異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~ 作:九泉
瞬間、世界が静止したかのように錯覚した。
蒼介の背後で、セレスの槍に収束した雷光が限界点を超えて弾ける音。
目の前で、巨大な樹皮の顎を開き、自分を喰らおうとするエンシェント・トレントの咆哮。
そして、脳内でリリアが叫ぶ、コンマ一秒のカウントダウン。
(ゼロ……今ですッ!)
蒼介は【
筋肉が断裂するほどの負荷を無視し、幹に突き立てたナイフを殴るように掌で押す。その勢いで身体が下がる。
彼は身体を捻りながら、幹の表面を滑るように落下した。
重力に引かれる速度に、ナノマシンによる加速を上乗せする。
「うらぁぁぁッ!」
もはや落下ではない。射出だ。
蒼介の身体が、本来あった場所から消失する。
その直後。
彼が張り付いていた座標を、純白の閃光が貫いた。
ドォォォォォォォンッ!!
轟音。
鼓膜を破壊せんばかりの衝撃波が、落下する蒼介の身体すらも揺さぶる。
セレス渾身の一撃。
それは彼女が放てる最大の雷撃であり、蒼介という的を目印にすることで、極限まで精度を高められた必殺の槍だった。
通常、雷撃は導電性の高いものへ無作為に流れる性質を持つ。
だが、今のセレスは違った。
蒼介を信じ、彼の背中一点を見つめ、そこへ魔力を叩き込んだ。
その照準補正が、乱れがちな雷の軌道を一本の矢へと変えたのだ。
「ギ、ギギ……!?」
エンシェント・トレントの悲鳴とも取れる軋みが響く。
分厚い樹皮も、幾重にも絡みついた蔦の装甲も、魔力で強化された繊維も。すべて貫いた。
光の槍は、蒼介が【
「どうだ……!?」
地面に着地し、勢いを殺しきれずに数回転がった蒼介が、顔を上げて叫ぶ。
土埃と焦げた臭いが充満する中、巨木が大きく揺らいだ。
貫かれた箇所から、黒い煙と共に、青白い樹液が大量に噴き出している。
それはまるで、大動脈を断ち切られた生物の出血のようだった。
「グォォォォ……ォォ……」
地の底から響くような、重苦しい唸り声。
エンシェント・トレントの巨体が、ゆっくりと傾き始める。
無数の枝が力なく垂れ下がり、攻撃の意思を失ったかのように見えた。
「はぁ……はぁ……やった、な……」
遠くで、セレスが膝をつくのが見えた。
魔力を使い果たしたのだろう。彼女の銀鎧からは煙が立ち上り、愛用の槍は高熱で赤く変色している。
それほどの一撃だったのだ。
勝った。
蒼介の胸に、安堵と達成感が込み上げる。
第20層の主。
この巨大な怪物を、たった二人と、一つの魂だけで倒したのだ。
だが。
『ソウスケさん! 気を抜かないで!』
リリアの切迫した声が、勝利の余韻を切り裂いた。
『核の反応が……消えていません! むしろ、暴走しています!』
「なんだと!?」
蒼介は慌てて【
ノイズ混じりの視界に映し出されたのは、赤黒く変色し、異常な脈動を繰り返すエネルギー反応だった。
セレスの一撃は確かに核を捉えた。
だが、完全に破壊するには至らなかったのか、あるいは――。
「ギィィィィィィィィッ!!」
エンシェント・トレントが、折れた幹を無理やり繋ぎ止めるように、全身の蔦を収縮させた。
傾きかけた巨体が、不気味な音を立てて再び直立する。
その幹の中央、セレスが開けた大穴の奥で、何かが赤く輝いていた。
砕けかけた核だ。
だが、それは孤独に死にゆく様子ではない。
自らの命を燃やし尽くしてでも、目の前の敵を道連れにしようとする輝きだ。
「嘘だろ……あの一撃を食らって、まだ動くのかよ……!」
蒼介が呻く。
セレスはもう動けない。魔力枯渇で立ち上がるのが精一杯のはずだ。
リリアの魔力も、サポートで使い果たしている。
そして蒼介自身も、【
ズズズズズ……。
大地が震える。
エンシェント・トレントの根元から、これまでとは比較にならないほど太い根が、槍の如く突き出してきた。
狙いは蒼介ではない。
動けないセレスだ。
「しまっ……!」
蒼介は反射的に駆け出そうとするが、足がもつれる。
間に合わない。
距離がありすぎる。
(くそッ! 動け! 動けよ俺の足ッ!)
ナノマシンに過剰な命令を送る。
警告アラートが視界を埋め尽くすが、無視だ。
ここでセレスを失えば、何もかも終わりだ。
「セレスゥゥッ!!」
蒼介の絶叫。
セレスが顔を上げ、迫りくる死の根を見つめる。
その瞳に、恐怖はなかった。
ただ、自分の未熟さを悔いるような、静かな諦観だけが――。
ドォォォン!!
