異邦人と大迷宮~現代ダンジョンシーカーは、スキルと知恵で異世界迷宮の果てを目指す~   作:九泉

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第51話 音なき捕食者

 石柱が折り重なってできた狭い空洞に、二つの体が滑り込むように転がり込んだ。

 直後、入り口付近の石柱に何かが激突し、火花と共に耳障りな金属音が響いた。

 

 ガギィンッ!

 

 見えない刃が、彼らがつい先ほどまで存在した空間を薙ぎ払ったのだ。

 あとコンマ数秒遅れていれば、背中から両断されていただろう。

 

「ハァ……ハァ……!」

 

 蒼介は壁に背を預け、荒い呼吸を繰り返した。

 左足の傷が焼け付くように熱い。

 ナノマシンが傷口を塞ぎ、痛覚信号を遮断しているが、失われた血液による眩暈までは誤魔化せない。

 

「ソウスケ、足を見せろ! ポーションを!」

「いい、自分でやる。それより入り口だ。警戒を解くな」

 

 蒼介はセレスの差し出したポーションを受け取り、傷口に直接振りかけるとともに、残りをあおった。

 苦い液体が喉を通り、体内で熱となって広がる。

 傷口から泡が立ち、肉が盛り上がって塞がっていく感覚はいつ味わっても不快だが、今はそれが命綱だ。

 

 ――カチッ、カチッ、カチッ。

 

 入り口の向こう、濃霧に覆われた闇の中から、硬質な音が聞こえてくる。

 あのカマキリのような魔物が、威嚇するように顎か爪を鳴らしているのだろう。

 だが、この空洞の入り口は狭く、かつ複雑に入り組んでいる。あの巨体では侵入できないはずだ。

 

「……入っては来れないようだな」

「ああ。だが、完全に袋の鼠だ。奴が諦めて去ってくれるとは思えん」

 

 セレスが槍を構えたまま、悔しげに唇を噛む。

 銀級に昇格し、自信をつけていた矢先の出来事だ。

 手も足も出ない完敗に近い状況に、プライドの高い彼女の心中は穏やかではないだろう。

 

『ソウスケさん、セレスさん。……奥に、誰かいます』

 

 張り詰めた空気を破るように、リリアの声が響いた。

 

「なに?」

 

 蒼介はハッとして、薄暗い空洞の奥へと視線を向けた。

 【探知(サーチ)】のフィルタを切り替え、近距離のスキャンを行う。

 確かに、微弱だが生体反応がある。

 それも、魔物の冷たい反応ではない。人間特有の、温かみのある波長だ。

 

「……生存者か」

 

 蒼介は痛む足を引きずり、慎重に奥へと進む。

 セレスも入り口を警戒しつつ、後に続く。

 瓦礫の隙間、埃っぽい闇の中に、その人影はあった。

 

 ローブを纏った女性だ。

 壁に寄りかかるようにして力なく座り込み、浅い呼吸を繰り返している。

 全身傷だらけで、ローブのあちこちが裂け、血が滲んでいる。

 手元には折れた杖が転がっていた。

 

「おい、しっかりしろ。聞こえるか?」

 

 蒼介が肩を揺すると、女性はビクリと体を震わせ、うわ言のように呟いた。

 

「……こないで……こないで……」

「落ち着け。俺たちは冒険者だ。助けに来た」

 

 蒼介は極力穏やかな声をかけながら、予備のポーションを取り出し、彼女の口元に運んだ。

 液体の冷たさに気づいたのか、女性は震える手で瓶を掴み、貪るように飲み干した。

 数秒後、咳き込みながらも、彼女の瞳に少しだけ生気が戻る。

 

「あ……あなたたちは……?」

「ギルドの依頼で来た捜索隊だ。あんた、『銀の翼』のメンバーだな?」

 

 その問いに、女性の目から大粒の涙が溢れ出した。

 

「ああ……よかった……人間だ……。もう、駄目かと……」

 

 彼女は『銀の翼』の魔術師、エリーズと名乗った。

 恐怖と衰弱で言葉は途切れがちだったが、蒼介とセレスは辛抱強く話を聞いた。

 そして、彼女の口から語られた事実は、蒼介たちの想定を遥かに超える絶望的なものだった。

 

「あれは……ただの魔物じゃないわ……」

 

 エリーズは入り口の方を怯えた目で見つめながら、声を震わせた。

 

「30層の『主』よ……」

「30層の……主だと?」

 

 セレスが驚愕の声を上げる。

 階層の主は、通常その階層の最深部にあるボス部屋に鎮座しているものだ。

 だが、稀に特定のエリアを徘徊するタイプのボスが存在するという話は聞いたことがある。

 しかし、それはあくまでその階層内での話だ。

 21層に、30層のボスがいるなど、聞いたことがない。

 

『あり得ない話ではありませんわ』

 

 リリアが補足する。

 

『この【濃霧と幻影の回廊】というエリア……21層から30層は、空間が不安定です。あの魔物は、その歪みを利用して階層を跨いで移動する、イレギュラーな個体なのかもしれません』

「21層から30層を不規則に移動する徘徊型の主……か。道理で強すぎるわけだ」

 

 蒼介は舌打ちをした。

 本来なら、銀級パーティが束になっても勝てるかどうかわからない相手だ。

 それを、情報なしに、しかも視界の悪いこの階層で相手にしていたのだから、生きているのが不思議なくらいだ。

 

「……他のメンバーは?」

 

 蒼介は、聞くのが憚られる質問を口にした。

 エリーズが顔を伏せる。

 

「……リーダーと神官、斥候は……最初に襲撃された時に……一瞬で……。私と、重戦士のガルドだけが、なんとか逃げ延びて……」

「その重戦士は、俺たちが来るまで入り口で囮になっていたのか」

 

