異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第47話 霧中の囁き

「ギギギ……アソボ……アソボウヨ……」

 

 天井に張り付いた少女の形をした異形が、重力を無視して首を百八十度回転させる。

 のっぺらぼうの顔にある黒い空洞が、不気味に蠢いた。

 その瞬間、彼女の背中からどす黒い霧が噴き出し、瞬く間にホールの視界を奪っていく。

 それは単なる目くらましではない。肌に触れた瞬間にざわりと粟立つような、濃密な殺意と魔力が込められた毒の霧だ。

 

「来るぞ! 上だ!」

 

 蒼介が鋭く警告を発すると同時に、頭上から殺気が雨のように降り注ぐ。

 ヒュンッ!

 風切り音と共に、巨大な大鎌が蒼介の立っていた場所を薙ぎ払った。

 蒼介は【迅速(ブースト)】を発動させ、知覚速度を強制的に引き上げる。スローモーションになった世界で、迫りくる錆びついた刃の軌道を見切り、バックステップで紙一重の回避を見せる。

 

 ガガガガッ!

 

 石畳がまるで豆腐のように切り裂かれ、火花が散った。石片が弾丸のように頬をかすめる。

 

「速い……!」

 

 セレスが槍を突き出すが、少女の姿はすでにそこにはない。

 着地した音すらなく、再び霧の中へと姿を消し、気配を断っていた。

 

「キヒッ、キヒヒヒッ!」

 

 嘲笑うような声が、四方八方から反響して聞こえる。

 霧のスクリーンに、無数の少女の影が映し出された。どれが本物で、どれが幻影か、肉眼では判別がつかない。

 影たちは一様に大鎌を構え、奇怪な踊りを踊るようにゆらゆらと揺れている。

 

『ソウスケさん! 気をつけて! この霧、先ほどまでのものよりさらに幻惑作用が強いですわ!』

 

 リリアの焦燥した声が響く。

 

『魔力の波長が乱されています。空間そのものが歪められているような……私の感知能力でも、正確な位置が掴めません!』

「チッ、認識阻害かよ。厄介な」

 

 蒼介も舌打ちする。脳内の視界――ナノマシンが構築するARマップにも、大量のノイズが走っていた。

 敵は、この霧そのものを操り、自分たちに有利なフィールドを作り上げている。

 ただでさえ視界が悪い第21層で、さらに認識を狂わされるのは致命的だ。

 

「セレス、背中を合わせろ! 視覚に頼るな! 聴覚もだ! 肌で感じる殺気だけに集中しろ!」

「くっ、無茶を言う……!」

 

 二人は背中合わせになり、全方位を警戒する。

 霧の中から、不意に鎖のような音が響いた。

 ジャララッ!

 

「右か!?」

 

 セレスが槍を向ける。だが、そこには何もない。

 直後、逆方向から本物の鎖が射出された。

 

「しまっ――!?」

 

 反応が遅れたセレスの足首に鎖が巻き付く。

 強い力で引きずり倒され、彼女の身体が霧の闇へと持っていかれる。

 

「セレス!」

「うわぁぁぁッ!」

 

 蒼介がナイフを投擲し、鎖を断ち切ろうとするが、鎖は実体を失って霧散した。

 幻影か!

 だが、セレスが転倒し、体勢を崩したという事実は変わらない。

 無防備になった彼女の頭上、何もない空間から、実体を持った大鎌が音もなく具現化し、振り下ろされる。

 

「バイバァアァイイィイ!」

 

 異形の絶叫。

 セレスは槍の柄を盾にするのが精一杯だ。仰向けの不安定な体勢では、あの一撃を受け止めきれない。

 

「させるかよッ!」

 

 蒼介が地面を蹴る。

 【迅速(ブースト)】による再加速。

 全身の筋肉が悲鳴を上げるのを無視し、彼はセレスを庇うように滑り込んだ。腰のベルトから抜いたもう一本のナイフと、逆手に持ったナイフを交差させ、大鎌の刃をガッチリと受け止める。

 

 ガギィィィン!

 

 重い。

 まるで鉄骨が頭上から落ちてきたような理不尽な衝撃が、蒼介の腕を軋ませる。

 ナノマシンが筋繊維の断裂を防ぐためにフル稼働し、骨格を補強するが、それでも膝が地面にめり込む。

 

「ソウスケ!」

「早く立て! こいつ、見た目に似合わずとんでもねえ馬鹿力だ!」

 

 蒼介が歯を食いしばって大鎌を弾き返す。

 火花が顔の近くで爆ぜる。

 処刑人は「チッ」と人間臭い舌打ちをし、再び天井へと跳躍した。

 まるで重力がないかのような動きだ。

 攻守が入れ替わる。

 今度はセレスが立ち上がり、怒りの形相で魔力を練り上げる。

 

