異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第45話 束の間の祝杯と次なる階層

 巨大な樹木が沈黙した戦場を背に、蒼介とセレスは第20層の出口となる転移門の前まで辿り着いていた。

 ゲートの淡い光が、薄暗い森の中で道標のように輝いている。

 そこへ到達した途端、張り詰めていた緊張の糸がぷっつりと切れた。

 

「……悪い。少し、休ませてくれ」

 

 蒼介がその場に崩れ落ちるように座り込む。

 【迅速(ブースト)】を限界まで酷使した代償だ。全身の筋肉が熱を持ち、鉛のように重い。ナノマシンが修復プログラムを走らせているのが、微かな発熱として体内から伝わってくる。

 

「……ああ。私もだ」

 

 セレスもまた、背負っていた緊張を降ろすように、蒼介の隣へと腰を下ろした。

 銀の鎧がガチャリと重たい音を立てる。

 彼女の顔色は白い。魔力枯渇の一歩手前だ。あの一撃に、文字通り全てを込めたのだろう。

 

 二人はしばらくの間、言葉もなく荒い呼吸を整えていた。

 森のざわめきと、遠くで聞こえる魔物の鳴き声だけが、ここが迷宮の中であることを告げている。

 だが、このゲート周辺は安全地帯だ。

 今の二人を脅かすものはいない。

 

「……ソウスケ」

 

 沈黙を破ったのは、セレスだった。

 彼女は膝の上で組んだ手を見つめたまま、ぽつりと呟く。

 

「礼を、言わせてくれ」

「よせよ。お互い様だろ」

 

 蒼介は水を飲むふりをして、視線を逸らす。

 改まって礼を言われるのは、どうにもこそばゆい。

 だが、セレスは首を横に振った。

 

「いいや、言わせてほしい。……あの時、私は迷った。貴様の背中ごと撃てと言われた時、騎士としての矜持が、それを拒絶した」

 

 彼女の声は真剣だった。

 仲間を背後から撃つ。それは、守るべき者を守るという騎士の誓いに反する行為だ。

 

「だが、貴様は信じてくれた。私が絶対に外さないと。そして、私が撃つ瞬間、貴様なら絶対に避けると……そう、信じさせてくれた」

 

 セレスが顔を上げ、蒼介を見る。

 その蒼い瞳には、以前のような険しさや侮蔑の色はない。

 あるのは、戦場を共に駆け抜けた者だけが共有できる、静かで熱い信頼の光だった。

 

「その信頼に応えることができたのが、私は……誇らしいのだ」

 

 不器用な言葉だった。

 だが、飾り気のないその言葉こそが、彼女の心からの本音なのだろう。

 蒼介は頭を掻き、ふっと笑った。

 

「俺だって、お前が相棒じゃなきゃあんな無茶はしねえよ。……助かったぜ、セレス」

「ふん……調子のいい男だ」

 

 セレスもまた、小さく笑みをこぼす。

 その表情は、出会った頃の張り詰めたものとは違い、年相応の少女のような柔らかさを含んでいた。

 

『お二人とも、絵になっていますわよ。……少し妬けますけれど』

 

 腰のペンダントから、リリアの茶化すような声が響く。

 

「リリア、お前もだ。あのナビゲートがなきゃ、俺たちはとっくに串刺しだった」

『ふふっ、当然ですわ。私はアルストロメリアの王女にして、貴方たちの参謀なのですから』

 

 誇らしげなリリアの声に、三人の間に温かな空気が流れる。

 物理的な距離は離れていても、魂の距離は確実に近づいていた。

 第20層の主、【古の森の守護者(エンシェント・トレント)】の撃破。

 それは、単なる階層攻略以上の意味を、このパーティにもたらしていた。

 

「さて……そろそろ行くか。腹も減ったしな」

「同意する。今の私なら、オークの丸焼きでも平らげられそうだ」

 

 蒼介が手を差し出すと、セレスがそれを掴んで立ち上がる。

 握り返した手の力強さに、二人は互いの無事を再確認し、ゲートへと足を踏み入れた。

 

 

 *

 

 

