異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~ 作:九泉
石造りの広場に夕闇が迫っていた。
カラン、コロンと乾いた鐘の音が、始まりの街テルスに一日の終わりを告げている。
ポータルから吐き出された蒼介とセレスは、しばらくその場から動けずにいた。
石畳の硬い感触が、足裏を通して現実感を伝えてくる。
第21層の、あの湿り気を帯びた不快な霧の感触はない。肺を満たすのは、夕餉の支度をする家々から漂う薪の燃える匂いと、活気ある人々の熱気だ。
「……帰ってきたな」
蒼介が深々と息を吐き出す。
緊張の糸が切れた途端、鉛のような疲労感が全身にのしかかってきた。ナノマシンの【
隣のセレスも、重い溜め息をついて兜を小脇に抱え直していた。金色の髪が汗で額に張り付いているが、その碧眼には安堵の色が浮かんでいる。
「ああ……地獄の淵から生還した気分だ」
「大袈裟じゃねえよな、あそこは。視界ゼロ、聴覚騙し、おまけに精神攻撃持ちの敵だ。二度と行きたくねえ」
『あら、弱気ですわねソウスケさん。まだ攻略は始まったばかりですわよ?』
腰のペンダントから、リリアの鈴を転がしたような声が響く。
彼女の声にも、どこかホッとしたような響きがあった。霧の中での彼女は、常に張り詰めていたからだ。
「へいへい。まずは腹ごしらえだ。約束通り、一番高い肉料理を食いに行くぞ」
「賛成だ。今の私なら、ドラゴン一頭分くらいは食らえる気がする」
二人は重い足を引きずりながら、冒険者ギルドへと向かう大通りを歩き出した。
ギルドで戦利品の換金を済ませてからでないと、その「一番高い肉」にありつけないからだ。
*
冒険者ギルドの扉をくぐると、むせ返るような酒の匂いと喧騒が二人を出迎えた。
夕方のこの時間は、迷宮から帰還した冒険者たちで最も賑わう。
依頼達成の祝杯をあげる者、怪我の手当てを相談する者、明日のパーティメンバーを探す者。
その熱気の中を、蒼介とセレスはカウンターへと進む。
二人の姿は、一目で激戦を潜り抜けてきたとわかるほどボロボロだった。セレスの鎧には無数の擦り傷があり、蒼介の革鎧も所々が裂けている。だが、それ以上に周囲の視線を集めたのは、二人が纏う独特の空気感だったかもしれない。
「おい、あれ……」
「ああ、間違いない。あの二人組だ」
周囲からひそひそとした話し声が聞こえる。
蒼介は眉をひそめた。
(なんだ? いつもより視線が)
これまでは「魔法が使えない銅級の変わり者」という、ある種の色物を見る目だった。だが、今の視線には、明らかな畏怖と好奇心が混じっている。
カウンターに魔石を置く。
ゴロリ、と転がったのは、第21層の中ボス級である処刑人の魔石だ。
赤黒く脈打ち、禍々しい魔力を放つその石を見て、受付嬢が小さく息を呑んだ。
「こ、これは……第21層の『彷徨う処刑人』の魔石ですね……? 確認いたします」
受付嬢の手際よい鑑定作業を待ちながら、蒼介はカウンターに肘をつく。
背後での噂話が、耳に入ってきた。
「聞いたか? あの霧の階層、最近さらに濃くなってたらしいぜ」
「ああ、何組も行方不明者が出てるって話だろ? 俺の知り合いのパーティも、怖気づいて引き返してきたって言ってた」
「だけどよ、今日、その霧が一気に晴れたって」
「マジか? 自然現象じゃねえのか?」
「いや、違う。誰かが変異個体を狩ったんだよ」
「あの視界最悪のクソ階層でか!?」
「既に『霧殺し』……そう呼ばれてるらしいぜ」
(……霧殺し、だぁ?)
