異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第5話 化け物

 深淵の闇から浮上した巨大な単眼は、この世の摂理を嘲笑うかのように蒼介たちを見据えていた。それは生物というより、法則が具現化した災害そのものだった。周囲の水が不自然に淀み、空間そのものがその存在感に軋みを上げている。

 

『――総員、最大戦速で離脱する! これは相手にしていいモノじゃねえ!』

 

 インカムに響いたのは、リーダーである陣内の絶叫だった。彼の声には、先程までの傲慢さなど微塵も残っていない。純粋な、本能から来る恐怖が滲んでいた。

 だが、その命令はあまりにも遅すぎた。

 巨大な単眼が、ゆっくりと細められる。その瞳孔の奥で、蒼白い光が渦を巻くように収束していくのが見えた。ナノマシンが蒼介の脳に最大級の危険信号を叩きつける。回避不能。防御不能。即ち、死。

 

(まずい、まずいまずい!)

 

 蒼介は咄嗟に【迅速(ブースト)】を発動させた。だが、それは前へ進むためでも、後ろへ下がるためでもない。水の抵抗を無視した神速で、近くにいた田中を掴むと、巨大な遺跡の柱の影へと叩き込む。それが彼の思考と行動の限界だった。

 

「ぐっ!?」

 

 田中の短い悲鳴と、柱に叩きつけられる衝撃が手に伝わる。だが、それを気遣う余裕はなかった。

 次の瞬間、世界から音が消えた。

 単眼から放たれた光の奔流は、レーザーのように一直線に彼らがいた空間を薙ぎ払う。それは物理的な破壊ではなかった。光が通り過ぎた場所の海水が、一瞬にして沸騰し、そして次の瞬間には真空の泡となって弾け飛ぶ。因果律が捻じ曲げられるような、理不尽な現象だった。

 

『がああああっ!』

『陣内さん!』

 

 先頭にいた陣内が、咄嗟に戦斧を盾にして光線を受けた。A-ランクシーカーの誇る魔力強化された装備が、まるで砂糖菓子のように蒸発していく。彼の全身を包むアンダースーツが一瞬で溶解し、生身の体が蒼白い光に焼かれた。

 後衛にいた鈴木が悲鳴を上げながら魔力障壁を展開するが、それも紙のように貫かれ、彼の姿は光の中に掻き消えた。

 蒼介と田中が隠れた柱も、光線の余波だけで表面が沸騰し、凄まじい衝撃波が二人を襲う。

 

(意識を、保て……!)

 

 骨が砕けるような衝撃に耐えながら、蒼介は必死に意識を繋ぎ止めた。視界が明滅し、耳の奥で金属音が鳴り響く。ナノマシンの【自己修復(リペア)】機能が悲鳴を上げ、全身の損傷箇所から火花が散るような激痛が走った。

 光が止んだ時、そこには静寂だけが残されていた。

 陣内がいた場所には、もはや何も残っていない。鈴木の姿もどこにも見えなかった。インカムからは、ただ「ザー」という絶望的なノイズが聞こえるだけだ。

 

「あ……あ……」

 

 隣で、田中が呆然と声を漏らしている。彼の瞳は、仲間が蒸発した虚空を映し、完全に正気を失っていた。

 蒼介は奥歯を噛み締めた。まただ。また、守れない。ランク昇格試験の時と同じ光景が、脳裏を過ぎる。仲間が、目の前で蹂躏され、消えていく。自分の無力さを、これでもかと突きつけられる。

 

(感傷に浸ってる場合か!)

 

 蒼介は自らの頬を強く張り飛ばし、無理やり思考を切り替えた。生き残った者がいる。まだ、終わっていない。

 巨大な単眼が、再びこちらを捉えようとしていた。二射目があれば、今度こそ全てが終わる。

 蒼介は正気を失っている田中の首筋に手刀を叩き込み、無理やり意識を刈り取ると、彼を小脇に抱えた。そして、遺跡の構造が複雑に入り組んでいる下方へと、一気に潜行を開始する。

 

(【探知(サーチ)】、最大展開!)

