異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第44話 逆さ大樹に捧ぐ鎮魂歌

 瞬間、世界が静止したかのように錯覚した。

 

 蒼介の背後で、セレスの槍に収束した雷光が限界点を超えて弾ける音。

 目の前で、巨大な樹皮の顎を開き、自分を喰らおうとするエンシェント・トレントの咆哮。

 そして、脳内でリリアが叫ぶ、コンマ一秒のカウントダウン。

 

(ゼロ……今ですッ!)

 

 蒼介は【迅速(ブースト)】のギアを一段階上げた。

 筋肉が断裂するほどの負荷を無視し、幹に突き立てたナイフを殴るように掌で押す。その勢いで身体が下がる。

 彼は身体を捻りながら、幹の表面を滑るように落下した。

 重力に引かれる速度に、ナノマシンによる加速を上乗せする。

 

「うらぁぁぁッ!」

 

 もはや落下ではない。射出だ。

 蒼介の身体が、本来あった場所から消失する。

 その直後。

 彼が張り付いていた座標を、純白の閃光が貫いた。

 

 ドォォォォォォォンッ!!

 

 轟音。

 鼓膜を破壊せんばかりの衝撃波が、落下する蒼介の身体すらも揺さぶる。

 セレス渾身の一撃。

 それは彼女が放てる最大の雷撃であり、蒼介という的を目印にすることで、極限まで精度を高められた必殺の槍だった。

 

 通常、雷撃は導電性の高いものへ無作為に流れる性質を持つ。

 だが、今のセレスは違った。

 蒼介を信じ、彼の背中一点を見つめ、そこへ魔力を叩き込んだ。

 その照準補正が、乱れがちな雷の軌道を一本の矢へと変えたのだ。

 

「ギ、ギギ……!?」

 

 エンシェント・トレントの悲鳴とも取れる軋みが響く。

 分厚い樹皮も、幾重にも絡みついた蔦の装甲も、魔力で強化された繊維も。すべて貫いた。

 光の槍は、蒼介が【探知(サーチ)】で特定した一点――幹の中央、古傷のようなコブの裏側を、寸分の狂いもなく貫通していた。

 

「どうだ……!?」

 

 地面に着地し、勢いを殺しきれずに数回転がった蒼介が、顔を上げて叫ぶ。

 土埃と焦げた臭いが充満する中、巨木が大きく揺らいだ。

 貫かれた箇所から、黒い煙と共に、青白い樹液が大量に噴き出している。

 それはまるで、大動脈を断ち切られた生物の出血のようだった。

 

「グォォォォ……ォォ……」

 

 地の底から響くような、重苦しい唸り声。

 エンシェント・トレントの巨体が、ゆっくりと傾き始める。

 無数の枝が力なく垂れ下がり、攻撃の意思を失ったかのように見えた。

 

「はぁ……はぁ……やった、な……」

 

 遠くで、セレスが膝をつくのが見えた。

 魔力を使い果たしたのだろう。彼女の銀鎧からは煙が立ち上り、愛用の槍は高熱で赤く変色している。

 それほどの一撃だったのだ。

 

 勝った。

 蒼介の胸に、安堵と達成感が込み上げる。

 第20層の主。

 この巨大な怪物を、たった二人と、一つの魂だけで倒したのだ。

 だが。

 

『ソウスケさん! 気を抜かないで!』

 

 リリアの切迫した声が、勝利の余韻を切り裂いた。

 

『核の反応が……消えていません! むしろ、暴走しています!』

「なんだと!?」

 

 蒼介は慌てて【探知(サーチ)】を再展開する。

 ノイズ混じりの視界に映し出されたのは、赤黒く変色し、異常な脈動を繰り返すエネルギー反応だった。

 セレスの一撃は確かに核を捉えた。

 だが、完全に破壊するには至らなかったのか、あるいは――。

 

「ギィィィィィィィィッ!!」

 