「よくも……! 『ウィンド・カッター』!」

 

 真空の刃が天井へ向けて放たれる。

 だが、処刑人は軟体動物のように身体をありえない角度に折り曲げ、その全てを回避する。

 そして、天井を這い回りながら、再び霧を濃くしていく。

 

「ミエナイ……ミエナイデショ……?」

 

 不快な声が、鼓膜ではなく脳内に直接響く。

 精神干渉系の攻撃だ。

 セレスの目が一瞬虚ろになり、槍の切っ先がふらつく。

 彼女の脳裏に、嫌な記憶がフラッシュバックする。

 実家の厳しい修練、期待に応えられなかった時の父の冷たい目、そして、初めて部下を死なせた時の絶望感。

 

「いけない……! 集中を、乱されるな……!」

『セレスさん、しっかりなさい! それは敵が見せている幻覚ですわ! 心を強く持って!』

 

 リリアが必死に呼びかけるが、セレスは苦悶に表情を歪める。

 物理攻撃と精神攻撃の波状攻撃。

 この魔物は、冒険者を狩ることに特化しすぎている。

 

「クソッ、メンタル攻撃まで持ってんのかよ。趣味の悪いやつだ」

 

 蒼介は自分の精神をナノマシンの安定化プログラムで強制的に鎮静させつつ、【探知(サーチ)】の出力を限界まで引き上げる。

 ノイズだらけの視界の中で、彼は必死に違和感を探す。

 敵は高速で移動し続けている。

 霧に紛れ、幻影を生み出し、こちらの精神を削りながら、致命の一撃を入れる隙を窺っている。

 

(パターンを読め。必ず癖がある。攻撃に移る瞬間のタメ、魔力の集束、空気の流れ……)

 

 蒼介は冷静に情報を分析する。

 幻影が現れる位置。

 声が聞こえる方向。

 そして、実体攻撃が来るタイミング。

 ナノマシンの演算速度を上げ、敵の行動ログを蓄積していく。

 

 ――見えた。

 

 蒼介の目が、霧の一点を射抜く。

 右後方、死角となる崩れた柱の陰。

 そこに、微かな空気の揺らぎと、濃密な殺気が凝縮した。

 奴は、攻撃の瞬間にだけ実体化し、その直前に必ず足場を作るために魔力を放出する。

 

「セレス、右だ! 『サンダー・ボルト』を撃て! 照準は俺が合わせる!」

「え……? しかし、あそこには何も……」

「いいから撃てッ! 俺を信じろ!」

 

 蒼介の怒号に近い指示が、セレスの意識を現実に引き戻す。

 彼女は迷いを捨て、蒼介が示した方向へ掌を向けた。

 騎士としてのプライド、そして何より、背中を預ける相棒への信頼が、恐怖をねじ伏せる。

 

「はぁぁッ! 『サンダー・ボルト』!!」

 

 紫電一閃。

 放たれた雷撃が、何もないはずの霧の空間を貫く。

 バチバチバチッ!

 雷光が霧を照らし出し、そこに潜んでいた影を浮かび上がらせる。

 

「ギャァァァァッ!?」

 

 断末魔のような悲鳴と共に、黒焦げになった処刑人が姿を現し、地面に叩きつけられた。

 隠身を見破られ、攻撃動作に入る直前の無防備な状態で直撃を受けたのだ。

 雷撃による麻痺で、身体が激しく痙攣している。

 大鎌がカランと音を立てて転がった。

 

「今だ! 畳み掛けるぞ!」

 

 蒼介が駆ける。

 麻痺して動けない処刑人の懐に飛び込み、ナイフを喉元の黒い空洞へと突き立てる。

 

「アソ、ボ……マダ、アソ……」

「遊びは終わりだ。地獄でやってな!」

 

 ドスッ!

 確かな手応え。

 ナイフを通じて、ナノマシンが敵の核を破壊する振動が伝わってくる。

 異形は激しくのたうち回り、やがてその輪郭を保てなくなり、黒い霧となって霧散していった。

 後には、折れた大鎌の残骸と、赤黒く脈動する大きな魔石だけが残された。

 

「……ふぅーっ。……はぁ、はぁ……」

 

 蒼介はその場に膝をつく。

 ナノマシンのエネルギー残量警告が視界の隅で点滅している。

 【迅速(ブースト)】の連続使用と、大鎌を受け止めた時の負荷が大きすぎた。全身の筋肉が熱を持ち、鉛のように重い。

 

「ソウスケ、大丈夫か?」

 

 セレスが駆け寄ってくる。

 彼女も顔色は蒼白だが、先ほどの精神攻撃の後遺症からは立ち直ったようだ。だが、足取りは覚束ない。

 

