異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第42話 届かぬ刃、見えぬ活路

 絶望という言葉を形にするならば、それは巨大な樹木の姿をしているのかもしれない。

 

 蒼介の視界を覆い尽くすのは、うねり狂う根と、鞭のようにしなる蔦の嵐だった。

 呼吸をするたびに、湿った土と濃厚な樹液の臭いが肺腑を焼く。

古の森の守護者(エンシェント・トレント)】。

 第20層の主は、その巨体に見合わぬ狡猾さと、理不尽なまでの生命力を見せつけていた。

 

「ハァッ……ハァッ……!」

 

 セレスの荒い息遣いが、轟音の合間にかろうじて聞こえる。

 彼女の銀鎧は、すでに原形を留めていないほどにひしゃげ、所々から鮮血が滲んでいた。

 それでも彼女は剣を振るう。

 雷光を纏った刃が、迫りくる極太の根を両断する。

 だが、そこまでだ。

 切断面からは即座に新たな芽が吹き出し、瞬く間に元の太さへと再生していく。

 まるで、切ること自体が徒労だと嘲笑うかのように。

 

「くっ……! 再生速度が、上がっているのか……!?」

 

 セレスが悔しげに唇を噛む。

 彼女の魔力は確実に消耗していた。

 剣に纏わせる雷光が、戦闘開始時に比べて明らかに弱々しくなっている。

 

 対して、エンシェント・トレントの活力は衰えることを知らない。

 この空間そのものが、奴の腹の中のようなものだ。

 壁面の苔、地面の胞子、漂う湿気。

 すべてが奴に魔力を供給し、傷を癒やすための糧となっている。

 

(持久戦は自殺行為だ。わかってる。わかってるが……)

 

 蒼介は奥歯が砕けそうなほど強く噛み締めながら、自身の身体を弾丸のように加速させた。

 スキル【迅速(ブースト)】。

 神経伝達速度を極限まで高め、世界を遅延させる感覚。

 迫りくる蔦の刺突を、紙一重で躱す。

 風切り音が耳元を掠め、数本の髪が切り飛ばされる。

 

「こっちだ、木材爺!」

 

 彼はあえて声を上げ、ナイフを投擲した。

 狙うは幹の中央、あの不気味な顔面だ。

 だが、ナイフが届くよりも早く、周囲の空間が歪んだように見えた。

 否、枝だ。

 無数の枝が瞬時に網目のように絡まり合い、強固な盾となってナイフを弾き返したのだ。

 

 カキンッ、と虚しい音が響く。

 

「鉄壁かよ……!」

 

 攻撃が届かない。

 あの幹に触れることさえ、今の二人には至難の業だった。

 セレスが接近戦を挑めば、全方位からの根の刺突と種子の散弾が彼女を襲う。

 蒼介が撹乱しようにも、奴は周囲の植物すべてを感覚器官としているようで、死角が存在しない。

 

 逃げ場のない閉鎖空間で、じわじわと真綿で首を絞められるような圧迫感。

「主」という存在の格の違いを、嫌というほど思い知らされる。

 

「ソウスケ! 次は左だ!」

 

 セレスの叫び声に、蒼介は反射的に身を捻った。

 直後、彼が踏みしめていた地面が爆ぜる。

 地下から突き上げられた槍状の根が、空を切った。

 もし反応がコンマ一秒遅れていれば、串刺しになっていただろう。

 

「……悪い!」

 

 礼を言う余裕すらない。

 着地と同時に、蒼介は再び走り出す。

 止まれば死ぬ。

 だが、動き続けても、待ち受けているのはガス欠による死だ。

 ナノマシンのエネルギー残量を告げる警告音が、脳内でけたたましく鳴り響いている。

 焦燥感が思考を濁らせそうになるのを、必死に理性で押し留める。

 

(考えろ。何かあるはずだ。どんな完璧な要塞にも、必ず通気口があるように。どんな生物にも、必ず急所があるように)

 

 蒼介は走りながら、スキル【探知(サーチ)】の感覚を研ぎ澄ませる。

 視覚情報に頼るな。

 音の反響、空気の振動。五感を超えた知覚で、この怪物の構造を丸裸にするんだ。

 

 だが、返ってくる情報は絶望的なものばかりだった。

 奴の全身を巡る魔力回路は、あまりにも複雑で強固だ。

 どこを切断しても、即座に迂回ルートが形成され、再生が始まる。

 核となる魔石があるはずだが、分厚い樹皮に阻まれ、位置を特定できない。

 