 

 脳が焼き切れそうなほどの負荷を覚悟で、スキルの範囲を広げる。地形、障害物、そして敵の位置。全ての情報を脳内に叩き込み、最短かつ最も発見されにくいルートを瞬時に割り出す。

 巨大な単眼は、蒼介たちの動きを補足し、ゆっくりと追従してくる。その動きは決して速くない。だが、それは王者の余裕だった。獲物がどこへ逃げようと、決して逃がさないという絶対的な自信の現れだ。

 

 柱から柱へ、瓦礫の影から崩れた壁の隙間へ。蒼介はパルクールのような立体的な動きで、必死に追撃を振り切ろうとする。田中を抱えているせいで、思うように速度が上がらない。何度も、巨大な視線が背中に突き刺さるのを感じた。

 

 その時、【探知(サーチ)】が奇妙な流れを捉えた。

 遺跡のさらに深部。巨大な亀裂の奥から、強い水流が発生している。それは一定の方向に流れる、いわばダンジョン内の川のようなものだった。

 

(あれに飛び込むしか……!)

 

 どこに繋がっているか分からない。下手をすれば、行き止まりの洞窟に叩きつけられて圧死するかもしれない。だが、このまま逃げ続けても、いずれ捕まることは目に見えていた。一か八かの賭けだった。

 蒼介は進路を変え、水流が発生している亀裂へと全速力で向かう。背後で、再び蒼白い光が収束を始める気配を感じた。もう時間がない。

 

「――ッ!」

 

 声にならない叫びを上げ、蒼介は亀裂の中へと身を投じた。

 直後、彼の背後で世界が再び白く染まる。凄まじい衝撃波と熱が、奔流となって亀裂の中にまで流れ込んできた。だが、その直撃を受ける寸前、蒼介と田中の体は、抗いがたい力で亀裂の奥へと吸い込まれていった。

 まるで、巨大なウォータースライダーを滑り落ちるような感覚。視界は真っ暗で、上下左右の感覚も失われる。ただ、ごうごうという水の流れる音と、全身を岩壁に叩きつけられる衝撃だけが、意識を現実へと繋ぎ止めていた。

 

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 永遠にも思える落下と疾走の末、不意に視界が開け、水の勢いが弱まった。蒼介は必死に手足を動かし、近くの岩壁にしがみつく。気絶したままの田中を乱暴に岩の上へと放り投げると、自らも這い上がった。

 

「……はっ……はっ……」

 

 荒い呼吸を繰り返しながら、周囲を見渡す。

 そこは、先程までいた場所とは明らかに様相が異なっていた。

 天井は遥か高く、まるで巨大なドームの中にいるようだ。水は穏やかに澄み渡り、あちこちで発光性の苔や鉱物が淡い光を放っているため、深海とは思えないほど視界は良好だった。そして何より、これまで見てきたような無機質な遺跡の残骸ではなく、精巧な彫刻が施された神殿のような建造物が、整然と立ち並んでいた。まるで、古代の都市が丸ごと水の中に沈んでいるかのような、幻想的な光景だ。

 上層から続いていた、肌を刺すようなエネルギーの圧力が嘘のように消えている。他のシーカーの気配も、もちろんあの巨大な単眼の気配も、どこにも感じられなかった。

 

(どこだ……ここは……?)

