井から垂れ下がる根を掴んでターザンのように移動する。

 一箇所に留まれば、串刺しにされる。

 動き続けるしかない。

 だが、これではジリ貧だ。

 攻撃する隙がないどころか、近づくことすらままならない。

 逃げ回るだけで精一杯。

 ナノマシンのエネルギー残量が、刻一刻と減っていく警告音が脳内で鳴り響く。

 

(どうする? 何か弱点があるはずだ。リリアの情報じゃ、再生能力が高いって話だったな。逆に言えば、再生が必要なほどダメージを与えれば勝機はあるってことか?)

 

 だが、そのダメージが通らない。

 セレスの全力の一撃ですら傷一つつかないのだ。

 蒼介のナイフなど、爪楊枝にもならないだろう。

 

「ハァ、ハァ……!」

 

 息が上がる。

 【迅速(ブースト)】の反動で、筋肉が悲鳴を上げ始めている。

 エンシェント・トレントは、まるで蒼介の疲弊を楽しむかのように、次々と新しい攻撃を繰り出してくる。

 

 枝による打撃。

 蔦による拘束。

 種子のマシンガン。

 そして、地面からの串刺し。

 多彩すぎる攻撃手段。まさに、生ける要塞。

 

 その時、ふと蒼介の視界の端で、何かが光った。

 セレスだ。

 彼女はよろめきながらも立ち上がり、再び剣を構えていた。

 その瞳は、まだ死んでいない。

 諦めていない。

 

「……ソウスケ! 私が注意を引く! お前は、何か……何か手を探せ!」

 

 セレスが叫ぶ。

 無茶だ。

 あの状態で前に出れば、今度こそ殺されるかもしれない。

 だが、彼女は止まらない。

 騎士としての誇りが、仲間を守るという意志が、彼女の足を前へと動かす。

 

「……誇れども驕らない。ったく、かっこよすぎんだろ、謙虚な騎士様は」

 

 蒼介は口元を歪めて笑う。

 腹は決まった。

 彼女が命を懸けて作る一瞬の隙。

 それを無駄にすれば、俺は男じゃない。意地を見せろ。

 

「リリア! あいつの魔力の流れ、徹底的に調べろ! どっかに綻びがあるはずだ!」

 

 蒼介は叫びながら、あえて敵の攻撃が激しい正面へと飛び出した。

 セレスと二人、絶望的な防衛戦が幕を開ける。

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