蒼介は顔をしかめた。
なんとも安直で、中二病心をくすぐるような、それでいて恥ずかしい二つ名だ。
隣を見ると、セレスがまんざらでもない顔でふんぞり返っている。
「フン、霧殺しか。悪くない響きだ。我が剣技とソウスケの、えーと、なんだ、あの奇妙な探知能力の賜物だな」
「おい声がデカい。恥ずかしいからやめろ」
『ふふっ、皆様の注目の的ですわね。頼もしい限りですわ』
(リリアまで面白がるなよ……)
査定が終わり、革袋に入った金貨を受け取る。
予想以上の額だった。第20層突破の報奨金も上乗せされているらしい。
懐が温かくなったところで、二人はギルド併設の酒場エリアへと移動した。
奥のテーブル席を確保し、厚切りオーク肉のステーキと約束の赤ワインを注文する。ついでに蒼介はエールを頼んだ。
運ばれてきた料理は、焼きたての肉汁が鉄板の上で踊り、食欲をそそる香りを撒き散らしている。
「乾杯」
「うむ、乾杯だ」
ジョッキとグラスを軽く合わせ、喉を潤す。
冷えたエールが乾いた喉を駆け抜け、胃の腑に染み渡る。
生きている、と実感する瞬間だ。
「くぅーっ! これのために生きてるようなもんだな」
「全くだ。……この肉も絶品だぞ。柔らかい」
セレスは上品な所作ながらも、猛烈な勢いで肉を口に運んでいる。育ちの良さと野性味が同居しているのが彼女らしい。
蒼介もナイフを入れる。ナノマシンのエネルギー補給にはカロリーが必要だ。
「しっかし、あの『霧殺し』ってのはどうにかなんねえかな。いくらなんでも噂が広まるのが早すぎるだろ。俺らが帰還したばかりだってのに、なんでもうあんなに」
「冒険者の耳は地獄耳だからな。それに、第21層は難所として有名だった。そこを突破したとなれば、注目されるのも無理はない」
セレスはワイングラスを揺らしながら、少し頬を赤らめて続ける。
「それに、私は嬉しいぞ。お前と共に挙げた戦果が、こうして認められるのはな」
「……お前なぁ、素面でそういうこと言うなよ」
蒼介が照れ隠しにエールを煽っていると、不意にテーブルに影が差した。
「失礼、少々よろしいでしょうか」
落ち着いたバリトンボイス。
顔を上げると、そこにはギルドの制服を着た初老の男性が立っていた。胸には、一般職員とは違う、管理職を示すバッジが輝いている。
ギルドの運営に関わる人間が、食事中の冒険者に声をかけるのは珍しい。
「……なんだ? 依頼の未達も、規則違反もしてないはずだが」
蒼介が警戒心を露わにすると、男性は穏やかに微笑んで首を振った。
「いえいえ、咎めに来たわけではありません。むしろ逆です。カミヤ・ソウスケ様、そしてセレスティーナ・エッケハルト様ですね。第21層でのご活躍、耳にしております」
「ほう、ギルドの上層部まで届いているのか」
「ええ。『霧殺し』のお二方といえば、今や注目の的ですから」
男性は一度言葉を切り、周囲の喧騒を気にするように声を潜めた。
「実は、折り入ってご相談したい『依頼』がございます。場所を変えてお話しできませんか?」
「依頼? 俺たちは今、帰ってきたばかりでね。休暇中なんだが」
「重々承知しております。ですが、これはお二人にしか……いえ、第21層を突破したお二人にしか頼めない、緊急の案件なのです」
緊急、という言葉に、セレスの表情が引き締まる。騎士の性分として、緊急事態を見過ごせないのだろう。
蒼介は溜め息をつき、残りの肉を口に放り込んだ。
「……話を聞くだけだぞ。受けるかどうかは内容次第だ」
「感謝します。では、お食事の後で結構ですので、応接室へ」
*
二人が通されたのは、ギルドの二階にある静かな応接室だった。
革張りのソファに座ると、男性が、一枚の羊皮紙をテーブルに広げた。
「単刀直入に申し上げます。第21層【濃霧と幻影の回廊】にて、ある冒険者パーティが消息を絶ちました。彼らの捜索、および救助をお願いしたいのです」
やはりか、と蒼介は思った。
緊急の依頼といえば、相場は決まっている。行方不明者の捜索か、スタンピードの阻止だ。
「消息を絶ったのはいつだ?」
「三日前です」
「三日前か……。生存確率は五分五分ってところか」
シビアな蒼介の言葉に、課長は苦渋の表情で頷く。
「彼らは『銀の翼』という中堅パーティでした。実力は確かで、第20層までは順調に攻略していたのですが……あの霧には勝てなかったようです」