 

 【探知(サーチ)】を再び展開するが、陣内や鈴木の生命反応は、やはりどこにもない。それどころか、この広大な空間には、自分と田中以外の知的生命体の反応が全くなかった。

 静寂が支配する、死んだ都市。

 上層からルートが枝分かれして、全く別の区画に迷い込んでしまったのか。あるいは、あの激流に流されて、想定よりも遥かに深い階層まで一気に到達してしまったのか。

 どちらにせよ、状況は最悪だった。仲間は生死不明。現在位置も不明。そして、地上へ戻るルートも分からない。完全な遭難だった。

 

 蒼介は田中の容態を確認する。幸い、呼吸も心拍も安定していた。激流に揉まれた打撲が酷いが、命に別状はない。ナノマシンが彼の傷をゆっくりと癒やし始めていた。

 今は、彼が意識を取り戻すのを待つしかない。そして、この場所がどこなのか、少しでも情報を集める必要があった。

 より慎重にいかねばならない。あの単眼のような、規格外の存在がいないとも限らないのだ。蒼介は息を殺し、音を立てないようにゆっくりと水中を移動し、周囲の探索を開始した。

 

 まるでゴーストタウンのような都市遺跡の中を、一時間ほど進んだだろうか。

 蒼介の【探知(サーチ)】が、この空間で唯一、異質なエネルギー反応を放つ場所を捉えた。それは、都市の中央に位置する、一際大きな神殿のような建物の中心から発せられていた。

 モンスターのような生命反応ではない。だが、あの解析不能な鉱石とよく似た、それでいて比較にならないほど強力なエネルギーの波動だった。

 

(あれが、この階層の何か……あるいは、このダンジョン全体の何かに関わっているのかもな)

 

 好奇心ではない。生き残るための、純粋な情報収集。蒼介は、そのエネルギーの源へ向かって、慎重に歩を進めた。

 荘厳な造りの神殿の中は、ガランとしていた。長い年月を経て、内部の装飾品などは朽ち果ててしまったのだろう。その中心部、祭壇があったと思われる場所に、それは鎮座していた。

 

「……なんだ、これ……」

 

 思わず、声が漏れた。

 そこにあったのは、家ほどもある巨大な結晶体だった。

 これまで見てきた青白い鉱石と同じ物質でできているようだが、その透明度と輝きは比べ物にならない。そして、結晶体の内部では、無数の光の粒子が、まるで銀河のように渦を巻いていた。

 それはまるで、巨大な心臓だった。ゆっくりとしたリズムで、ドクン、ドクンと明滅を繰り返し、そのたびに周囲の空間が微かに揺らぐ。この結晶体こそが、この異常なダンジョンの核であると、蒼介の直感が告げていた。

 

 危険だ。これ以上近づくべきではない。

 頭ではそう理解していた。だが、彼の足は止まらなかった。まるで、何かに引き寄せられるように、ゆっくりと結晶体へと近づいていく。

 帰還するための、何か手がかりがあるかもしれない。あるいは、このダンジョンの謎を解く鍵が。そんな淡い期待が、彼の警戒心を上回った。

 

 蒼介は結晶体の前に立ち、その表面にそっと手を伸ばした。

 【物質分析(アナライズ)】。このスキルならば、何かわかるかもしれない。

 彼の指先が、ひんやりとした結晶体の表面に触れるか、触れないか。

 その、刹那だった。

 

 ――ドクンッ!!

 

 これまでとは比較にならない、力強い脈動が結晶体から放たれた。

 次の瞬間、蒼介の視界は、全てを焼き尽くすほどの強烈な純白の光で満たされた。

 

「――ッ!?」

 

 悲鳴を上げる間もなかった。

 空間が、まるで薄いガラスのように、ピシリ、と音を立ててひび割れる。脳内に直接、何億もの未知の情報が濁流のように流れ込んできて、思考が強制的に停止させられる。

 体が、分子レベルにまで分解されていくような感覚。時間も、空間も、自分という存在の輪郭さえもが溶けて、混沌とした光の奔流に飲み込まれていく。

 

 抵抗など、できるはずもなかった。

 

 それは、シーカー神谷蒼介が、「エリア・アクア」で、そして「日本」で見た、最後の光景だった。

 強烈な浮遊感と共に、彼の意識は、ぷつりと糸が切れるように、強制的にシャットダウンされた。

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