「きゃあぁッ!」

 

 不意に、短い悲鳴が響いた。

 セレスだ。

 見れば、彼女の足首に蔦が絡みついている。

 回避行動の着地の隙を狙われたのだ。

 

「しまっ……!」

 

 彼女が剣を振るうよりも早く、蔦が強引に引き絞られる。

 セレスの身体が宙を舞い、そのまま壁面へと叩きつけられそうになる。

 その軌道上には、鋭利な棘を生やした太い枝が待ち構えていた。

 空中の彼女に回避手段はない。

 

「セレス!」

 

 蒼介は迷わず、懐から発煙筒のような魔道具を取り出した。

 以前、ギルドの売店で「視界潰しに使えるかも」と買っておいた、閃光玉の出来損ないだ。

 彼はそれをセレスと枝の間に向かって全力で投擲する。

 

 パンッ!

 

 破裂音と共に、強烈な光と煙が炸裂した。

 物理的なダメージはない。

 だが、待ち構えていた枝が一瞬、ビクリと反応して軌道が逸れる。

 

 その隙に、セレスは身体を捻り、壁を蹴って体勢を立て直した。

 だが、着地の衝撃までは殺しきれず、彼女はその場に片膝をつく。

 

「ぐっ……はぁ……!」

 

 彼女の肩が激しく上下している。

 限界が近い。矜持だけで立っている状態だ。

 蒼介は滑り込むように彼女の隣へ移動し、ナイフを構えて周囲を警戒する。

 

「無事か、セレス」

「……情けない姿を晒したな」

「生きてりゃいい。それより、魔力は?」

「……残弾なし、と言いたいところだが。あと一撃……いや、絞り出して二撃が限度だ」

 

 彼女の声には、諦めの色はなかった。

 だが、隠しきれない疲労の色が濃い。

 雷魔法という強力な矛を持っているとはいえ、それを当てる機会がなければ意味がない。

 このままでは、ジリ貧どころか、次の波状攻撃で確実に全滅する。

 

 エンシェント・トレントが、不愉快そうに枝を揺らした。

 小賢しい抵抗をする羽虫たちに、苛立ちを募らせているようだ。

 空間全体の魔力が、さらに重く、濃密になっていく。

 決定的な一撃を放つための、溜めの動作に入ったのだ。

 

(くそっ……万策尽きたか?)

 

 蒼介の額を、冷たい汗が伝う。

 現代ダンジョンで何度も死線を潜り抜けてきた。

 だが、今回は相性が悪すぎる。

 知恵と工夫で格上を食らうのが彼のスタイルだが、圧倒的な質量と再生能力の前では、小手先のトリックなど通じない。

 

 その時だった。

 蒼介の腰に提げられたペンダントから、凛とした声が響いたのは。

 

『……ソウスケさん、セレスさん。聞こえますか?』

 

 リリアだ。

 戦闘中、彼女はずっと沈黙を守っていた。

 それは恐怖からではない。

 彼女もまた、戦っていたのだ。

 肉体を持たない魂だけの存在として、魔力の奔流の中で必死に何かを探っていたのだ。

 

「リリアか! 大丈夫か!」

『私は平気ですわ。それより……見つけましたの。違和感の正体を』

 

 彼女の声には、確信めいた響きがあった。

 

「違和感?」

 

『ええ。あの怪物の再生能力……いえ、防御の仕組みですわ。先ほどセレスさんの剣が弾かれた時、そしてソウスケさんのナイフが防がれた時……私は魔力の流れをずっと追っていましたの』

 

 彼女は続ける。

 

『あの大樹の中には、強大な魔力の塊……おそらく「核」が存在します。ですが、その位置が固定されていないのです』

 

「……なんだって?」

 

 蒼介は眉を顰める。

 核が固定されていない?