 エンシェント・トレントが、折れた幹を無理やり繋ぎ止めるように、全身の蔦を収縮させた。

 傾きかけた巨体が、不気味な音を立てて再び直立する。

 その幹の中央、セレスが開けた大穴の奥で、何かが赤く輝いていた。

 砕けかけた核だ。

 だが、それは孤独に死にゆく様子ではない。

 自らの命を燃やし尽くしてでも、目の前の敵を道連れにしようとする輝きだ。

 

「嘘だろ……あの一撃を食らって、まだ動くのかよ……!」

 

 蒼介が呻く。

 セレスはもう動けない。魔力枯渇で立ち上がるのが精一杯のはずだ。

 リリアの魔力も、サポートで使い果たしている。

 そして蒼介自身も、【迅速(ブースト)】の反動で全身が鉛のように重い。

 

 ズズズズズ……。

 大地が震える。

 エンシェント・トレントの根元から、これまでとは比較にならないほど太い根が、槍の如く突き出してきた。

 狙いは蒼介ではない。

 動けないセレスだ。

 

「しまっ……!」

 

 蒼介は反射的に駆け出そうとするが、足がもつれる。

 間に合わない。

 距離がありすぎる。

 

(くそッ! 動け! 動けよ俺の足ッ!)

 

 ナノマシンに過剰な命令を送る。

 警告アラートが視界を埋め尽くすが、無視だ。

 ここでセレスを失えば、何もかも終わりだ。

 

「セレスゥゥッ!!」

 

 蒼介の絶叫。

 セレスが顔を上げ、迫りくる死の根を見つめる。

 その瞳に、恐怖はなかった。

 ただ、自分の未熟さを悔いるような、静かな諦観だけが――。

 

 ドォォォン!!

 

 爆音が響いた。

 だが、それはセレスが潰された音ではなかった。

 彼女の目の前で、迫りくる根が何者かの攻撃によって粉砕されていたのだ。

 

「え……?」

 

 セレスが呆気にとられた声を漏らす。

 舞い上がる土煙。

 その中から、蒼介の【探知(サーチ)】にも引っかからなかった何かが、飛び出してきた。

 

「やれやれ、ギリギリだねぇ。君たち、もう少し余裕を持って戦えないのかい?」

 

 軽薄で、しかしどこか底知れない響きを持つ男の声。

 土煙が晴れると、そこには一人の青年が立っていた。

 黒髪黒目。

 この世界では珍しい、蒼介と同じ色彩を持つ男。

 手には、奇妙な形状の短剣が握られている。

 

「貴方は……!」

 

 セレスが驚愕に目を見開く。

 蒼介もまた、警戒心と共にその男を見据えた。

 フェイル。

 以前、街で見かけたことがある。白金級冒険者として名を馳せる、「万能」のフェイルだ。

 

「おっと、礼には及ばないよ。通りすがりの親切ってやつさ」

 

 フェイルは肩をすくめると、まるで散歩でもするかのような足取りで、暴走するエンシェント・トレントの方へと向き直った。

 巨大な化け物を前にしても、その背中には微塵の緊張感もない。

 

「さて、と。半分死にかけてるとはいえ、腐っても第20層の主だ。とどめを刺し損ねると、こうやって暴れるから厄介なんだよね」

 

 彼は懐から、小さな瓶を取り出した。

 中には、透き通った液体が入っている。

 

「あれは……聖水?」

 

 リリアが呟く。

 だが、ただの聖水ではない。

 蒼介の【物質分析(アナライズ)】が、その液体から放たれる異常な高純度の魔力反応を捉えていた。

 

「君たちの頑張りに免じて、最後の仕上げを手伝ってあげようか。……なんてね、本当は僕が『美味しいとこ取り』したいだけなんだけど」

 

 フェイルはニヤリと笑うと、その小瓶をエンシェント・トレントに向かって投げつけた。

 放物線を描いて飛んでいく瓶。

 それは正確に、セレスが開けた大穴――露出した核めがけて吸い込まれていく。

 

 パリンッ。

 

 軽い音がして、瓶が割れた。

 その瞬間。

 

 ジュワアアアアアアッ!

