異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第48話 『霧殺し』の噂

 石造りの広場に夕闇が迫っていた。

 カラン、コロンと乾いた鐘の音が、始まりの街テルスに一日の終わりを告げている。

 ポータルから吐き出された蒼介とセレスは、しばらくその場から動けずにいた。

 石畳の硬い感触が、足裏を通して現実感を伝えてくる。

 第21層の、あの湿り気を帯びた不快な霧の感触はない。肺を満たすのは、夕餉の支度をする家々から漂う薪の燃える匂いと、活気ある人々の熱気だ。

 

「……帰ってきたな」

 

 蒼介が深々と息を吐き出す。

 緊張の糸が切れた途端、鉛のような疲労感が全身にのしかかってきた。ナノマシンの【自己修復(リペア)】がバックグラウンドで損傷箇所の修復に回っているとはいえ、精神的な摩耗までは埋め合わせられない。

 隣のセレスも、重い溜め息をついて兜を小脇に抱え直していた。金色の髪が汗で額に張り付いているが、その碧眼には安堵の色が浮かんでいる。

 

「ああ……地獄の淵から生還した気分だ」

「大袈裟じゃねえよな、あそこは。視界ゼロ、聴覚騙し、おまけに精神攻撃持ちの敵だ。二度と行きたくねえ」

『あら、弱気ですわねソウスケさん。まだ攻略は始まったばかりですわよ?』

 

 腰のペンダントから、リリアの鈴を転がしたような声が響く。

 彼女の声にも、どこかホッとしたような響きがあった。霧の中での彼女は、常に張り詰めていたからだ。

 

「へいへい。まずは腹ごしらえだ。約束通り、一番高い肉料理を食いに行くぞ」

「賛成だ。今の私なら、ドラゴン一頭分くらいは食らえる気がする」

 

 二人は重い足を引きずりながら、冒険者ギルドへと向かう大通りを歩き出した。

 ギルドで戦利品の換金を済ませてからでないと、その「一番高い肉」にありつけないからだ。

 

 

 *

 

 

 冒険者ギルドの扉をくぐると、むせ返るような酒の匂いと喧騒が二人を出迎えた。

 夕方のこの時間は、迷宮から帰還した冒険者たちで最も賑わう。

 依頼達成の祝杯をあげる者、怪我の手当てを相談する者、明日のパーティメンバーを探す者。

 その熱気の中を、蒼介とセレスはカウンターへと進む。

 二人の姿は、一目で激戦を潜り抜けてきたとわかるほどボロボロだった。セレスの鎧には無数の擦り傷があり、蒼介の革鎧も所々が裂けている。だが、それ以上に周囲の視線を集めたのは、二人が纏う独特の空気感だったかもしれない。

 

「おい、あれ……」

「ああ、間違いない。あの二人組だ」

 

 周囲からひそひそとした話し声が聞こえる。

 蒼介は眉をひそめた。

 

(なんだ? いつもより視線が)

 

 これまでは「魔法が使えない銅級の変わり者」という、ある種の色物を見る目だった。だが、今の視線には、明らかな畏怖と好奇心が混じっている。

 

 カウンターに魔石を置く。

 ゴロリ、と転がったのは、第21層の中ボス級である処刑人の魔石だ。

 赤黒く脈打ち、禍々しい魔力を放つその石を見て、受付嬢が小さく息を呑んだ。

 

「こ、これは……第21層の『彷徨う処刑人』の魔石ですね……? 確認いたします」

 

 受付嬢の手際よい鑑定作業を待ちながら、蒼介はカウンターに肘をつく。

 背後での噂話が、耳に入ってきた。

 

「聞いたか? あの霧の階層、最近さらに濃くなってたらしいぜ」

「ああ、何組も行方不明者が出てるって話だろ? 俺の知り合いのパーティも、怖気づいて引き返してきたって言ってた」

「だけどよ、今日、その霧が一気に晴れたって」

「マジか? 自然現象じゃねえのか?」

「いや、違う。誰かが変異個体を狩ったんだよ」

「あの視界最悪のクソ階層でか!?」

「既に『霧殺し』……そう呼ばれてるらしいぜ」

 

(……霧殺し、だぁ?)