「ああ……なんとかな。そっちは? 怪我はないか?」

「私は……お前がいなければ、危なかった。あの声……幻聴に、心を食われるところだった」

 

 セレスは悔しげに唇を噛み、震える手で槍を握りしめる。

 騎士として、精神面での脆さを露呈してしまったことが許せないのだろう。

 

「気にするな。あいつはそういう敵だ。初見殺しってやつだよ。それに、最後の雷撃は見事だったぜ。あれがなけりゃやられてた」

「……フン、お前の指示が的確すぎただけだ。私一人では、影を追うだけで終わっていただろう」

 

 セレスは照れ隠しのように顔を背け、落ちている魔石を拾い上げた。

 中ボス級の魔石だけあって、ずしりと重く、禍々しくも強い魔力を秘めている。

 

『お二人とも、本当にお疲れ様でした。霧が……晴れていきますわ』

 

 リリアの安堵した声が響く。

 処刑人が倒されたことで、ホールを覆っていた異常な濃霧が徐々に薄まっていく。

 完全に消えるわけではないが、視界を遮るほどの白濁は失せ、ホールの全貌が見えてきた。

 

 そこは、円形の闘技場のような空間だった。

 床には夥しい傷跡と、古い血痕。

 そして、壁際には無数の冒険者の装備品が散乱していた。

 錆びついた剣、砕かれた鎧、朽ち果てた杖。

 ここが、どれほどの冒険者たちの墓場となってきたか、雄弁に物語っていた。

 

「……彼らの無念を、これで少しは晴らせただろうか」

 

 セレスが沈痛な面持ちで呟く。

 蒼介も無言で頷く。

 この階層の幻影は、残留思念だと言っていた。あの魔物はその思念を集め、喰らい、力に変えていたのだろう。

 

「行こう。この先に出口があるはずだ」

 

 蒼介が立ち上がる。

 二人は重い足取りで、ホールの奥にある通路へと進む。

 通路の先には、青白い光を放つ転移門が鎮座していた。

 その台座には「第22層」を示す刻印と、街への帰還機能を示すルーン文字が刻まれている。

 第21層の出口であり、第22層への入り口だ。

 

「やっと……着いたか」

 

 蒼介が深い安堵の息を漏らす。

 これを使えば、次の階層へ進むこともできるが、今のボロボロな状態で進むのは自殺行為だ。

 

「どうする? 進むか?」

 

 蒼介が冗談めかして聞く。

 

「冗談だろう。魔力も体力も空だ。それに、精神的にも疲弊しきっている。今日はここまでにして、街で泥のように眠りたい気分だ」

「まあ、俺も同感だ。それに、装備の修繕も必要だしな」

 

 セレスが傷ついた鎧の肩部分を撫でる。処刑人の幻影攻撃によってつけられた傷ではないが、以前のミスト・クローラー戦での細かい傷や、転倒した際の打撲など、満身創痍に近い。

 

「リリアはどうだ? まだ調べたいことはあるか?」

『いいえ。この階層の特異性は十分に理解できましたわ。それに……これ以上、あのような悲しい幻影を見るのは、少し心が痛みすぎます』

 

 リリアの声にも疲れが滲んでいる。

 彼女にとって、かつて守るべき民や、勇敢な冒険者たちの成れの果てを見ることは、精神的な消耗を強いるものだった。

 

「よし、満場一致で『帰還』だ」

 

 蒼介がポータルの操作盤に手を触れると、ゲートが低い駆動音を立て、光の渦を巻き始めた。

 帰還の座標は、始まりの街テルスの広場に設定されている。

 

「帰ったら、一番高い肉料理を食うぞ。奢りだ」

「ほう、それは楽しみだ。では私は、極上のワインを注文させてもらおう」

「おいおい、手加減しろよ?」

 

 軽口を叩き合いながら、二人は光の中へと足を踏み入れる。

 視界が白く染まり、第21層の湿った不快な空気から解放されていく。

 身体が浮遊感に包まれ、次の瞬間には、見慣れた石造りの広場の喧騒の中に立っていた。

 

 

 

 夕暮れ時のテルスの街。

 屋台から漂う香ばしい匂い、冒険者たちの笑い声、鍛冶屋の槌音。

 それら全てが、生きて帰ってきたことを実感させてくれる。

 蒼介はその場に座り込みたい衝動を抑え、大きく伸びをした。

 

「ぷはぁっ! 空気がうめえ!」

「ああ……生き返る心地だ」

 

 セレスも兜を脱ぎ、汗ばんだ金髪をかき上げる。

 その横顔には、疲労と共に、確かな達成感が浮かんでいた。

 初見ながら第21層の難所を突破し、22層のポータルまで進めたのだ。十分すぎる戦果と言える。

 

 ひとまず蒼介たちは、ギルドで魔石の換金と報告を済ませることにした。

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