 テルスの街に戻った一行は、その足で冒険者ギルドへと向かった。

 夕刻のギルドは、一日の仕事を終えた冒険者たちでごった返している。

 酒の匂いと、脂っこい食事の匂い。喧騒と熱気。

 迷宮の張り詰めた空気とは違う、俗っぽくも安心できる日常の空気がそこにはあった。

 

「おや、お帰りなさい。今日は早かったですね」

 

 カウンターで迎えたのは、馴染みの受付嬢だった。

 蒼介たちが第20層に挑んでいることは知っているはずだが、まさか今日中に決着がついているとは思っていないのだろう。

 

「ああ、報告がある。……第20層の主、討伐完了だ」

 

 蒼介がさらりと言うと、受付嬢の動きがピタリと止まった。

 周囲で聞き耳を立てていた冒険者たちの会話も、波が引くように静まり返る。

 

「は……? い、今、なんと?」

「エンシェント・トレントを倒したって言ったんだ。素材の一部も回収してきた」

 

 蒼介は背負っていた麻袋をカウンターにドスンと置く。

 中から転がり出たのは、鋼鉄のように硬い樹皮と、微かに魔力を帯びた枝の一部だ。

 それを見た瞬間、ギルド内が爆発したような騒ぎになった。

 

「おい、マジかよ! エンシェント・トレントだぞ!?」

「あの『逆さ大樹』の主を、たった二人で!?」

「銅級だぞ? いや、銀に上がったばかりか……それにしても異常だろ!」

 

 驚愕と称賛、そして少なからぬ畏怖の視線が突き刺さる。

 第10層の主に続き、第20層の主までも。

 しかも、通常は熟練のパーティが複数で挑むような難所を、ルーキー同然の二人が突破したのだ。

 その事実は、蒼介たちの評価を決定的なものに変えようとしていた。

 

(ま、B-ランクならこれくらい普通なんだけどな……なんてな)

 

 蒼介は内心で肩をすくめる。

 現代ダンジョンでの経験と、ナノマシンの補助、そして何よりセレスという破格の火力とリリアの知識があってこその勝利だ。

 決して自分一人の力ではないが、それでも、もはや新人ではないことは証明できただろう。

 

「か、確認いたします! すぐにギルドマスターへ報告を……!」

 

 受付嬢が慌てて奥へと走っていく。

 待たされている間、蒼介とセレスは顔を見合わせた。

 

「騒ぎになったな」

「当然だ。エッケハルト家の名に恥じぬ戦果だ。……もっとも、あの男の介入がなければ危なかったがな」

 

 セレスが声を潜めて言う。

 フェイル。

 あの謎の白金級冒険者のことだ。

 報告では、彼の介入については伏せることにしていた。

「通りすがり」を自称する彼が、自分の手柄を主張するとは思えないし、何よりあの男に関わることで余計なトラブルを招きたくなかったからだ。

 ギルドには「自分たちの総力戦で倒した」と報告し、最後の一撃については、セレスの雷撃による破壊と、蒼介が持ち込んだ爆発性のアイテムによるものだとあやふやに説明するつもりだった。

 

『あの聖水……やはり気になりますわね』

 

 リリアの声が、蒼介の脳内に響く。

 

『あれほどの高純度の浄化液、現代の技術で作れるものなのでしょうか。まるで、私の生きていた時代の王家専属の錬金術師が作ったもののようでした』

(王家秘伝、ってやつか。……あいつ、何者なんだろうな)

 

 ただ強いだけの冒険者ではない。

 古い知識や、失われた技術を持っている可能性。

 敵に回せば厄介極まりないが、今のところ明確な敵対行動は取っていない。

 不気味な存在だ。

 

「お待たせしました!」

 

 戻ってきた受付嬢が、興奮冷めやらぬ様子で告げた。

 

「素材の確認と、討伐の認定が完了しました! これにより、お二人のギルドランクへの貢献度は大幅に上昇します。……それと、これは今回の討伐報酬と、素材の買い取り金です」

 

