異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~ 作:九泉
重厚な扉が背後で閉ざされ、退路が断たれる轟音が響いた。
蒼介とセレス、そしてリリアの視界に広がるのは、圧倒的な緑だった。
第20層の最深部。そこは、ただ広いだけの空間ではない。
天井と呼ぶべき遥か高みから、無数の太い根がカーテンのように垂れ下がり、壁面はびっしりと苔や蔦に覆われている。
地面は、幾重にも重なった根が複雑な起伏を描き、所々に発光する胞子が幻想的な、しかしどこか不気味な明かりを灯していた。
空気は湿り気を帯び、濃厚な植物の匂いが鼻孔を突く。
それは生命の息吹というよりは、腐葉土と古い樹液が混ざり合ったような、むせ返るような死と再生の匂いだった。
その空間の中央に、それは鎮座していた。
「……でかいな」
蒼介が思わず漏らした言葉は、恐怖よりも呆れに近い響きを含んでいた。
事前にリリアから聞いていた情報――【
その名は伊達ではない。
高さは優に三十メートルを超えているだろうか。
幹の太さは、大人が十人がかりで手を繋いでも届かないほどだ。
樹皮は岩盤のようにゴツゴツと隆起し、その表面には数百年、いや数千年の時を刻んだ年輪のような亀裂が走っている。
そして何より異様なのは、その樹木が顔を持っていたことだ。
幹の中央付近、ねじれた樹皮とコブが形成するそれは、苦悶に歪んだ老人のようにも、怒りに燃える鬼のようにも見える。
虚ろな眼窩の奥には、深緑色の魔力が怪しく揺らめいていた。
「……やっぱりデクの樹様だ」
蒼介は乾いた笑みを浮かべ、ボソリと呟く。
だが、目の前にいるのは、森の勇者を導く賢者ではない。
侵入者を排除し、養分として喰らおうとする、貪欲な捕食者だ。
『ソウスケさん、来ます!』
リリアの警告が脳内に響くのと同時だった。
ズズズ……と、地響きのような音が空間全体を震わせる。
エンシェント・トレントが動いたのだ。
根が張っているため、移動こそできないようだが、その代わりに無数の枝が、まるで巨大な蛇のようにうねりながら鎌首をもたげた。
「散開! 正面からまともに受けるな!」
蒼介の叫びに、セレスが即座に反応する。
彼女は右へ、蒼介は左へと跳躍した。
直後、二人がつい先ほどまで立っていた場所に、太い枝が叩きつけられる。
ドゴォォォォン!
岩盤が砕けるような破砕音と共に、地面が陥没した。
飛び散る木片と土煙。
もし直撃していれば、鎧ごとひしゃげて肉塊になっていただろう。
「なんて馬鹿力だ……!」
蒼介は着地と同時に転がり、衝撃を殺す。
だが、休む暇はない。
叩きつけられた枝から、さらに細い蔦が無数に伸び、鞭のようにしなりながら襲いかかってくる。
シュッ、シュッ、と風を切る音。
その一本一本が十分な強度と鋭利さを持っていることは、空気を裂く音だけで容易に想像できた。
「【
蒼介は迷わずスキルを発動させる。
世界がスローモーションになり、迫りくる蔦の軌道が視界の中で鮮明になる。
右、左、上、斜め後ろ。
全方位からの刺突。
蒼介は最小限の動きでそれを躱す。
鼻先を蔦が掠め、頬に赤い線が走る。
だが、致命傷は避けた。
彼はそのまま地面を蹴り、エンシェント・トレントの死角となる側面へと回り込もうと走る。
一方、セレスは真っ向から勝負を挑んでいた。
彼女は騎士だ。
敵の攻撃を回避するだけでは、勝利は掴めないと知っている。
彼女の役割は剣。
敵の注意を引きつけ、その強固な守りを打ち砕くことだ。
「我が前に立ち塞がる巨木よ! その傲慢ごと切り伏せてくれる!」
セレスは叫びと共に、魔力を練り上げる。
彼女の手にする長剣――その刀身が、青白い雷光を帯びて激しくスパークした。
【サンダー・ブレード】。
彼女が得意とする、雷属性の魔法剣だ。
植物であるトレントならば、火が弱点というのが定石だ。
だが、リリアの情報によれば、このエンシェント・トレントは極めて高い耐火性能を持っているという。
生半可な炎魔法では、表面を焦がすことすら叶わない。
ならば、内部から焼き尽くす雷の方が有効打になり得る。
セレスの判断は正しかった。
「はぁぁぁぁッ!」
彼女は迫りくる枝を剣で弾き飛ばし、一気に懐へと飛び込む。
狙うは、幹の中央にあるあの不気味な顔。
そこが急所かどうかはわからない。
だが、魔力が集中している場所であることは間違いない。
セレスは跳躍した。
銀色の軌跡を描き、雷を纏った剣を、眼窩の奥にある深緑の光へと突き立てる。
ガギィィィン!