「第21層の霧は、視界を奪うだけではない。精神を蝕み、幻影を見せ、同士討ちを誘発させる厄介な代物だ」
セレスが実体験を込めて語る。
つい先ほどまで、自分たちもその霧の中で死闘を繰り広げていたのだ。あの『処刑人』のような魔物が徘徊しているとなれば、普通の銀級パーティでは全滅してもおかしくない。
「他のパーティに依頼はしなかったのか?」
「打診はしました。ですが……第21層の悪名は轟いています。ましてや行方不明者が出た直後です。二の足を踏む者が多く、高ランクの冒険者は現在、他国への遠征や深層の攻略に出払っておりまして」
課長は縋るような目で二人を見た。
「そこへ、お二人が『霧』を晴らし、帰還したという報告が入ったのです。今のテルスで、あの階層の構造と脅威を最もよく知る者は、貴方たちをおいて他にいません」
理屈は通っている。
だが、蒼介としては首を縦に振りづらい。
自分たちは満身創痍だ。ナノマシンのエネルギーも底をつきかけているし、精神的にも休養を欲している。
何より、一度クリアしたからといって、安全になったわけではない。あの霧は、時間が経てばまた魔力溜まりから発生する。
(リスクが高すぎる。報酬が見合うかどうかも怪しいもんだ)
断ろうと口を開きかけた時、リリアの声が脳内に響いた。
『ソウスケさん。……受けましょう』
(おいおい、正気か? リリアだって疲れてるだろ。あの場所は、お前にとっても辛い記憶を呼び起こす場所なんじゃねえのか?)
『ええ、そうですわ。ですが……もし彼らがまだ生きているのなら、あの霧の絶望の中で救けを待っているのなら、見捨てることはできません。かつて、私の民がそうであったように……』
リリアの声は震えていたが、芯の通った強さがあった。
霧のような絶望の中に沈んでいった王国。救いの手が届かなかった過去。
それを重ねているのだろう。
「……ソウスケ」
セレスもまた、蒼介をじっと見つめていた。
その目は「行こう」と言っている。
お人好しの騎士様と、亡国の王女様。
どうやら、このパーティで一番の常識人かつ冷血漢を気取らなければならないのは、蒼介の役回りのようだ。
「……はぁ。わーったよ。俺が折れりゃいいんだろ」
蒼介は頭をガシガシと掻きむしり、課長に向き直った。
「条件がある」
「なんなりと」
「報酬の上乗せだ。それと、ポーション類……特に
「もちろんです! 倉庫にある在庫をすぐに手配させます!」
「それから、情報は全て寄越せ。『銀の翼』のメンバー構成、装備、癖、最後に目撃された場所。些細なことでもいい」
課長の顔がぱあっと明るくなる。
「引き受けて、いただけますか!」
「相棒たちがやる気になっちまったんでな。……乗りかかった船だ。とことん付き合うさ」
「……たち? いえ、感謝します! すぐに準備を!」
課長が慌ただしく部屋を出ていく。
残された二人と一つのペンダント。
「すまないな、ソウスケ。私のワガママに付き合わせて」
『ごめんなさい、ソウスケさん……』
「いいってことよ。それに、迷宮探索には金がかかる。稼げるときに稼いどくのも、シー……いや、冒険者の鉄則だ」
蒼介はニヤリと笑って見せたが、内心では覚悟を決めていた。
再び、あの霧の中へ。
今度は自分たちの生還だけでなく、他人の命を背負って。
「さあ、そうと決まれば準備だ。ポーションがぶ飲みしてすぐに行くぞ」
「うむ! 休息は取れなかったが、気力は充実している!」
一時間後。
蒼介とセレスは、再び第21層の転移門の前に立っていた。
ギルドから支給された物資をバックパックに詰め込み、装備の点検も済ませている。
ポータルの青白い光が、二人の顔を照らし出す。
「行くぞ。今度は捜索戦だ。戦闘は極力回避し、痕跡を見つけることに集中する」
「了解だ。お前の【
セレスが頼もしく槍を掲げる。
蒼介は苦笑しながら、ナノマシンのモードを戦闘用から索敵強化用へと切り替えた。
(【
視界にARマップが展開され、周囲の魔力情報が流れ込んでくる。
準備は完了した。
「よし、いくぞ」
二人は同時に、光の渦の中へと足を踏み入れた。
視界が反転し、テルスの街の喧騒が遠のいていく。
代わりに肌にまとわりついてきたのは、あの冷たく、湿った、死の匂いのする霧だった。
第21層【濃霧と幻影の回廊】。
『霧殺し』たちの、二度目の挑戦が始まった。