 差し出された革袋はずっしりと重い。

 金貨の輝きに、蒼介の頬が緩む。

 命がけの対価としては安いくらいだが、それでも当面の活動資金と装備のメンテナンス費には十分だ。

 

「ありがとよ。……行こうぜ、セレス。今日は奢るぞ」

「ほう? 奇遇だな。私も同じことを考えていた。割り勘で豪遊といこう」

 

 二人はギルドを後にする。

 背中に浴びる視線は、もはや侮りではなく、英雄を見るような熱を帯びていた。

 

 

 *

 

 

 街の一角にある、冒険者御用達の酒場『竜のあくび亭』。

 安酒でくだを巻く荒くれ者が多い店だが、料理の味は確かで、特に肉料理には定評がある。

 蒼介たちは奥のテーブル席を陣取り、エールと大量の料理を注文した。

 

「第20層突破に……乾杯!」

「乾杯!」

 

 木のジョッキがぶつかり合い、琥珀色の液体が飛沫を上げる。

 喉を鳴らしてエールを流し込むと、疲れた身体にアルコールと炭酸が染み渡っていく。

 

「くぅーッ! 生き返る!」

「ふぅ……やはり戦いの後の酒は格別だな」

 

 セレスも上品さを保ちつつも、豪快にジョッキを空ける。

 運ばれてきたのは、厚切りのステーキ、香草で焼いた鳥の丸焼き、山盛りのポテト、そして新鮮な野菜のサラダ。

 二人は競うようにフォークを伸ばし、胃袋を満たしていく。

 

「それにしても、あのトレント……硬かったな。俺のナイフじゃ歯が立たなかった」

「私の剣もだ。枝はともかく幹は雷撃を纏わせてようやく傷がつく程度。……次の階層からは、装備の見直しも必要かもしれん」

 

 セレスがステーキを切り分けながら真面目な顔で言う。

 第21層以降は、敵の強さは跳ね上がり、環境もより過酷になる。

 今の装備のままでは、いずれ限界が来るだろう。

 

『そうですわね。特にソウスケさんの武器は、そろそろ限界かもしれません。ミスリルか、あるいは魔鉄製のナイフを調達すべきですわ』

「だな。この金で新調するか……」

 

 蒼介は報酬の入った袋を撫でる。

 金は使うためにある。生き残るための投資なら惜しくはない。

 

「次は第21層……【濃霧と幻影の回廊】だったか」

 

 蒼介が話題を変える。

 ギルドの情報によれば、そこは常に濃い霧に覆われ、視界が極端に悪いエリアだという。

 物理的な罠だけでなく、精神を惑わす幻影や、音もなく忍び寄る暗殺者タイプの魔物が出没するらしい。

 

「霧か。私の雷魔法とは相性が悪そうだ。下手に撃てば自分たちまで巻き込みかねん」

「逆に言えば、俺の出番ってことだ」

 

 蒼介はニヤリと笑う。

 視界が悪いということは、目視に頼る普通の冒険者にとっては致命的だ。

 だが、蒼介には【探知(サーチ)】がある。

 魔力、熱源、振動、音波。あらゆる情報を統合して周囲を立体的に把握するそのスキルは、視界ゼロの状況下でこそ真価を発揮する。

 

「お前の眼が頼りだ、ソウスケ。……正直、あの霧の話を聞いて少し不安だったのだが、お前がいれば何とかなりそうな気がする」

「任せとけ。俺が全部丸裸にしてやるよ」

「言い方!」

 

 セレスが呆れたようにツッコミを入れ、二人は笑い合う。

 以前なら、こんな軽口を叩くこともなかっただろう。

 死線を越えるたびに、二人の距離は縮まり、パーティとしての完成度は高まっていた。

 

「……リリアも、食えたらいいのにな」

 

 ふと、蒼介がテーブルの上の料理を見て呟く。

 ペンダントの中のリリアには、食事の味も香りも届かない。

 ただ、二人が食べている様子を見ているだけだ。

 

『お気遣いなく。貴方たちが美味しそうに食べているのを見るだけで、私も満たされますもの』

 

 リリアは明るく答えるが、その声には微かな寂しさが混じっているのを、蒼介は聞き逃さなかった。

 