硬質な金属音が響き渡った。
剣が、止まった。
突き刺さるどころか、樹皮の表面で弾かれたのだ。
「なっ……!?」
セレスが驚愕に目を見開く。
彼女の剣は、ミスリルを含有した業物だ。
それに加えて、魔力による強化も施している。
鉄板すら断ち切るその刃が、たかが木の皮一枚に阻まれるなど、あり得ないことだった。
(硬すぎる……! まるで大岩を叩いたようだ!)
衝撃で腕が痺れる。
その隙を、老獪な守護者は見逃さなかった。
顔の周囲にあるコブが、突如として弾けた。
中から飛び出したのは、無数の種子。
いや、それは種子というよりは、散弾銃の弾丸だった。
「くっ!」
セレスは咄嗟に剣を盾にして顔を庇う。
だが、至近距離からの散弾を全て防ぎきることは不可能だ。
バババババッ!
硬い種子が鎧に当たり、火花を散らす。
防ぎきれなかった数発が、鎧の継ぎ目を抜け、肩や太腿の肉を食い破る。
「うぐっ……!」
苦悶の声を漏らし、セレスは空中でバランスを崩す。
そこへ、すかさず太い枝が横薙ぎに振るわれた。
回避不能。
彼女は吹き飛ばされ、地面を数回バウンドして、巨大な根の陰に叩きつけられた。
「セレス!」
蒼介が叫ぶ。
彼は走りながら、ナイフを投擲した。
狙いは、セレスに追撃を加えようとしていた枝。
だが、ナイフは樹皮に当たった瞬間、カキンと乾いた音を立てて弾き返された。
傷一つついていない。
(マジかよ……これ、どうやって倒すんだ?)
蒼介は冷や汗が背中を伝うのを感じた。
物理攻撃がほぼ効かない。
魔法耐性もおそらく高い。
そして、この圧倒的な質量と攻撃範囲。
第10層の大鎧百足とは次元が違う。
これが、20層の主。
【逆さ大樹】の支配者の実力か。
『ソウスケさん! セレスさんの元へ! 彼女、動けませんわ!』
リリアの悲痛な声。
見れば、根の陰でセレスが膝をついている。
鎧は凹み、隙間からは血が滲んでいる。
意識はあろうが、ダメージは深い。
エンシェント・トレントは、邪魔な羽虫を叩き落としたことに満足したのか、今度はゆっくりと蒼介の方へと顔を向けた。
虚ろな瞳が、黒髪の異邦人を捉える。
ゴゴゴゴゴ……。
地面が隆起する。
足元から、槍のように鋭く尖った根が次々と突き出してきた。
「くそっ、モグラ叩きの逆バージョンかよ!」
蒼介は悪態をつきながら、再び【
地面を蹴り、壁を走り、天井から垂れ下がる根を掴んでターザンのように移動する。
一箇所に留まれば、串刺しにされる。
動き続けるしかない。
だが、これではジリ貧だ。
攻撃する隙がないどころか、近づくことすらままならない。
逃げ回るだけで精一杯。
ナノマシンのエネルギー残量が、刻一刻と減っていく警告音が脳内で鳴り響く。
(どうする? 何か弱点があるはずだ。リリアの情報じゃ、再生能力が高いって話だったな。逆に言えば、再生が必要なほどダメージを与えれば勝機はあるってことか?)
だが、そのダメージが通らない。
セレスの全力の一撃ですら傷一つつかないのだ。
蒼介のナイフなど、爪楊枝にもならないだろう。
「ハァ、ハァ……!」
息が上がる。
【
エンシェント・トレントは、まるで蒼介の疲弊を楽しむかのように、次々と新しい攻撃を繰り出してくる。
枝による打撃。
蔦による拘束。
種子のマシンガン。
そして、地面からの串刺し。
多彩すぎる攻撃手段。まさに、生ける要塞。
その時、ふと蒼介の視界の端で、何かが光った。
セレスだ。
彼女はよろめきながらも立ち上がり、再び剣を構えていた。
その瞳は、まだ死んでいない。
諦めていない。
「……ソウスケ! 私が注意を引く! お前は、何か……何か手を探せ!」
セレスが叫ぶ。
無茶だ。
あの状態で前に出れば、今度こそ殺されるかもしれない。
だが、彼女は止まらない。
騎士としての誇りが、仲間を守るという意志が、彼女の足を前へと動かす。
「……誇れども驕らない。ったく、かっこよすぎんだろ、謙虚な騎士様は」
蒼介は口元を歪めて笑う。
腹は決まった。
彼女が命を懸けて作る一瞬の隙。
それを無駄にすれば、俺は男じゃない。意地を見せろ。
「リリア! あいつの魔力の流れ、徹底的に調べろ! どっかに綻びがあるはずだ!」
蒼介は叫びながら、あえて敵の攻撃が激しい正面へと飛び出した。
セレスと二人、絶望的な防衛戦が幕を開ける。