 通常、魔物の核、魔石は心臓部や頭部など、特定の急所に存在する。

 だからこそ、そこを守ろうとするし、そこを狙えば倒せる。

 

『あやつは、攻撃がくると予測した瞬間に、核を体内移動させているのですわ! 樹液の管を通るように、高速で!』

 

 その言葉に、蒼介の中に電流が走ったような衝撃が走った。

 すべての辻褄が合う。

 なぜ、セレスの渾身の一撃が通じなかったのか。

 なぜ、どこを攻撃しても手応えがないのか。

 

 攻撃が当たる瞬間に、弱点が別の場所へ逃げているのだ。

 分厚い樹皮や再生能力は、あくまで時間稼ぎの囮に過ぎない。

 

「移動する心臓……か。なんてふざけた構造してやがる」

 

 蒼介は吐き捨てるように言うが、その瞳には新たな光が宿っていた。

 見えなかった敵の正体が、リリアのおかげで輪郭を持った。

 理屈がわかれば、対策の立てようはある。

 

『ですが、移動速度は尋常ではありません。私の感知でも、残像を追うのが精一杯……。完全に捕捉して、攻撃を当てるタイミングを計るなんて……』

 

 リリアの声が曇る。

 原理はわかった。だが、それを攻略できるかは別問題だ。

 巨大な樹木の体内を、高速で移動する小さな核。

 それを外から正確に射抜くなど、目隠しをして空中のハエを箸で掴むようなものだ。

 

 セレスが苦しげに口を開く。

 

「……つまり、どこを狙っても運任せということか? それでは、私の残りの魔力を賭けるには分が悪すぎる」

「いや」

 

 蒼介は短く否定した。

 彼はエンシェント・トレントを見据えたまま、脳内で高速のシミュレーションを開始する。

 リリアの感知能力。

 セレスの一撃必殺の破壊力。

 そして、俺のスキル。

 

(運任せにするつもりはねえ。確率を100%に引き上げるための手はある)

 

 ただし、それはあまりにも危険な賭けだった。

 失敗すれば、全員が死ぬ。

 だが、このまま座して死を待つよりは、遥かにマシだ。

 

「セレス、リリア。俺に策がある」

「……聞こう」

『ソウスケさん?』

 

 蒼介は二人に視線を向けることなく、自身の胸元を強く叩いた。

 ナノマシンへの覚悟を決める合図だ。

 

「俺があいつの懐に入る。ゼロ距離まで近づいて、直接触れて、【探知(サーチ)】を最大出力で叩き込む」

 

『なっ!? 正気ですの!?』

 

 リリアが悲鳴のような声を上げる。

 エンシェント・トレントの懐。

 それは、根と枝と蔦が渦巻く、死の領域だ。

 そこへ自ら飛び込むなど、自殺志願者としか思えない。

 

「外からじゃ、お前の言う通り捕捉しきれねえ。皮一枚隔てた向こう側を正確に知るには、俺自身がセンサーになるしかねえんだよ」

 

 蒼介は冷静に告げる。

 

「俺が核の位置を完全にロックオンする。その瞬間、俺が合図を出す。セレス、お前はその一点に、ありったけの魔力を込めた突きを放て」

「……お前ごと、貫けと言うのか?」

 

 セレスの声が震えた。

 彼女にはわかったのだ。

 蒼介が核を特定したとしても、彼がそこに張り付いていれば、セレスの攻撃は蒼介を巻き込む可能性が高い。

 いや、タイミングが少しでもズレれば、確実に彼を串刺しにする。

 

「お前の腕を信じてるんだよ、騎士様。俺の身体スレスレを通して、後ろの核だけを穿つ。できるだろ?」

 

 蒼介は挑発するようにニヤリと笑った。

 それは虚勢であり、そして本心からの信頼でもあった。

 これまで見てきた彼女の剣技。

 その精密さと鋭さを知っている。

 

「……貴様という男は」

 

 セレスは数秒間、沈黙した。

 葛藤があったはずだ。

 だが、彼女は騎士だ。

 仲間の覚悟を、感傷で踏みにじるような真似はしない。

 

「……わかった。私の全てを懸けて、その信頼に応えよう」

 

 彼女は剣を構え直す。

 その瞳から迷いが消え、代わりに研ぎ澄まされた殺気が宿る。

 

『ソウスケさん……』

「リリア、お前にはナビゲートを頼む。あいつの攻撃の予備動作、全部教えてくれ。俺が近づくまでの数秒間、絶対に被弾しないようにな」

『……はい! 命に代えても、貴方を導きますわ!』

 

 三人の意志が一つになった。

 エンシェント・トレントが、溜め込んでいた魔力を解放しようと、無数の枝を大きく広げる。

 来る。

 最大級の攻撃が。

 

「行くぞッ!」

 

 蒼介の叫びと共に、最後の賭けが始まった。

 見えぬ活路を切り開くため、彼は死地へと向かって疾走する。

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