(絶対に、元の身体に戻してやるからな)

 

 蒼介は心の中で固く誓う。

 元の世界に帰るため。そして、この相棒たちに報いるため。

 大迷宮の最深部、そこにあるという「願い」の力。

 それを手に入れるまでは、止まるわけにはいかない。

 

「よし、食ったら寝るぞ! 明日は装備を整えて、明後日には21層へ突入だ! つっても最初は様子見にしとこうぜ」

「ああ。ひとまずは英気を養っておこう」

 

 夜は更けていく。

 束の間の休息と祝杯は、次なる戦いへの活力へと変わっていった。

 

 ◇

 

 二日後。

 装備のメンテナンスと補充を終えた蒼介とセレスは、再び大迷宮の前に立っていた。

 蒼介の腰には、新調した魔鉄製のナイフが二本差さっている。

 切れ味と耐久性が段違いで、微量の魔力を通す性質がある。ナノマシンとの相性も悪くない。

 セレスも鎧の傷を修復し、予備の魔力ポーションを買い込んでいた。

 

「準備万端、だな」

「ああ。体調も万全だ」

 

 二人は第20層の転移門を使い、一気に最深部――第21層への入り口へと移動する。

 かつて死闘を繰り広げたエンシェント・トレントの亡骸は、既にダンジョンの自浄作用によって吸収され、跡形もなくなっていた。

 まだ再湧き(リポップ)もしていないようだ。

 ただ、その場所に残る深い爪痕だけが、あの激闘を物語っている。

 

 ゲートの前に立つ。

 渦巻く光の向こう側から、ひやりとした湿った空気が流れてくるのが分かった。

 

「行くぞ」

「うむ」

 

 短い言葉を交わし、二人は光の中へと足を踏み入れる。

 一瞬の浮遊感。

 そして、視界が切り替わった。

 

 そこは、白一色の世界だった。

 

「……これが、【濃霧と幻影の回廊】か」

 

 セレスが眉をひそめて周囲を見渡す。

 数メートル先すら見通せない、乳白色の濃霧。

 天井も壁も見えず、自分がどこに立っているのかさえ曖昧になるような感覚。

 肌にまとわりつく湿気は冷たく、どこか生臭い。

 そして何より不気味なのは、音がないことだ。

 自分たちの足音すらも霧に吸い込まれ、世界から切り離されたような孤独感が漂っている。

 

『ソウスケさん……気をつけてください。この霧、ただの水蒸気ではありません』

 

 リリアの警告が響く。

 

『微弱ですが、幻覚作用のある魔力が含まれています。長時間吸い続けると、方向感覚や平衡感覚を狂わされますわ』

「なるほど、厄介な場所だな」

 

 蒼介はハンカチで口元を覆うと、意識を集中させた。

 ナノマシン起動。

探知(サーチ)】、展開。

 

 ブゥン……。

 

 脳内の視界が一変する。

 白い霧がワイヤーフレームのグリッドに置き換わり、地形情報が構築されていく。

 壁の位置、通路の分岐、床の段差。

 そして――。

 

「いるな」

 

 蒼介は霧の奥、肉眼では絶対に見えない位置を指差した。

 赤い光点が三つ。

 こちらを伺うように、ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてきている。

 

「右前方、15メートル。人型……いや、少し違うか。何かが這うように近づいてきてる」

「流石だな。私には何も見えんし、気配も感じられん」

 

 セレスが剣を抜き、蒼介の示した方向へ切っ先を向ける。

 彼女の表情に迷いはない。蒼介の眼を完全に信頼している証拠だ。

 

「行くぞ、セレス。霧中戦のレクチャーの時間だ」

「ふん、手本を見せてみろ」

 

 蒼介もナイフを抜き、低く構える。

 視界ゼロの迷宮。

 だが、今の彼らにとって、それは障害ではない。

 逆さ大樹の激闘を経て、彼らは本当のパーティへと進化したのだ。

 

 霧の奥から、湿った音が響き始める。

 新たな階層、新たな試練。

 二人の冒険者は、恐れることなくその白い深淵へと足を踏み出した。

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