 

 蒼介は顔をしかめた。

 なんとも安直で、中二病心をくすぐるような、それでいて恥ずかしい二つ名だ。

 隣を見ると、セレスがまんざらでもない顔でふんぞり返っている。

 

「フン、霧殺しか。悪くない響きだ。我が剣技とソウスケの、えーと、なんだ、あの奇妙な探知能力の賜物だな」

「おい声がデカい。恥ずかしいからやめろ」

『ふふっ、皆様の注目の的ですわね。頼もしい限りですわ』

(リリアまで面白がるなよ……)

 

 査定が終わり、革袋に入った金貨を受け取る。

 予想以上の額だった。第20層突破の報奨金も上乗せされているらしい。

 懐が温かくなったところで、二人はギルド併設の酒場エリアへと移動した。

 

 奥のテーブル席を確保し、厚切りオーク肉のステーキと約束の赤ワインを注文する。ついでに蒼介はエールを頼んだ。

 運ばれてきた料理は、焼きたての肉汁が鉄板の上で踊り、食欲をそそる香りを撒き散らしている。

 

「乾杯」

「うむ、乾杯だ」

 

 ジョッキとグラスを軽く合わせ、喉を潤す。

 冷えたエールが乾いた喉を駆け抜け、胃の腑に染み渡る。

 生きている、と実感する瞬間だ。

 

「くぅーっ! これのために生きてるようなもんだな」

「全くだ。……この肉も絶品だぞ。柔らかい」

 

 セレスは上品な所作ながらも、猛烈な勢いで肉を口に運んでいる。育ちの良さと野性味が同居しているのが彼女らしい。

 蒼介もナイフを入れる。ナノマシンのエネルギー補給にはカロリーが必要だ。

 

「しっかし、あの『霧殺し』ってのはどうにかなんねえかな。いくらなんでも噂が広まるのが早すぎるだろ。俺らが帰還したばかりだってのに、なんでもうあんなに」

「冒険者の耳は地獄耳だからな。それに、第21層は難所として有名だった。そこを突破したとなれば、注目されるのも無理はない」

 

 セレスはワイングラスを揺らしながら、少し頬を赤らめて続ける。

 

「それに、私は嬉しいぞ。お前と共に挙げた戦果が、こうして認められるのはな」

「……お前なぁ、素面でそういうこと言うなよ」

 

 蒼介が照れ隠しにエールを煽っていると、不意にテーブルに影が差した。

 

「失礼、少々よろしいでしょうか」

 

 落ち着いたバリトンボイス。

 顔を上げると、そこにはギルドの制服を着た初老の男性が立っていた。胸には、一般職員とは違う、管理職を示すバッジが輝いている。

 ギルドの運営に関わる人間が、食事中の冒険者に声をかけるのは珍しい。

 

「……なんだ? 依頼の未達も、規則違反もしてないはずだが」

 

 蒼介が警戒心を露わにすると、男性は穏やかに微笑んで首を振った。

 

「いえいえ、咎めに来たわけではありません。むしろ逆です。カミヤ・ソウスケ様、そしてセレスティーナ・エッケハルト様ですね。第21層でのご活躍、耳にしております」

「ほう、ギルドの上層部まで届いているのか」

「ええ。『霧殺し』のお二方といえば、今や注目の的ですから」

 

 男性は一度言葉を切り、周囲の喧騒を気にするように声を潜めた。

 

「実は、折り入ってご相談したい『依頼』がございます。場所を変えてお話しできませんか?」

「依頼? 俺たちは今、帰ってきたばかりでね。休暇中なんだが」

「重々承知しております。ですが、これはお二人にしか……いえ、第21層を突破したお二人にしか頼めない、緊急の案件なのです」

 

 緊急、という言葉に、セレスの表情が引き締まる。騎士の性分として、緊急事態を見過ごせないのだろう。

 蒼介は溜め息をつき、残りの肉を口に放り込んだ。

 

「……話を聞くだけだぞ。受けるかどうかは内容次第だ」

「感謝します。では、お食事の後で結構ですので、応接室へ」

 

 

 *

 

 

 二人が通されたのは、ギルドの二階にある静かな応接室だった。

 革張りのソファに座ると、男性が、一枚の羊皮紙をテーブルに広げた。

 

「単刀直入に申し上げます。第21層【濃霧と幻影の回廊】にて、ある冒険者パーティが消息を絶ちました。彼らの捜索、および救助をお願いしたいのです」

 

 やはりか、と蒼介は思った。

 緊急の依頼といえば、相場は決まっている。行方不明者の捜索か、スタンピードの阻止だ。

 

「消息を絶ったのはいつだ?」

「三日前です」

「三日前か……。生存確率は五分五分ってところか」

 

 シビアな蒼介の言葉に、課長は苦渋の表情で頷く。

 

「彼らは『銀の翼』という中堅パーティでした。実力は確かで、第20層までは順調に攻略していたのですが……あの霧には勝てなかったようです」

「第21層の霧は、視界を奪うだけではない。精神を蝕み、幻影を見せ、同士討ちを誘発させる厄介な代物だ」

 

 セレスが実体験を込めて語る。

 つい先ほどまで、自分たちもその霧の中で死闘を繰り広げていたのだ。あの『処刑人』のような魔物が徘徊しているとなれば、普通の銀級パーティでは全滅してもおかしくない。

 