 エリーズがハッとして顔を上げる。

 その瞳には、縋るような希望の光が宿っていた。

 

「ガルドは!? 彼、まだ外で戦っているの!? 彼が『自分が食い止めるから、お前は隠れていろ』って……!」

 

 痛ましい叫び。

 彼女はここでじっと息を潜め、仲間の助けを待っていたのだ。

 自分を逃がしてくれた仲間が、生きて戻ってくることを信じて。

 

 蒼介はセレスと視線を交わした。

 セレスは痛ましげに目を伏せ、首を横に振る。

 真実を伝えるのは酷だ。だが、嘘をつくわけにはいかない。

 冒険者として、仲間の最期を知る権利が彼女にはある。

 

「……すまない」

 

 蒼介は静かに告げた。

 

「俺たちが到着した時、彼はまだ生きていた。だが……」

 

 言葉を濁す必要はない。事実だけを告げる。

 

「俺たちの目の前で、首を落とされた」

 

 エリーズの表情が凍りついた。

 口を開けたまま、声にならない悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちる。

 

「嘘……嘘よ……ガルド……約束したのに……」

「……彼は、最期まで戦士だった。あんたを守るために、あの化け物の注意を一身に引きつけていたんだ」

 

 蒼介の言葉が届いているのかわからない。

 彼女は両手で顔を覆い、さめざめと泣いた。

 無理もない。

 仲間を全員失い、自分だけが生き残ってしまった罪悪感と喪失感。

 それがどれほど重いものか、蒼介は誰よりも知っている。

 

(……クソッ。嫌なことを思い出させる)

 

 蒼介は拳を握りしめ、かつての自分の記憶を振り払うように頭を振った。

 感傷に浸っている時間はない。

 現実は待ってくれない。

 

 ズズズンッ……!

 

 突然、空洞全体が激しく揺れた。

 天井からパラパラと砂埃が落ちてくる。

 

「なっ、なんだ!?」

「入り口だ! 奴が無理やり入ってこようとしている!」

 

 セレスが叫ぶ。

 入り口の方を見ると、積み重なった石柱が、ミシミシと悲鳴を上げていた。

 巨大な鎌が隙間にねじ込まれ、強引に岩を砕いているのだ。

 あの巨体が入れるはずがないと思っていた。

 だが、奴は力任せに地形を変えてでも、獲物を喰らうつもりらしい。

 

「執念深い野郎だ……!」

 

 ドォォォンッ!

 

 轟音と共に、入り口を塞いでいた大きな石柱が一本、両断されて吹き飛んだ。

 霧が流れ込んでくる。

 そして、その霧の中から、ぬらりと光る複眼が覗いた。

 

 ギチギチギチ……。

 

 獲物を見つけた歓喜に震えるような、不快な音。

 サイレント・ストーカーが、その半身を空洞内に押し込もうとしていた。

 

「ひっ、ひぃぃぃッ!」

 

 エリーズがパニックを起こし、後ずさる。

 もう、ここは安全地帯ではない。

 袋小路の処刑場だ。

 

「セレス、覚悟を決めろ!」

 

 蒼介はエリーズの前に立ち塞がり、ナイフを構えた。

 

「ここで戦えば、エリーズも巻き添えになる。崩落で生き埋めになる可能性も高い」

「ならば、どうする!?」

「俺たちが出る! 外で奴を引きつけ、決着をつける!」

 

 狂気の沙汰だ。

 さっきまで圧倒され、命からがら逃げ込んだ場所に、再び戻るというのだから。

 だが、他に選択肢はない。

 ここで縮こまって死を待つか、可能性に賭けて打って出るか。

 

「……わかった。騎士として、か弱き者を守る盾となろう」

 

 セレスの碧眼に、迷いはなかった。

 彼女もまた、覚悟を決めている。

 

「エリーズ、よく聞け!」

 

 蒼介は泣き叫ぶエリーズの肩を掴み、強い口調で言った。

 

「俺たちが奴を引きずり出す。お前はその隙に、この瓦礫のさらに奥、一番狭い隙間に身を隠せ! いいか、絶対に音を立てるな。俺たちが戻るまで、息を潜めていろ!」

「で、でも……あなたたちだって……!」

「死なねえ。俺たちは『銀の翼』の仇を取る。だから、お前は生きろ。ガルドが命懸けで守った命を、無駄にするな!」

 

 蒼介の言葉に、エリーズはハッとして涙を拭った。

 震える体で、それでも小さく頷く。

 

「……はい。……お願いします……!」

 

 蒼介はニヤリと笑ってみせ、セレスへと向き直った。

 

「行くぞ、相棒。第2ラウンドだ」

「ああ。あの不快な鎌をへし折ってやる」

 

 二人は咆哮を上げ、崩れかけた入り口へと突進した。

 

「うおおおおおッ!」

 

 セレスの槍が雷光を放ち、押し入ろうとしていた魔物の顔面を突き刺す。

 不意を突かれた魔物が、仰け反って空洞の外へとたたらを踏む。

 

「今だッ!」

 

 その隙に、蒼介とセレスは空洞を飛び出し、再び濃霧の回廊へと躍り出た。

 視界は悪い。

 足場も悪い。

 敵は格上の階層主。

 状況は何一つ好転していない。

 

 だが、二人の間には、先ほどまでの絶望感はなかった。

 背負うものができた。

 守るべき命と、託された想いがある。

 それが、恐怖を凌駕する闘志となって、二人の体を突き動かしていた。

 

「さあ、来やがれ、化け物!」

「我が槍の錆にしてくれる!」

 

 霧の中、姿を消した死神に対し、二人は背中合わせで武器を構えた。

 静寂が戻る。

 反撃の狼煙が上がる直前の、張り詰めた静寂だった。

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