 

 凄まじい蒸発音と共に、エンシェント・トレントの傷口から純白の蒸気が噴き出した。

 それは浄化の光だ。

 暴走していた赤黒い核の輝きが、聖なる力によって中和され、急速に色を失っていく。

 

「ギ、ギィィ……ァ……」

 

 エンシェント・トレントの動きが止まる。

 今度こそ、完全に。

 暴走を支えていた負のエネルギーを失い、巨体は自重を支えきれずに崩れ落ちた。

 

 ズゥゥゥゥン……。

 

 地響きと共に、森の支配者が大地に伏す。

 周囲に静寂が戻った。

 残されたのは、圧倒的な力を見せつけられた蒼介たちの困惑と、飄々としたフェイルの笑顔だけだった。

 

「はい、お疲れ様。見事な連携だったよ、特に最後の一撃はね」

 

 フェイルはこちらを振り返り、パチパチと拍手をした。

 蒼介は警戒を解かずに、這うようにしてセレスの元へ向かう。

 セレスは無事だ。ただ、魔力切れで動けないだけだ。

 

「……何のつもりだ、アンタ」

 

 蒼介は荒い息を吐きながら問う。

 助けられたのは事実だ。だが、この男からは善意以外の何かが匂う。

 フェイルは短剣を弄びながら、面白そうに蒼介を見た。

 

「何って? 言っただろう、通りすがりさ。ただ、君たちの戦い方が面白くてね。魔法を使えない君と、堅物そうな騎士のお嬢さん。そして……」

 

 彼の視線が、蒼介の腰にあるペンダントに向けられる。

 

「姿なき参謀殿。実にユニークなパーティだ」

 

 ドキリとした。

 リリアの存在に勘付いているのか。

 

「まあ、詮索は野暮ってものさ。今日は貸しにしておくよ。いつか返してくれればいい」

 

 フェイルは手をひらひらと振ると、崩れ落ちたエンシェント・トレントの方へと歩いていった。

 ドロップアイテムを回収するでもなく、ただその死骸を確認しただけのようだ。

 

「……じゃあね、神谷蒼介(・・・・)くん。また会おう」

 

 それだけ言い残し、彼は森の奥へと姿を消した。

 まるで風のように。

 

「……なんだったんだ、あいつは」

 

 蒼介はその場にへたり込む。

 緊張の糸が切れ、どっと疲れが押し寄せてきた。

 

「ソウスケ……すまない。私が仕留めきれなかったせいで……」

 

 セレスが悔しげに唇を噛む。

 蒼介は首を横に振った。

 

「いいや、お前の一撃がなけりゃ、あいつの装甲を抜くことすらできなかった。最後のは……ま、予期せぬボーナスステージだったってことにしておこうぜ」

 

『ええ。あの男のことは気になりますが……今は勝利を喜びましょう。二人とも、本当に凄かったですわ』

 

 リリアの優しい声に、二人の表情が緩む。

 そうだ。

 勝ったのだ。

 第20層の主を倒し、また一つ、この大迷宮の深淵へと近づいたのだ。

 

「……帰ろうぜ。今日はもう、限界だ」

「ああ……そうだな」

 

 蒼介がセレスに手を貸し、立ち上がらせる。

 互いに支え合うその手には、確かな信頼の温度があった。

 以前のような、利害だけで繋がった関係ではない。

 背中を預け、命を預けた、戦友としての絆。

 

 二人はゆっくりと、出口へのゲートを目指して歩き出した。

 背後には、沈黙した巨樹の屍が、彼らの勝利を証明するように横たわっていた。

 

 

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