爆音が響いた。
だが、それはセレスが潰された音ではなかった。
彼女の目の前で、迫りくる根が何者かの攻撃によって粉砕されていたのだ。
「え……?」
セレスが呆気にとられた声を漏らす。
舞い上がる土煙。
その中から、蒼介の【
「やれやれ、ギリギリだねぇ。君たち、もう少し余裕を持って戦えないのかい?」
軽薄で、しかしどこか底知れない響きを持つ男の声。
土煙が晴れると、そこには一人の青年が立っていた。
黒髪黒目。
この世界では珍しい、蒼介と同じ色彩を持つ男。
手には、奇妙な形状の短剣が握られている。
「貴方は……!」
セレスが驚愕に目を見開く。
蒼介もまた、警戒心と共にその男を見据えた。
フェイル。
以前、街で見かけたことがある。白金級冒険者として名を馳せる、「万能」のフェイルだ。
「おっと、礼には及ばないよ。通りすがりの親切ってやつさ」
フェイルは肩をすくめると、まるで散歩でもするかのような足取りで、暴走するエンシェント・トレントの方へと向き直った。
巨大な化け物を前にしても、その背中には微塵の緊張感もない。
「さて、と。半分死にかけてるとはいえ、腐っても第20層の主だ。とどめを刺し損ねると、こうやって暴れるから厄介なんだよね」
彼は懐から、小さな瓶を取り出した。
中には、透き通った液体が入っている。
「あれは……聖水?」
リリアが呟く。
だが、ただの聖水ではない。
蒼介の【
「君たちの頑張りに免じて、最後の仕上げを手伝ってあげようか。……なんてね、本当は僕が『美味しいとこ取り』したいだけなんだけど」
フェイルはニヤリと笑うと、その小瓶をエンシェント・トレントに向かって投げつけた。
放物線を描いて飛んでいく瓶。
それは正確に、セレスが開けた大穴――露出した核めがけて吸い込まれていく。
パリンッ。
軽い音がして、瓶が割れた。
その瞬間。
ジュワアアアアアアッ!
凄まじい蒸発音と共に、エンシェント・トレントの傷口から純白の蒸気が噴き出した。
それは浄化の光だ。
暴走していた赤黒い核の輝きが、聖なる力によって中和され、急速に色を失っていく。
「ギ、ギィィ……ァ……」
エンシェント・トレントの動きが止まる。
今度こそ、完全に。
暴走を支えていた負のエネルギーを失い、巨体は自重を支えきれずに崩れ落ちた。
ズゥゥゥゥン……。
地響きと共に、森の支配者が大地に伏す。
周囲に静寂が戻った。
残されたのは、圧倒的な力を見せつけられた蒼介たちの困惑と、飄々としたフェイルの笑顔だけだった。
「はい、お疲れ様。見事な連携だったよ、特に最後の一撃はね」
フェイルはこちらを振り返り、パチパチと拍手をした。
蒼介は警戒を解かずに、這うようにしてセレスの元へ向かう。
セレスは無事だ。ただ、魔力切れで動けないだけだ。
「……何のつもりだ、アンタ」
蒼介は荒い息を吐きながら問う。
助けられたのは事実だ。だが、この男からは善意以外の何かが匂う。
フェイルは短剣を弄びながら、面白そうに蒼介を見た。
「何って? 言っただろう、通りすがりさ。ただ、君たちの戦い方が面白くてね。魔法を使えない君と、堅物そうな騎士のお嬢さん。そして……」
彼の視線が、蒼介の腰にあるペンダントに向けられる。
「姿なき参謀殿。実にユニークなパーティだ」
ドキリとした。
リリアの存在に勘付いているのか。
「まあ、詮索は野暮ってものさ。今日は貸しにしておくよ。いつか返してくれればいい」
フェイルは手をひらひらと振ると、崩れ落ちたエンシェント・トレントの方へと歩いていった。
ドロップアイテムを回収するでもなく、ただその死骸を確認しただけのようだ。
「……じゃあね、
それだけ言い残し、彼は森の奥へと姿を消した。
まるで風のように。
「……なんだったんだ、あいつは」
蒼介はその場にへたり込む。
緊張の糸が切れ、どっと疲れが押し寄せてきた。
「ソウスケ……すまない。私が仕留めきれなかったせいで……」
セレスが悔しげに唇を噛む。
蒼介は首を横に振った。
「いいや、お前の一撃がなけりゃ、あいつの装甲を抜くことすらできなかった。最後のは……ま、予期せぬボーナスステージだったってことにしておこうぜ」
『ええ。あの男のことは気になりますが……今は勝利を喜びましょう。二人とも、本当に凄かったですわ』
リリアの優しい声に、二人の表情が緩む。
そうだ。
勝ったのだ。
第20層の主を倒し、また一つ、この大迷宮の深淵へと近づいたのだ。
「……帰ろうぜ。今日はもう、限界だ」
「ああ……そうだな」
蒼介がセレスに手を貸し、立ち上がらせる。
互いに支え合うその手には、確かな信頼の温度があった。
以前のような、利害だけで繋がった関係ではない。
背中を預け、命を預けた、戦友としての絆。
二人はゆっくりと、出口へのゲートを目指して歩き出した。
背後には、沈黙した巨樹の屍が、彼らの勝利を証明するように横たわっていた。