「他のパーティに依頼はしなかったのか?」

「打診はしました。ですが……第21層の悪名は轟いています。ましてや行方不明者が出た直後です。二の足を踏む者が多く、高ランクの冒険者は現在、他国への遠征や深層の攻略に出払っておりまして」

 

 課長は縋るような目で二人を見た。

 

「そこへ、お二人が『霧』を晴らし、帰還したという報告が入ったのです。今のテルスで、あの階層の構造と脅威を最もよく知る者は、貴方たちをおいて他にいません」

 

 理屈は通っている。

 だが、蒼介としては首を縦に振りづらい。

 自分たちは満身創痍だ。ナノマシンのエネルギーも底をつきかけているし、精神的にも休養を欲している。

 何より、一度クリアしたからといって、安全になったわけではない。あの霧は、時間が経てばまた魔力溜まりから発生する。

 

(リスクが高すぎる。報酬が見合うかどうかも怪しいもんだ)

 

 断ろうと口を開きかけた時、リリアの声が脳内に響いた。

 

『ソウスケさん。……受けましょう』

 

(おいおい、正気か? リリアだって疲れてるだろ。あの場所は、お前にとっても辛い記憶を呼び起こす場所なんじゃねえのか?)

 

『ええ、そうですわ。ですが……もし彼らがまだ生きているのなら、あの霧の絶望の中で救けを待っているのなら、見捨てることはできません。かつて、私の民がそうであったように……』

 

 リリアの声は震えていたが、芯の通った強さがあった。

 霧のような絶望の中に沈んでいった王国。救いの手が届かなかった過去。

 それを重ねているのだろう。

 

「……ソウスケ」

 

 セレスもまた、蒼介をじっと見つめていた。

 その目は「行こう」と言っている。

 お人好しの騎士様と、亡国の王女様。

 どうやら、このパーティで一番の常識人かつ冷血漢を気取らなければならないのは、蒼介の役回りのようだ。

 

「……はぁ。わーったよ。俺が折れりゃいいんだろ」

 

 蒼介は頭をガシガシと掻きむしり、課長に向き直った。

 

「条件がある」

「なんなりと」

「報酬の上乗せだ。それと、ポーション類……特に精神安定剤(メンタルケア)と解毒薬をギルド持ちで用意してくれ。最高級のやつだ」

「もちろんです! 倉庫にある在庫をすぐに手配させます!」

「それから、情報は全て寄越せ。『銀の翼』のメンバー構成、装備、癖、最後に目撃された場所。些細なことでもいい」

 

 課長の顔がぱあっと明るくなる。

 

「引き受けて、いただけますか!」

「相棒たちがやる気になっちまったんでな。……乗りかかった船だ。とことん付き合うさ」

「……たち? いえ、感謝します! すぐに準備を!」

 

 課長が慌ただしく部屋を出ていく。

 残された二人と一つのペンダント。

 

「すまないな、ソウスケ。私のワガママに付き合わせて」

『ごめんなさい、ソウスケさん……』

「いいってことよ。それに、迷宮探索には金がかかる。稼げるときに稼いどくのも、シー……いや、冒険者の鉄則だ」

 

 蒼介はニヤリと笑って見せたが、内心では覚悟を決めていた。

 再び、あの霧の中へ。

 今度は自分たちの生還だけでなく、他人の命を背負って。

 

「さあ、そうと決まれば準備だ。ポーションがぶ飲みしてすぐに行くぞ」

「うむ! 休息は取れなかったが、気力は充実している!」

 

 

 一時間後。

 蒼介とセレスは、再び第21層の転移門の前に立っていた。

 ギルドから支給された物資をバックパックに詰め込み、装備の点検も済ませている。

 ポータルの青白い光が、二人の顔を照らし出す。

 

「行くぞ。今度は捜索戦だ。戦闘は極力回避し、痕跡を見つけることに集中する」

「了解だ。お前の【探知(サーチ)】があれば、見つけ出せないものはない」

 

 セレスが頼もしく槍を掲げる。

 蒼介は苦笑しながら、ナノマシンのモードを戦闘用から索敵強化用へと切り替えた。

 

(【探知(サーチ)】、感度最大。ノイズキャンセリング起動)

 

 視界にARマップが展開され、周囲の魔力情報が流れ込んでくる。

 準備は完了した。

 

「よし、いくぞ」

 

 二人は同時に、光の渦の中へと足を踏み入れた。

 視界が反転し、テルスの街の喧騒が遠のいていく。

 代わりに肌にまとわりついてきたのは、あの冷たく、湿った、死の匂いのする霧だった。

 

 第21層【濃霧と幻影の回廊】。

『霧殺し』たちの、二度目の挑戦が始まった。

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